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最終更新日:2004年12月2日
 
在ブラジル45周年記念祭 知事あいさつ

2004年11月14日 サンパウロ市

 皆さまこんにちは。長野県で県知事を勤めております田中康夫でございます。
 今日は、皆さまにお目にかかれることを大変楽しみにしてまいりました。
 今、石井賢治会長から「正に地球の裏側から、ようこそはるばる。」というお言葉がありました。けれどもそれは、私どもの、また、皆さまの心の故郷でもあります日本と比べれば、その23倍という大変広いこの国土の各地から、今日ここに、正に信州・信濃・長野県からお越しになった方々、その方々の心の縁(よすが)であります県人会の45周年という栄えある節目にご参集くださったその方々の、正に信州を思う熱い想いに比べれば、私どもが飛行機に乗ってこの地へ訪れたということは、ある意味では、とても小さなことでございます。

 私は、今、信州・信濃・長野県と申しました。皆さまご存知のように、他の都道府県は、例えば廃藩置県のあと、静岡でありますならば、伊豆と駿河と遠江というような、それぞれ違う藩が一緒になったところがございます。長野県という言葉は、これは明治維新以後生まれた言葉でございますけれども、信州や信濃という言葉は、遠く紐解けばですね、8世紀、9世紀の古文書の中から、正にその頃からですね、山あり谷あり大変に急峻な地形であり、そしてまた、大変に険しい気象条件という中で、常に志を失わず向上心に溢れてきた長野県民というものは、信州人であり信濃人であります。正に一つの大きな家族でございます。
 そして、その信州の地の真裏の、このブラジルにおいてですね、私は昨日、アチバイヤという場所を訪れ、アチバイヤのみならずまた、明日アリアンサにも訪れます。こうしたブラジルの地で、皆さまが信州の心意気を一時も忘れることなく、しかしながら、正にブラジルの市民として多くの方々のために刻苦勉励され、そして、そこで得られた成果というものを、決して驕り高ぶることなく、更に謙虚に、地域の様々な場所でお生まれになり、或いは移り住まれた方々とともに享受し合うという、大変広い心をお持ちになってこられた。これは、信州人のみならず、私は、日本から訪れた多くの方々がそうであったと思います。であればこそ、到着をいたしましたその足で訪れました公園の一角にあります、日本からの方々、その志の常に偉大だった方々の慰霊碑というものが、美しい公園の一画に特別に設けさせていただけていることは、これは決して日本が経済国であり、或いは日本からお越しになった方々の人数の多寡ということを超えて、正に皆さまがこのブラジルの地で、ブラジルの市民として、そして世界市民として、しかしながら、志は常に信州人として、この地に在られということを、この地域が認めてくださっている何よりの証拠ではなかろうかと、このように思っております。

 私は、先ほどご紹介の中で、ブラジルの栄えある勲章であります「南十字星勲章」を、昨年、県民を代表して頂戴いたしたと申されました。
 現在、日本には、ブラジルに日本から志を抱いて移られた、その方々とほぼその同数の方々がお住まいであります。本県では、年齢や性別、経歴や肩書き、そして障害や国籍の別を問わず、生きる意欲のある者はすべて皆我々の親しき信州人である。こうした考えの下、私が就任いたしました4年前から、とりわけ約2万人を数えるブラジルからの皆様、その中には皆様のご親戚もいらっしゃいます。あるいはまた、日本の地を知らずして、ブラジルからお越しの方々もいらっしゃいます。
 当初、こうした方々の義務教育年限のお子さんの4人に一人の方は、残念ながら、私たちの小中学校に通っておられませんでした。おそらくそれは、経済的というよりもポルトガル語というものと日本語というものの壁が大きく隔たっていたからでございます。しかしながら、こうした正に罪なき子供たちも私ども信州人であります。そこで、こうしたブラジルからの方々が多い学校に、ポルトガル語と日本語の通訳を行うチューターを置かせていただきました。そして、こうしたチューターがいる学校へは、本来の学区を越えて、隣接のところからもお子さんが通えるという形を整わせていただきました。
 あるいは、ポルトガル語で授業をする幼稚園や保育園がございます。国際化とは名ばかりの日本においては、こうした外国籍の方々がおこしになる学校、それも、認可を受けていない幼稚園や保育園へと税金を投入することは禁じられています。これは私は、同じ市民であるという形の中で、大変信じがたき未だ日本の閉鎖性ではなかろうかと思っております。しかしながら、多くのブラジルからの方々を受入れた企業の方々がファンドをお作りになり、そしてイヴァン・カナブラヴァ駐日特命全権大使のご協力を得て、ポルトガル語のテキストを多く頂戴をし、これらの小さな乳幼児もポルトガル語で授業を受け、ブラジルの地を思い、そして、日本、わけても信州の愛情というものに包まれております。
 私がいたしましたこと、あるいは、長野県民が今、ブラジルからの方々に行っていることは、大変に小さなことでございます。それは、皆さまが、むろん大変筆舌に尽くしがたい多くの苦難の歴史を乗り越えられて、このブラジルの地で地歩を固められた、そのご労苦と比べれば、私たちが、今ブラジルから訪れる方々に行っていることは、大変小さな、ささやかな恩返しに過ぎません。

 現在、皆さまご存知のように、ブラジルの地は大変無限の可能性を秘めております。新しくこれから将来性のある国を示す言葉として、「BRICs」という言葉がございます。これは、ブラジルと、ロシアと、インドとチャイナ(中国)、そして「s」がついておりますが、これは南アフリカを含めた、これから正に多くの人々が協働して連邦制、共和制の下に進んでいく国々にこそ未来があるという言葉でございます。日本は、今、申し上げた「BRICs」の中には入ってはおりません。日本は、ある意味では、経済的に先んじていたと言われているかもしれません。しかし、今、皆さまご存知のように、中国からは、ブラジルと正に対等の関係で多くの政治家、経済人が毎月のようにお越しになられ、農業の協力を含め、正に地球の表裏のブラジルと中国は、連帯をすることによって、それぞれの市民の豊かさを更に増そうとしております。私は、日本が目指すべきことは、この「BRICs」というもののリーダーになることではなく、ある意味では、日本が町人国家でありましたように、「BRICs」、ブラジルやインドや中国という可能性を秘めた国々に、それよりは、いくばくかは少し経済的に、物質的に豊かになったこの日本を、よい意味で、番頭さん役として、コーディネーターとして、これから更にお尽くし申し上げることではなかろうかと、私は思っております。

 昨日、県人会の皆さまとお目にかかった際に、私どもの県では多くの技術研修を、信州に若き方々をお迎えいたしております。これらの方々を、更にきちんとお受けする。例えば、本県は、皆さまご存知のように全国で一番の長寿県でございます。男性は長寿1位、女性は長寿3位でございます。他方で、老人の医療費というのは、全国で最も低いのが誇るべき信州でございます。これは、常に早期発見、早期治療、或いは、食生活の改善運動、かつては塩分取り目でありました食生活を、体によい食生活にしようということを行ってまいりました。こうした例えば、一点をとっても、これからのブラジルの若き方々に、信州人のこうした食生活の改善運動をお伝え申し上げる。これは、経済力や軍事力といったハードなパワーではなく、正に文化や芸術というソフトなパワーを、信州からブラジルの地の皆さまにご提供申し上げることではなかろうかと思っております。
 そしてまた、私は、昨日の若い三世、四世の方々が、時にはたどたどしく、けれども大変に流暢な、むしろ日本の若い者が忘れていた敬語というものをお使いになられて、日本語でお話になるのをお聞きし、大変に深い感銘を受けました。
 皆さまがこのブラジルの地にあっても、信州を思い起こすのは、それは、私たちの大変に美しい形容詞を多く持つ日本語というものを、これからのブラジルの若い世代にもお話しいただける、あるいは、お聞きいただくことができるということではなかろうかと思います。これは、長野県という小さな行政体の枠を越えたことかも知れませんが、信州出身者のみならず、多くの日本に関心を持たれ、日本を愛してくださる若い世代のために、こうした日本語というものの教育というものにも、いくばくかお手伝いをすること、それもまた、正に驕り高ぶったリーダーではなく、正に目線を低く持った番頭役としての信州人の目指すべきところではなかろうかと、このように思っております。

 このあと、多くのご高齢の方々の表彰をさせていただきます。先ほど、その名簿を拝見いたしますと、県内の各地、全国4番目の広さでございます。その中には、昨日、私は、病院の脇にあります碑を拝見いたしました。島崎藤村の生誕地でもあります山口村ご出身の方々も数多くいらっしゃいました。長野県というものと、信州と信濃は同じ面積でございます。しかし、長野県という名称は、国によって名付けられたものであります。けれども、信州や信濃、これは、私たちの意思によって、多くの先達がここを信州と呼ぶ、信濃と呼ぶ。わけても信州という言葉は、様々な気候や風土や食べ物が違っても、信濃の国を歌うときは、心は一つの友であるという、私はその覚悟の事だろうと思います。
 私は、山口村もまたこれからも誇るべき信州、信濃、そして、その同じ面積の長野県の一画であると、このように信じております。私は知事であります。そして、そうした皆さまのお気持ちに常にお応えする、そして、いかなるか弱き者にも分け隔てなく接する、そうした信州人の心意気というものを日本の地においても、脈々と今後も繋ぎとめていく覚悟でございます。
 どうぞ、皆さまにおかれても、ご健康で、正に向上心に溢れる、そして誠実である、勤勉である、信州人としての誇りを抱かれて、このブラジルの地において、ブラジルの誇りある市民の一人としてご活躍、ご貢献されることを私は祈念をいたします。

 大変長くなりました。45年間の、或いは、それに先駆けての多くの皆さまのご労苦に比べれば、私が、今ここで費やす言葉というものは、小さなものであるかもしれません。しかしながら、皆さまは、常にポルトガル語で、のみならず日本語でともに励まし合うということによってしか、私たちの未来は切り開かれないと思っております。
 45周年を心からお祝いをいたし、あいさつといたします。どうもおめでとうございます。どうぞお元気で、お過ごしください。  


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