プロフィール

昭和49年 下高井農林高校卒
昭和50年 長野県農業専門学園卒
就農
昭和60年 国営農地開発地へ入植
平成02年  ( 有 ) 奥信濃ファーム設立

現在に至る

 活動内容

・国営飯山農地に入植し、標高差や豪雪地帯であることをハンディではなく、メリットとして活用し露地野菜を中心に栽培し、地元の卸売市場のほか、量販店との契約出荷等も行っている。また、農薬をできるだけ減らして栽培するなど、消費者ニーズを踏まえたこだわりの野菜を生産している。

・作地は約 20 haの自作地のほかに、農地の利用集積を進めており、平成 15 年度実績で約 18 ha利用権設定をし、規模拡大を進めている。

・若い青年をアルバイトとして雇用するとともに、将来就農の意欲のある人に畑を任せるなど、実施研修も行っている。

・昭和 59 年に、農業青年クラブの仲間と共に、飯山市瑞穂地区の「菜の花祭り」を企画・実行し、今日ではゴールデンウイークの北信州の名物イベントとなっている。

・不作付地や耕作放棄地を再生するプロジェクトを企画し、ソバの作付を進めるなど地域の仕掛け人としても活躍している。
「畑の収入で、結婚指輪を買おうと決めました」

―農業を始められたころの様子を教えてください。

「僕は 19 のとき就農しました。今、 48 歳です。当初は地域の中で誰にも負けない農業をやろうと思っていました。当時は農業青年クラブの活動に没頭していて、全国で大規模な農業をしている人達と触れ合える機会が増えた時期です。農業青年クラブは自分の青春で、当時は 10 人ぐらいの仲間とともに燃えていました。そんな中で、なんとか大型機械を組み入れられるような農業をしたいということで、 3 人の共同で 30 馬力のトラクターを買ったのが大規模農業に動き出す最初の一歩でした。それが達成できたのが 23 歳のときです。

その当時、普通の農家というのは農業の機械化を誤解していました。普通、投資をすれば、それにみあった規模拡大をするのが普通です。しかし、農家の場合は休み時間が増えるだけでした。そのころ、親に頼んで畑を譲ってもらい、そこへの投資や収入を得ることを、自由にできるようにしてもらいました。結婚を考えていた時期でもあり、結婚指輪はその畑からの収入で買うつもりでした。そのころはわりと順調で、始めて農業生産で 1000 万を達成しました。 22 歳のときに長野県の農業青年クラブの実績発表で「通勤農業」という言葉を始めて使いました。県下でこの言葉を使ったのは、ぼくが初めてです。」

―その後のターニングポイントはあったのでしょうか。

「ある時、市場でうちの野菜を専門に仕入れてくれている問屋の社長に声をかけられ、高原野菜を作ることをすすめられました。また、当時がちょうど農地開発のブームでした。そこで、飯山市役所の農林課へ打診をしたところ、いろいろな幸運もあって、鍋倉高原の農地開発がスタートしました。そこから高原野菜へ転換しました。親からの独立から、高原野菜への転換の期間が自分のポイントだと思っています。その間に農協を抜けています。農業青年クラブ時代に農協の活用について、 10 年間取り組んでいましたが、限界を感じたというのが理由です。出たからには弱音を吐けない。自分で自分の道を開くしかないという中でやってきました。農協は 28 歳で辞め、鍋倉高原に入植したのが 30 の時です。農協を抜けるというのは飯山では初めてのケースでした。

鍋倉高原に入植してからは、土の性質を感じ取るために色々な作物を試してみました。また、他の人の畑を一枚一枚見て、どういう風に利益を出して、どんなロスが出ているのかをチェックしたりしていました。考えることは自由、金がかかりません。その当時は意外と冷静にものが見えました。農家の一番悪いところというのは、自分のところの作物が一番だといいながら、それに対する言い訳をもたないところだと思っています。市場に行って、今何が不足しているとか、何が動いているとか、この時期はどこの産地のものが長野に来ているか程度の情報は知らなければなりません。

  33 歳の時、初めてまいた大根の葉が黄色かったので、どうしようかと思っているところに、たまたま飯山で一番の大根を作る人が見に来ました。その人から、よその産地に行くとこういう大根を作っている人のほうがいい大根を作っているという話を聞き、結局それを市場に出荷しました。当時の大根は一箱 1500 円くらいでしたが、そのときついた値段は 2800 円でした。結局、 3 日の出荷で 300 万の稼ぎになり、大型野菜の怖さを初めて感じ、大型野菜でやっていってみようという気になりました。

 そのころから発注も増え始め、面積も広くなり、人を雇わなければならない状況になりました。特に若い人達に来てほしかったので、法人を立ち上げれば、若い人達が来てくれるかもしれないと思い、法人化を気にし始めました。自分は必要に応じて段階を踏んで法人化したので、農業で食っていこうというところをしっかり固めてきたという自負があります。」

―会社を設立して以来、一番大事にしていることは何ですか。

「消費者との信頼関係を大事にしています。よく農家はうちの野菜が一番うまいというようなことを言いますが、うちは、努力したので食べてみてくださいというスタンスでやっています。低農薬などを強調して消費者をだますこともやめています。そうした点から奥信濃ファームのパッケージは一種類のものしか使っていません。最終的に判断をくだすのは消費者です。」

―今の若い人達に伝えたいことはありますか。

「もっと自然に目を向け、自然を大事にする視点を持ってほしいです。人間とは特殊な動物ではなくて、自然と一体だということです。

 今の人達は汗をかかなさすぎます。汗をかくことによって頭も動くし、体と頭で足りない分は口が動きます。体を動かせば、机に向かったときにやっぱりこっちのほうが気楽でいいやという気分が生まれる。そういったメリハリが大事だと思います。社会に出て机に向かってしまうとそうしたメリハリがなくなってしまいます。晴れの日は外で仕事をしたい。雨の日は中で作業ができてよかったな。そうした部分が大事です。

 今は一人では何もできない人が多いですが、夢と個性を大事にして、一人であろうが複数であろうが自分の道を貫いてほしいですね。」