8月31日 部長会議録
H18(2006).8.31 13:30〜14:00
県本庁舎 特別会議室
出席者:知事、副知事、出納長、経営戦略局長、経営戦略局参事(4名)、信州広報・ブランド室長、危機管理局長、企画局長、総務部長、総務部参事、社会部長、社会部参事、衛生部長、生活環境部長、生活環境部参事、生活環境部技監、商工部長、農政部長、農政技監、林務部長、土木部長、土木技監、住宅部長、副出納長、企業局長、教育長、教育次長(2名)、県警本部長、代表監査委員、監査委員事務局長、労働委員会事務局長、地方事務所長(8名)
欠席者:林務参事、人事委員会事務局長、議会事務局長、地方事務所長(2名)
(田中康夫 知事)
はい、それでは8月31日の部長会議です。
諏訪地方事務所長の八重田さんと上伊那地方事務所長の竹松政博さんがテレビ会議で出席です。
それでは、皆さんも既にご存知のように、この後4時20分に副知事の澤田祐介さんと出納長の青山篤司さんと教育長の丸山ナさんの退職辞令の交付をします。で、概ね4時半から玄関前で4名がご挨拶をして、という形になります。どうしよう・・・それぞれ何か。まぁ、玄関先でも県民の方、職員の方を含めて御挨拶をする形になりますので。今、お手元にいつもの私の週刊SPAの連載と日刊ゲンダイのとをお配りしましたけれども、たまたまこの間見ていたら、丁度6年前の10月26日の就任の挨拶というのと職員だよりの挨拶というのが出てきました。読んでみたら6年間、私は随分同じことを私は言っているんだなというのと、この多分講堂でお話したのは、何かメモがあったわけではなく、お話ししたと思うんですけれども、手前味噌ですけれども、今より随分わかり易く、或いは話の展開も「へぇ〜、こういうふうにしているんだ」って思いましたので、またお暇があったら読んでみてください。
澤田さんのほうから何かお話ありますか?
(澤田祐介 副知事)
12月からだったかな、この(部長会議の)司会をさせていただきまして、本当にありがとうございました。いつも県庁舎内の部長会議のメンバーというのはいろいろ話す機会があるんですけれども、特に地方事務所の方々はその時その時のテーマに対しての話というのは色々とお聞きするんですけれども、県政全体に関して或いはこの総括に関して、もしできれば、今日30分この時間がありますので、テレビ会議で参加の八重田さんも含めて地方事務所長の方々に一言づつ何か言っていただけると非常に、僕たちが、さっきも三役でずっと上から下から回ったんですけれども、「いつもありがとうございました」ということばっかりずっと言って回ってきたんで、地方事務所長に一言ずつ話を頂けると大変有り難いと思うんですが。いかがですか。堀内さん、その辺からどうですか。長野(地方事務所長)からいきましょう。
(堀内清司 長野地方事務所長)
突然あてられましたので何を言っていいかちょっと戸惑っているんですが、この会議に出させていただきまして、従来ですと本庁の中の部局長の会議であったんですが、この2年前から私どもも参画させていただくことになりまして、非常にあの、何て言いますかね、現場においても会議がテレビでも見られますし、直結していたという感じでおります。ここに出席していなくても事務所のほうでは副所長以下皆さん見ていますので、そういう意味ではこの会議がかなり大勢の皆さんに関心を持っていただいているという理解でいます。
(澤田祐介 副知事)
はい。
(栗林俊春 木曽地方事務所長)
木曽地方事務所長の栗林でございますけれども、この会議は、私も木曽ですのでこの地域からは少し距離的にも遠い。けれどもできるだけ参加するようにして参りました。木曽に2年近く勤務をさせていただいて、そして木曽の課題やそしてまた良いところも悪いところも肌で接して分かることができました。そんなことでですね、この会議にもできるだけ伝えられればいいなというふうにも考えていたんですが、中々目先の仕事に追われて参りましたが、こういった会議で多くの皆さんと接してですね、木曽を改めて見直したり、そしてまた木曽のあり方を自分なりに考える、そんなきっかけになりました。ありがとうございました。
(澤田祐介 副知事)
あの、木曽谷と伊那谷が40分で結ばれるという、正に長野県にとっては画期的なトンネルが開いてから半年経つんですけれども、権兵衛トンネル開いてから木曽はどうですか?何か目に見えた変化はあるんでしょうか?
(栗林俊春 木曽地方事務所長)
目に見えた形では、もう人の賑わいが増したことが一つ、一番大きなことです。それから私の感じでは、住民の皆さんがですね、目線が広がったという印象が非常に私は高いと。権兵衛峠を越えて伊那谷側の広さと言いますか、それをぱっとこう目にした時に、「ああ、こういう場所あるんだ」と。そういう率直な想いの中からですね、じゃあ木曽はどういうふうに、深い谷、山に囲まれた木曽、自分たちがどういうふうに豊かにしていこうかなということを、皆そういった広い視野で考えるようになったなというふうな印象を持ってます。
(澤田祐介 副知事)
はい。20年テレビ番組が続いたら、「あの時歴史が動いた」の生き証人ですから、きちっと記録をとっておいてください。お願いします。
はい、鷹野さん。
(鷹野治 佐久地方事務所長)
佐久地方事務所の鷹野治です。この部長会議私も出席させていただきまして、私はいつも朝、これ9時半からですので、だいたい一番のバスで参ります。そうすると県庁には8時ちょっと前、8時前後には着いています。それから新聞等を読み、またコーヒーを飲みながらここでどうするかなってことを考えます。つまり部長会議に参加させていただくということは、私自身がこの県庁の建物の中をですね、どうやって動き回ってですね、それぞれ必要な課題、懸案についてですね、必要な調整をするかという絶好の機会でもあったと思っております。
そんなふうな意味ではあの、部長会議ですね、現地機関が参加させていただけるということが一つは現地機関が県政の動きを肌で感じながらまたそこに参画させていただく中でですね、時々現地からの意見を申し上げる機会があるということ、それからもう一つはここで毎週ありましたウィークリーでですね、こちらへ来てそれぞれの調整ができたということで、極めて大事な機会であったというふうに思っております。同時に私自身はその中で考えていましたことは、やはり現地機関と県庁の建物はどうあるのかということを常日頃ずっと考えてきまして、この部長会議というのはそれを考える本当に良い機会だったなというふうに思ってます。そういう意味では、現地機関重視でですね、基本的な行政スタイル、これを貫く上でもですね、こういうふうな機会は極めて大事だと思っておりましたし、これが長野県の新しい方式なのかなと感じながらですね、部長会議に参画させていただいてきました。
そんな中で、今佐久地域は色々なお話がございましたけれども、大変可能性があるというような形で多くの方々からご評価をいただいていますが、大変多くの課題も抱えているわけでございます。そういうふうなことをですね、部長会議或いはその帰途、伺う通路を考えながら、次に何をやるべきか考える良い機会を提供させていただいたと思っております。本当にありがとうございました。
(澤田祐介 副知事)
はい、ありがとうございました。田野尻さん。
(田野尻正 松本地方事務所長)
はい。まずは一言御礼を申し上げたいと思います。本当に明日からお見えにならない4人の皆様には本当にお世話になりました。是非これからも元気で引き続き長野県のため、日本のためにご活躍をいただきたいと思います。大変お世話になりました。
松本につきましてはですね、私も部長会議に出させていただいて、常にですね、県全体の動き、広い視野で地域の活性化に資せねばいかんと、こういう意識で出させていただきました。ご案内のとおり松本はですね、人口で2割、エリアで14%という非常に大きなシェアを占めますので、それなりにいろんな課題を抱えています。これからはですね、一つの課題にしっかりですね、解決していきたいと思っております。引き続きですね、ご指導を賜りたいと思います。大変お世話になりました。
(澤田祐介 副知事)
はい。あの、田野尻さんね、この間から信州の歴史もういっぺん見ていたらね、あの地域やっぱり道祖神が沢山残っている、由緒正しいというか、非常にこう歴史のあるところが沢山あるんで、田野尻さんのところで始まった例のあの曼陀羅の里の創生のあれ(プロジェクト)、是非お願いします。頑張ってやってください。
(田野尻正 松本地方事務所長)
曼陀羅の里もですね、お蔭様で今、このプロジェクトの母体となる組織、「曼陀羅の里を輝かす会」と、こういう組織が30名ぐらいの地元の人が中心となって立ち上がりまして、今具体的なプロジェクトを全国に発信しておるんです。それで20名を招待するという案に対して、今現在、250名くらいの応募があるということですね。まぁ、当初の目的といいますか、曼陀羅の里を全国に発信するという最初の目的はほぼ達成したかなとこういう風に考えております。
(澤田祐介 副知事)
私も一県民として、今度はぜひ参加させていただきますので、よろしくお願い致します。
(田野尻正 松本地方事務所長)
はい、よろしくお願いします。
(澤田祐介 副知事)
じゃぁ、廣田さん。
(廣田功夫 北安曇地方事務所長)
北安曇の廣田です。田中知事以下、四役の皆さんに大変お世話になりました。ありがとうございました。まぁ、北安曇、大町から県庁までだいたい片道1時間、往復2時間であるわけでありまして、各皆さんの感想は、地方事務所長の皆さんの仰るとおりであるんですが、昨年から豪雪対策本部とか、それから今回の災害対策本部ということで、非常に地方事務所長、現地でいろいろ行事のある中で制約もされるという大変さもあったわけでありますけれども、弾力的な出席等も取り扱いをしていただければというような感想を持っております。いずれにしても、それぞれ部長とそれぞれ調整することができて、また、時間等利用して各課をまわれたということは非常によかったというように思っております。
(澤田祐介 副知事)
次に、諏訪の八重田さんですけれども、地方事務所長としても、八重田修個人としても今年は大変な年だったんですけれども、一言。
(八重田修 諏訪地方事務所長)
じゃぁ、ちょっととりとめもなくなりますけど、まず本当にこういう会議はテレビで参加できるというのは本当にありがたいことだと思います。諏訪は工業の先進地で非常に豊かな地域で、物価も高いんですけれども、やっぱり行政に頼らない地域だと思っています。やっぱり福祉等、色々新しい取組だとか、挑戦的なアイディアだとか、人財もたくさんあって、私はその、幕の内弁当みたいにコンパクトに面積は小さいけど、ぎちっとこう詰まっていて、なんて言うんですか、税収だとかそういったものも県下4番目ですし、人口もそれなりに多いという非常に魅力的なところだと思っておりまして、正に長野県が進めようとしていた自主自律の取組が進んでいて、それをその行政が支援するというような地域だったと思っております。そこに突然7月に水害が起こりまして、本当にもうあの、まぁ、さっきそういうお話もあったんですけれども、みんなで知事をはじめ大変お世話になったんですけれども、災害こそ行政の出番かなと本当につくづく思いました。今、復旧が進んでおりまして、段々また元気も出ておりますけれども、私にとってこの災害は、本当に一生忘れられない出来事でした。本当に知事をはじめ皆さんには大変お世話になりました。本当にありがとうございました。以上です。
(澤田祐介 副知事)
その災害を乗り越えて、皆さんのご助力で諏訪湖もきれいになって8月15日の花火は48万人という観客が集まった。しかも、史上最大の4万1千発の花火が上がった。30年ぶりに三尺玉も上がったという大花火大会だったんですけれども、あの花火大会について、何か地元ではコメント出ていますか。
(八重田修 諏訪地方事務所長)
あの花火はですね、やっぱり史上最大の確か4万1千発だったんですね。私も見に行きましたけれども、最後の方の尺玉のスターマインだとかですね、ただ残念ながら、三尺玉は少し保安距離が遠すぎてですね、二尺玉よりも遠く見えたというのがちょっと残念だったというような感想。ただ全体的にはやっぱり今までで一番良かったのではないかいうようなお話でした。
(澤田祐介 副知事)
はい、ありがとうございます。それだけで地方事務所は・・・
(田中康夫 知事)
ううん。竹松さん。
(澤田祐介 副知事)
そうですね。ごめんなさい。竹松さんは画面出てる?
(竹松政博 上伊那地方事務所長)
あの、私6月からということで、短い期間でございましたけれども、特に豪雨災害の対応につきましては、本当に大変お世話になりました。ありがとうございました。来たばかりですので、今後とも上伊那のことをよく勉強し皆さまと共に良い地域作りに取り組んで行きたいと考えております。よろしくお願いします。
(澤田祐介 副知事)
はい、ありがとうございます。次に上小の田中所長お願いします。
(田中利明 上小地方事務所長)
上小の田中でございます。大変、知事以下四役の方にはお世話になりました。ありがとうございました。私どもは、この部長会議で私が感じていることでございますが、昨年私どもの「お出かけJ」という取り組みをこの場で報告させていただきまして、地域の取り組みというのをこの部長会議の場で報告させていただきまして、大変良い機会であったと思っておりますし、またこの会議の前とか後で10の所長が地域の情報を交換し合ったということは大変この会議本体とは別に良い機会であったと思っております。どうもありがとうございました。以上です。
(澤田祐介 副知事)
はい、ありがとうございます。では、渡辺本部長に部長会議の総括というか、感想をいただければと思いますが。
(渡辺巧 長野県警本部長)
大変、どうもお世話になりました。予算その他いろいろご配慮賜りまして、今後とも治安維持しっかりやっていきたいと思います。ありがとうございました。
(澤田祐介 副知事)
お待たせしました。丸山教育長。
(丸山ナ 教育長)
教育長の丸山ナでございます。教育委員職として教育長を拝命致しましたのが、昨年10月18日付けでございます。県職員40年間努めまして、3年前にこの職場を去ったわけでございまして、時差といいますか、殆ど忘却の彼方に過ぎ去った所にもう一度出てきた訳でございまして、本当にいろいろな面でズレがあって皆様方にご迷惑をおかけしたのではないかと思います。それにも関わらず大変温かいご配慮を頂きまして、楽しい思い出ばかりでございますけれども、いつまでもこの想いを胸に留めておきたいと思っております。本当に皆様方、ありがとうございました。
(澤田祐介 副知事)
丸山勝司さん、短くお願いします。
(丸山勝司 代表監査委員)
監査委員として申し上げますと、いわゆる田中県政というのは機能する監査委員制度に向かっていろいろなものを与えていただいたと思っております。具体的にはここへの出席もそうですし、いろいろなきっかけを与えていただいたことについて大いに感謝を申し上げたいと思います。個人的にはこの場で最後ですので発言させていただきますけれども、田中知事は私にとってチャーミングでインテレスティングな知事でした。本当にありがとうございました。
(澤田祐介 副知事)
はい、企業局の峯山さん。
(峯山強 企業局長)
本当に長い間ご苦労さまでした。私も企業局長という名称になっておりますけれども、ガスの民営化が9月に終わりまして、いよいよ電気に取り掛からなくてはいけないということでちょうど知事とご相談して進めなくてはいけないと、私もどうしようかと思っておりますが、これにつきましても淡々と進めていくつもりでございますので、またアドバイスがありましたらよろしくお願いします。以上です。
(澤田祐介 副知事)
はい、これで今まであまり声を聞く機会の無かった方のお話をお聞きしたんですけれども、今日は田中知事と最後の部長会議になります。今までチャンスは無かったけれども是非一言という方があったら声を上げていただければと思いますが。女性代表で藤村君かな。
(藤村優香理 企画幹)
お疲れ様でございました。御三方には大変お世話になりました。風評被害だか風説の流布だか分かりませんが、いろいろ本当ではないことも伝えられる中で、皆さん本当に頑張られたと思っております。これからのご活躍も期待しております。どうもありがとうございました。
(澤田祐介 副知事)
はいありがとうございました。他の方よろしいでしょうか。では、出納長、何度も挨拶し飽きたかもしれませんけれども。
(青山篤司 出納長)
私が県職員になったのは昭和44年でございまして、トータルしますと37年何ヶ月かと言う長い職員生活ということで、本当に長い間皆さんの協力に感謝申し上げます、ありがとうございました。これから新しい知事を迎えて皆さんの想像力を発揮して長野県の発展のためにさらにご尽力をいただきたいと、このように思っております。2、3分時間いただいていいですか、副知事さん。
(澤田祐介 副知事)
どうぞ。
(青山篤司 出納長)
私事で、皆さんに是非今から50代になった職員の皆さんには気をつけてもらいたいと思いますけれども、この2月か3月頃からですね、右目が悪くなりまして、病気の名前は黄斑変性症という名前で、皆さん殆ど聞いたことがないと思います。白内障とか緑内障というのは日本人多いんですけれども、黄班変性症というのはどういう病気か必ず話すと聞かれるわけですよね。それで、目の玉の奥に、映像を写す網膜がございますよね。その真ん中よりちょっと外れた所に黄斑という部分がございまして、そこは視力を司るところなんですよね。そこでその視力を司る部分が、膜の部分がですね早い話が故障しているわけですよ。そうするとどういう現象かというと右目の真ん中が見えないんですよ。見えないと同時に縦の線がその部分だけゆがんでこうなるんですよ。ですから、私の考え方も時々歪んじゃうんですよ。そういう視力なんですよ。ただ、こちらの左目が正常ですから、普通両目があいた時に左目に視力をあわせているから、それほど苦になりませんけれども、視力の違いで非常に明るさが違うんですよ、非常にちらつくんですよ。だから、私も失言してきました。そういうところで。そういうことはなぜ起きるかということで医者が説明してくれた中では、今原因は特定できませんと。但し、通常言われている要因はいっぱいあります。一つは紫外線に気をつけて下さい。ですから、この病気は欧米人に多いんですって。欧米人の目の障害ではトップらしいんですよ。日本人は少ないんですけれども。したがって、紫外線は出来るだけ避けてください。ですから、ちょっとこれ薄いんですけれども私のメガネはサングラスなんですよ。それが一つです。それから酒を飲みすぎるのはやめてください。飲みすぎてはいけません。3点目はですね、ストレスがたまってもいけません。紫外線当たってもいけない、酒飲んではいけない、ストレスを抱えちゃいけませんと、それから内発的なものとして高血圧も一つの原因になっているかもしれないということで、いろいろな原因が言われました。そこで、これはですね積み重ねた結果として出てくるんですよ。だから、今日悪くて明日ということじゃなくて、何十年も積み重ねて出てきた結果なんですよ。したがって50代になった皆さんはよく気をつけて目を大事にしてください。これは、本当に目が悪くなった時に、一番嫌なのは字がちらついてよく読めないんですよね。書くのもちらついちゃうんですよね。それでまた逆にストレスが増してくような感じがしてますから、病名は正確に申しますと加齢黄班変性症と言われました。だから、もう一度言いますけれど50代のときから今申し上げたことに十分注意をして目を大事にして、長野県の発展のためにご尽力いただきたい、こう思います。長い間ありがとうございました。
(澤田祐介 副知事)
はい、ありがとうございました。16時30分からまたセレモニーの時にご挨拶があると思いますけれども、部長会議の最後と言うことで締めで知事から一言で締めたいと思いますけれどもお願いします。
(田中康夫 知事)
改めて皆さんに大変感謝をしています。同時に例えば地下のお掃除の方のところ、先日知事室にも来てくださったんですけども、その中のお一人の方が朝7時前からお掃除をされる中で長きにわたって民生委員を務めていらっしゃることを初めて知りまして、皆さんご存知のように民生委員は無報酬ですし、大変に後ろ盾のない県民のまさに一隅を照らす、自分も一隅を照らされる一方で、一隅を照らすことをされているのを知って、私は大変深い感銘を受けました。同時に私達の職員が、ご存知のようにボイラーや電気の部屋があります。そこは半地下になっていますので自然光が入りはしますけれども、こういう人達によって私たちのこの県庁舎に訪れる方々も心地よいサービスを受けていただけると、同時に私達職員も笑顔でそうした方に接せられると。私達のチームワークというのはそれぞれの従来の所掌範囲の仕事を超えて、一緒にチームワークを組もうと言うことを、水であったり、緑であったり、土であったり、あるいはその他の事に関しても行ってきましたが、同時に私は民生委員をなさり、そして私達の庁舎を毎日清めてくださる初老の女性の方がいらっしゃったり、私達の職員として電気室で昼夜を問わずこの建物で働く人々のために尽くして下さる方がいるということを今日改めて知ってですね、私達が考えているチームワークと言うのは、私達が想像しているのよりも遥かに広い、そして深いネットワークなのだということを感じました。そしてそれが、私達が繰り返してきたパブリックということは、そうした人々の願いを実現していくと言うことなんだろうと思います。先ほど私が6年前の就任の挨拶の紙もお配りしましたけれども、是非皆さんが一人の人間として、あるいは父親や母親やあるいは独身の方も私同様いらっしゃると思いますが、一人の人間として人々に尽くしてくださることを願っています。どうもありがとうございます。
(澤田祐介 副知事)
はい、ありがとうございます。これでこの会議を締めさせていただきますけれども、最後に一言だけ私から経営戦略局の方に御礼を申し上げて終わりにしたいと思います。それは、この部長会議、直ちにホームページに上がります。実は、部長会議のホームページは家の母親が隠れファンでありまして、あんたあんなこと部長会議で言ってて良いのね、ということを時々電話で叱られました。これは身内の身びいきかと思っていたらそうではなくて多くの友人から、お前のところの知事そんなこと言っているな、というから何で知っているの?と聞くと、部長会議見てみたら出てくるじゃないか、ということがあります。一番短い時間できちんと書き上げていただいて、ああいう格好でずっと出していただいたと言うことで、最後の最後になりましたけれども経営戦略局の皆さんに心からお礼を申し上げて終わりにさせていただきたいと思います。どうもありがとうございました。終わりにいたします。
<配布資料>
○ 田中康夫 新知事就任あいさつ 2000.10.26
○ 職員だより号外(平成12年10月26日) 「あなたの喜びは私の歓び」 −新知事から職員の皆さんへ−
○ 奇っ怪ニッポン「小泉的言説はポップス・ベスト10の如き」 日刊ゲンダイ 2006.8.31
○ 田中康夫の東京ペログリ日記リターンズ vol.114 週刊SPA
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