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最終更新日:2004年12月2日
 
長野県人会主催歓迎レセプション 知事あいさつ

2004年11月12日 サンパウロ市

 あらためまして、信州長野県で県知事を勤めております田中康夫でございます。
 本日は空港までお出迎えをいただきまして、その後、ブラジルで大変な困難を乗り越えて、それぞれ立派に地歩を固められ、お亡くなりになられた方々の慰霊碑にお参りをさせていただきました。その後、州政府に伺いまして、州の副知事にもお話をしたんでございますが、あのように風光明媚な素晴らしい一画にですね、日本の多くの方々の慰霊の場所があると、それはやはりブラジルという地が、本当に、むろん様々な困難が多く筆舌に尽くし難いことであられたと思いますけれども、ある意味では、そうした中で、本当に、くじけず前を向かれた日本の方々というものが、本当に、このブラジルの地できちんと評価されていると。その上で、あのような素晴らしい場所にですね、眠られている方々がいるということに深い感銘を受けました。

 ある意味では、今、私ども日本というのは、大変に、言葉だけは国際貢献というようなことを言ってはおりますけれども、大変に内向きな、経済も政治もですね先行きが不透明で、にもかかわらず抜本的な改革もせぬままですね、糊塗に糊塗を重ねて改革の先送りをしている一方で、日本は捨てたもんじゃないみたいなカラ威張りだけがございまして、でもそうした中で、このブラジルの地で暮らされている方々というのは、ある意味では、今、もっとも日本が学ばなければいけない"広きこころ"というものをお持ちなのだということを感じました。

 私が知事になりまして4年でございます。4年ですが早くも二期目という珍しい知事でございますが。もともと私、東京で生まれたのでございまして、1956年、昭和31年でございますが。家の父親が信州大学で奉職をいたしましたので、ちょうど東京オリンピックが開かれた年に上田に移りまして、2年間上田に居りまして、それから高校を出るまで松本に居りました。ですので、私は、東京が、皆さんもご存知のように、トロリーバスが通ってたりですね、都電が通っている頃の東京を知っておりまして、日本橋の上を、今、皆さんご存知のように、コンクリートの橋脚で、でっかい高速道路が通ってますけれど、あのように東京がですね、東京らしい温もりがなくなり始めた頃に信州に移って、上田では、父親が信州大学の繊維学部に勤めておりましたので、桑の実をいっぱい食べてですね、口のまわりを紫色にして帰ったら、母親が"どうしたんだろう?!"ってびっくりしたという・・・。ですから、本当に東京が高度経済成長するときに信州の牧歌的な中で暮らしまして、東京の高度経済成長が一段落した後、予備校から東京に行きまして、長野県がバブルの後に、逆にオリンピックということで大変な投資をして、その後、宴の後だという時に、もう1回長野に戻って知事をしていると・・・。

 先ほど、ご質問があったんですけれど"胸に着けているのは何だ?"と。県の花が「りんどう」で県の鳥は「雷鳥」でございますけれども、県の動物が「かもしか」でございまして、これは、私の知ってる、日本航空のイラストなんかを描いていた安斎肇という者が、1回目の選挙に出るときは、ご存知のように政党も推薦するわけじゃぁございませんし、いろんな団体も推薦するわけじゃありませんので、彼がマークを創ってくれましたら、塩尻に住んでいる百瀬明美さんという方がですね、この方が、ちょうど今から8年位前にお子さんを生むときに、お子さんは無事に生まれたんですけれど、全身不随になられてしまいまして、ずっとリハビリをなさっていて、その間にご主人が事故で片腕をなくされたという方でございまして、私はまったく見ず知らずだったんでございますけれども、そうした声なき声の方がですね、そのご主人が、木曽谷だけでも大阪府とか同じ大きさですけれど、そこを運転して道案内をしてくれまして、その時に奥様が、安斎肇というイラストレーターが描いたのを起こして、このようなブローチにしてくれまして、私はいつもそういう方と共に歩みたいということで着けてる訳で、子どもっぽいと言われるんですけど・・・。
 ただ、本当に信州というのは、皆さんご存知のように本当に真面目な県民性で、車座集会というのをやるんでございますけど、県内各地に行きますとね、本当にお歳を召したおじいちゃん、おばあちゃんがですね、何か本で読んできたり、何処かの偉い人の話を聞いたりしたのを受け売りするじゃなくて、自分の言葉で信州人というのは語るわけでございますね。自分の言葉で語る哲学といいますか生きざまというのは、本当に大変な向上心に溢れていると。私は、やはりその民度の高さというのはですね、信州ならではと思いますし、ある意味では、今日、ブラジルの記念館を拝見させていただいてですね、たいへんにブラジルで日本の方々が、本当に、ある意味ではですね、素晴らしい地歩を固めてこられたと、でもその中の、それはもう全国からの方もおりますが、でも、あれだけの困難の中でブラジルの方々がですね、あのように知恵を絞り、そして身体を動かし、共に歩んできたというのは、ある種何か信州人の生真面目な点に似通っているような気がいたしました。

 明日以降も、アリアンサにもお伺いをさせていただきますし、また、アルゼンチンの方にもですね、2年前にアルゼンチンにお伺する予定だったんでございますが、ご存知のようにアルゼンチンの当時の経済や政治の不安定がございまして、延ばさせていただいたわけでありますけれど。逆に、私ども、本当に、このブラジルやアルゼンチンの地での皆さまの歩みというものが、本来の、日本がですね今忘れているもの、本当に我々が戻らなければならないところが、この滞在の中で得られるのではないかと思っております。
 本当に、今日、朝方から皆さまには大変な歓待をしていただいて、私のみならず、古田議長も藤原町村会長も感謝感激しているんだと思います。どうぞ、今日また明日以降も、是非よろしくご指導をいただきたいと思います。本当にありがとうございます。


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