―手話通訳の仕事、デイケア―サービスの仕事をはじめられたきっかけを教えてください。
「貧しい時代に生きて、小さい頃から家族の中で役割を与えられてきた。そんな生活の中で、自分はがんばればなんでもできるんだって思うようになったの。料理も勉強もできたし、走るのも速かったし。高校を卒業して東京で仕事をしていたんだけど、
26 歳のとき足が痛くなったのを期に、長野に戻ってきた。それに、結婚もしたかったし、大好きな山にも登りたかったしね。それから、足の痛みが激しくなってきて診察をしてもらったら、すぐに信大病院行けって言われて、入院。右膝の骨腫瘍を取る手術をすることになった。腰と尻の骨を削って、移植する手術をしたのだけれど
2 回も失敗。家族とか友達とかの勧めもあって、今度は東京で手術をすることにした。右膝は切断して人工関節をつける手術をして、やっと
4 回目の昭和 49 年、私が 32 歳の時に成功した。
どんなに祈っても願っても避けられない手術の失敗を繰り返しは、本当にショックだった。でも、リハビリとかで
10 年間も歩けない状態が続いて、私の人生観は変わっっていった。病院で事故とか病気とか生まれつきとかで、努力してもがんばっても、どうにもならない人たちにたくさん出会ったの。それでも、その人たちはがんばって生きようとしていて、そんな人たちを見て、励まされて力をもらった。昔から近くには聾者(ろうしゃ)の姉弟がいたんだけど、私とはまったく関係のない、差別とか偏見ってことじゃなくて、外国人みたいな人たちだと思っていた。まだ障害者についてとか手話とか学ぶ機会もなかったし。でもね、病院でいろんな障害者に会って、この人たちも日本人でやっぱり一緒に生きていく人なんだってことに気づいたのよ。
手話を習い始めたのはそれから。本格的ってわけじゃなくて、 1,2 年は名前しか表現できない落ちこぼれだった。やめようかなと思っていたころ、手話通訳士の派遣事業がはじまって、町に手話をできる人がいなくて、私に誘いがきたの。障害のせいでなかなか仕事にも就けなかったし、完璧な手話なんかできないけど、昭和
35 年にやってみることにした。聾者が言っていることを必死で伝えながらどんどん手話を覚えていったわ。その頃、私はやりたくでもできないことが多くて、でもね、手話通訳を通して、何か人が喜ぶことが自分にもまだできるんだってことが、うれしくて、うれしくてしょうがなかった。」
―運営の中で苦労したことや困難に感じたことってありますか。
「苦労したことは、いっしょに運営している人の思いと私の思いが共有できないってこと。思いが強ければ強いほど、絶対に譲れない部分ってあるじゃない。それが、衝突しあってトラブルになったことが何度もあった。自分ひとりで運営できればそんなことなくて楽なのだけれど、そんなの無理だし。その辺が苦労であるけれど、私にとっては快感でもあるのよ。
それから、『共に生きる』ということの実現に苦労している。私は、障害者を手助けするとかじゃなくて、対等に接したいと思って「みんなの手」を設立したの。『共に生きる』っていうのは、相手をあるがままに受け入れて、同じ目標に向かって進むという二つの意味がある。私にとって難しいのは相手をあるがままに受け入れるってこと。人を理解するとはまた意味が違う。だって、理解するとなると、その人の過去とか怒りとか苦しみとか全部わかってあげなきゃ、結局理解なんてできないでしょ。知的障害者とか、昨日言ったことができてないと、どうしてできないのって怒りたくなるのよ。あるがままに受け入れられてないのね。それが昔も今も私の抱えている一番の問題。」
―学生時代にやっておくべきこととは何ですか。
「人は、何をしたかでなくて、誰と出会ったかっていうことが大切だと思う。例えば、新しいことに挑戦するにも、本を読んだりするにも、結局は好きな分野にとどまってしまうし、好きなジャンルのものしかあまり読まないでしょ。だけど、出会いっていうのは、自分の好きな人たちとだけ出会えるものじゃない。あんな人にはなりたくないって思うことも、反面教師なんかに出会うこともすごく大切。自分で選ぶんじゃない出会いってとても大切だと思うわ。」
―今の若者たちに一番伝えたいことはなんですか。
「私には好きな言葉が三つあって、何かあったごとに思い出している。ひとつは、ウルマンの「青春」の中の言葉で、『年を重ねるだけで人は老いない。理想を失ったときに人は老いる』若くても理想のない人って年取って見えるでしょ。私は六十を過ぎてもずっと理想を追い求めていたい。
司馬遼太郎の『 21 世紀に生きる君たちへ』っていう小学校5年生の国語の教科書の中の一文なんだけど、『人にやさしく自分に厳しく、素直で賢い自己を確立せよ。』私自身、素直になるのは手遅れかもしれないけど、そんな自分を確立していきたいと思っている。もうひとつが、宮崎駿さんの言葉で『暗い部分もつらい部分もきちっと味わいながら、明るい部分を十分生きる。』今まで、つらいときとか、苦しいときとか、何度もこの言葉に救われてきた。この三つの言葉は、自分自身にも言える言葉だし、若い人たちにも言える言葉だと思う。いちばん人に送りたい言葉なのよ。」
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