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最終更新日:2005年04月06日


3月31日 部長会議録


H17(2005).3.31 14:00〜14:37
特別会議室


出席者:知事、出納長、経営戦略局長、危機管理室長、企画局長、総務部長、社会部長、社会参事、衛生部長、生活環境部長、商工部長、商工参事、林務部長、農政部長、土木部長、住宅部長、公営企業管理者、企業局長、警察本部長、代表監査委員、教育長職務代理者、議会事務局長、監査委員事務局長、人事委員会事務局長、副出納長、経営戦略局参事(2名)、地方事務所長(10名)、教育次長 

  

(田中康夫知事)
 はい、それでは3月31日の部長会議を始めます。まず最初に会議事項として県政政策アドバイザーの設置についてというのであります。資料が1としてあると思います。これまあ、お読みいただくと分かると思いますが、あの県政をですね、無論より良くするために私達働いているわけであって、こうした中でですね、あの長野県政策アドバイザーという設置要綱であります。で、あの無論、今までもですね個別のことで、例えば長野県原産地呼称管理制度に関してですね、田崎真也さんに様々なアドバイスをいただいたりとかですね、あるいはまあ、委員としてまさにあの小倉昌男さんにですね、外郭団体に関してご尽力いただいたりとか、様々な形がありましたが、まああの県政全般に亘ってですね、アドバイスをいただくというような形でですね、こうしたあの要綱を設置しておきたいというふうに思っております。ですので、この形でですね、進められればというふうに思っております。あの様々な基点に関してはこれ、阿部さんの方、あるいはまあ人事の方でですね議論をして、こういう形で要綱を設置しておくという形になっています。それから、2番目として、これは林宏行さんの方から説明を加えますか?はい、じゃあお願いします。

(コモンズ・地域政策チーム林宏行リーダー)
 資料を基に説明。

(田中康夫知事)
 まああの今までも皆さんにお話をしたり議論をしてきたことになると思いますが、今申し上げたように、ホームページ上でですね、より多くの県民に知っていただけるように、まあ長野県のホームページがちょっとあまりに情報が膨大すぎて、検索機能がですね、どうも検索の言葉を入れてもすごく細かいのが出てきて、今、長野県全体がどういうことをやっているのかと、信州の改革がどうなっているのかというようなところが出てこないと、あるいはそういう文書が無いというような点があって、これはあの新年度早々にですね、秘書広報チームの方で変更することにはなりますが、この内容に関していかがですか?それでは、まあ明日また辞令交付という形になりますが、また今日あの退職者の方の食事会もありますが、ここでまああの、志村さん、志村勝也さんが経済産業省に戻られると、鮎沢光昭さんと島田忠明さんが、そして、あの三田村順子さんが、それぞれ退職をされますので、よければ面々の方から、皆さんからいかがでしょうか?

(志村勝也 商工部長)
 あの商工部長の志村勝也でございます。あの私があの長野県に参りましたのは2002年の7月の8日だったと思いますけども、あの田中さんに言われて来まして、参上直後にいろいろゴタゴタがありましてですね、一時、主不在の中でですね・・・・

(田中康夫知事)
 そっか、いつ来たんだっけ?2002年の何月?

(志村勝也 商工部長)
 2002年の7月です。

(田中康夫知事)
 7月、じゃあそっか、(不信任、失職が)すぐだったのね。

(志村勝也 商工部長)
 来た時にはですね、主不在ということになりましてですね、さあどうしたものかなと思っておったんですけれども、あの何の縁かその年の秋にはですね、田中知事から財政をやってみないかって話ございましてですね、あの門外漢ではございましたですけども、一年半、皆さま、諸先輩あるいは当時の財政のメンバーに助けられましてですね、何とか一年半過ごすことできました。それで、昨年5月にですね、まあ商工部長ということで、本来このために来たと思っていた部署にですね、就かせていただきまして、非常にですねたくさんのことをやらせてもらったなと思っております。私あの思っておりますのは、役人やっていますと、どうしてもこう頭では分かっているんですけれども行動が伴わないということがいくつかあるなって思っておりまして、あの例えばその国家公務員であれば国民のためってことになりますし、県であれば県民のためってことになると思うんですけども、実際にそのやっていますとなかなか、そうは言っても、例えば役人ですからどうしても上下で見てしまう、組織で見てしまうっていうようなこと多分にあるというふうに感じておりました。で、今回その2年9ヶ月ほどですね、長野県におりまして、あの何て言うんですかね、私自身も非常にこう感じるとこありましてですね、県民の目線ってのはどういうふうなことなのか、あるいはその自分はどういうふうに行動しなきゃいけないのかってことをですね、非常に考えさせられる2年9ヶ月だなって思っております。で、私あの特に田中さん、いろんな言葉を発せられるんですけども、特にその2年9ヶ月の後半になってですね、確かにこういうことが大事だなって思っているのはですね、心に残っている言葉がですね、「優しさ・確かさ・美しさ」っていう言葉でございまして、まあ政策を考えるときに、この3つの言葉を考えながらやると非常にこう良いものができるんじゃないかなというのをですね、ひしひしと感じて、今日に至ったというのがあの私のですね、長野県のですね2年9ヶ月の思いでございました。あの今度参りますのは、宇宙産業室、製造産業局の宇宙産業室というところでございまして、直接あの、まあ県あるいは市町村とですね仕事をするってことは多分、なかなか無いところではあろうかと思っておりますけれども、あのまた長野県がですね、より良くなるようにですね、東京でですね、ゆっくりまた見守らせていただきたいと思っておりますので、引き続きどうかよろしくお願いします。

 拍手

(田中康夫知事)
 どうもありがとう。あの、宇宙はいっぱいあの天文台が木曽にもあるし、野辺山にもあるし、野辺山から国際放送のラジオのアンテナもあるんで、あの種子島のような平らな土地は少ないかもしれないけど、ぜひよろしくお願いします。あの本当に財政の仕事をしてもらったというのにきちんと応えてくれて、でも多分いやあの、買い被りかもしれませんが、他のあの地方の行政機関に行った人、あるいは民間に行った人よりもやはり霞ヶ関で見ているのと違う予算の全て、あの積算の具合とかも含めてですね、多分変えなきゃいけないことを感じられたんじゃないかと思いますけども、どうもありがとうございます。じゃあ、鮎沢光昭さん。

(鮎沢光昭 農政部長)
 農政部長の鮎沢光昭でございます。私は14年4月1日にいわゆる農業改良普及センター、上小の農業改良普及センターの所長から県の農政部長というものに就任しました。以来3年間、本当にあのいろいろ皆さん方にはお世話になったと思っています。私あの田中さんとの一番最初の出会いが、職員との面談の時の、いろいろな話し合いの時でした。で、私もあの農業をいろいろな観点から今のままで良いのかということを考えていた時に、田中さんから、ちょっとこう言われた言葉が非常にあのこう新鮮でですね、これは何か私も何か一緒にやっていけるんじゃないかというふうに思って、ちょっと田中さんにお話をした、それからがあの私と田中さんの出会いって言うか、付き合いでした。ですから、私あのずっと自分のこう考えをですね、常に田中さんにもぶつけて私はずっとやってきたつもりですし、田中さんも本当によく私の意見を聞いてくれて対応していただけたと、本当に感謝しているところです。私あのやはり今、いろんなこと言われてますけども、本当にあの歩みだそうとする方向ってのは、どこか間違っていないんだ。これをですね、どう実現して一歩でも前にそういう実現させることが出来るか、これをですね、やっぱり日頃ここにお集まりの皆さんが考えていただいてですね、やっていただかないとですね、長野県、本当にあの改革された長野県になっていかなんじゃないかなと思っているところでございます。あと、いろいろなことをやらさせていただきました。私がいつも職員に言っているのは、やろうとすると、あれがいけない、これがいけないと言って、みんなあの否定の言葉が出てきちゃうのです。で、否定の言葉が出るとその先に進めませんから、否定じゃなくて、それじゃあ否定するならじゃあどうしたらそれをクリアできるか、そこを考えて提案しようよという形で、常にあの話をしてきたつもりですし、私も一歩でも前に出ようという強い気持ちでやってきました。あの原産地呼称管理制度、田中さん今日ここにも出てますけども、これも私の前任者のときからやってきたんですが、あのいろいろ話はしているけども一歩も前に出ない。出ないとこれはそのまま終わってしまうんで私はこれはもう出そう、出しちゃえ、もうあの途中の制度でも良いじゃないかと、改めればいいんだということで田中さんにご相談してワインと日本酒からスタートさせてしまったんです。いろいろ批判もありました。しかし、今を見てみてください。非常にあの全国的にも評価を得ている制度です。今回、北海道でもこれと同じ制度を立ち上げてきております。私たちはですね、やっぱりその人よりも先にやるという時には、いろいろな障害がありますけれども、思い切って一歩を踏み出す勇気、これを持ってこれからも取り組んでいただきたいなと、こんなふうに思っております。で、あの田中さんは私から言わせると、ちょっと今日ですから、ちょっと言わせていただくと、本当にあのもう前へ前へ進む人ですから、後でちゃんとしっかり、みんなで支えてあげていただきたい。これが、あの田中さんを支えて長野県を良くしていく方向だろうと思ってます。ぜひ、最後の部長会議で皆さんにお願いをしたいと、こういうふうに思っております。本当に3年間、ありがとうございました。

 拍手

(田中康夫知事)
 どうもありがとう。まあ鮎沢さんとは就任当初にどこでも知事室ってのをやったんですね。どこでもドアみたいに、それであの皆さんも各現地機関でお目にかかったことがあるかもしれませんが、その時、上小の所長会議というところで最初に鮎沢さんの農業哲学を聞いたのが最初だったと思いますけども。あのまあ鮎沢さんもある意味よそ者として、茨城から入って来たわけですし、けれども長野県にしか多分ない姓なの?これ鮎沢って。岡谷の辺りしかない?あの非常に尽くしてくださって、あの農政部を元気にしてくれたと思って感謝しています。あの志村さんも特に商工部の今年度の後半、私あの商工部が非常にあの書を捨て街に出よでは無いですけど、椅子を温めず、体を動かそうという空気がですね、着実にこう醸成されてきたというのは大変彼のリーダーシップの賜物だと思って感謝しています。じゃあ、島田忠明さんお願いします。

(島田忠明土木部長)
 今日まで土木部長の島田忠明です。あの私入ったのは43年ということでですね、37年間、多くの仲間の皆さんを始め、支えられましてここまでやってこれたことに、まずもって感謝をしたいと思っております。あのまあ入った時は高度成長期ということでですね、まあいろんな物を作ったり、それからまあバブルの崩壊があり、低成長期とまあいろんな場面、それから、いろんな時代で仕事をさせていただきまして、そんな中ですねこの11ヶ月、土木部長を勤めさせていただきましたけれども、皆さん方になんとか支えられてできたことに、本当に御礼を申し上げます。あのまあこの短い期間でしたけれども災害がですね、まあ非常に浅間山の噴火から始まりまして、地震があったり台風があったりですね、最後が年末年始の大雪というようなことで、珍しい災害の多い年でございましたけれども、みんなの協力でですね、なんとかできたと、ほっとしているところでございます。まああの土木もですね、今なかなか財政状況が厳しい中で、事業量が減ってきている訳ですけれども、まあ土木なりにですね、まあ1.5車線だとか、木製ガードレール、あるいはあのアダプト制度等ですね、だいぶあの定着をしてきているのかな、そんなことで知事の姿勢等についても若干、応えられたのではないかと思っております。まああの明日からですね、一県民として外から県政を見させていただける、今日知事の話にもありましたけれども、またあの外の一県民としてですねサポートが出来ることがあれば、やっていきたいと思っております。本当に長い間、ご協力をいただきましてありがとうございました。

 拍手

(田中康夫知事)
 サポートすることがあればなんておっしゃらずに、サポートすることはいっぱいあると、していただかねばならないことはいっぱいあると思いますから、あの本当に島田さんもですね、土木部という大変な大所帯で、けれども逆に言えば他の部署もそうですけども、最も県民にも接してきた部署で、その大所帯の意識がですね非常に積極的に変ってくれたことは、私は大変感謝していますし、あのその中で采配を振るってくれたことにも感謝申し上げたいと思っております。どうも本当にありがとうございます。では、三田村順子さんどうぞ。

(三田村順子 教育次長)
 教育次長の三田村でございます。最初に全く行政に無縁でございました私を、皆さま本当に温かく迎えてくださり、また支えてくださいましたことを、まず最初に心から御礼申し上げます。こちらに入りましたきっかけとしては、あの個人的なことでございますが、まず高度成長期に育ちました私としては、またその時は2000ドルの外貨制限がございました時期でしたので、外国に対する憧れが強く、そしてその中で日本が高度成長を遂げるということは、中央集権化の官僚主導型で、日本は今良い方向に行っているのだとずっと思っていました。ところがあのやはり、いろいろと環境が破壊され、そしてこれで良いのかなと思っている矢先に田中知事の脱ダム宣言というものに出会いまして、こういう考え方をする人が世の中にいるのか、まして当然国からのお金が欲しい、そしてそれでケインズがいうところの公共事業をやって、誘い水政策をやりたいという普通にみんなが考えることを、嫌、そうじゃない、それはいけないというふうに声を上げて、それを実行に移す人が日本の中にいるということは衝撃でした。その結果、こういう形でその改革に一緒に参加させていただく機会を与えられた訳なんですが、恥ずかしながら微力で決してあの知事のご意向に沿った働きは出来なかったかもしれません。ただあの私が思いますには、やはりあのケネディ大統領が有名な演説で、国があなたに何をしてあげるかではなくて、あなたが国に何をしてあげるかを考えなさい。それと同じような田中知事の、要するにあなたがその県民のためには何をするか、県に期待するのじゃないという同じような似通った、また同じような年代の知事でいらしたので、私はその司馬遼太郎が大好きで、『竜馬がゆく』とかを読みまして、幕末のその雰囲気っていうのを田中知事のその改革に、同じようにワクワクとしてこちらに参りました。しかしながら、今日は最後ですから申し上げますけど、実際は議会と知事が対立し、またマスコミがそれを煽りまして、なかなかその思うように私が描いていたような改革の進みかたではございません。ただ、そこで知事は、私も知事はどうしてこういうふうに妥協してくれないんだろうと不満に思ったり、それから疑問に思ったこともございましたが、最近思いますに、やはりある方が言っておりましたけど知事はやはり普通の人じゃないんだ。それは確かにそうで、ここに参りましていろんなあの知事レクとか査定でお話を伺っていると、とんでもない発想と言いますか、とてもあの常識では考えられない発想。それはですね、多分あの昔ゴーギャンが理解されなかったように、やはりその普通の常識で考えていれば分からない発想じゃないかと思うんですね。ですから10年、20年、30年経って、例えば木製ガードレールにしましても今回がやっぱり知事は正しかったんだというふうになるのではないかと思います。そこでですね、私が思いますのは、先程の方もおっしゃったように、あの知事を否定するのじゃなくて、やはりその知事のお考えを、それはもう将来性のある考え方だということで周りの方がですね、やはり支えていってそれを実現する方向にしていただくことが出来ればと思います。本当にあの微力でお役に立てなかったかもしれませんが、教育委員会に身を置きました私としては、あの知事が特殊教育、今は自律教育課と申しますが、それにやさしい視線を注いでいただいて、弱い子、恵まれない方たちが本当はみんな普通の子なんだよというふうな環境に置いていただくことにご尽力いただきましたので、私もそれに同じ姿勢に立って行動出来たかと自負しております。本当に短い間でしたが、どうもありがとうございました。

 拍手

(田中康夫知事)
 どうもありがとうございます。三田村さんにもですね私はあの大変に、無論それは今回の議会でもあの教育は専門家がやらなければって言うけれども、専門家と称する人たちがやってきたのが、誰もが疑問に抱くですね今日の教育の混迷になっている訳ですから、無論あのそうした中であの教育長職務代理者の小林正佳さんもですね、おそらくあの私の想像以上のですね、葛藤の中であの一緒にこの今の信州の教育の改革を切り開いてきてくれてると思っていまして、これあの本当に深く感謝をするところです。あのその意味では三田村さんもですね、あの良い意味で若手を中心とした教育委員会のですね、あのバイタリティというものの原動力になってくれたんじゃないかというふうに思って、大変嬉しく思っております。他に、まあ他の方はあの異動であったり、そのまま居残りであったりですね、居残りってのは、あんまり普段成績が良くないから居残るというものですけれでも、あのもしご発言の方があれば。

(小林正佳 教育長職務代理者)
 田中さんよろしいでしょうか?

(田中知事)
 はいどうぞ、小林さん。

(小林正佳 教育長職務代理者)
 すみません、機会を与えていただいたので御礼を申し上げたいと思います。私あの教育次長として2年間お世話になりました。職務代理者を規定によって決めるっていうことがありまして、杉本次長さんが駒ヶ根市長選に出るということで職務代理者がいなくなりまして、私仰せ付かった訳でございますが、この職務代理者が機能するだろうということは全く予期しませんでして、瀬良さんがあの再任拒否って事態になったとき、非常にあの困惑いたしました。予算を立てなくてはいけない、12月議会を乗り切らなければいけない、非常に困惑した訳でございますけれども、本当に田中さんを始め皆さんがたのお陰をもちまして、まあ滞りっていうところまではいかなかった訳でございますけれども、何とかまっとう出来たっていうことは本当に皆さん方の感謝のお陰でございます。教育現場から離れて4年経った訳でございますけれども、私現場にいる時には子供の目線に立った教育者だと自負しておりましたけれども、この教育委員会の身を行政の中に置いてみまして、非常に自分の考えていたところが非常に甘かったなあと、もっともっと子供の視線に立つ、保護者の目線に立つってことはどういうことかってことを教えていただいたように思います。この度、飯田の中学校に戻る訳でございますけれども、そこで皆さん方に教えていただいたことを内からの改革、今まで外からの改革を行ってきましたけれど、それがどんなふうに伸びているのか、そしてもっと内からですね、改革していかなければいけないなって思っておりますので、そんなことを精一杯させていただきたいと思っております。私の故郷の阿智村の、実は飯田市にいながら、私の家は阿智村の水を使っております。で、私の行く学校はご承知のように、りんご並木の世話をしている学校でございまして、地域の人たちの参加を得ながら手入れをすると、そんなふうな計画で進んでいるようでございます。本当に地域の皆さんと一緒になってですね、学校の再生を図っていきたいと思っております。皆さん方に感謝を申し上げて、ますますの、田中さんをはじめ、皆さん方のご健康をお祈りしたいと思います。本当にいろいろありがとうございました。
お世話になりました。

 拍手

(田中康夫知事)
 えっと、あの今、後からお配りしたのは3月7日に日本経済新聞にゼロ予算事業というので、まあ他の都道府県でも同様なことが行われていると、もう一枚配ったのは、あの時事通信ので、こちらには特に長野県が行っているということは一行も書いてはありませんが、あの別に書いてもらうために我々は仕事をしている訳ではなくて、結果としておそらく皆も漠然と考えていたかもしれませんけども、ゼロ予算事業というその言葉から想像がそれぞれ広がっていくと、やはり私はあの最近、とみに思うのはやっぱり政治、行政もそうですけど、政治というのはやっぱり言葉だと思うんですね。で、言葉のそのガラス箱に入ったものではない、人によって日々刻々変わっていく、あの芸術としての言葉のですね論戦の中にこそ政治の改革があると思っています。あの、先程鮎沢さんがおっしゃられたことにも共通するかもしれませんが、あの私は今日他にもお配りしているように、まあ様々文章を書くということが、ある意味では私の今もなお県知事として県民のために努めさせていただく原動力だと、自分の中のエネルギー源だと思っています。あの喋る言葉と書く言葉ってのは大分違いまして、大変に私は遅筆で400字一枚書くのに、一時間はゆうにかかると、どんな文書でもかかるという人でありますけども、あの私を向いて仕事をするのではなくて、やはり私が述べていることはですね、把握、確認をしていただきたいということです。で、前にも申し上げたように、例えば先日もですね月曜日に公演をしていただいた福田志乃さんのですね、あの長野県政に関してのものもですね、私が読んでいなかったからかもしれませんが、一ヶ月ほど経って松葉謙三(副出納長)さんがですね、持って来てくれることによって初めて皆さんの元に配られたんですね。で、やはり皆さんはですね、様々の県民が選んだ私がどういうことを考えているかということを知る機会が多くあります。それは活字においても、テレビにおいてもラジオにおいても、あるいはその他の私の挨拶であったりも全てそうです。これはもう、皆さんが最も議会の議論を聞いていて分かるように、報道という場で伝えられることは皆さんの発言もおそらく皆さんが委員会等で発言した趣旨とですね、あるいは思いと全く異なるという形でですね、世間に伝わっていく場合もあります。やはりその全てのですね、原点にあたるというかですね、皆さんが最初の書かれた一字、原点に当たるようにですね、ぜひとも私の発言はJSNのホームーページにも載っている訳ですし、このようにあるいは紙の無駄のように見えるかもしれませんが、お配りしている訳で、あるいはそれはですね例えば長野県に関して載っている週刊誌の記事があったら、それはお金が無ければ立ち読みでも良いわけです。あるいはどこかの部署が一冊買ったら、それをですね、これは内部で見る場合は著作権の問題にならないと思いますから、コピーをしてですね他の部署にもですね、自分たちが知った情報を知らせる。例えばこの日経の記事にしてもですね、長野県があの極めてポジティブに捉えてくれてるから嬉しいと、それもあると思います。でも、こうした記事を見つけたらですね、皆に読んでもらう、配る、そしてそれは鮎沢さんもおっしゃったことだし、あるいは小林公喜(総務部長)さんが先日の議会答弁でも言ったように、それぞれ人間は考えが違います。で、考えが違うものはですね、やはり議論をすると。しかし、その組織としてですね、決まったことはですね、ともにその実現のために努力をするということが、これはですね、まさに組織の人間として求められていることです。私が述べていることを把握する努力もしない、そして単なるですね傍観者的評論家でいるということは最も唾棄すべきことです。そして本県の本来、原動力は議論をするということです。本県の逆に大きな欠点は議論をしてまとまりそうになると、テーブルをもう一回ひっくり返したり、はしごを外すというところです。でもそれは、観客民主主義にも至らないものであってそれだけの議論をする力量のある人たちは、やはりともに行動すると。ともに行動するというのは号令一下のもとにということではなくて、きちんと自分を持った上で議論するということだと思います。私の発言をですね、読み、考えが違うと思うならば、今後地方事務所長も今回全ての事務所長が代わるわけですけども、会議に出た後にですね、以前から申し上げているように、自分の友達のところに顔を出して帰るのではなくて、懸案事項の部長のところ、課長のところ、部長も課長もこれは対等です。そしてあるいは私のところに寄って議論をすると。そして議論をして早くにですね的確な認識と迅速な行動の下、明確な責任をともに持って行動していくということが大事だというふうに私は思ってます。ですから、私の意見に対して意見を言うことは、これは最大限皆さんにはですね、権利としてですね認めまた、そして発言が出来る環境設定をしているわけですから、これはあの今日ここにいらっしゃる方も4月からですね、多くの方は引き続きまさに県職員としてご尽力いただくわけで、そしてまた明日新たな辞令の下で様々な今までの知識と経験を活かして行動してくださる訳で、やはりあの長野県を愛しているならば、あの私を見てというのではなくてですね、長野県に関して触れているものに関してですね、それは貪欲な形で情報をですね、アンテナで仕入れて、それを皆に提供すると。それは仮に長野県に関して間違った認識のものであったり、あるいはあの極めて表層的な批判であったとしてもですね、それをきちんと皆が見るということが、目を閉じるということは最も次の歴史を作ることにおいてですねマイナス要素だということを改めてご自覚いただきたいというふうに思っております。ちょっと花粉症なのですみません。今日も辞令交付の時に途中で鼻を押さえて大変失礼があったと思ってます。えっと、それでは以上で、もしこの後に例えば自然災害等の突発事項が無ければ平成16年度としては最後の部長会議をですね終了いたしたいと思います。大変この1年間に関して皆さんがあの出来ればそりゃあもっと良い条件で皆さんとの雇用形態、雇用の給与をしたいという気はありますが、あの大変に厳しい中ですね多くの職員が今、この瞬間も県民のためにですね働いてくれていることに本当に心から感謝をしたいと思います。それだけの熱意があり、それだけの民度の高い長野県がですね、よりあの多くの私益や私欲とは無縁の、県民が願うことをですね、これからも迅速に的確にあの実現していくようにご協力お願いいたしたいと思います。どうもありがとうございます。




配布資料(抜粋)
○ 長野県政策アドバイザーの設置について
○ 平成17年コモンズ・地域政策チーム主要施策概要(コモンズ支援金ほか)
○ 日刊ゲンダイ2005.3.31 9面「田中康夫 奇っ怪ニッポン 信州・長野県の『原産地呼称』は偽  りなし!」
○ 日本経済新聞 2005.3.7 28面「広がる『ゼロ予算事業』」
○ 官庁速報 2005.3.30「ゼロ予算で事業展開」
○ 週刊SPA「田中康夫の東京ペログリ日記リターンズVol.51」

 


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政策促進チーム Tel 026-235-7250Fax 026-232-2637
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