―枯れた老松から活動がスタートするというのはユニークですね。
「こういう活動をするには、みんなの心を集めなくてはいけないよね。私たちの場合は、内発的文化創造活動と歴史発見で広がりました。内発的文化創造活動っていうのは、老松切り株からたくさんの文化が生まれた。たとえば、黒川正文という人が『風になれヤマンバの木』という歌をつくってくれた。彼がそれを幼稚園にもっていってくれたことからこの木の存在が地域に広まった。そして歴史発見というところでは、塩田平文化財研究所の人たちが大変力になってくれました。指定木でも、天然記念物でもなんでもないヤマンバの木にみんなの思いが集まって 200 人を集めたお別れ会ができたんです。
ヤマンバの木が死んでしまって、 10 年前に大きなお別れ会をして、それで終わりだと思ってたんだよね。でも、そこから調査をしてみたらいろいろなことが分かってきてね。何で枯れたかとか、これは環境問題だよね。切り株の年輪を数えてみたら、村のいろんな歴史が解明されてきたり。われわれの歴史・文化・教育・共同体っていうものを、我々が喪失してしまった。それを再生しなくちゃいけないってことをこの木は命をかけて我々に訴えてきたんじゃないかって捉え方をしたんだよね。」
―非常に多岐にわたるテーマですが、その中でメインの活動というのは何なのでしょうか。
「なんかやってると課題が見えてきてね。今は切り株となってる老松の問いかけに答えるっていうのがこの会の目的なんだよね。じゃあ、その問いかとは何かっていうことなんだけど、頭で観念的に考えるってことじゃなくて、実際に地域で活動する中から発見していくってことかな。
たとえば、みんなが愛してる松が枯れるっていうところから問題が身近に、具体的になる。そこで里山についていろいろ調査してみる。そこから出てきた問題では、枯れた松の処理とかがある。枯れたので切った松の木を、塩化ビニールの袋にいれて殺虫剤で虫を退治するんだよね。山に行けばビニールの中に入った松がごろごろしてますよ。で、このとき使う殺虫剤がメチブロンというんだけど、これはフロンガスの 30 倍オゾン層を破壊する。そいうい世界の常識から全然外れたものを使っているわけですよ。そして袋は塩化ビニールだから、破れて散らばっても土に返らないし、山火事があったらダイオキシンが発生するよね。これはいかんと思って我々は声に出して訴えた。薬については、丸子実業高校の学生と協力して、どこでどのくらい調査してるか全部調べてた。そのかいあって今では代薬になった。袋のほうは、ヤマンバの会として自分達の手で回収を始めた。そしたら行政も理解してくれて、積極的に回収するようになったね。われわれはモデルをやって、それを社会的に提起していく役目だね。それなんだよね、市民グループは。今の例でいうと確かに本来行政がやるべきだっていう意見もあった。でも我々が先に動いて、行政に一緒にやりましょうといってきた。そうすると心ある行政マンの方もいるから、一緒にやってくれる。だから小さなことでもいいからとにかく動く。
そういう風に参加している各人が、自分の思いで、自分の能力と個性でもって動けばいいんだよね。そういう人たちが緩やかに集まってる。ある人は研究する。芸術家は芸術作品をつくる。実際、ヤマンバの木からは童話や絵本、絵画、音楽なんかの多くの芸術が生まれてる。そして住民は住民として地域の話をすればいい。総合的なんだよね。だから、ヤマンバの会は何をやってるかときかれてもちょっと答えにくいところがあるよね。『自然・歴史・文化・教育・共同体の全ての再生を地域の足元から取り組む会ですよ』というしかないですね。でも、そんなこといっても抽象的でわからないよね。」
―活動の中で課題はありますか
「今、NPOとか市民活動とかいろいろあるけど、非常に上滑りをしている印象をうける。やはりこうした活動は身をもってやらなくちゃ。身をもってやることは何かというと、雑用だよね。雑用っていうと言葉がわるいけれど、機関紙を発行したり事務作業のようなこと。そういう仕事を誰かが引き受けていかなくちゃいけない。やっぱり組織づくりっていうのは課題といえば課題だよね。」
―ヤマンバの木はなんの象徴なんでしょうか
「なんだろうね。地域の歴史、共同体を体現してるし、地域で生きる人間も体言してるって考えたら・・・地域の価値か?それとも個性か? 切り株にはなってしまったけど、地域の再生を未来に向けて提言している。提言しているといっても切り株に対して問いかける人が問題意識をもっていなければ、何も答えてはくれない。そういう関係だよね。それぞれの思いを切り株に投げかけて、その答えを実践していく。そういう活動だね。」
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