プロフィール
S41年 須坂園芸高校卒。山形県神町りんご研究所研修生(1年)。S42年春より農業。中野市科野共選所圃営委員長、中野市りんご部会長、長野県経済連果実専門委員会りんご部会長、財団法人長野県果樹研究会りんご部会長
 活動内容
JA中野市の「こだわり販売戦略」として、低農薬な肥培管理や、栽培技術の統一を図り、「冠雪ふじ栽培研究会」は味の良い適熟りんご生産を行っている。荻原氏はその代表として地域りんご産業の活性化に貢献しており、長野県果樹研究会リンゴ部会長や全農果実専門委員会リンゴ部会長として、県内のリンゴの生産振興に取り組んできた。また、「長野県うまいくだもの推進本部」の新品種普及への協力やM9自根「新わい化栽培」導入による新技術などの地域拠点となっている。
「林檎作りは男の浪漫!林檎作りにかける熱い情熱。」

―何故、林檎作りを始めたのですか。

「家が元々農家だったって事もあって、高校は須坂園芸高校にいったんですよ。ここら辺では、高校を出たら一年くらい須坂の農業試験場で学んで、家を継ぐのが普通なんだけど、学校の先生に“須坂や中野なんていつでも行ける。東北に行って、じょっぱり(東北弁で“ねばり、根性”)を学んでこい!”と言われて、卒業後は先生の知り合いの農家に一年世話になったの。何も知らなかった自分は、あそこで草の駆り方や剪定など多くの事を一から学んだ。そこのオヤジ(山形でお世話になった農家の恩師)はタダのオヤジじゃなくて、東京農工大学出の農林省の技官まで勤めた凄い人だった。オヤジは自分に“私はあなたに教える事は何もない。でも、友達だけは紹介する。”と言って、友達とそのネットワークの大切さを教えてくれた。今では、色々な所で知り合った友達が全国にいるんですよ。その友達が頑張れば自分も頑張るみたいな気持ちになる。そして、林檎の楽しさを知ったね。」

―林檎の楽しさとは。

「林檎作りは男の浪漫だよ ! 今日こんなに林檎があるのは、そこに関わった人達のたくさんのドラマがあるんですよね。まず昔だから農薬が無い、虫にやられるわ、病気が入ってくるわ、作り方が分からないわ…それを一つ一つこなしていく人達がいて、日本の林檎産業が出来てきた。表に出てくる色んな男の人だけじゃなく、影で支えた奥さんたちの協力やたくさんのエピソードや生き様がある。技術や品種の変遷、※1育種とか色々な面白さがあるんですよ。それから、晴耕雨読って言葉があるでしょ?でも私の場合「セイコウウゴク」なんですよ。とにかく動いて、地元や県外にいるたくさんの友達とコミュニケーションを取る。仕事が遅れるって言われればその通りだけど、いろんな人たちとのコミュニケーションから、また新しいことを勉強する。仲間がいるから林檎が好き、私にとっての楽しさってそうゆう事なんですよ。」

―荻原さん達が作っている冠雪ふじも、やはりそんな楽しさの中から生まれたのですか。

「冠雪ふじを作ろうと思ったのは、昭和 60年代。当時凄く林檎が安くて同業者の多くは葡萄とかに転向しちゃったけど、私は林檎が好きだったから林檎で頑張ろうと思ったんですよ。でも中野は山之内や須坂のように林檎の利点が無くて、さらに値段が安いんだよね。だから毎晩仲間とお酒を飲みながら、どうやって高くて美味しい林檎を作ろうか話し合ったわけ。それでこの村では、林檎の収穫を11月15日の※2恵比寿講までに終えるって言うのが習慣だったんだけど、実は取り残した林檎の方が旨いんだよね。だから11月15日に皆が採り終わるのなら11月20日に採り始めることにしたの。さらに美味しい林檎にするために肥料も有機肥料を使って、農薬も極力使わないようにして、綺麗で安心な林檎を作っていこうと始めたわけ。冠雪ふじの冠雪って言うのは“林檎に雪がかぶる”じゃなくて、“後ろの高社山(こうしゃさん)に雪が積もるまで採らずにおいておきましたよ”という意味で「冠雪」って名前にしたんですよ。」

―他に冠雪ふじに対してこだわりなどはありますか。

もう一つは仲間作りを大切にしてきた。農産物の共選所の中に冠雪ふじのグループを作ったんですよ。農家に形や色など出荷や選別の条件を任せっきりにするんじゃなくて、自分達で条件を決めてるんですよ。その中で学習会などをして技術向上を図り、仲間作りをしてきた。それと、冠雪ふじの販売で大体の人が東京とか、大阪とか、そういう大きい市場で売ろうと考える。でも、自分たちは冠雪ふじの評価を地元で得たかったから長野の市場にこだわったんですよ。それで長野で評価を得たら東京とかの大きな市場に出せばいいという考えだった。で、まず長野の有名なお店で出して貰って、多くの人の評価を得て、今では全国的に売り出してるんです。それから、湯田中の旅館とかにも林檎の料理とか、もっと増やして欲しいと思うね。せっかく都会から長野にまで来てもらっているんだから、どこにでもあるようなものを食べるんじゃなくて、やっぱり長野の林檎食べて欲しいよね。」

―そうですね。荻原さんを見ていると、とてもアンテナが広い人だなって思います。これからの林檎への取り組み等を教えてください。

「林檎本来の美味しさや大きさで消費者の方に分かってもらえる品作りをしたいと思っている。でも、大きすぎて1日半分しか食べられない林檎作るんじゃなくて、1日一個ずつ毎日食べられる果物作りをしたい。今取り組んでいるのが、林檎飴サイズの林檎で甘くて蜜の詰まっている林檎の開発なんですよ。そういうのだったら小中学校の給食とかでも丸まる1個かぶりつけるでしょ ?子供がさ。やっぱり、どんどん色んな人の生活とかニーズに応えていかないとな。次に目をむけてさ。

それで、今、波田町のスイカ農家に行こうと思ってるんだ。やっぱり全然違う物なんだけど、有名な産地になったりするって言うのは、凄い人が居たり、ヒントがある。次から次へと考えるのが好きなんですよ (はっはっは!)」

―最後に、これからの意気込みを。

「楽しく林檎作るだけだよ !!!」

―荻原さんは“林檎園の一番の肥料”を“オヤジの足跡だ”と言っていました。その言葉には、畑に通い林檎の事を思う大切さ、自分の林檎への誇り、そして、何より自分がとても楽しいと言う自信と情熱が漲っていました。林檎とてもおいしかったです。収穫の期には、絶対にお邪魔させて頂きます。

※1 (注釈)育種…色々な品種を育てること。品種改良や新種開発など。
※2 ( 注釈 ) 恵比寿講…商売繁盛を祝福する祭り。