バトルトーク
「自治体経営と公務員のあり方を語る」 |
2003年11月25日 17:30〜20:00
県庁講堂
バトルトーク参加者
阿智村長 岡庭一雄 様
下條村長 伊藤喜平 様
泰阜村長 松島貞治 様
長野県知事 田中康夫
長野県出納長 青山篤司
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音声(WMA形式:2:44:09) |
映像 |
進行
「…自治体経営と公務員のあり方を語る」を開催いたします。それでは、進行のほうは知事にお願いをいたします。
長野県知事 田中康夫
こんばんは。
それぞれお仕事でお疲れであったり、あるいは雨の中を今日の催しにご参集いただいた方々に、まず感謝を申し上げたいと思います。
私が県知事に就任して3年たちまして、3年しかやってないんですけども、2期目という全国でも珍しい県知事でありますけれども。石の上にも3年というふうにも言われます。私が県知事に最初なったときに、何人かの職員の人が、新しい県知事はわれわれ職員に歩み寄ろうとしてくれないという言葉を聞きました。当時、私はこれに反駁(はんばく)するだけの言葉を持ち合わせていなかったんですけども、ただ、非常に正直申し上げて違和感を抱いたんですね。なぜ違和感を抱いたかというと、私は県民から直接選ばれたわけです。県民は私を変えることもできるわけです。もちろん、その前に県議会が私は知事の職にふさわしくないということを言ったわけです。日本の問題は、的確な判断、迅速な行動、明確な責任という、このいずれも果たさないリーダーが多いということです。しかしながら、このリーダーが的確な判断ができなかったり、あるいは迅速な行動をしなかったり、明確な責任を取らないときに、とりわけその示した方向性というものが、職員にとって今までと違う流儀であったりするから都合が悪いとか、職員にとってあまり居心地がよくない新しい方法論であるからということではなくて、県民のためにそれはならないと、ひとりの県民として判断した、感じたならば、それを臆(おく)せず言わなくてはいけないと思うんですね。
長野県は、ご存じのように私の前は3人、戦後県知事がいましたが、それぞれ私の直近は20年、21年という間務めたわけです。そしてまた県の職員から、恐らく総務部長から副知事を経て県知事になった方です。ですので、職員と県知事、あるいは県知事と県議会、あるいは県の仕事をしてくださる方々、直接県がお金をお支払いして、という方々との1つの何か融合関係になっていたという気がしています。
他の都道府県は、…もちろん長野県よりもはるかに病んでいるとマスメディアでは言われる県もありますけども…、そうしたところは恐らくどんなに保守系の県政が続いても、国会議員から県知事になったり、市長から県知事になったり、財界人から県知事になったり、県知事というのは基本的に外から来るものなんですね。そして、外から来てそれを変えるか変えないかは常に県民が選ぶということです。私が至らなかった点も大変にあると思いますし、皆さんと方法論が違ったところもあると思います。しかしながら3年たって、やはり私のあるいは的確な判断、迅速な行動、明確な責任が足らなかったところがあるのかもしれませんが、今日多くお集いである県職員の方々の側にも私はまだ3年たって私同様に改まっていないところが少なからずあられるのではないかと思います。
今日お集いの3人の方は、もうご存じのように、阿智村の岡庭一雄村長、そして泰阜村の松島貞治村長、また下条村の伊藤喜平村長という、3人の村長であります。それぞれ、伊藤さんは行政出身ではなかったんですよね。伊藤さんはもともと…、でもあとのおふたりは村の職員から村長になられていますが、村の職員から村長になれたというかたちで予見するものとは異なる独自の村の運営、のみならず独自の行政のそこで働く職員の意識改革ということを行ってきていらっしゃると思います。その点は、私がまだ力不足で皆さんの意識改革を成し遂げていないことを既にこの、…人口で言えばはるかに小さいかもしれませんが…、これらの3町村ははるかに意識改革を先んじて行われているのではないかと思います。お三方からお話を最初にそれぞれいただいて皆さんと意見交換をする中で、出納帳の青山篤司も共に参加していますので、より県民のために私たちが働くということはどういうことであるのか。どういう覚悟を持ち、どういう職員としての行動であるべきなのか、あるいは発想であるべきなのか、あるいは評価であるべきなのか、ということを話し合えればと思っています。
では、最初に伊藤喜平村長からお話をもらえればと思います。ご存じのように、下条村に入りますと、峰竜太さんの大きな看板があって、「ここは私の出身の村です」と書いてあります。伊藤さんは、ちなみに峰さんのご親戚でもあられますが、大変にある意味では斬新な人事の評価や人事というものを行うと同時に、ご存じのように、下水道の普及率は0%ですし、農業集落排水の普及率も0%です。しかしながら、合併処理浄化槽の普及率というものは県内でも最高位にあるわけでして、まさにそうした「自律的」に合併処理浄化槽をつくる方に対しては村がきちんと支援をするという、ある意味では長野県が目指す、自ら律するという「自律」を先んじて行われてきた村であると、私は大変尊敬しております。では、伊藤さん、よろしくお願いいたします。
下条村村長 伊藤喜平氏
こんばんは。今、ご丁寧にご紹介いただきました、下条村長でございます。
県職の皆さん、当然地理的には下条村は知っておると思いますけど、並んでみますと、ちょうど阿智村さんと泰阜村さんの間に挟まった村でございまして、間に挟まったと言うか、私どものおとなりが泰阜さんであり、阿智村さんであると言ってもいいんだと思いますけれども、愛知県庁には1時間40分、長野県庁には2時間40分、30分ないしは40分掛かるというところにおるわけでございます。人口は4,000人をやっと超えまして、4,170人に、今日見てきましたら4,172名というふうに数字が出ておりました。長野県に比べれば、これは220万の長野県さん対4,170名ということ。それから予算規模も平均しまして32億〜33億でございます。これも1兆の長野県さんとはまるで違うわけでございますけれども、そういうことで、私どもが別に皆さまにお願いするとか、こんなふうがいいじゃないかという提案をするということでなくて、私どもは、私自身も12年目に入るわけでございますけれども、今日まで私なりの信念を持ってやってまいりました。ご協力をいただきながら。その中で12年間でこういう方向でやったらこういう答えが出ておりますよという文面、全体像をわかっていただいて、その中で何か得るものがあったら、またひとつ大いにこれからの県政発展のために頑張っていただければありがたいかなということでございます。
下条村も小さい村でございますけれども、なぜか、今峰竜太さんの話もありましたけれども、政治家が非常に出るということでございまして、私が携わっただけでも参議院で1人、それから衆議院で3人、4,000人の村で…、それで県会議員が今、古田芙士さんと佐藤友昭さんでございまして、非常に政治家の出る土壌が肥沃ということでございます。もしこの中で政治家を志す人がおるならば、下条村に居を移していただければなれる確率は非常に多いということでございますけど、これは保証できるべきものでもないわけでございますので、ぜひそんな意味でもよく覚えておっていただきたいなと思います。
それで、自己紹介でございますけれども、このおふたりは行政のプロフェッショナルでございます。私は行政はあまり関係しておりませんでしたけれども、一応30数年間、中小企業の経営をやってまいりました。中小企業の経営というのは今日あって明日なき命、その連続が中小企業の実態でございます。特に田舎ということでございまして、もし企業に失敗すれば、事業に失敗すれば、当然、従業員の皆さんも路頭に迷うことになるわけでございますし、私どもも風呂敷を丸めて罰則として、あるいはどこかの地味隠遁(いんとん)生活をしなければならないと、こんな日々の連続でございました。そういうことで、私は40歳のときに事業をやっておりまして、ご多分に漏れず、人は櫛の歯が欠けるがごとく段々減っていくわけでございまして、事業をやっておるものに、その地域の人口が減るということは、これは致命傷でございます。いくらどんなに努力しても客体が減ってしまうということは、これは致命傷ということで、当時相当志しを高く持って議会のほうへも3回ほど出ました。そして、最後は4年間議長をやりまして、それからやはり審議時間の限界というものを知りまして、これはどうしても村長に出なければいけないなと。いけないなというのは勝手に判断したわけでございますけれども、そういうことで平成4年に村長になりました。そして今日まで3期目が終わらんとしているところでございます。6回無記名投票の選挙をやりました。皆さん、知事さんみたいに選挙勝て…、強い人はいいんですけども、なかなか選挙というのは身をすり減らすものでございまして、大変でございます。そういうことでやってまいりましたが、私も議長としてはある程度役場へも出入りしておったわけでございますけれども、実際に入って役場の組織の中に入ったときに、驚愕(きょうがく)という言葉でございますけれども、もうまるで行政コスト意識、スピード感、自己責任、ほとんど低い点数でございました。これは、はっきり言っておきますけれども、職員は悪くないわけでございますけれども、そうした体質の中に、いつもぬるま湯体質の中におる連続のこの何というか…、渇の入れ方というか、風の入れ方というのが、今トップとしてまずかったのかなということを感じております。当然、人は相当おります。そうして、「おい、何か、これ調べてくれ」って言うと、なかなか忙しくて調べられんそうでございます。そうして、2回〜3回言うと、とんでもない必要以上な書類を持ってきて、その書類を見るほうが大変になってしまうわけで、何をこの人は求めて、どの程度の答えを出すかということも全然あまり検討のしたことのないということで、大変なところでございました。私も相当叱声(しっせい)、罵声(ばせい)を浴びたこともあるわけでございますけども、なぜ村長は怒るんだと。今までこれで来ておったじゃないのという流れでございました。これはどうしようもないなということでございまして、私どもでも1月というのは予算編成で曲がりなりにも一番忙しいときでございます。それでは、忙しいときに、行政マンが行政の研修は駄目だから、ひとつ全員に幾班にも分けまして飯田市のホームセンターへ行っていただきました。そうして、そこで朝、接客態度とこうですよとか、商品知識をこうですかと、最低のものを教えてもらって、そうして本日の売り上げ目標はこのセクションは60万だ、70万だ、80万だ、「えいえい、頑張るぞ」ってやって、そうして1日が終わるといくら売れた、なんだ50万しか売れんじゃないかというような厳しい環境を体験していただきました。私どもはそんなことは日常茶飯事でございますけれども、なかなか公務員の皆さんというのはすごいショックを受けたそうでございます。今日のキーワードは「意識改革」ということでございますけれども、すごくショックを受けたということと、平成5年の1月ということになりますと、今はやたら職員リストラだ、どうだ、こっちだなんていうことでございますけれども、当時はまだバブルの余韻があったわけでございまして、そんなに厳しい時代ではなかったわけでございますけれども、テレビもさすが大騒ぎしていただきまして、県からも、はっきり言いまして人事課でも、「おえ、ちょっとやり過ぎじゃないか」とか、「もうちょっと慎重にやれ」なんて、こんな優しい言葉でなくてありました。村民の総じて言うことは、「おお、なかなかやるわい」ということでございました。そうして職員諸君も意識改革で、こんな社会がこの中にあったのかなというのが実感だそうでございます。中にはショックで2日ほど後休んだ方もおられますけれども、非常に良かったなと思っております。そういうかたちで、村民の皆さんも職員の皆さんを見る目が違ってきたわけでございます。職員も自分自身では良く変わったつもりのところへ持ってきて、また村民から新たに注目の視線を浴びるわけでございまして、うかうかしていられないなということで、作業効率、能率というのは非常に上がりました。もう定年退職して3人辞めても、どういうふうにしてこれ…、それ1人くらい入れておかにゃいかんなということもあったりして、ほとんど不補充できております。3人辞めれば1人、2人辞めればゼロというようなかたちできておるわけでございます。11年を経過した今でございますけれども、調べて見ましたら、類似町村、今私どもは4,170人の規模で、正規の職員が41名でございます。嘱託が12名ということで、53名でございます。類似町村は77名というふうに出ております。大体60…、大体というか、69%ということで、31%減量に成功しておるということでございます。そうすると、1人平均…、24名少ないということでございまして、800万の単価を掛けますと1億9,200万、数字的には浮いておるということでございます。ちょうど今日、このお二方が見えておりますけれども、これは非常に頑張っておられる村でございますけれども、阿智さんが6,200人、そうして6億100万くらいでございます。泰阜さんは2,200人くらい、3億8,000万くらいでございます。これは1人あたりの単価というのは少ない町村ほど単価は高いわけでございますけど、ちょうどこれもおかしいことで、私どもはちょうど間の4,200人でございます。6,200人、4,200人、2,200人ということでございます。阿智村さんと泰阜村さんが足すと8,400人でございます。ちょうどこれはポン割りすると4,200人。人件費は大体おふたりで10億ということでございます。一般会計でございますけれども。これでやると下条村の人件費というのは5億、これが正解だと思いますけれども、今うちでは3億ちょいでございます。3億500万くらいかなと。そうするとこの差額を見てみましても、やはり1億8,800万、どっちから計算しても合うということでございますけれども、1年間に例えば人件費、後でまたいろいろご質問お受けするわけでございますけれども、1年に2億浮かせるということは大変なことでございますけれども、今私どもの村では、職員がもう本当にむち打ってやっておるかというとそうではなくて、本当の意味での全体の奉仕者として、そうして使命感を持って生き生きとしてやっております。平成9年からは残業はやめようと、残業手当はやめようということでもやっております。そのことはまた後でご報告申し上げますけれども、とにかく意識を変えていただければ、そうしてここにキーワードがあると思うんですけれども、ちっとばか給料下げたこうだっていうことでなくて、全体的に意識改革をすれば、今までの行政というのは甘い体質、ぬるま湯体質というのは必ずどこかにあるわけでございますけども、そこにメスを…、メスを入れるというより、全体的にムードを盛り上げて、本当の意味での全体の奉仕者ということ。そして、公務員の皆さんというのも身分は絶対保障されておるわけでございますし、特別のことのない限り、これは皆さん当たり前だと思うんですけれども、私どもの貧乏商売したものについては、まあ、垂涎(すいえん)の的でございます。感謝するところは感謝し、また改革するところは改革していただければ、そんなに…、どういうまとめ方がいいんですか、第1段階としてこのへんをご報告申し上げさせていただきます。長くなりましてすいませんでした。
長野県知事 田中康夫
ありがとうございます。大変に数字を挙げて具体的にお話をいただきました。ただ、下条村に行きますと、このような努力をしているからといって職員が疲弊しているわけではなくてですね、むしろ非常に職員が意欲的に明るく働いているわけです。それは何なのかなということを非常に常に訪れるたびに感じますが。
次に阿智村の岡庭一雄村長であります。岡庭さんは、今申し上げましたように、もともと村の職員のご出身で、労働組合運動もなさってきた方です。岡庭さんはもう皆さんご存じのように、先般は私たちのすいぜん【垂涎】住基ネットに関しての侵入実験ということに関しても大変にご協力をいただきました。私は、お三方に共通しますけども、とりわけ岡庭さんは、まさに村民の安全を守ると。そしてそのことのために決して妥協をしないと、長いものに巻かれないという、そういう村民のための優しさを持った力強さがあられると。そうしたプリンシプル(principle)、理念のもとに村政運営を一貫して行われている方だと思っています。じゃあ、よろしくお願いいたします。
阿智村村長 岡庭一雄氏
どうも皆さん、こんばんは。
今、下条の村長さんがおっしゃったように、ぬるま湯の生活40年でございまして、1960年代からまさに労働組合高揚期、組合の執行委員や書記長や委員長としてやってまいりましたし、ですから、かなりの人が、今日お見えの方もあの時に一緒にやったなという人もいらっしゃるんじゃないかと思うんですね。今、この時点になって、じゃああの時にわれわれが本当に必死になってストライキまで構えて人事院勧告の完全実施というような戦いをやってきたことが間違えであったのかどうかということは、やっぱり考えてみなくちゃならんと思っておるわけであります。それはちゃんと総括した上で、その上で現在の状況の中でわれわれがどういうかたちで考えていかなくちゃならないのかということを考えないといけないんじゃないかと思っておるわけでございまして、私は決して、あの時代、やっぱり人事院勧告の完全実施を掲げて組合運動を戦ってきて、そして、言ってみれば公務員労働者もですね、市町村の職員なんか、特に村の職員なんかは本当に安い賃金だったんですが、一人前の賃金を受け取るようになったっていうことについては、それなりの大変な社会の発展があったと思っております。基本的に、私は自治体労働者の賃金というのは、そこの地域の住民の生活水準を規定するものでありますから、しっかり高ければ高いし、条件が良ければいいものだというふうに思っておるわけでして、われわれは住民の幸せのために一生懸命仕事をしておるわけでありますから、自治体の労働者たりとも住民でございますから、それはそのことはちゃんと踏まえて考えていかなくちゃならないということは、私はいつも思っておるわけであります。しかし、じゃあ、それだけでいいのかというのが、今、われわれが直面している課題だというふうに思っておるわけでございまして、ここにどういうふうな考えや行動で今の状況を乗り越えていかなくちゃならないのかということを考える知恵をわれわれは持たなくては、今の村を守っていくことはできないというところに、今、私は立たされているというふうに思っておるわけであります。
確かに60年代われわれがやってきたことは、仕事も拡大もし、そして賃金も拡大をしてくるということをやってきたわけでありますが、そのお金の原資というのはほとんど中央集権的な国家を形成していくために地方へどんどん、どんどん惜しげもなく中央のお金が交付税であるとか、あるいは起債に対する交付税補てんであるとかっていうかたちで、どんどん、どんどん地方へお金が回ってきた時代でありますから、それを本当に、湯水のように使ってと言うとおかしいわけではありますけれども、そういうかたちで拡大してくる中でわれわれの賃金闘争の原資もそこで保障されてきたわけでありまして、地方自治体そのものが現実的に稼ぎ出してきたものではないことは事実だと思っておるわけです。今のこの現実に立ってみたときに、じゃあ自治体労働者の賃金そのものが、本当に総額がですね、その自治体労働者の受けている賃金総額が果たしてそこの村の身の丈に合ったものであったり、そこの村の住民の人たちの生活を高めるものであったりするものにリンクをちゃんとしているのかどうかということを考えると、そのことについてはわれわれもやっぱり反省もし、考えなくちゃならないところに来ているということを思っておるわけであります。
そういう点で、われわれも、私もですね、この仕事に就かせていただいてから職員の皆さんともいろいろ話をしてまいりました。先日、私どもの村で町村合併の問題が出まして、地方交付税が約35%削減された場合は、私の村で5億円の削減になるわけでございまして、この5億円をどうやったらこの阿智村がですね、となりが飯田市でございますから、飯田市との編入合併をすればいろんなことは解決するだろうと思うわけでありますが、私どもの村の住民の皆さんは、何としても自己決定の度合いの大きいこの村の中で暮らしていくようにしたいということを考えておるわけでございまして、合併を選択しないというようなことがおおかたの皆さんのお考えでありましたから、もし5億円が削減された場合に、それでも村を維持するにはどうしたらいいのかっていうことを考えなくちゃならないわけでありまして、それで役場の職員や村会議員の皆さんが5億円の削減なんていうことを考えれば、気の遠くなるようなことで答えは出ないんで、一般の住民の皆さんに「いかがでしょうか」と、「このことについていろいろお考えのある方が集まっていただきたい」って何人かの皆さんに集まっていただきまして、委員会をつくりました。そこで5億円という、こういうふうに削減をしなくちゃならないというかたちで、交付税がこう来ているのだがどうだろうといったときに、住民の皆さんが一番最初にカットしてもいいじゃないかと言ったのは人件費だったんですね。それは、多分住民の皆さんの意識の中にもやっぱり公務員労働者、要するに役場の職員がちょっと多すぎるんではないかとか、役場の職員の待遇や給料が良すぎるんじゃないかとかという意識を持っておる人たちもかなりいるということの、言ってみればそういうかたちで出てきたんではないかと思うわけです。そういう点で、職員の皆さんにはいろいろ相談をして、どうしたら人件費を削減していくことができるのかっていうような話をいたしまして、まず、1千数百万円の時間外勤務手当が払われておったわけでございまして、これを何とか時間外勤務手当を払わないようにしたらどうかという話をしました。そして代休とか振替休業というかたちでそれが払わなくて済むようにできないものかどうかという相談をいたしまして、ちょっとやってみるかというかたちで平成12年、13年から振替休暇、代休制度をとったわけであります。そしたら、1,100万ありました時間外勤務手当が2年目、3年目、今年の3年目には、今までの4月から12月まで約40万円ぐらいに縮小されたわけでございます。これはされたことはいいわけでありますけれども、組合員の皆さんのアンケートを取ったらいろんな意見が出てまいりました。振替や代休制度については、われわれはそれは理解をするけれども、なかなか取れないと。代休が取れなかったり振替休業が取れないと。例えば休んでいても緊急の電話が入って答えなくちゃならないから休んだ気がしないとか、いろんな意見が組合の皆さんから出まして、そのことを分厚い記録集にして、組合のほうから先日団体交渉の席で村長に出すというかたちで出されたわけでございます。その時に組合の皆さんとも話をしたわけでありますが、なぜこういう状況になってきたのかという中には幾人かの組合員の皆さんから、これはなぜなったのかっていうことに対する原因について記述されたものがございました。そして解決するにはこうしたらいいっていうのがございまして、その中の非常に一番大きかったこと、それで私がそうだなと思ったことは、一人ひとりの職員が請け負いの仕事をやっていると。一人ひとりの職員が請け負いの仕事をやっているから、共同で事務を共同化していくことができないので、どうしてもその職員が休んでしまうと空いてしまうからぜひ出てきてもらわなくちゃ困るというかたちになっていくということになるわけですね。そういうことが出まして、その請負制を何とか廃止をしたらどうだろうかという話も出てきたわけであります。それと同時に、今私どもの村では事業評価を始めたわけでございますけれども、ほとんどの職員の事業評価の中でですね、この仕事は無駄だったとか、この仕事はやめたほうがいいっていうのは1つもないんですね。ほとんど、この仕事は継続したらいいとか、この仕事は大事な仕事だとかっていうことになるわけですから、その仕事にまた新しい住民の皆さんの要求が出て、その仕事をかぶせていくわけですから、それは到底仕事量を減らすなんていうことはできない仕組みになっておるわけですね。そういうのが出まして、じゃあ今組合と私が話をしていることはどういうことを話をしているかっていうと、従来の働き方や従来の意識の中で考えていたのでは、決してただ被害者意識になるだけだ。給料が下がったり、時間外勤務が払わないようにしたり、あるいはさまざまな労働条件が若干悪くなったりしていくことは、被害者としての意識としてしか受け取ることができない。しかし、実際はですね、もう既に今日のわれわれの阿智村にしてみても、今100億借金があるわけであります。これはほとんど下水でありますとか、水道でありますとかっていうかたちで、国の公共政策の中でわれわれが取り入れてきたものでありますから、それがあるわけでございます。それを払ってこれからいく。そしてなお交付税が、今度は三位一体改革等で交付税が削減されてくるということになれば、もう村そのものを維持していくことはできないわけでありますから、どうしてもですね、最大の言ってみれば支出項目である人件費を削減する以外に自律していくプランをつくることはできないわけでありますから、何としてもここの部分を、要するに職員の皆さんが犠牲感だけではなしに、もっと違う意味で自分の賃金が安くなったり、あるいは労働条件が悪くなったりすることを考えて、そしてそれに対応していくっていうことを考えていただかない限りは、いつまでも被害者と加害者っていうかたちで、私と職員の皆さんとは対立関係でいかなくちゃならないわけでありますから、ここを何とか乗り越えなくちゃならないということになるわけです。それはまさにさっきから私が申し上げましたように、働き方の問題、営々として公務員労働者は8時半から5時15分までが公務員労働者の時間だと、勤務時間だというのは、多分明治以来決められてきたことであって、これは中央集権国家の国がですね、要するに自分の政策を国民に知らせるために村役場を使ってきた、その時のがそのまま流れているわけであります。ですから、役場の勤務時間に住民は合わせようということになるわけであります。だから、住民は今、そういう点から考えれば、住民の皆さんは今度は8時半から5時15分の間に住民票を取りに来ることができないわけでありますから、できないっていうことになりますと、じゃあ長期間に働いていただくようになると、それじゃあ超過勤務手当を出せということになるわけでございますから、これはもう全く問題の解決にならないわけでありますから、私は自分の職員にもお話ししまして、これを逆転の発想でしたらどうかと。住民に使われているということから考えれば、住民の皆さんの暮らしや住民の皆さんの行政要求に応えてわれわれの勤務時間を設定するのが、本来のやっぱり自治体の労働者の勤務時間というように考えられないかどうか、みんなで考えてみたらどうかということを今しておるわけであります。確かに私どもの村は、今、もう土日関係なしにですね、365日、夜の8時まで窓口を開いております。それから、土日休日は午前中はすべて窓口を開いて、今職員の皆さんが対応しておっていただけるわけでありますけれども、そういう点でですね、根本的に従来の働いていることを当たり前と思っていることを、何が必要なのかっていうところへ切り替えて考えて、それを乗り越えていくっていうことをしないと、旧態依然たる発想の中でやっていくっていうことは、もう地方分権というかたちでも国のほうに配るお金がなくなっちゃって、お金でつって地方を従属させていくことができなくなっているときに、われわれのほうがなお同じようにそれにぶら下がろうとしておっても決して無理だということを、われわれはもう今ここで観念をしてですね、そして新たなやっぱり価値観の上に立った雇用の形態とか、賃金の形態とかっていうことを考えていかなきゃいけないんじゃないかと思っておるんですね。確かに、人事院勧告の完全実施っていうのは、あの時われわれは正義と戦ってきましたけれども、果たして国家公務員の給与を阿智村の職員まで右ならえでやることが、今地方分権とかこういう地方が自分たちの力でいろいろなことを切り開いていかなくてはならないときにですね、妥当であるのかどうか、正しいことであるのかどうかっていうことを踏まえて、やっぱりわれわれはこの事態をどうしても乗り切っていかなくちゃならないんじゃないかと思っておるところであります。
ちょっと長くなりました。
長野県知事 田中康夫
ありがとうございます。
先般ヨーロッパに行ってですね、部長会議でも既に述べたので、お読みの方がJSNであるかもしれませんけども、ヨーロッパには良い意味での左翼としてのナショナリスト(nationalist:国家主義者)という人がいます。日本は右翼としてのナショナリストという人たちが皆アメリカのハワイの続く51番目の州になることがナショナリズムで、実は愛国者どころか亡国者になっているというのが日本の右翼の、林よしのりと西部邁(にしべすすむ)という辛うじて真の愛国者を任じている人以外の人たちは、アメリカの従属国家になることが愛国者だと言っているたわけた人たちがいますけども、今岡庭さんの話を聞いていて、ヨーロッパにはですね、シチズン(citizen)、市民であったり、あるいは私たちが言っているコモンズ、その集落、郷土ですね、それを守るために良い意味での方便としてネーションステート(nation
state:国民国家)という国家が私たちのシチズンやコモンズを守るんだという考え方の左翼としてのナショナリストという人がいます。日本にはなかなかこういう人がいません。後で時間があればお話ししようかと思いますけども、やはり労働組合というのも、そこに所属しているもののために労働組合があるわけではなくて、やはりすべての市民のために、労働組合に入っていない人にも幸せを、良い意味での幸せをもたらすために本来労働組合というのはなくてはいけないんだと思います。
岡庭さんのお話をお聞きするたびに、やはり「ぶれない」ということがとても大事だと思います。ただ、ぶれないというのは、一端決めた行政のことはてこでも変えない、Uターンしないということとは違います。恐らく、今日ここにいらっしゃる方は良い意味での、…日々人間は考えが進化するので…、良い意味での君子豹変(ひょうへん)す、良い意味での朝令暮改ということをなさってきていると思います。ただ、それはご都合主義や自分の地位を守るのではなくて、常に念頭にあるのは、そこに暮らすシチズンのために君子は至らないところがあれば変えていくというお考えかなと思います。
松島貞治さんは、私が住民であります泰阜村の4139番地という、私が間借りをしておりますが、「ヨイサンキュー番地」というところの方です。ご存じのように、県道1号線というのは飯田富山佐久間線と言って、愛知県と静岡県と長野県が皆同じ名称で1号線としています。泰阜村の中を通っている県道1号線はいまだバスが通れない部分があります。バスがせめて1.5車線で通れるようになれば、あとの部分は在宅福祉に向けたいというお考えです。
助役を置かない条例をつくり、村議会は12人いた方が今10人です。歳費制であったものを土日と夜間に議会を開くようにして、その日の実費の手当というかたちにしました。確か15人ですか、老人の施設等に勤務していた方を株式会社に村の職員から移管されたんでしたっけ、確か。したいんでしたか…。これをどのくらい、その分をすべて村の単独費用として訪問介護、在宅福祉という、在宅で最後天寿を全うするということが泰阜村の村民の願いであるという信念であります。
年初の日経新聞に載りましたが、この泰阜村の良い意味での自助努力というのが、霞が関に置き換えると、霞が関の課長級の職員が3万5,000人、一夜にして消滅するだけの良い意味での自助努力をしているという村です。
じゃあ、どうぞお願いいたします。
泰阜村村長 松島貞治氏
泰阜の松島です。
取り組んできた話の中で、ちょっと2つの視点で述べたいと思っておりますが、私、平成6年に村長に就任しましたけれども、平成元年から5年まで、泰阜村というのは大変な大型事業を、…ちょうどバブルの時期でございましたが…、かなりの投資をしまして、起債というのが実は私が就任したときに水道まで含めると55億円という起債でございました。一般会計の予算が大体25億でございましたから、水道まで含めると倍以上あったということでございます。したがって、平成9年から、私が6年に就任して、平成9年から起債償還がピークの時期を迎えまして、大変なことで、…現在も大変なんですが…、大変なことでございます。となりが下条村でございまして、県下一二を争う起債制限比率1.5%とかいう村でございますので、となりへ行って金借りてくればいいじゃないかっていう話がよく出るんですが、制度上まずいという話もございまして、本当に比較されるこので非常にやりにくく思っておりますが、その借金を返済するために、これはもう非常事態ということで何とかしなければならないということになりました。今、田中さんがおっしゃったようなことに実はなったんですが、これは決して意欲的に取り組んだとか美談ではなくてですね、やらざるを得なかったということでございます。その時に、それは私が村長になったときにあった借金でございますから、私がなる前に投資した借金でございます。できた起債でございます。しかし、ではこれは誰の責任であるのかという話に実はなるわけでございます。県ももしかしたら1兆6千億は田中さんになったときに既にあった借金で、これは私の責任ではないということも言えるのかもしれません。しかし、私はその時に、この泰阜村の55億の借金というのは、当然現在の村長である私にも責任がある。職員はその時に、私どもはやれという仕事をしただけで、そんなに私どももまだ責任は…、という人がおりました。私はしかしその時に、この借金というのは当然私の責任でもあるし、しかし議会議員の皆さんも責任もある。職員も責任がある。そして村民の皆さんも責任がある。全員の責任でやっぱり乗り切る以外に方法はないのではないかということでございました。したがって、平成9年、10年に4億8,000万円を超える人件費でございましたが、現在下条の村長が先ほど言われたとおり3億8,000万円までになりました。下条の伊藤さんはまだ高い、まだ高いっていうふうに言っておるんですが。5年間で実は21%の人件費を削減したということになるんですが、それは一般職員を退職、不補充というようなかたちで15人減りました。それから助役を置かない条例も制定しました。議会議員も2人減りました。まだ夜間議会とかっていうのをやりたいというふうに言っておるだけで、やっておるわけではございませんが、そんなことで、時間外勤務手当も協力してほしいということで、いろいろ含めて今年で多分3億7,000万を切るというように思っておりますので、1億1,000万、この5年間で人件費を削減しましたが、これは並大抵のことではございませんでした。しかし、乗り切らなくてはならない責任というのは、私も当然だけれども、やっぱり議会の皆さんも職員も村民も、みんな責任ある。おれはあの時にその事業は反対したっていう人もございました。おれはそんなことやめろって言ったという人もおりましたけれども、しかし、できてしまった、そういう投資したという、その行政の責任というのは、やはりみんなで分かち合う以外にないのではないのかというのが、私どもの取り組みで、ここまで何とか今も回っておるのは、その経常経費の節減でございます。しかし、私は在宅福祉を守るためにということで村長になった人間でございますので、福祉サービスを…、職員の待遇や人件費は守ったけれども、福祉のサービスを低下させたというのでは私自身が村長になった、何のためになったのかっていうことがございまして、守るべきものは守るんだけれども、じゃあどこで節約するのかっていったときに、やはり人件費そのものに切り込まざるを得なかったという、そういう経過があるわけでございます。そのことが1点。
それから、私、最近と言いますか、今回の私のところも今どこの自治町村も組合と確定闘争の交渉中でございますが、新聞報道で、県の県職労の交渉の中に財政改革推進プログラムにより実は14年度決算で58億円、基金が増えたんで、そんなに努力したんだから、特別県の賃金を下げたのはこの際回復したらどうかという要求があるようにお聞きもしております。その話で少し関連するんですが、私はこういう状況になって、今、人件費を削らざるを得なかったという状況の中で、実は今日、これ私の手元に来たんですが、今日自治研センターの和田さんもお見えてくれておりますが、到着したので、実はここに…、
長野県知事 田中康夫
それは…。
泰阜村村長 松島貞治氏
『信州自治研』という、自治研センター、自治労の皆さんが中心になって出しておる月刊誌でございますが、私、自治労の影の応援団でございますので、いつもお金…、今度はお金払いますから、7月6日に諏訪で実はシンポジウムをしたときに、私こういう発言をしたのを、自治労の今池田さん、副委員長でございましょうか、池田副委員長が誌上討論を今度やるって、私もここに書くことになっておるんですが、誌上討論の中に、私がこういう発言をした、原文のまま読みますが、「松島泰阜村村長が、国家公務員の給料表に…」、これは泰阜村も長野県もというふうに私は言って発言しましたが、「国家公務員の給料表に従う必要があるのかないのかという議論をする時期に来ていると問題提起をしているが…」、ということでコメントを書いてございまして、要するに「改めて地方自治制度の中における職員給与のあり方を考えなければならない。理論的に整理をしなければならない」というのを池田副委員長も書いておられますが、その後に、現実問題として自治体財政が苦しいのだからということで、そう言われてしまうともうのまざるを得ない、要するに賃金削減をのまざるを得ないという実態について、これで本当に自治体労働者とは、今何をして、どういう立場なのかというのを考えなければならないということを非常に理論的にまとめられてですね、私、素晴らしい池田副委員長の論文だなと思って拝見をしたところでございます。しかし、今言ったとおり、この問題につきましては、そうは言っても厳しいときには、やはりこの1兆6,000億がどのぐらい影響しておるか知りませんが、これは私どもが見れば、先ほど私言ったとおり、これは県職員の皆さんがわれわれの賃金は低い、全国的に見てもそんなに高くないというのも理解もできますが、しかし、現実にそのことについては知事ももちろん責任がある、県議会も責任がある、県職員も責任があって、県民にも責任があるというとらえ方がやっぱり必要ではないかということを思っております。
もう1点だけ。58億円という話がございました。58億円、基金が増えたではないかっていう話でございますが、実はなぜ増えたのかっていうところをやっぱり考えていただきたいと思っておりますが、私出る前に、金曜日の日にうちの商工会長が署名のお願いに来ました。それは早い話、地域商工業に取り組んでおる商工会の県の補助金が削られちゃって、3人おる職員のうち、何とか指導員…、青色申告何とかっていう人の人件費が県からくれなくなってしまうので、これをやめさせなければならないということで、ここまでの急激なことはしてくれては困るという署名をしてほしいって言うんで、私も署名をしました。それは、地域の商工会というのはやっぱりそのぐらい大変だ。それがこんなに頑張っておる商工会を支えておる指導員まで減らされるというのは大変なことだという危機感があるわけでございます。
それからもう1点。私の村に下条米川飯田線という主要地方道がございますが、門島というところがございまして、私が就任する前に、平岡ダムのダム対策の影響で道路を広くして、その後はすぐやるということになっておりますが、私が就任する前の話でございますから、10年間たってもたった200メートル、本当に普通車いっぱいでしか通れない主要地方道がありますが、それを直してほしいって、私は門島の人から何回も言われます。その門島の住民の皆さんは誰を怒るか。田中康夫さんを怒るんじゃなくて、私を怒るわけでございます。この県道を改良できるのは村長、どうしてくれるんだ。それは1,000万とか2,000万という単位でできるかもしれませんが、それもできずにおるという実態でございます。したがって、この58億っていうのは、そういう商工会の皆さんの指導員を削らないでほしいっていうようなお金も削って、たった200メートルの道路を改良してほしいっていうわれわれの地域の要望もそれもできずにっていう積み重ねで、県が財政改革推進プログラムで数字としては残っておりますが、しかし、そういう痛みも伴っているっていうことを思いますときに、このお金がでは誰のために使われるべきものなのかっていうことを、私ども、これは私も県民の1人としてもう一回皆さんと共に考えなければならないのではないかということを実は思っておるところでございます。
以上でございます。
長野県知事 田中康夫
はい、ありがとうございます。
今、青山さん、3人の…、皆さんからご意見を伺う前に、少しじゃあ青山出納長から話を聞きたいと思いますが。
出納長 青山篤司
なんか、私がこの席に来るのはちょっとつり合いが取れないと思うんですけれども。
田中知事がですね、ちょうど3年前に知事として当選されまして、それで基本的には私しょっちゅう言うんですけども、改革ということを旗印にして県民の信任を受けてきたと。これは紛れもない事実ですよね。それで田中知事が私と話す中で、度々、県の職員の意識が変わってない、私のところへついてこない、どうなってるんだっていう怒りみたいなことを私にぶつける機会がたまたまあります。それで、私ちょっと考えるんですけども、これはある会合でも申し上げましたけども、今まで村長さんのお話にも意識改革ということは非常に大事だと、これはもう当たり前でございまして、その意識改革っていうのはどうしたらいいかっていうことなんですが、それは自分自身でやらなくちゃ駄目だと思うんですよ。具体的に言うと、県職員が自分で意識改革をしなくちゃ駄目なんですよ。それでは、そうでない限り改革っていうのは私はできないと思います。というのは、改革っていうのは、少なくとも知事がこういうことで改革していこうということで県民から信任を受けたんですから、県職員がその改革の意識に対する共通認識を持てば、改革なんていうのは極めて早くできるというのが私の考えなんですよ。しからば、じゃあ田中知事が当選してですね、じゃあそれについて何にも言っていなくてよくわからないっていう言葉がよく出るんですけれども、よく職員の皆さん、よく考えてみてください。田中さんがまず県民に向かって言ったことはですね、大文字じゃなくても小文字の改革が必要だっていうことを言いました。それは、田中さんが当選してすぐの年頭のあいさつに申し上げました。要するに、もう日本の国民は食べることだってそんなに困らないという時代だから、大文字の改革は終わっているんじゃないかと。小文字の改革っていうのは非常に大事ですよっていうことを言いました。これについては最後に私異議ありますので申し上げますけども、そういうことから始まりまして、毎年2月県会に提案する知事の提案説明の中で、まず大真っ先に知事が申し上げたのは、自律する市民を支援しようっていうことを申し上げてきましたよ。これは知事です、読んでください。その市民という言葉が、実際にはその中には書いてありませんけども、記者会見等でその市民ということはこういうことですよと。なぜ市民という言葉を使ったか。それはですね、長野県に住んでいる人、どんな外国籍の人であろうが、どんな障害を持っている人が、全部同じ目線の市民じゃないかと。だったら、その市民に対して国籍が違うから政策が違うっていうのかおかしいし、そしてその人たちが苦しかったら底上げしていこうと。そうすることが自律する市民をつくっていくことじゃないかという、こういう提案をまず真っ先に田中さんはしたはずです。田中さん、もし後で違ったら訂正してくださいね。2番目の提案です。これは昨年の時期はわかりませんけども、昨年の今ごろですかね、自律市民がつくる…、先ほど知事が言いましたけども、コモンズがその次に出てくるんですよ。要するに、自律した市民がつくる地域社会が大事ですよというのを、その次に出てくるわけですよ。その公言というのは昨年の知事選の公約にも書いてあるはずです。コモンズっていう言葉は使っていませんけども書いてありますね。要するに地域というのは大事だと。だから、自律する市民がいて、そしてその自律する市民がつくるコモンズ、地域、これをベースにして長野県の発展を考えていこうと。こういうかたちでですね、田中さんは、それはいろんな機会で、よく読んでみますと、いろんな記者会見とか提案説明、いろんな機会でそういうビジョンを述べてきているわけなんですよ。そうすると、職員にとって一番大事なのは、知事がそういうビジョンを言っている限り、ああ、それでは、長野県の政策としてそういう方向の政策というものを考えなくちゃいけない。自分で考えなくちゃいけないんですよ。私はそう思いますけどね。職員の皆さんにとっては非常に厳しいことになりますけれども、しかし、少なくとも、長たるものはこういう方向で示したら、その具体的な施策とか、あるいは政策というものは職員が自らつくりだしていく。そこの創造力が今職員にとって一番求められるんじゃないかと思うんですよ。したがって、人を評価するっていうのは非常に難しいんですけれども、例えば、これから実績評価するとか、人事評価するっていう中で一番私が大事だというのは、そういうようなビジョンをつくって創造してつくりあげてくる能力があるかどうかの、その1点だけで、ある時は人を評価してもいいんじゃないかと。それは、時代が変わればその評価基準は変えていっていいんですよ。ずっと未来永劫(えいごう)じゃなくていいと思うんですよ。今、田中さんが言ったビジョンをつくり、そして実施していくためには、何がポイントかっていうのは、一点集中的に基準をつくってですね、それに基づいて職員を見ていく必要があると思います。というのは、人間というのは基準が多くなりますよね。評価基準というのは例えば1から10の場合と、1から100の場合、100になればみんな同じ点数になるはずです。ということは、それだけ人間というのは良い面と悪い面を持っているわけですよ。ただし、今の時代で一番必要な職員として、あるいは人材としての能力は何か。この1点に絞って評価をしてですね、その時代がまた変わったら、またほかの基準をつくればいいんじゃないですか。私はそのように思います。
それで、今、コモンズ…、要するに自律する市民とコモンズっていうお話しを申し上げましたけれども、これを実現するには通称言う地方分権じゃなくちゃ駄目なんですよ。そこへいくわけなんですよ。田中さんは地方主権と言っていますけども、今言った自律する市民、自律するコモンズですね、これをつくって地域を活性化して、そのとこに住んでいる人たちが非常に生活も、あらゆる面、私的な問題も含めて活力を得られれば、そこは幸せなわけですよね。だからそれを実現するには、その人たちが考える、まさに身近な人たちが考えて身近な人たちが執行する、そういう地方分権の制度になっていないと私はこれはなかなか実現が難しいと。実現が難しいからやらないっていう意味じゃないんですよ。そこで、そこで私は田中さんに申し上げたのは、ぜひこの地方分権を実現するにあらゆることをやってくださいよと。それが長野県民のためになるんじゃないんですかっていうことを申し上げているんですよ。これは、先ほどのところでも申し上げました、まさに大文字の改革なんですよ、私から見れば。決して小文字じゃないです。大変なことなんですよ。だから、この点だけは大文字の改革として田中さんにいろんなかたちでぜひ実現してほしいっていうのは私からの希望でございます。
それでですね、もう1つ、話がぶれるかもしれませんけども。
私は人生の中で一番大きな敵は何だと思いますか。私は1つだけあると思いまして、それはさみしさなんですよ。じゃあ、さみしさっていうものをどこで解消してるかっていうのは、やはり私は要するに生活の場であるコモンズじゃないかと、こう思うんですよ。いろんなかたちで物事の発祥するところは、さみしさが非常に大きな原因じゃないかと思うんですよ。さみしさと孤独は違いますよ。それは違うんですが、要するにさみしさっていうのは人生の中で一番克服しがたい課題じゃないかと、これが一番の課題だと思います。ついでに申し上げますと、2つ目として人生の大敵というのは退屈さじゃないかと思うんですよ。毎日毎日、あるいは毎年毎年同じような生活サイクル、「退屈だなあ」「なんか面白いことないかな」っていう、その退屈さが変なとこへ出ると犯罪みたいになるんじゃないかと思うんですよ。それで3つ目ですけれども、しっとだと思うんですよ。これは人間性で持っている根源でございますけども。私は常にこの3つがその人生の中での一番大きな障害物じゃないかと。これをどのようなかたちで克服するか、それは、それぞれ個人個人に考えてることでございますけども。元へ戻しますと、やはりさみしさっていうものは、自分で生活してる、その地域と自分が一体になっているところで、100%とは申しませんけども、ある程度のさみしさは解消してくる。だからもう一回、コモンズということで生活の場を地域に取り戻していく。そしてそこから発想する地域としての福祉、あるいは環境、あるいは教育、あるいは産業、こういうものをもう一回改めて考えていく、これが少なくとも私が把握してる田中さんが改革していこうとする長野県の方向じゃないかと、このように考えております。もし田中さん、違っていたらまたご指摘お願いします。
長野県知事 田中康夫
いや、私よりも的確に評論家になっていて、恐ろしい感じがしますけど。
今おっしゃったさみしさって、私も大学のときに寮にいたんですね、1年から4年までは。停学を食らって留年したときだけ1人で住みましたけど。やっぱり寮のときに、例えば恋人とうまくいっていないからとか何とかっていうさみしさだけじゃなくて、やっぱりその寮でいろんな人と話す。大して生産的な話してないと思うんですよね、夜遅くまで。おなか空いて最後ラーメンや夜鳴きそば食べに行って寝ちゃったりしてんですけども。でもやっぱりそれがコモンズだと思うんですね。ということをすごく感じます。
青山さんがおっしゃった大文字の改革をしていけ…、青山さんは地方主権担当大臣というものにもぜひ積極的になるべきだと私に最も強く言った人であります。というのは、国全体の制度や仕組みを変えなければ、長野県の力がないとか長野県が他律的だとかいうことではなくて、やはり制度や仕組みを大本から変えなければいけないのに、今の日本は改革と称して単に数字の案分をしてるにすぎないとおっしゃいました。ただ、その大文字というのは、何か中国やソビエトの大きななんか目標のスローガンのような大文字ではないっていうことです。常に現場に即した、小文字の実態に即したものをより敷延的にするかっていうことだと思っています。
あまり私がしゃべってもあれですので、少し皆さんから、じゃあご意見でもいいですし、ご質問でもいいですし、異議申し立てでもいいですし、提案でもいいですし、マイクを係が持って伺いますから手を挙げていただければと思います。できればお名前と、もし県の職員である場合には、主として現在しているお仕事を最初におっしゃっていただけるとありがたいと思います。
常に言っているんですけど、発言をするということがマイナスの評価にはなりません。発言をしなかったり提案をしないで、後で信濃毎日新聞や県政タイムズに匿名でしたり顔のコメントを出されるということが、最もそれは県職員として恥ずべきことだということだと私は少なくとも思っています。
ですから、何もご意見がないということは、今5人がしゃべったことに大変もろ手を挙げて賛同なさっているか、あるいは5人がしゃべったことは、ことごとく自分とは立つディメンション(dimension:規模)が違うのであきれ果ててるかどちらかだということになるのかしら。
はい、どうぞ。一番前の方。マイク持ちます。
コバヤシヨシユキ氏
これは、あんまり自治とかにはそれほど関係はないのですけれども、このところ連続で発生してる…、
長野県知事 田中康夫
あなたは、ごめんなさい。お名前と…。
コバヤシヨシユキ氏
コバヤシヨシユキです。
続けます。このところ連続して発生している幼児虐待に、そしてそれに伴う幼児虐待死などありますが、かなりの場合で行政の不備というものがあるのですが、その場合に、その行政官の責任がそれほど責任を取ったというケースがそれほど感じないのですけど、もし長野県なり長野なりに起きた場合にどのように対応していくかというものをお聞きしたいのですが。
長野県知事 田中康夫
幼児を虐待を…、相対的に言う、大人が幼児を虐待するということに関してですか。
コバヤシヨシユキ氏
はい。
長野県知事 田中康夫
どうぞ、お座りください。
それは私の見解になると思いますけども。先日も、先般10月の31日付けの朝日新聞で対談をしていたイヴ・デュテイユというパリの郊外のプレシー・シュル・マルヌ村という村に行きました。私は基本的には、やっぱり危ないことをさせないというような無菌培養に日本がなってきているということだと思いますね。除菌、除菌をしてきたことがO−157が発生するようになったと思いますし、危ないことをさせないようにしていくということが幼児虐待であったり、あるいは人を殺傷してしまうということになっていると思います。それは単にヴァーチャルと称しているテレビゲームが多くなったからというようなことではないと思ってます。基本的にやっぱり、私の基本は、法律というのは一体誰のためにあるかと、市民のためにあるんですけども。いつの間にか法律を維持するために条例をつくったり、組織を維持するためにまた決まりをつくっているわけです。決まりというのはただ1つあればいいわけでして、おてんとうさまの下では悪いことはしちゃいけないよって、じいさんばあさんの言い伝えがあるわけで。私が長野県に転校して来たときに、上田に2年間、小学校2年、3年いましたけど。東京から来て、「とびっくら」という言葉とか、「そうずら」っていう言葉もわかんないっていうんでいじめられて、帽子を毎日川に投げられるわけですね。でも、川に帽子は投げますけどランドセルを川まで投げるということは、たまたまだったかもしれませんけど、私の友達はしなかった。田んぼの土手に投げることはしましたけども、田んぼの中にまでランドセルを投げることはしなかった。やっぱりそれは人間の中にサーモスタットがあって、ここまではしていいけれども、ここまではしちゃいけないんじゃないかなっていうことを自分で考えるっていうことだと思うんですね。どうも、それがちっちゃなときに小刀を使っていろいろしたり、木に登って落っこちてみたりとか、それはけがをしたり死んでしまったりすることは誰も望んではいないと思いますけども、そういったことをさせないようにしている社会になってきてる。すると、その小刀で指を切ったこともないから痛いとか、気持ちがいいとか、そういう感覚がなくなってきてしまっていて見境がつかなくなるということで、テレビゲームが発達したからではないと思ってます。
このイヴ・デュテイユという村長は、黒スグリを学校の庭にあったならば、その黒スグリの肌触りや舌触りやにおいや、そういう思い出がいっぱいあることが村に皆が戻ってくることだって言ってます。そういう五感で感じることが多い社会が恐らく私は幼児虐待というものも、究極的に言えばですね、より少なくしていく。昔からあったことだと思います。根絶することはできないと思います。根絶することができないという大前提に立って、そうした五感で感じるものを多くしなくちゃいけないと思っていますけども。
コバヤシヨシユキ氏
いいですか。
ほかにも、もちろん幼児虐待の場合だと、どうしてもやはり最終的には周りの人間が救済する必要性もありますし、場合によっては、器物損壊など、もう本当に誘拐に近しいことまで行為をやったとしても止めなくてはいけないと思いますが、やはり近年はそれがわかっていても行動できないというのが事実だと思います。やはり、そういう教育も必要だと思いますし、また行政のほうが、今回のその長野県の生坂ダムのを自殺ではなく他殺と見たように、人命そのものを軽視しているような風潮があるのに関しては、これはもう意識改革というレベルではなくて、もう倫理観の問題だと思うんですが、このことに関してはどう思いますか。
長野県知事 田中康夫
まあ、人間の体温を高く持つっていうことが大事だと思っているんですけどもね。私はあえて批判を恐れず申し上げると、行政という組織にいる人たちは意外と体温の低い人が多いんだなっていうことを感じています。これは長野県に限りません。繰り返し言っていますけど、私は長野県の職員の本来の潜在的な能力、それは、マルバツ算数の能力ではなくて、潜在的な判断をしたり行動をしたりする能力というのは、他の都道府県の職員と比べて相対的に私はむしろ高いと思っているんです。一人ひとりはそうであるはずなのに、鋳型のこの社会に入ってしまうと、実は前例踏襲になってしまう。となりの係のやってることを「島」って皆さんがおっしゃるけど、となりの係がやっていることに「大変?」って言ったり、「一緒に手伝おうか?」って言ったりして、でも、「いや、いいよ。君には手伝ってもらっても最初からやってることを把握してないから」って言われてもそこで怒っちゃうんじゃなくて、「そうか、じゃあ一生懸命やって」って言うとか、こういう会話すらあまりないというのは、私は人間としての体温が非常に低い、一人ひとりは高いはずなのに集団の中に入ると低いようになってしまうっていうところがとても恐ろしいなって思っていますけどもね。
ちょっと、回答にあるいはなってないのかもしれませんけど、良い意味でやっぱりおせっかいになる必要があると思います。ただ、そのおせっかいになるというのは、よく障害者の団体の方、あるいは環境団体の方、市民運動の団体の方の中で、比較的古いOSの方は、自分がしてあげることは正義で相手が喜ぶに違いない、自分のほうがいろいろ知っているんだから相手はこれを知ってもらって当然だっていう人たちがよく障害者の団体のサポーターや環境団体のサポーターにいます。これはやっぱり本来しっぺ返しを食らっちゃうんですよね。労働組合の運動も恐らくそうだったと思うんです。そういうかたちのおせっかいではない意味で、やはり良い意味で相手が望んでることが何か、相手が望んでてそれと合致したならば数字に換算できない自分の心のチップの喜びだっていうことを感じるのが、本来こうしたパブリックサーヴァントという私たちの仕事だなとは思っています。
よろしいですか。じゃあ、ちょっとほかの方のご質問やご意見をお聞きしましょう。
はい、どうぞ。
ナガイ氏
ナガイといいますが、それぞれの首長さんにお聞きするんですが、相対的に自治体の仕事をどう位置付けていくといいますか、それぞれの自治体で違うと思うんですね。それに伴って職員数のあり方。今、何か人件費を減らすということ、こういうようなことがお話しの中にあるわけですが、さすれば、皆さんは公務員労働者の人件費はかくあるべきだと。私も実は公務員労働者だったもんですから、自治労の役員もしてましたから、少しお話しさせてもらうんですが。労働三権がないんで、今の言う人事院勧告にのっとってやれやと、こういうことだと思うんですね。組合は労働三権を外してストライキ権から全部与えろと、そうするのならそれぞれの地域の給与が決められると、こうは言ってますが、実際にそんなことやられたら大変だなというのもどこか心の隅にあると思うんですね。そういう意味で見たときに、じゃあ給与は低ければいいんだということなのか、あるいは、それぞれの自治体が人事院勧告を中心にしながらも自治体の賃金のあり方が決めたほうがいいんだと思われてるのか。そのへんですね、私は公務員労働者の賃金もそこの地方の財政収入から見れば相当な部分に実はあるんじゃないんかなと、こんなふうにも思っておりますので、私の質問も、ちょっと人数のあり方の問題と、仕事とイコール人数のあり方の問題と、賃金の、人件費の削減すればいいっていう問題と、ごっちゃになってるかもしれませんが、そのへん少しわかりやすくお話しいただけたら幸いかなと、こんなふうに思ってます。
実は私自身も、先ほども県職労の皆さんとそんなお話しをしてきたところなんです。どなたか言われますように、14年度で82億、当初の計画から比べればプラスになってると。どうなのかっていうようなお話しでいろいろしてきたんですが、少しそのへんについてお聞かせいただければ幸いと思います。
長野県知事 田中康夫
はい、どなたでも結構です。はい。
下条村村長 伊藤喜平氏
はい。まず私のほうから今のご意見にお答えいたしたいと思いますけれども、時間が制約されておるということで答えを先に出してしまったわけでございますけれども、問題は人を減らす…、1億9000万浮いたよと、こういうインパクトが強かったと思いますけれども、キーワードは「意識改革」でございます。意識改革をすれば、それぞれの職員の皆さんが、本当の意味で自己決定、自己責任、全体の奉仕者の使命に燃えてやれば、要するに能率が上がるということで、上がりすぎるということでございます。そうすると人が余ってしまうというのが現実でございます。私どもの村のことを言えば、人が余ってしまうということでございまして、だから、キーワードは「意識改革」ということで、余ったものを置くわけにはいかないということでございまして、実は1つ最近困った問題があります。困った問題がちょっとありましたけれども、県の格別なるご配慮によって、それぞれの町村へ1人、私どもでは1人派遣していただいて、イシザワ君という彼、非常に頑張ってやっておっていただきます。この時に大もめをいたしました。私どもは少ない70%くらいの、69%の人員でやっておるわけでございまして、清く正しく美しく、みんな本当に生き生きとしてやっております。その中に1人ただだで…、ただって言うか、使ってみんかということでございまして、私どもは、それはご遠慮申し上げると。今本当にみんな燃えておるときで、1人くらいただでもいいじゃないかということになると、仮に今の良いムードがアリの穴から堤防が崩れるようなことになっては困るからどうかお引き取りをと言ったところが、何でもくれるということでございます。いただきました。その代わり、2人私どもは、1人いただいて2人を、1人は県の地方事務所のほうへ無償で研修に出させていただき、1人はまた広域の中に無償で出させていただきました。いくらうまくいっておる、うまくいっておるって言ったって、そこでちょっと手綱を緩めたり、それから危機感がそこで薄れたということになれば、全体的に組織が緩むわけでございます。私どもはそれを非常に恐れておるわけでございまして、今度も10月14日の日に収入役と助役殿が本当に頑張っていただいて任期満了でおふたりお辞めになりました。このことにつきましても1人も補充しておりません。まだまだやるぞという意気があるということでございまして、今、意識改革のお話が出ましたけれども、青山さんからなるほどなということでございますけども、私どもが今県庁の皆さんの姿を見ておるときに、意識改革というのは離れて見ておると相当進んでおると思います。今たった3年です。3年でまだおれについてこい、こうだこうだっていうことは、まだ無理かなと。無理かなって、それいつまでも先送りしておればいいという問題ではないんですけれども、やはり5年〜6年掛かるなということと同時に、意識改革をやるに、一番皆さま方は地位も安定しておる、給料もそこそこもらっておる、そして近くにライバル…、例えば長野県庁の横に静岡県庁があれば、高知県庁があれば、お互いにやるんですけども、ライバルもいないと。こういう中で意識改革というのは非常に難しいのかなと。そこで、お聞きしておると、もう三位一体だとかコモンズだとか、こういうふうに理想を高く掲げすぎてしまっておるのかなと。もう少しわかりやすい、幼稚な、明解な理想を手の届きそうなところへ一回やってみるということも大事かなと思います。そのことの中で、今の組織はこれでいいのか悪いのか。こんなに私どもから見れば肥大化、ちょっと肥大化し過ぎておるなということも感じられるわけでございまして、この組織を一回全体として見直そうじゃないかと。こてんこてんに見直してみて、そうして組織がスリム化して効率的に動くようになれば、次のアクションなんていうのは簡単にできるわけでございますけれども、最初に高い理想を掲げてしまうと、それじゃその理想に向かって今何やる…、自己改革しろって。それはそのとおりなんだけど、自己改革とはどういうもんだって、それは100人100様あるわけでございますので、これをやってみろよと、身近なものをまず示してやって、それに向かって一心不乱にひとつクリアしてみる。また次の目標を設定してクリアしてみると。こういうことも大事かなということを感じます。実際、これは県庁というか下条村でやってこれが良かったなというふうな感想でございますので、ぜひそんなものからやっていただいて、私ども離れて見ておると、なかなか大きいかじを切っておるなというのがわかるわけでございますので、どうか皆さん、あまりうろたえたり、…表現が下手ですけれども…、あんまり焦ったり…、先送りしていいっていうことでなくて、あまり踏み込んだ話をするといけないわけでございますけれども、多いに頑張っていただきたいと、こういうことでございます。進んでますよ、意識改革。私ども見ておっても、大したもんだと思っております。
阿智村村長 岡庭一雄氏
多分ですね、確かに労働三権が認められていない代償として人事院勧告があると、それはもう当たり前のことでございますし、その労働三権というのは当然与えられるべきであって、公務員労働者だけに与えられていないと、今現在の仕組みそのものが私は間違っていると思っているんです。そのことと、今日われわれが意識改革をしなくちゃならないという問題と、やっぱり一体のものとして何か被害者意識、例えば58億円お金が財政改革で浮きましたと。新聞見させて…。そしたらおれたちは犠牲になったんだからその分返せというような、こういう物取りのような感覚でやっぱり考えるっていうことはどうかというのが、今私はうちの職員と一緒に格闘しておる中でおくと、どうもそこらへんがよく理解できないわけです。本当に皆さんたちが賃金を5%から10%削減ということをこういうようにしたのは、やむを得ない…、何か負けてやったっていう意識なのか、今日のやっぱり長野県政が置かれている、財政が置かれている中で、共にやっぱり苦しみを乗り越えて、そして新しい時代をつくっていくものをやっていこうという、そういう意識の中で5%、10%受け入れられたのかどうかっていうことが、ここが私は最大の問題だというように思っておるんですね。何かやられた、やられちゃったとなれば、じゃあ余ったんならよこせと、子どもの小遣いのような話でこの議論というのはやられちゃいけないというふうに思っておるんです。私どもの村は先ほど言いましたように、このままの状態で賃金をこのままずっと伸び続けていき職員が拡大し続けていけば、村を自律していくという、要するに住民の願いでもあり、そして労働者の願い、職員の願いでもあるそのものを実現することはできないと。だから、何とか頑張っていこうじゃないかというその中で、時間外勤務手当をじゃあ返上して、変則勤務制や交代勤務制にすると。しかし矛盾が出てきたから、だとしたら、どういうかたちでこれを乗り越えていくのかっていうことで議論をして、今必死でやっておるわけであります。そこらへんが意識を共有化する、田中知事の意識と皆さんの意識の共有化っていうことができるのかできないのかっていうことが、まさに今長野県政を変えるか変えられないかということであるし、私と阿智村役場の職員の意識の共有化っていうことができなかったら、阿智村を自律化させていくことは到底できる相談じゃないっていうことだと思っています。そこのところは、やっぱり公務労働とはどういうことなのかっていうことを、われわれを含めて考えなくちゃいかん。公務労働っていうのは、私たちが一生懸命組合運動をやってきたときは、自分がこういう仕事をやりたいと思ってもなかなかできなかった時代が非常に長く続いたわけですよ。そのことのために自治研修会をやったり、いろいろしてやってきた。そして、今私どもの職員は非常に苦しいけれども、要するに公務労働の自分の仕事の自主的な編成が自分たちでできる、そのことが認められるという状況に今なってきたというように私は自分で思って、今阿智村の職員に聞けばそんなように言わないかもしらんけれど、私は長野県政をこうやって見ておってもですね、本当に田中知事の進めていこうとする意識改革の裏には、一人ひとりの公務労働者、県職員の自主的な編成、要するに仕事の自主的編成を認めていこうじゃないかと。ストレートにやっぱり提案も受け入れていこうじゃないかということを言われているわけですね。良いことは全部取り入れていこうと言われているっていうことは、やっぱり公務労働そのものにしてみれば、賃金の問題は非常に不満はあるかもしれないけれども、公務労働者として働いていく生きがいとか、そういう観点から言えば、かなりやっぱりそこのところは恵まれた状況にあるというふうに思ったときに、どういうふうにここの中で意識を変えていくのかっていうことが大事じゃないかと思うので、私は長野県の職員にこんなことを言うのはおこがましいような気がしますけど、うちの職員とこの間団体交渉をやっておる席で、お互いに誓い合おうじゃないかと言ったことの話をしておるもんで、ちょっと力が入ってすいません。
長野県知事 田中康夫
ありがとうございます。
私が司会をするというのも変なものではあると思うんですけども、私がマイクを持っているのでなかなか手が挙げにくいのかもしれませんが。いかがでございますか。はい、そちらの男性の方。
ナカムラ氏
県の職員ですが、今は県職労という組織で専従の副委員長をやらせていただいておりますナカムラといいます。
いろいろと県職労のことでも今話がありましたので、ここでやっぱり意見を表明しておきたいというふうに思います。
決して団体交渉の場ではありませんのでここでやり合うということではないんですけれども、確かに去年、7回の交渉を経て、賃金5%から10%をカットして財政再建に協力するということで、苦渋の選択ということで組合としては妥結をしたわけです。ただ、それで今年少し財政が良くなったから、だから全部戻せというようなことをわれわれが強く言っているわけではありませんで、そのことだけはちょっと誤解のないようにしていただきたいというふうに思うんですけども。そうではなくて、やっぱり今年もマイナス人勧でありますので、そういった点ではさらに生活厳しくなるというふうなことなわけですね。そうすると、やっぱりわれわれの生活実感からすれば、それはちょっと大変だと。そこを何とか緩和していただけないかという、そういったところが主張点でありますので、そこらへんは、本当にやっぱりなかなか5%から10%、私で言えば6%カットされているわけですが、それだけカットされていると、やはり日々の生活というのは大変苦しいわけですね。一定の生活水準を持っていたわけですから。だから、先ほどの意見もありましたが、だから公務員動労者の賃金はとにかく下げればいいということではないということはやはり理解をしていただきたいというふうに思うわけです。ただ、じゃあ財政破たんに陥ってまでわれわれ賃金闘争をするのかと言えば、そうではないということでありまして、そこらへんはやっぱり自治体労働者として、どうその自治体を運営していくか、どう自治体を維持していくかということは常にわれわれとしても考えていることでありますので、そういった、ただ、われわれが物取りで、そういうことを言っているのではないということだけは理解をしていただきたいというふうに思うわけです。それで、やっぱり今、小さい自治体であれば、1つの行政の組織の中でどういったことが無駄でどういったことがいらないかっていうことは、いろんな職員はわりとわかるというふうに思うんですね。だけども、県の職場は3万人弱からの人がいるわけですね。そうなると、どこが無駄でどこがやめていい仕事なのか、そういったことっていうのはやっぱり見えにくいと思うんですね。だから、そこらへんは自治体のサイズの問題としてはあるというふうに思うんです。だから、そういった点で、そこはやっぱりいろんな工夫をしながら考えていかなければいけないというところがあると思いますから、そういった職員一人ひとりがどれだけ行政に参加できていて、どれだけ発言ができて、どれだけ全体像を見渡せるかという、そういったことがやっぱり保障される必要はあるんだろうというように思います。
もう1つ。自治体労働者の賃金のことでもう1つ言わせていただきますと、今、日本国内は非常にリストラや賃金削減ということが非常に大きな勢いできています。それは決していいことではないというふうに思っています。だから、公務員労働者だけが高い賃金でいいということでは、どんどん下げてもいいということではなくて、やっぱり労働者全体が本当に明日の生活の心配をせずに生活できる、そういったことが必要だというふうに思うんですね。それは、いろんな組織の労働者とも手を結んでですね、やっぱり生活ができる、セーフティーネットが張られる、そういった社会をつくっていくべきだというように思っておりまして、それは組合としてもそういったことを努力をしつつあるというふうに思いますので、そういったこととして、やっぱりもっと自治体の当局と職員組合がもっと腹を割って話等をしていくっていうことが大事じゃないかなというふうに思っています。
以上です。
長野県知事 田中康夫
今のにはいかがでございますか。もしどなたか。どうぞ。
泰阜村村長 松島貞治氏
私、5月の下旬に、前の人の質問とも関連するんですが、5月の下旬に、これは田中さんの友だちの構想日本の加藤秀樹さん、構想日本のシンポジウムが東京で行われて、私もここへ並んだわけでございます。その時に、例の群馬県太田市の清水市長、埼玉県志木市の保坂市長、もちろん栄村の高橋さんもおられたんですが、その話をして、私は自慢気にですね、人件費を1億円も削減したっていう話を自慢気にしたんですが、清水市長が、「村長のところは税収はいくらだ」って。私、「2億円だ」って言ったら、税収よりたくさんの人件費払ってることを何とも思わんかということを言われて、まずそれで議論がございました。それはその話なんですが、もう1つですね、太田市の清水さんがこういうことを言ったんです。「私は市長になって市役所の仕事をずっと見ておるのに、専門的職員がおらなければできない仕事は何もないと思う」という発言をされました。これは、志木市の保坂さんも500人の職員を50人にするっていうのは、まさに同じ感覚だと思って聞いておりました。聞いておった皆さんはみんなそちらのほう、私の意見より、東京の…、さすが東京なんで、その清水さんや保坂さんの意見のほうに賛同する人のほうが多かったんですが、となればですね、全くあの皆さんが言っておる、要するに役所っていうのは専門職員がいらないって。じゃあNPOではないのかっていうことになるわけでございます。でもNPOも生活保障だけはするっていうことなので、生活保障だけすればいいんであって、あとはじゃあ最低賃金払えば生活保障ではないのかっていったら、最低賃金払う人だけが来れば市役所が回っていくっていうぐらいのことを言われる市長さんたちでございました。私はその時から、私も今もその問題は考えおります。本当にそれでいいんだろうかって。私はその時清水さんに、「じゃあ、清水さん、地方公務員法があって、地方自治法があって、そこで働く職員っていうのはどういう仕事をするためにできておるんですか」っていう話になるんで、そうすると、志木市の保坂さんは、地方自治法特区をつくる。要するにそんなの関係ないっていうような話になっていきます。このぐらいのことが実は世の中では議論されておりますと、私は今もその問題ずっと考えておるんですが、結局自治体労働者っていうのは、例えば県で言えば、田中さんや青山さんに気に入られてることは何の意味もないということになるんではないか。要するに、私どもで言えば、住民の皆さんに本当に必要で、この人はこういう仕事が必要で、この人がいてくれなければ困るというような仕事をする人が自治体労働者として認められるんだろうということになるというのを思っておりまして、そういうふうになると、その仕事とは何かっていうのを、これはもう私も考えなければ、多分今度太田の清水市長と話をするときに答えられないんではないだろうか、ということが、今、公務員労働者というか公務員の仕事とは何かということに1点なるのではないかということを実は思っておるところでございます。
もう1点。私、決して58億残ったら県の皆さんが私らに返せっていうように言ってはいないと思うんですが、しかし、まだまだ…、よく下条の伊藤村長が、職員が選挙…、今はそんなことないと思いますが、就任当初から、職員が選挙すればおれは執行委員長に負けると。職員で村長選挙をやれば執行委員長が村長で、おれは負ける。だけど村民が選挙をするとおれが勝つっていう話をよくされておるんですが、そういう状況を思うときにですね、私の村に学校美術館というのがございまして、昭和初期の大変苦しい時代に、…どこの市町村もやったようですが…、時の学校の先生の給料の一部を村の財政の苦しいので寄付してほしいという申し出をしたときに、時の吉川宗一という校長が、お金を寄付することは出すことはやぶさかではないけれども、そのお金を明日の村の財政のために使うようでは心もとないと。こういう苦しいときこそ子どもの情操教育のために使ってほしいということで、そのお金を貯金をして、…あの苦しい時代に…、美術品を購入する資金にしたというのがうちの学校美術館の原点でございます。私はそのことをずっと村づくりの私自身の気持ちの中に持っておりまして、そういうことを思うとですね、もし県の皆さん、本当に5%から10%も削減されたら大変だ。しかしこのお金を県民のためにということになれば、じゃあ今は公共投資じゃなくて苦しいときこそ子どもに教育に掛けて残す以外にないというように思ったときに、30人学級で市長会と県がこんなにいろいろごたごたしているんだったら、30人学級の実現のためにこのお金を使ってほしいというような話が出れば、私はむしろ県職員の皆さんを県民が応援するというようなことになるのではないかということだと思っておるんです。苦しいときにみんなで知恵を出して乗り切っていくっていうようなことが今の時代だというように思っておるんで、これは公務員労働者の仕事とは何かというのは、これはもう私も含めて、本当に今みんなで考えなければならないことだということを思っております。
以上です。
長野県知事 田中康夫
はい、どうぞ。
ちょっとすいません。私が最近、尿が大変近い体調でして、ちょっとトイレに行くのを許していただきたいと思います。
じゃあ、どうぞ、青山さん。
出納長 青山篤司
建築家で有名な安藤忠雄さんがある雑誌で、一言だけ私印象に残っている言葉がありまして、「イタリアっていう国はどんなに経済が苦しいときであっても家庭・地域・歴史・環境は捨てなかった」という、こうおっしゃっているんですよ。私はそれがうんと最近頭の中に残りまして、どういうことだろうというその意味を考えてみるに、それじゃあわれわれ日本というのは、よく考えれば、家庭も地域もあるいは歴史も、ある面では物と金のために捨ててきたのかなという、そういう反省が私にはちょっと考えられたんです。それで、今、人件費、給与の話がたまたま公務員という話で出てきておりますけども、もう1つ、切り口を変えてみますと、大体常に経済が成長して、給与が常に毎年毎年上がっていくっていう、この前提が歴史的にそんなにあるもんじゃないと思うんですよ。むしろ、われわれ、特に日本人としてこれから一番やらなくちゃいけないことは、今、安藤さんの話じゃないけれども、もう一回日本の文化というものを、今、例えば家庭とか地域とか歴史、環境って、よく考えればこれは文化なんですよ。日本文化なんですよ。それをつくっていくのが。そうすると、もう一回日本文化っていうものを考え直して、要するにお金中心じゃなくて、あるいは物中心じゃなくて、もう一回自分の生き方っていうものを求められているような気がするんですよ。ということは、毎年給与が上がり、豊かになるっていうんだったら、それは21世紀の物とお金を中心にした発想じゃないかと、こう思います。
長野県知事 田中康夫
20世紀のね…。
出納長 青山篤司
20世紀の…、すいません。私が言うのは適切じゃないかもしれませんけども、私はそのように思っています。したがって、もう一回、日本文化というものを本当に見直して再生していくという、それが私が前に申し上げましたように、そこをやっていくのが本当はコモンズが中心になるんじゃないかと、こう思うわけです。したがって、そこがしっかりしていれば、例えば県職員なんて少なくなってもいいんですよ。むしろその県職員の人数っていうものを実際に住民と接している市町村の職員を増やせばいいんですよ。それが住民の生活のためには私は豊かになると思うんです。したがって、例えば市町村合併もあります、それから道州制っていうのがありますけれども、だって、道州制とか市町村合併っていう前に、じゃあ日本のこれからの地域住民のあり方をどうすべきだっていう問題点を提起して、こうだからこうしなさいよっていうのはないわけですよね。そこのところが常に日本人として議論が欠けているところじゃないかと。田中さんの言葉で言うと、数合わせになっちゃうじゃないかというのは、そこのところじゃないかと思うんですよ。やはり、21世紀の住民の生活っていうのはどうあるべきなんだと。決してそれは強制的なものじゃなくて、地域住民が考えるものですよっていうことを置けば、それは住民の多様性っていうものを尊重することになりますよね。だから、これからの少なくともリーダーというものは、自分としてはこういう価値観で行政を運営するんだっていうものを住民に問うて、住民がそれでいいですよと言ったときに信託っていうのが出てきます。そして、その結果、住民のほうは、「おえ、その価値観駄目だぞ」と言ったときには選挙で落ちるだけの話じゃないかと。このように、ちょっと私は選挙で選ばれた身分じゃないので、ちょっと申し訳ないんですが、私はそのように思いますけれども。
長野県知事 田中康夫
伊藤さんは、今の点は。あるいはほかの方の少し意見をお聞きしましょうか。はい、じゃあそちらの男性。
イデ氏
上田市から来ましたイデと申します。
今日はどうして私がこの席に来るかっていうことは、上田にヒャクユウシンカイっていうのがありまして、そちらに入って活動をさせていただいて、いろいろ地域のことを見直したりとか、私自身、今まであんまりそういうことに興味なかったんですけども、入って動いてきておりまして、その中で、今、平成15年の3月までの市町村合併、平成の大合併とか言われていることがあるんですけど、それに対して、今日お見えいただいた3村長さまにつきましては、私も新聞等で見まして、私、信濃毎日新聞取っているものですから、そういうのを常に見ていますと、非常に地域の実情にあったもの、あるいは合併によるマイナスを克服して自律していかれるということに対して非常に私は敬意を表していまして、今日は生のお声を聞きまして、ますます感動した次第です。
今、上田もそうですけど、私の出身は佐久の臼田っていうところなんですけど、やはりいろいろ合併の問題がどっちかと言うと市町村主体で進んできたんですけど、そこでいろんな住民運動とか全県的に出てます。確かに、明治、それから昭和とかに合併がありまして、長野県のふるさと残存率っていうのがあるらしいんですけど、合併しなくて残っている村とか町、市、そういうのは長野県が昭和の合併の時点では一番多かったっていうことで残っているらしいんですけど、確かにいいものは残すと。多分、こちらの村長さん方は、極端なことを言えば、住民の皆さんのご協力を得て、簡単なことを言えば、道路に穴が空いたらみんなで直すとか、できることはやるとか、それから福祉も多少長野市並みじゃなくてもいいとか、そういう皆さんの希望があって、なおかつお給料を減らしたりとか、そういうことも当然やられるでしょうし、そういうことを先駆けてやることに対しては非常にいいことだと思ってます。私も『ふるさとの自治とは、町や村をつくろう』っていう、上田で出たこういう小雑誌を読みまして、そこにいろいろ過去の全国的な合併の特に村関係の悲哀みたいなものが出ていまして、本当に同じエリアの中でも、例えば中信の松本地区でいきますと、朝日村とか山形村っていうところは、どちらかというと、同じ松本盆地の中の端っこって言えばいけないんですが、そういうところで、住民も増えている。それから、人口も増えて財政も多少豊か、そういうところが独立していくっていうのは最もだと思いますし、そのほかにも栄村さんとか結構あります。非常に今合併の問題では平成15年の3月までに本来は合併が終わらなければいけないものが、なんかまた1年、3月までに申請をすればいいっていうようなことで、また国の得意の先送りみたいなかたちで進めようとしていることに対して、ちょっと私も疑問を感じているんですけど、そこらへんにつきまして、この村長さん方の…、私も飯田に赴任したことがありまして、それぞれの市町村のほうも行きました。非常に山が急峻(きゅうしゅん)で、谷によって隔てられているようなところで、合併っていっても難しい面もありますし、いろいろな問題あると思いますけど、この気持ちをぜひ続けて頑張っていきたいと思います。
それから、もう1点。今の給与の、県職員の給与って新聞の広告が今回初めて出まして、私も見ましたけども、私も実質ここ2年で2度リストラされまして、給料は3分の1ぐらい減りまして四苦八苦しているところなんですけど、全国的にも地域的の一般の水準というものにもうちょっと合わせた、地方公務員さんとか、あるいは外郭団体の皆さんのものを合わせるっていうことも必要なことが…、たまたま最近新聞でちょっと中央のほうでそんな話が出てきていまして、確かに極端なことを言えば、長野市の一般的な企業の水準は長野市の市役所の職員ですよと。下条村の皆さんの一般的な職業に就業の人は下条村の皆さんの給与水準ですよと。そんなようなものが入ってもいいような気がしますし、それとまずもって、この新聞を見ていろいろ比較をされているんですけど、非常に言葉が古いと。勤勉手当…、勤勉手当ってどういう手当とか、あるいは寒冷地手当、これ一般の民間ではちょっと考えられないような、勤勉であるっていうことは当たり前だと思うんですけど、そういう名称自体もちょっと古いような気がします。ですから、ここで長野県の職員の皆さんにつきましては3年間っていうことで、先ほどからもありますけど、非常にそういうことを受け入れていただいて頑張っていただいていることには非常に私らも感謝するんですけど、これがもうちょっと一般的な市町村になぜ進まないのか、ということが疑問です。それから、私、合併が進まないことによって行政改革がかなり進むんじゃないかっていうことが、最近いろんな各住民投票とかああいうので出ています。合併が進まないことによって、仕方なしではあるけれども予算規模が小さくなったり、あるいは職員数を減らしたりとか、議員さんの人数を減らしたと、そういうことが出て目覚めていく。そうすると、地域の住民もやっぱりそれに合った、要望・要求をある程度おさえて、自分たちで何とかしようという心が目覚めてくる。ですから、阿智村さんや下条村さんや、泰阜村さんができて、長野県ができないことがない。長野市ができないことはないというような気がしてならないものですから、ぜひそこらへんのことも考えて、これから進めていっていただければと思います。
長野県知事 田中康夫
ありがとうございました。
今のはご意見があると思いますけど、大事なことでして、先ほど組合の方が、県だと組織が大きいのですべての仕事が掌握できないというような趣旨のことをおっしゃいましたけど、そうだとするならば、長野県を10広域ごとの採用、あるいは10広域ごとに分社化して勤務をするということも、これは当然あり得るということだと思うんですね。
私、ちょっとだけ言わせていただくと、今回60人くらいの民主党系の方の応援というのに行きました。それは先ほど言ったように、日本の制度や仕組みを変えられるのは今の自由民主党ではないと思ったからでありますけれども。連合系の方が多くサポートする候補者のところへ行ったときに、大変に象徴的なのはですね、例えば駅前で街頭演説をした後に、私は従来から街頭演説をした後に客待ちをしているタクシーの運転手さんのところに行って、「お騒がせしました」と言って頭を下げて、窓を開けてくださったら「ありがとうございます」と言って、チラシを取って握手を向こうが求めてくれたら、「お客様にもお渡しください」と言って2部か3部余計に渡します。でも、こういうことをなさらないんですよね。タクシーの運転手さんは、自治労に入っていらっしゃる方からすると労働者と想定していないのかっていうことです。あるいは、子どもにチラシを渡そうとするとですね、連合系の方は、「子どもに、高校生に渡して何になんですか、無駄です」っていうわけです。私はそうではなくて、その子どもがバスや電車の中でそのチラシを読んでいることで見る人もいる。家に帰ってそのチラシが置いてあって、「いやあ、なかなか面白い演説する候補者だったよ」とか、「ヤッシーが応援に来てたよ」ということで、いい意味でそれは意識して票を入れてくださる方もいる。ところが、やっぱり20歳以上の人が有権者だと思っているんですね。やっぱり私はこの意識を大きく私たちは変えないといけないんじゃないかということを今回も非常に感じましたし、そのことを変えていかないと、イデオロギーというものが悪い意味でついえてしまったときに、私たちはイデオロギーという従来の言葉とは違う意味で、先ほど申し上げた愛国心というようなものじゃなくて、愛民心や愛郷心というのを持たないといけないと思っているんですね。国破れて山河ありと言いますけれども、日本が戦後やってきたことは、山河壊して市民滅びて国家などという体形だけ残っても、そこには人は存在しないっていうことです。それが今の日本の右翼側のナショナリストがアメリカの俗国になることを喜々として行っているという、極めて愚かさにあるわけでして、そのことを小林よしのりと西部邁(にしべすすむ)はそれはおかしいというふうに言うとですね、こうしたことを保守系と呼ばれる新聞は彼らの依頼原稿をしながら、ことごとくそういう内容ではそぐわないと言って、原稿を載せなくなってしまっているんですね。余談になりましたけども。
どなたかからご意見がありますか。あるいは今私が言ったことに関して、また組合の幹部の方がご意見があればぜひ受けたいと思いますが。どうぞ。
下条村村長 伊藤喜平氏
今、上田の方からご意見、私も非常に共鳴いたしました。下条村という立場で、これはスケールは特に問題になるわけでございますので。
つい、先週の朝礼でしたか、私どもの周辺でも今給料カットが非常に叫ばれておりまして、身辺ざわついておるわけでございます。朝礼のときに、「おい、皆さんは頑張ってくれたから、もし仮に給料カットの波が来ても、あまり早くはやりませんよ」という話をいたしました。それだけの成果は上がっておるということでございますので。そしたら、職員諸君は、ハトが豆鉄砲をというか、豆鉄砲がハトを食ったような顔しておりましたけれども、私は成果対給料ということ、これはもう一般社会では常識でございまして、成果のあるものには大分、そして成果の上がらない人には上がるようにしてもらって何とかということでないと、まず給料ありきと、この考えはそろそろ変えていかないと時代から取り残される人類になるような気がするわけでございます。それと適正規模ということでございますけど、私どもの村では職員がやる気になってビーンと意識改革をしたら、それに伴って4,170名の村民の皆さんがすごく…、今、こんなことを行政にやらせていいのか、こんなことをやらせていいのか、こんなことは恥ずかしいじゃないかというくらいの意識改革ができてまいりました。私どもも、今も道直しの話がありましたけども、材料支給工事というふうにやっております。毎週どこかどこかの部落でやっております。これは競い合ってやっておるわけでございまして、あの部落があのくらいの舗装をしたんだから、われわれはこんなものを行政に請求したら恥ずかしくてしょうがないし、あの村長は絶対やらんで、駄目だと。こうしてみんなが競い合ってやるということでございますけども、これも人口規模の関係もあろうと思います。とにかく、ちょっと来て見ていただくとわかるんですけども、すごくやっていただきます。うまい回転になっておるということでございます。
それで、今合併の話も出ましたけれども、国が何でも大きくすればいい…、岡庭村長じゃないんですけども、この着ぶくれしたままで、そして自己意識改革のできていないようなグループ、町村がいくら合併して大きくなったって、不平・不満・不安が残るだけでございます。少しも前向きにスタートできないわけでございます。一回落ちるところまで落ちて、よし、ここまで地獄を味わったぞという中から立ち上がってくれば、仮に合併するとしたら、すぐ効果は出てくると思います。私どもは合併は嫌でございます。やりません。やる気はないんですけれども、なぜかと言うと、私はアルコールはある程度以上たしなみますけれども、私の村であのおじいさんは晩酌に焼酎飲むかな、清酒を飲むのかな、発泡酒を飲むのかなと大体わかる感度の人口が5,000人以下かなと思っております。まさに体温のわかる。そうすると、何かあっても、あれはちょっと酒を飲むとぐざるけれども、正気のときはなかなか話がわかるなと。ここまでわかると次に進みやすいわけでございます。なんでも大ざっぱにまとめて、さあ、こうだ、今度は…、もう依存意識ばっかりできてしまって、なんらいいかたちはないと思うんですけれども。
そういうことで、私はそういう意味も含めて、結構賄いもそんなに赤字なくてやっておりまして、積立金も結構ございます。おとなりの松島さんから、「おい、ちっと金貸せろ」って言うから、「誰が保証人になるんだ」って言ったら、「おれだ」って言うもんで、「いや、それは駄目だ」というように、冗談に言っておりますけども、お互いに3人はそういう意味で切磋琢磨(せっさたくま)しながら腹打ち明けたりしてやっておるわけでございますけれども…。どうもけつのまとまりが悪いんですけども、そのへんでご理解いただきたいと思います。やってみれば難しいことではないということ。こうお話を聞いておっても、この行政の皆さんっていうのは話をものすごく難しくしちゃって、これやったらこうだ、これやったらこうだ…、やれるものをやってみればいい。美しい言葉を並べておっても、これは一般企業ならそんなスピードだったらもう勝負に負けるわけでございます。負けたらどうしようもないわけでございます。やはりスピード、決断、手近なものから取り付くと。そうして、だんだんに理想のものに構築していくというのは、私は存外早道ではないかなということでございます。あまり、行政…、今専門家はいらんというようなお話もありましたけども、あれもちょっと極論だと思いますけども、そんなに行政はこねくって、こねくって、こねくって、そしてプライドの固まりのような皆さんになって組織を構築しなければいけないのかなということ、単純な疑問点もあるわけでございますので、そんなこともご参考になるかと思っております。
長野県知事 田中康夫
当初、これは県職員等を想定していまして、先日の『広報ながのけん』が出るということもあって、多く県民の方もということでした。職員の意識改革という点になるべく特化をしてお話を今日はさせていただければと。通常の私への質問等は車座集会等や「『県民のこえ』ホットライン」をご利用いただけますが、じゃあ、後ろの男性の方。
丸山勝司氏
監査委員の丸山です。
民間の感覚が残っている間に少し感想と提言をさせていただきたいと思います。
まず、民間人から言いますと、県の職員というのはすごいことが担保されているというのが正直な感想です。まず、基本的につぶれないところで働いているということ。プロフィッタブル(profitable:もうけの多い)でなくていいということ。実績効果のシステムが確立していないと。言ってみれば、インコンピテント(incompetent:無能な)であっても首にならないという、ある面では勤労者にとって理想的な担保がされているんじゃないかということがあります。とても民間では考えられない。あるいは、民間で働く者にとっては理想的な担保であろうと思います。ですから、逆に言いますと、この担保に応えるためにはかなりの義務があるということを意識してほしいというように思います。それで、1つ提言をさせていただきますけれども、監査というようなかたちで、ちょっといろいろ勉強をさせていただく中で、長野県の財政というのはもう基本的に、言ってみれば、ゴーイング・コンサーン(Going
Concern:企業の存続可能性を判断する材料を決算の時に開示すること)に重大な危ぐがあるという状況になっていると思います。ですから、このままいたら、要するに義務的経費に埋没して、いわゆる政策といいますか、それができなくなっていくということで、私は財政改革プログラム、これは徹底的に実行してもらいたいし、それを実行するのが理事者の義務だと思っております。その中で、あえて乱暴な提言をさせていただきますけれども、民間から来てちょっと思っているのは、県の組織っていうのはあまりにも縦割りじゃないかなと。要するに、マルチタスク(multi
task:種々の仕事)といいますか、よその仕事をやらないという組織になっているような気がしてしょうがないと。われわれJRが民間になったときによく言われたことなんですけれども、近鉄の車掌さんは札もぎもすれば、開札もすれば、お掃除もすれば、蒸しタオルも配りますよと。JRの職員っていうのは札をもぐのは札もぐだけ、売るのは売るだけと。これの非効率がJRのああいうかたちになったんじゃないかというようなこともありましたけれども、1つ提言をさせていただきます。思い切って人員削減をしてほしいと思います。これはどういうことかと言いますと、民間なんかで言いますと、事務職はちょっと油断すると人に仕事がついてしまうと。本来仕事に人がついていかなきゃいけないんですけれども、人に仕事がついてしまうと。もっと極端なことを言うと、自分のために不要な仕事をつくりだしてしまう傾向があります。そういう意味で、思い切った人員削減をすれば、逆に職員としては不要不急の仕事はしなくなると。自分のやらねばならない仕事を選別していくということが1つありますし、さらに、マルチタスクといいますか、いろいろの仕事をしなきゃいけないという、否応なしに縦割りの組織ではなくなるということで、ある意味では必然的に合理化されていくんじゃないかというように考えております。
監査委員ということで、インディペンデンス(independence:自律)が必要だということで、なかなかちょっと提言しないで我慢しておりましたけれども、我慢できませんので、あえて…、いいのか悪いのか知りませんけれども、職務とちょっと違うのかもしれませんけれども、あえて提言をさせていただきたいと思います。
長野県知事 田中康夫
ありがとうございます。
こういう職務だから言ってはいけないとかいう自己規制はいけないと思うんですね。1人の常に県民であり、国民であり、市民であり、個人として誰もが発言をしていいわけです。
今の意見に対してですね、逆にとりわけ組合員の方からご意見があればと思います。
私はなぜこれだけ皆さんが、はっきり言って恵まれているんです。恵まれているのは今おっしゃったように、県民のために奉仕をするためにですね、辛うじてそのモラール(morale:士気、意気込み)、やる気をそがないために極めて県民からすれば恵まれたポジション(position:位置)にあるということです。そのことを私たちは深く謙虚に考えねばならないと思います。
2列目の男性の方。
コバヤシ氏
佐久から来ましたコバヤシと申します。
県庁へ来たのは小学校の社会見学以来で何十年ぶりっていう感じなんですけれども、先ほど職員の方から生活水準がうんぬんという話を聞いて、われわれ下々から考えたらまだやはりギャップ(gap:大きな相違)があるなと非常に感じます。私、今自営業をやっておりまして、最盛期のもう10分の1以下まで落ち込んでいます。生活水準を下げることができないっていう趣旨の発言があったんですけれども、それはやはりおかしいですね。ぜいたくのし過ぎではないのかなと、そのように感じます。それで、例えば、今、私自営業をやっているんですけど、例えば、職員の皆さんが例えばコピー1枚取るのにどれくらいのコストがかかるのかとお考えになって1枚コピーされていますでしょうか。私はその1枚のコピーをとにかく無駄にしたくないんですね。ちょっと業者名を挙げちゃうとまずいのかどうかわからないんですけど、リコーのコピー機を使っていまして、パフォーマンスチャージですか、これが月に1枚あたり7円から8円かかるんですね。それを含めると、約コピー1枚取るのに20円かかるんですよ。セブンイレブンかどこかへ行って取っちゃったほうがよっぽど安いというのが現実なんですね。例えばそういうことを考えて皆さんコピー1枚は取っておられるかと。非常に先ほどの発言から含めまして、本当に下々のわれわれから見ると本当にギャップを非常に感じます。逆に言いますと、今の賃金カットというのはまだ少ないです。3年でしたかな、その期限というのが。それでまた元へ戻ってしまうのかなと思うと、本当にどうなんでしょうかね…、県民益ということを考えたら、ちょっと不安になります。
以上です。
長野県知事 田中康夫
はい。発言なさいますか、はい、どうぞ。
ミヤガワ氏
諏訪から来ましたミヤガワといいます。
3人の村長さんにお伺いしたいんですが、非常に職員の意識改革が行われて、いい村の経営ができているというふうに思います。ただ、その前に、例えば制度とか組織とかあるいは慣習とか因習とか、もっと言えば、法、条例とか、そういうものまで破壊というのか壊してみないと、これがいいのかどうかっていうのはわからないと思うんですが、そういう事例があったら教えてほしいと思います。
長野県知事 田中康夫
ございますか。どうぞ。
下条村村長 伊藤喜平氏
今、破壊という言葉が出ました。私は破壊ということも大事ですけれども、今、佐久の自営業者の方がおっしゃったように、一般常識から全体を割り出してみると、この特殊組織の中の常識が一般世の中の常識と乖離(かいり)し過ぎておる場合は一般常識のほうに擦り寄らないと、組織そのものはいずれの日には総スカンを食う世の中になっておるわけでございまして、難しいことじゃないと思います。一般の見方が、そして世の中が今どう動いておるかと。そこからすべてを割り出せば、そんなに句読点が違っておったとか、この解釈が違っておったとか、そういうものでなくて、おのずから答えは出ると思いますので、そんなことでご理解いただければありがたいんですが。
阿智村村長 岡庭一雄氏
かなりいろんなことは変えていかなきゃならないと思うんですね。今まで労使でやってきたいろんなことはこの時点で変えていかなきゃならないと思います。それから、ここのとこが一番重要なことは、私は公務員労働者がちゃんとした権利やなんかが恵まれているっていうことは、これはいいことだと思うんですね。公務員労働者がお金やなんかで動いてしまったら弱い立場の人は暮らしていけなくなるわけですから、そういう点ではちゃんと守られていることはいいことなんだろうけど、先ほどから言っているように、今ある現状の制度とかなんかを壊しちゃって、そうして全くそれを低くしてどうこうっていうことを私は考えているわけじゃないんですね。今のわれわれがやっぱり皆さんたち勝ち得てきた権利やなんかっていうものは、ちゃんとしっかりしておいて、しかし現実の非常に厳しいこの状況の中でどうやったら高いところで住民の幸せを守ったり地方自治を守ったりしていくことはできるのかっていう次元でものを考えなくちゃならないということなんだと思うんですね。だから、それは例えば私のように組合運動をやっていますと、地域住民の幸せなくして自治体労働者の幸せなしというかたちで、必死になって一緒にやってきた組合員には今結構対峙してやっておるわけですけれども、それでも、そうやって一緒に組合をやってきたって私の気持ちを100%わかっていただくなんていうことは絶対ないわけですよね。だから、本当にそういう点では、意識改革をやるっていうことはどういうことかっていうと、労働者の皆さんにも意識改革はしてもらわなくちゃならないと思うけれども、労働者の皆さんに意識改革をしてもらうわれわれの側がどういうかたちでやっぱり対応するのかっていうことがないと、これはなかなか乗り越えていけないことだと。これはやっぱり意識を共有化するっていうことですから、そのことがないと駄目だろうと。だから、われわれもうんと苦しんでいるんですね。本当に、例えば共働きの労働者が幾人もいるわけですが、その共働きの労働者に対して住民の皆さんからは、もうこれだけ若い人が働き場所がないのに共働きで働いているのは何とかならないのかっていう話が出るわけ。私とすれば、子育ての問題から、いろいろ考えて女性労働者の問題から考えてみれば、そのことは認めない。しかし、一方ではそういう要求も出てくる。その中で自分も葛藤(かっとう)をしながらですね、何とかこの中を乗り越えていくことはできないのかっていうかたちでやっているっていうことなので、そこのところがやっぱり今一番求められているところじゃないかというように私は思うんですね。だから、ここのところでやっぱり乗り切れるのかどうかっていうことが今一番大事なことだと思ってます。それは、先ほど町村合併の話が出ましたけども、今私は町村合併のことで各集落に招かれてと言いますか、学習会やなんかに行っていますけれども、そこの中で、いろんな意見が出るわけですが、合併に反対ですか、賛成ですかっていうアンケートは取らないでほしいっていうのは今住民の皆さんから出ています。自律したいと思いますか、合併したいと思いますかっていうので取ってほしいと。そのことは住民の人自身も自律への覚悟をして自律への丸を打ちたいと。そのことは自分たちも犠牲に…、要するに今までのような行政との対応を考え直すと。1960年代ごろの自分たちが、先ほど下条村長さんが言ったように、道普請やあるいは山を直したっていうことも、そういうことを含めて自律っていう問題をわれわれも考えていきたいっていうことでありますので、ここらが今、ここを乗り切れるかどうか。田中さんの多分言っていることも、やっぱり自律っていう問題ではないかと思うんですね。やっぱり職員の人たちも自分で考えると。確かに、給与を減らせって、私も減らしたいと言っていますが、職員の中にはですね、私どもの村から大学へ子どもを2人出すと月々15万ぐらいいるんですよ。2人の子どもに。そうすると、同じように給料の削減はしないでほしいと。この時期だけ何とか今の給料を保障してほしいと。後になったら安くてもいいっていうことになるわけです。そこのところはやっぱり給与削減をしなかったらここを乗り切れないとするならば、そこの中で創造的にどう賃金体系を組合の中ないしわれわれと一緒になってつくりあげていく努力をしなければ、今の時点はやっぱり乗り切っていくことはできない。ここのところがやっぱり私は、先ほど私どもの住民の皆さんが言ったように、合併に現状のままでいいのか、合併にするのかっていうようなのではなしに、自律の道を選ぶか、合併の道を選ぶかっていう覚悟の決めたアンケートを取ってほしいっていう住民の皆さんの意見というのは、かなりここにやっぱり覚悟が集約されているような気がしておるわけですけども、すいません。
長野県知事 田中康夫
ちょっと1個だけ言わせてもらうと、例えば組合の方とお話ししてるときに私が大変、失礼な言い方かもしれませんが、違和感を感じるのはですね、ちゃんと正職員の欠員の数を増やしてほしいっていうことを言います。他方で私たちは、…正式名称ちょっと今忘れましたが…、トライアル雇用のようなかたちで若い20代の人を雇用をしていますけども、私はこれは差別だと思うんですね。年齢制限を撤廃して、50代、40代であってもそういう方がいる。つまり、私たちの社会の中が純粋培養であってはいけないと思うんです。除菌をどんどんしていくとO−157のようなものが出てくると先ほど言いました。私たちの中にですね、例えばどこかの会社が消滅したために、40代で私たちと全然違う給与なのに20代人と同じようにトライアル雇用で働いている人がいる。その人がですね、先ほどライバルがないって言いました、都道府県に。ライバルを仮に私つくるとすると、10広域ごとが事業本部になって、私は県庁というのは本来もともと前から私は全国の都道府県の中で唯一村に県庁というのがあったらいいなあということを思っていたわけです。これは情念で思ってるのではなくて私のいわゆる直感です。で、300人ぐらいであるべきじゃないかと。あとのものは皆下放運動で、現場の市町村にいるべきではないかという考えなんです。市町村にいて駐在員である。それは市町村の情報を告げ口をするとか勤務評定をするということではありません。現場にこそヒントがあってですね、そのヒントのことを伝える。つまり、ベネチアという国が通商国家たり得たのは、全世界にいた人が商売をしているのではなくて、そこでさまざまな情報というものをベネチアに持ってくることができた。そのことによってベネチアは変容していくことができたと思うんですね。やっぱりこの建物に3,000人というのは多すぎるんじゃないかと私は思います。ただ、その300人の県庁の、村の2階建てのような木造の建物にいる300人も、次のときは必ず下放運動で市町村の身近なところで勤務しなきゃいけないんじゃないかというふうに思ってます。10広域あれば、事業本部ごとにそれは地形も違うし人数も違うと言うかもしれないけど、でもそのことを取っ払って、それは各会社においてもですね、ビデオ事業部とパソコン事業部と、それはその時の景気で代物家電事業部と違うかもしれませんけど、そこにはそのバイアス(bias:偏り)はつけないわけでして、各10広域ごとにサイズが違っても、その事業本部ごとに競い合うくらいなことが必要なのかもしれません。
話を戻すと、そのフランスが例えば皆が35時間の労働であると、大部分の人はですね。そしてその分、賃金というものは従来の8掛けであったり7掛けであったりすると。だけども、それで暮らしていけるような社会、雇用を皆が守るためにそういう社会である。一部の残業手当もなく、1日15時間も働いているような人たちは、結果としてそれは報酬の対価が違うので、賃金体系ではなくて違う収入になっていると。でもそれは年計かもしれませんし半年計かもしれないし、身分の保障はないっていうことだと思うんです。やはり私はそれが、今までの日本は、単に経営効率のために、切り捨てるために安い賃金でパートで雇えばよいとか、その経営者の側も企業市民としての視点がなかったからリストラという言葉、あるいは行革という言葉が何か切り捨てのようになってきていると思うんです。でも私はそのコアビタシオン(cohabitation:保革共存)であったころのフランス的な発想の下で、皆の雇用を守るということは全員が正社員の組合員になるということではないと思うんです。もはや連合というか組合の組織化率などというのは2割を切ってるわけでして、私は地方労働委員会というものもですね、組合の推薦によってしかなれないっていうんですけど、8割の人たちは組合に入っていない人たちなのに、2割の組合に入っている人たちの代表が地方労働委員会の労働者になっている。あるいは経営者側の委員というのも経営者の団体の推薦がなければいけないというけども、経営者の団体に入っていないような人にこそこれからの時代をつくっていく経営者がいるかもしれないわけでして、つまり私たちはその組織に立脚するんじゃなくて、個人というものがあって、その個人っていうのはわがままなものではなくて、結果として顔の見える市民の緩やかな集合体がコモンズでして、その中で結果としてそこに組織があるというかたちだと思っています。
ライバルがいるっていうことは、結果的にそれは相対化されるっていうことです。『朝日ジャーナル』にはライバルの雑誌がなかったからついえてしまったということです。もちろん、『平凡パンチ』のように『週刊プレイボーイ』のライバルがあってもあまりに経営が放漫でつぶれちゃう雑誌もありますけども。だからその意味で言うと、長野県というのがもともとの1つの道州制をもう既に取り入れているような共和国ですから、そうなると10広域というものが分社化してライバル化していく。ただ10広域の方向性の大本の理念を決めるのは300人かもしれない県庁であるということです。ただ、その300人は固定化した人ではなくて、その人たちも常に現場に次は出るという下放運動を続けなくちゃいけないと思っています。もし、こうした考え方に組合の方々で…、組合員に限りません。一般の県民の方でもそれは違うんじゃないかという方がいたら教えていただきたいと思います。
ですからその意味で言えば、私は長野県が多く県外で育った方も受験に来ますが、定期の採用とは別のかたちで私は長野県で働きたいという人を採用の試験を行うというようなことが必要じゃないかと思いますし、基本的に、私は新卒で教員や県の職員になるというのはあまり褒められたことじゃないんじゃないか。他流試合をしてくる、あるいは1回挫折、1回ならず挫折をしているという人たち、あるいは海外青年協力隊であったり、いい意味での寄り道や回り道をしている人こそが優先的に採用されなくちゃいけないと思うんです。大学に入るときだけバイリンガルという外国に暮らしたっていうだけで優先入学があるんだったら、私はそうでない寄り道をした人こそが県の職員にならなくちゃいけないんじゃないか。学校を出て長男だから戻ってきて職員になるという人はあまり好ましいことじゃないと思っていますし、その意味で言えば、国籍というようなことも関係なく私は県の職員にいかなるポジションにでもつけるかたちが必要だと思いますし、年齢制限というものを撤廃するし、採用もある意味で言えば随時採用であるべきだと思いますし、来年の人事の方針というものを来年度の春の人事の方針というふうにしてありません。16年度の人事の方針であって、人事異動というのは、当然それは4月にだけあるものではなくて、結果として私たちが県民のためによりよいサービスができるために、そのために人事の異動があるということですし、その人事の異動を決めるのは私でありますし、それがうまく機能したかしなかったかということによって、結果として県民から私が判断をされるということだと思っています。
はい、どうぞ。
女性
座ったままでごめんなさいませ。
この給与の体系の設定がどういうことでこうなっているのかわからないんですが、私の身近なところの45歳程度の男の人で800万円を超える年収の方はそういないんですよね。そうというか、まずいないんです。それで、先ほど県の職員の方から、6%カットで生活が苦しいと言われましたが、私の隣組に来ていただければ何軒ものお宅が売りに出ました。何軒ものお宅が会社を辞めるか単身赴任を選べと言われ、残るも地獄、働くのも地獄、辞めるのも地獄だという隣組でございます。家ができて10年以上でございますので、本当に大変になってからの私たち仲間なもんですから、公務員の方で知事が替わって生活が大変になったという意見を聞くたびに、ぜひ、私佐久市でございますけれども、私の隣組にいらしてくださいっていうふうに言っているんです。それで、もう1つそこに重ねて言えば、ちょうど去年の今ごろでしたか、知事がその団体交渉を始めるというときに、私県庁に来ていましたら、そういう人の集会がありましたのね。県の職員の方たちが県下から集まってきて赤い旗を振っておりました。あら、いいなと思いましたよ。あなた方はここに来ている間にもお給料は出ますけれども、私のその身近なお友達やわが家もそうですけれども、仕事をしない時間のお手当は出ないんです。ここで大きな旗を振ってる間もお給料が出る人に給料減らすなと言ってもらいたくないなっていうことをとっても思ったんですよね。特にここにバトルトークとあるんですが、なぜバトルにならないんですか。そんなことはないよ、この給料に見合った以上の働きをしているという職員の方はここにはいらっしゃらないんでしょうか。ぜひそのことをお聞きしたいと思います。お願いします。
長野県知事 田中康夫
組合交渉というのは、長野県は表現者っていうのはすべての人が表現者ですので、通常の内容は1階の知事室で行うようなものは原則全部公開ですけども、残念ながら組合との交渉というのは一般の表現者、あるいはプロフェッショナルを自認する表現者の方にも公開はされていないわけでして、これはぜひ組合の方に考えを新たな段階に抱いていただければなとは思っていますけども。まあ、この広告に関してもかなり意見をいただいています。なぜこの時期に出すのかという職員の方からも、職員を私は信用していない、田中康夫は職員を信用していないんじゃないかというメールもいただいています。その多くは匿名でいらっしゃるし、フリーメールでお送りくださっていますけれども。他方でこの100人規模の企業の給与というのは実態とはだいぶ違うんじゃないかという県民の声もあります。ただそれは、もちろん客観的な意見かもしれませんし主観的な意見かもしれないんですが。私は、例えばこの県の部長と、あるいは試験所長というようなものがほぼ同じような給料であるっていうのもちょっと違うと思っているんですね。県のライン、…ラインっていう言葉はあまり好きじゃありませんけど…、の部長であったり課長というものは、それぞれの本来職責を担っているわけでして、とりわけ私は部長というようなものは60まで雇用は保障されていてもですね、ある意味ではその仕事の責務、あるいは成果の度合いによって出納長に次ぐようなお給料であるべきじゃないかっていうことは私見として思っています。まだ述べたことはありませんけども。その代わりに、これは1年契約ごとに雇用は保障されながらも、ラインの部長として職責を果たせないならば他の場所で雇用は保障されるというかたちになるべきじゃないかという気もしています。それは身も蓋もない競争っていうことじゃなくて、やっぱり先ほど言ったように、60まで雇用は安定しているんですから、県民のために私たちは必死の思いで奉仕をするという意識が持たないといけないと思っています。今日ここにお越しの方々は恐らくさまざま関心があられたり、あるいは三方の意見を聞こうという思いでいらっしゃった方だと思いますので、それは私は大変高く感謝をしていることです。むしろこうした場にお越しにならないで、今の段階でも残業をなさっていたり、あるいは物理的にこの県の本庁舎から遠いところで勤務をなさっている方なのでお越しいただけなかったという方もいるかとは思いますが、この本庁舎内で勤務をしていても、あえてお越しにならなかった方のご意見っていうのはない気はしますが。
お三方から併せていかがでございますか。
じゃあ逆に、私が随分しゃべりすぎちゃったせいもあるのかもしれませんが。今日ご出席になって、職員として発言したものはあるいは数は少なかったかもしれませんが、何かお感じになられたことをおひとりずつお話しいただければと思いますが。
泰阜村村長 松島貞治氏
私は先ほど一般職員15人減らしたっていう話ししましたが、実は過疎の山村にとっては実は大変なことなんです。これはもろ刃の剣でございまして、村の財政は良くなったけれども、村に住む青年というのか、消防団も担ったりいろいろする職員が、若者、青年が減るっていうことに、雇用の場がなくなるってことなので、これ大変なことでございました。そういう意味から、決してですね、ある政策、ある方向で動いたときに、すべてがいいんではなくて、やっぱり影の部分もあるっていうような思いをしております。それからもう1つ。やっぱり強い…、良くて、いい強い組織をつくりたいというのは私どもの願いでございますが、下条の伊藤さんが、職員の意識が変わったっていうふうに言っておりますが、残念ながら私はまだ私の役場がそんなに変わったというふうには思っておりません。例えば、私が大将で桶狭間へ行くぞと言って私が1人先頭に立っていったときに、後ろを振り向いたら誰もついてこなかったっていうことになる可能性も実はあると思って、私は自分の組織を見ております。そのぐらい、わが組織を求めることの大変さというのを持って実はおるんですが…。
1つだけ、朝、職員の出勤時間が遅いっていうような話があって、私はもともと職員時代は遅かったんですが、どうしても直らないっていうことで、これはもう私自身が早く行く以外にない。また、私が早く行くようになってですね、行くと若い職員が来て机の上をふいておるわけですね。そうするとそれを知らない、誰が机の上をふいておるのか知らない職員がその後からここに来るわけでございます。その時に私が、実は私が朝早く来てふいておる職員を大変だなっていうことで認めてやって、その職員はそのことがうれしくて、じゃあ、だけどそれより遅く来る係長や課長っていうのはだんだん恥ずかしくなって早く来るっていうような、そういうようなことしか実は組織の改革っていうのはなかなかできないことだっていう思いをここに経験しております。そんな意味で、組織が大きくなればなるほど大変だという思いもしておりますし、一方では給与が低い、だけど一方では今言われたように県民の意識としては県の職員の給与は高すぎるっていう意識は一般的なわけでございますから、そういうのを理解して、お互いが理解できるのは、やっぱり自分たちの仕事を通じて労働の中で、働いておる現場の中で、いかにお互い、公務員サービスを提供する労働者と受ける県民がいかに本当にその仕事に感謝できるのかっていうようなことをつくりあげていくしかないのかなという思いで、今日皆さんの意見を聞いておりました。大変勉強をさせてもらいました。
下条村村長 伊藤喜平氏
無い袖は振れぬという言葉がございますけれども、だいぶその兆候が出てきたわけでございまして、好むと好まざるとにかかわらず、だいぶ袖は小さくなってくると思います。この時に金がなければ何もできないという、これはもう大原則でございます。それに着眼していただきたいということと同時に、私常々考えておるんですけど、私どもの小さな村でも経費その他は積み上げ方式なんだな。あのとこなら3.3人でいいんだけども4人にしましょうとか、これはこのくらいならいけるんだけどちょっと一番最盛期にこのぐらい忙しいから6.5人を7人にしましょうという、積み上げ方式は絶対だというこの考えというのをこれからは捨てていただいて、まず最初に答えありきと。答えから割り出していくという、この逆の発想が大事かなと思います。例えばビールにいたしましても、こうして新規施設として、そして減価償却もこのくらいかかっておる。それからセールスの費用もこのくらいかかっておる。だから1本300円ですよという。ライバルが280円で売られたら元も子もないわけでございます。280円にするにはどうしたらいいか。その発想をぜひこの機会に転換していただきたいなということと同時に、今それぞれの民間の皆さんからのお話は、最大公約数は、民間はもう死ぬか生きるかで頑張っておるんだよと。だから、皆さんも頑張ってくださいと。こういうこと、この切なる願いを、組織が大きいんだ、われわれ特権階級だっていう気持ちはないと思いますけれども、もし仮に、かりそめにもあったとしたら、何とか誰も納得できるような姿、組織にしていただきたいな。今、ものすごい努力されておることは高く評価するわけでございますけれども、それも1日も早くまたひとつ頑張っていただきたいなというのが切なる願いでございます。小さな村の小さな村長で…、要するに新日鐵と村のかじ屋ぐらい違うわけでございますけれども、流れるものはある程度同じ価値観、それから危機感というのは共有するものも若干あろうかと思いますので、そんなことで、くどいようでございますけれども、自信を持って、その中で1日も早く全体で納得してもらえるような、まさに全体の奉仕者としてきっちり胸を張っていっていただけるような組織にさらになっていただきたいということをお願いする次第でございます。
阿智村村長 岡庭一雄氏
まったくですね、今、私も団体交渉を受けたりしてやっている中で、自分自身も暗中模索でまだ結論が出てない、何が正しいか出てないんですね。ただ、そういう中での今日この話で支離滅裂して、余計なんか支離滅裂になっているんですけれども、実は私どもの村の中で、大変財政が厳しいと。合併の問題や自律の問題の話をしましたら、先日、中学生と合併の懇談会をやりましたら、1人の女子中学生がすくっと立ちまして、「村長さん」と、「何で財政がこんなに苦しい、苦しいと言っておるのに、今図書館を造ろうなんてしておるのか」と。こういうように聞いたのがありました。多分、おうちの中でその話がされておるんじゃないかと思っています。長い間やっぱり私のところでは図書館がほしいという住民の皆さんの要求がございまして、それでも図書館なんていうものはできないものですから、公民館の改修をして、図書室を拡充するというかたちでかなりのお金をかけておるんですけれども、その時に、私は彼女にですね、村っていうものは、村を存続していくためにはお金だけ節約しているんではなしに、大事なことはきっちりとやっていかないと駄目なんだよと。今こういう非常に情報化の時代や子どもが本離れとしているときに、図書室を造って、みんなで本を読んで知識を高めて、いい村をつくっていこうじゃないかっていう、そのシンボルをつくるのが大事だよっていう話をしたんです。わかっていただけたかどうかわかりませんけれども、私はその意識改革って、今日お話をしましたけれども、何のためにこんな苦労をしてわれわれは意識改革をしているのかっていう、ここのところがやっぱりしっかりとつかめていないと、なかなか苦しいだけで、先ほど来、冒頭に言いましたように、おれは犠牲になっておるんだっていう意識だけにしかならないんじゃないかと、こう思うわけであります。特に、公務員の労働者の皆さん、県の職員の皆さんは今日遅いですから、本当に公務員労働者になるときに、ただ公務労働をやってお金を取ろうというのではなしに、長野県民のために自分の力を尽くしたいというかたちで就職された皆さんが圧倒的な皆さんではないかと思うんですね。その中で、今こういう事態になったときに何を自分たちがやらなくちゃならないか。このことをやっぱり田中さんと共有の認識を持つ中で、できるのかどうかっていう、ここのところでやっぱり、私は田中さんも言いっ放しではなしにですね、葛藤(かっとう)をしている職員の意識改革に対する、葛藤(かっとう)をしている中にどう入り込んで共に意識を改革してあげていくのかっていう努力をしないと、ただ単に職員の意識の改革だけ求めておったんでは向上していかないんじゃないかと思うわけでして、すいません。…すいませんが過ぎるって言われますが…、私自身もそこのところはいつも反省をしておることでございますので、そこのところをぜひわれわれも乗り切って、次のちゃんとした…、本当にばかげておると思うんですよね。「小さい自治体はこの国からなくなってしまえ」なんていうことを堂々と言うっていう、こんな国が果たしてあるのかと。憲法に保障されていること、それを堂々と審議会で話しする、そのことがさも当たり前のように世の中を駆け巡るっていう、こんなばかげたことを絶対許さない。本当にそういう社会をわれわれは一緒になってつくっていくんだっていう観点で、本当に意識改革を共にやっていくっていうことじゃないかと思うわけであります。われわれも本当にそういう点では中途半端なところが多いわけでありますが、これからも皆さんたちと一緒に、本当に次の時代をつくるためにわれわれは意識を苦しくても改革して、そこの中で頑張っていかなくちゃならないんだっていう決意を持たなくちゃならないというふうに思っております。
そんなことを、感想を申し上げました。ありがとうございました。
出納長 青山篤司
ふと私、最近思うんですけれども、民主主義っていうのは、専門性っていうのは全面に出しちゃいかんじゃないかっていうのを私常々最近思うんですよ。先ほど、下条の村長さんがですね、いろんな行政制度っていうのは非常に複雑で専門的になっていていかんという。私もそう思うんですよ。というのは、民主主義っていうのは誰でもがみんなが参加して、そしていい社会をつくっていこうということですから、専門家が全面に出て、専門家に任せておけっていうのは、これはいかんじゃないかと、こう思うんですよ。したがって、例えば行政の制度、それはなるべく簡単な制度で、誰でもがわかる制度っていうものを考えていかなくちゃいけないし、専門家だけがわかっているから住民から行政に対する不信感というものは出てくるような気もするんです。全部じゃないんですけどね。おめたちがわかっているんだから、おれらには関係ないんじゃなくて、あなたにはわかります、みんなにわかりますよという、そういうものを今の制度の中でも改めて、やはりわかりやすいようなかたちに持っていくという、こういう努力も行政の職員とすれば非常に大事なことになるんじゃないかと、このように私は思います。それも1つの改革って言えば改革になるかもしれませんけども、それ以上に、やはり本当の意味の民主主義というものをつくっていくという、そういう前提で考えなくちゃいけないと。私が、それでは具体的にどのくらいだって言うから、まあ少なくとも中学生にはわかるような制度じゃなくちゃいかんじゃないかと。高校生あるいは大学生になるとある程度専門性がありますから、中学生が理解して、こういう制度で、なからそういうものかというような理解を持てるような内容というのが一番理想的じゃないかと、このように思います。だからといって専門的なものを排除するっていう意味じゃなくて、それは部門によっては非常に専門的なものが必要になりますから、それはそれで十分専門性の意義っていうのはありますけども、ただ、もう一回くどいようですけども、それを前面に出すのは民主主義の社会ではないんじゃないかなと、このように私は思います。
まあ、何て言うんですか、私も職員上がりですから、本当は皆さんとこういうとこ、私が言ってることおかしいよっていうようなかたち、本当の意味のバトルを想定していたんですけども、どうも今日皆さん非常におとなしくてですね、もう少しどんどんどんどん言って、「んなおかしいじゃねえか」と、「そういうこといっちゃいけねえよ」って、このぐらいの勢いの議論がされればなあと思った、これは感想でございます。以上です。
長野県知事 田中康夫
どうも、大変長い時間にわたって、また途中で私だけトイレに行って申し訳なかったと思います。まだ、なかなかこういう広い場ではおっしゃりにくい方もいらっしゃったと思います。私の個人のアドレスも十分皆さんはガバナー以外にもご存じだと思いますし、もちろんフリーメールで匿名でお出しになっても構いませんから、お感じになられたことや、さらにご意見があったらですね、やはり私たちは会話をすることによってしか世の中をより良くしたり、より理解し合うことはできないと思っています。
今日はこういうかたちで、3人の方は本当に南北に長い長野県の下伊那郡からお越しいただいたことに改めて本当に感謝を申し上げたいと思いますし、また岡庭さんがおっしゃったように、私も皆さんのことをより理解しなくてはいけないと思っております。ただ、皆さんもまた私が考えていることは県のホームページにも会見の内容はすべて載っていますし、さまざまなそれ以外のメディアでも私は発言をしたり書いたりもしているわけで、それはすべて長野県を皆さんと一緒にこういうようにしていきたいという私の考えであります。それに基づいて皆さんのまた意見を聞かせていただくという対話を続けながら県民のために奉仕をしたいと思っています。
今日はどうも大変にご参加いただきまして長い時間ありがとうございました。
進行
以上をもちましてバトルトーク「自治体経営と公務員のあり方を語る」を閉会いたします。遅くまでどうもありがとうございました。お気をつけてお帰りをいただきたいと思います。
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