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最終更新日:2004年12月2日
 
第一アリアンサ入植記念80周年記念祭
知事あいさつ

2004年11月15日 第一アリアンサ

 どうも、皆様こんにちは。私は、長野県、信州、信濃で県知事を務めております田中康夫です。今日、皆様にこのようにお目にかかることができることを、大変うれしく、また光栄に思っております。

 皆様、あるいはご存じかもしれませんが、私は4年前に県知事になりました。それまでは文章を書くフリーの仕事をしておりました。その私にとって、先ほど弓場勇さんが創設をされた弓場農場を訪れたときに、何かそこには大変神々しいミッションがある、使命感というものがあり、また祈るということがあり、そしてそこに文化というものがあると、私は深い感銘を受けました。
 先ほど、それは下桑谷浩牧師から大変に心温まるお説教を頂戴いたしましたが、そこでも私は、改めてこのアリアンサの地に、まさに、人が人として生きる、あるいは人を人として遇するという高いミッション、使命を持った方々が集っているということを、改めて感じました。そしてそのことは、まさに21世紀において物質的には豊かになりましたけれども、ある意味では、精神的には極めて崩壊している日本という地を、私たちが再び改めていく上での参考となるものが、数多くこのアリアンサの地にあるのではないか。このように感じています。

 先ほど、下桑谷牧師が脱ダム宣言というものをご紹介くださいました。私は、富国強兵型の政治ではなくて、少し難しいですが、経世済民―経世済民というのは福祉や教育や環境というものを大事にする、そのことによって、福祉や教育はみなさんご存じのように、人が人のお世話をして初めて成り立ちます。福祉や教育は、ロボットでは行うことはできません。そして、このことが21世紀における福祉や教育や環境、森林を整備することを含めて、これらがよい意味で新しい雇用を産んでいく、これを富国強兵型、組織や国家のためではなく、一人ひとりの市民のために尽くす経世済民の政治だと、私は感じております。

 私の胸についておりますのは、カモシカヤッシーといいまして、これは信州、信濃の県の動物がカモシカです。私の名前が康夫なので、ヤッシーという名前がついています。なぜこれをつけているかというと、私は4年前の選挙も、そしてご存じのように2年間で不信任を出され、ダムを造らないのはおかしい、ダムを造っていかないといけないと言われ、不信任を出され、その時にも再び選挙を行いましたが、私は日本のいかなる政党からも推薦や支持を得ていません。のみならず、農業の団体や医者の団体や福祉の団体や建設の団体や、あるいは労働の団体からも推薦も支持も受けていません。お前に人徳がないからだと言う人もいますが、私は組織のために働くのではなく、一人ひとりの自律した市民のために働くということを、私のミッションとしています。このアップリケは、8年前にお子さんを産むときに、体が全身不随になってしまった、松本の南の塩尻市というところに暮らす女性が作ってくれたものです。彼女のご主人も彼女が4年間、リハビリテーションをして少しずつ手が動くようになる間に、事故で片腕を無くしてしまいました。でも、そうした方が私とともに長野県を再びよくしていこうと思ってくれています。そうした方とともにあるという覚悟でこのバッジをつけています。
 私の大変に尊敬する、そして白血病で亡くなりましたが、兄貴分でもありました、エドワード・サイードという歴史学者であり、哲学者であり、政治学者がいます。彼はオリエンタリズムという言葉を言いました。オリエンタリズムを批判した人間です。オリエンタリズムというのは何でしょう、西洋が東洋というものを指すときに言う言葉です。つまり、西洋なるアイデンティティの方が優れている、それをうらやましく思っているのが東洋というところのオリエンタリズムだということを、彼は述べています。でも、こうした考え方こそが、まさに植民地主義や人種主義というものを正当化していくようなものである、と彼は非常に嘆いていたわけです。

 先ほど田中嗣郎会長からは、私たちの長野県、信州、信濃というものが、このアリアンサの地にも多大なる貢献をしたという、身に余る言葉をいただきました。身に余る言葉かもしれませんが、私はむしろ、私たち長野県が、あるいは長野県民が、正しい歴史を見つめ直さねばならないと思っています。今回、ブラジルの地に訪れたのは、私は、日本を見つめ、あるいは長野県を見直す旅であると思っています。なぜならば、ご存じのように永田稠さんやあるいは輪湖俊午郎さんたちが、この地に新しいミッションを持って、人々のための楽園を造ろうとしたときに、必ずしも私たち長野県はそれに全面的な協力をしたとは言い難い歴史の事実があるわけです。私は、これは木村快さんの書籍を読み、改めてそのことを深く、私は反省をせねばならないと思っています。それは、すなわち、私はこのアリアンサの地というものは、自治会がない、あるいは神社がない、そして多くの方は長野県民ではなく、まさに多くの、この場所に人間らしい楽園を造ろうと思った方々を分け隔てなく受け入れるという大変広い心のミッションがあった場所である。しかしながら、そうした場所に、私たちの県は極めて後ろ向きな支援や対応しかしてこなかったのではないかという、私は敢えて深い反省を持っております。
 まさに、このアリアンサの地は、国策としての移住ではなく、まさに人々の、むろん過酷な日本の歴史があり、日本での困苦を極めた生活があり、その中で楽天地を求めたという要素はあるにせよ、この場所に国から命ぜられたのではなく、良い意味で個人の意志と覚悟によって、人々が移り住んだ、私はこのことに大変敬意を表するものであります。
 いくつかの書籍は、山川出版や大月書店や、あるいはその他から出ているこのアリアンサにおける歴史というものは、ことさらに長野県の主導のもとに、庇護のもとに形作られたかのように記されています。けれども、私はこれは、必ずしも正確な認識ではなかろうと思っています。つまり、その中にも記されておりますように、建前としては皆様が入植されることを賛成する、しかしながら、お金は出さない。そして、まさに日本力行会の方々のミッションに基づく活動というものに任せきりにして、しかしながら、このアリアンサの地において、このように皆様の多大なる労苦の上ですばらしい楽園が築かれてきたときに、それはあたかも長野県のもたらした成果であるかのように述べ、そして、まさに満州移民という国策移民を行う上においての成功例であるかのごとく述べたということは、私は、これは今後改めて検証せねばならないと思っております。すなわち、信濃教育会を始めとする長野県は、先ほどエドワード・サイードが申し上げたオリエンタリズム的な発想を、このアリアンサの方々の努力を正確に見ることなく、まさに国策的なその後に続く正当化する手段として用いたのではないか。それこそは、私たちが深く歴史を見つめ直さねばならない、私たちの中に克服せねばならないもう一つのオリエンタリズムではなかろうかと思います。この点は、今日優れた、まさに長野県にとどまらない言論活動を続ける信濃毎日新聞の宮坂重幸記者を始めとする方々の力を借りて、私たちは近い将来において、アリアンサのために、あるいは再び長野県を誤らぬように、このことをきちんと記し直さねばならないと思っております。それにつけましても、皆様のこの地において、まさに一人ひとりが人として生きるこということを続けてこられたと、いう点に私は改めて深い敬意を表するものであります。
 先ほど、エドワード・サイードは、こうした言葉を述べております。少し難しく感じられるかもしれませんが、ノン ジュイッシュ ジューという言葉とジュイッシュ ノン ジューという言葉があります。ユダヤの方々は、ある意味では、定住する場所が長い間なかった方々です。けれども、定住する場所がないからこそ、カール・マルクスもフロイトも、私は世界市民である、私の体は間違いなくジュイッシュではあるけれども、私は定住する場所がない、アイデンティティを保つ場所が希薄であるからこそ、自分のその優れた頭脳を世界のために使う、まさに肉体はジュイッシュなれど、精神はノン ジュイッシュ、世界市民であるということを言われました。しかしながら、今の私たちの世の中はどうでしょう。ユダヤ人ということだけではなく、多くの人々が、アメリカ人も、あるいは日本人も、私は国籍を越えた世界市民であると一言目には言います。けれども、そう述べる人に限って自己的な、利己的なものを求める、まさに肉体は世界市民と言いながら、欲望は極めて自分の狭い範囲をみるという形があります。私は、そうした時代の中においてある意味ではこのアリアンサの地の方々こそは、まさにこの地において、ポルトガル語、ブラジルの言葉をも習得しながらも、自分たちのアイデンティティ、寄り添う場所としての日本語というものをきちんと保ち続けたということ、それは小さな心ではありません。むしろ、自分たちがブラジルの地で、世界のために貢献するということを確認し続けるために、この日本語を大切にされてきたということに、私は感慨を覚えるわけです。

 本県は、いくつかの事業をブラジルから長野県へお越しになった方々のために行っています。今、日本全体には20万人を超えるブラジルからの方々がお越しになって、そして長野県にも2万人近い方がお越しです。小さな幼稚園や保育園の子どもがポルトガル語で授業を受ける、こうした学校を民間の企業と一緒に支援するようにしています。小学校や中学校にブラジルから来た子どもたちが分け隔てなく通えるように、ポルトガル語と日本語の通訳の職員を派遣するようにしています。
 けれども、これらはとても小さなことです。ある意味では、ブラジルが、多くの悲惨な歴史はあったにせよ、皆さんを始めとする日本の方々を、まさに長野県からの方々を分け隔てなく受け入れてくれたということに対するささやかな恩返しです。そして、同時に本県はブラジルから長野県へと学びに来る多くの技術者の研修を受け入れています。このことは、さらに充実させるところであります。
 そして、また本県がこのアリアンサの地を始めとして、やはり皆さんのアイデンティティである日本語というソフトパワーを、これからも保ち続けていただくために、私たちは日本語教育のための制度、あるいはより優れた志、ミッションをもった教師の派遣ということを、これから前向きに検討したいと思っております。このことは、おそらく今日私と一緒に、一昨日から訪れ、多くの感動の連続であられる古田芙士議長も、昨日日本語の教育や、あるいは技術者の受入に関して広いご配慮をいただきました。さらに、私は今日このアリアンサの地を訪れ、本県から訪れた者たちや、それは長野県からの恩返し、あるいは長野県に対しての皆さんの感謝の念を求めるのではなく、まさに皆さんがあくまでもアリアンサの地にあり、そして日本語を話し、そしてブラジルを愛し、世界を愛する方々が、より長野県もまた過去の認識が誤っていた点を改め、そして長野県が長野県だけのために生きるのではなく、まさに開かれた、本来オリンピックを開いた、国境を越えた友好すべき県であることを再び確認することであろうと思います。
 私が冒頭に申し上げた日本を見つめ、そして長野県を見つめ直す旅であると申し上げたのは、こうした意味からであります。多くの皆さんの先達たちが、そして皆さんが築き上げたことに、私は深い敬意を表し、そしてそのことが正当に評価を歴史の中で受け、そしてこれからもアリアンサの地が、まさに長野県から来た先達たちが長野県民だけでなく、多くの者を受け入れた、逆に長野県が長野県の者だけを受け入れろと言ったときに、敢然とそれに対して異議申し立てをした。山国である長野県民が極めて勤勉で向上心にあふれ、誠実ではありますが、しかしながら、時として山国であるがために自分たちだけがより優れているといった考えに陥りがちな、よその者たちを受け入れることに逡巡する傾向がなきにしもあらず、であります。

 そうした中において、この地に入植した長野県の出身者は、まさに兵庫県出身の弓場さんをも友としたように、そうした長野県が本来これから取り戻していくべき、広い心がこのアリアンサの地、80年の昔から脈々と続いているということであると思います。そのことを学ぶために、私は今日、ここに訪れたと思っています。
 是非とも、皆様がこれからも健康であられ、そして、より社会の一員として高い使命感を持って、日々に感謝しながら健やかに過ごされることを祈念申し上げ、私のあいさつといたします。本日は、お招きいただき本当にありがとうございました。


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