プロフィール

蚕業技術員、農業従事を経て建設業開業。その後、夢農場開設、地域づくり団体「夢企画」代表就任、安曇野おやき村開設などの活動をおこなう。

 活動内容

過疎化が進む山間地の活性化を目指し、昭和 61 年に地域づくり団体「夢企画」を立ち上げ、「安曇野池田音楽祭」、「安曇野池田マラソン」、「池田陸郷さくら祭り」などの様々なイベントの企画に携わる。平成元年には、自ら重機を使いラベンダー園「夢農場」を作り、シーズンにはこの地域の見所の一つとなっている。
また、平成 15 年 7 月には、自身の会社の資材庫を改装し、「安曇野おやき村」をオープンさせ話題を集めるなどアイディアと行動力で地域の活性化に貢献している。

一生「種まき爺さん」でいたい

―夢企画ではさまざまなイベントを手がけてらっしゃいますね。なぜこのような活動を始めたのですか。

「今の地域を見てみると、若者の連携がない。個があって集団、群れがないんですね。これは当然アメリカナイズされてきたってことなんでしょう。しかしそれでは普段生活していても一抹の寂しさ、自分のいる位置が確認できない。それで、みんなで楽しくわいわいやっていく、互いの夢を実現していくようなことをやりたいと思って、夢企画という名前を思いついたんです。そこで若者を集めて、彼らの要望を聞いてみた。音楽祭だとか、お花畑が山にあってもいいかなっていうのは若者から出てきたんです。若者たちの心にそういう思いがあって、でも実際に鍬をもって畑づくりをするのはなかなか難しい。そういうところは我々が手助けをしてあげればいい。みんなの夢がだんだんかたちになっていったというそれだけの話ですよ。

 それとふるさとということ。私はここに生まれて育ったわけですけど、山の中がだんだん腐っていってふるさとがなくなってしまう感じを受けていました。あるときデンマーク人の友人と話していたんですけど、彼がこんなことを言った。日本人ってのはすごいよな。日本人の文化ってのは全てを捨てることだ。経済がどんどん成長していく過程で、物を捨てられる。自分がポツンとあらわれたように、自分のお祖父さんとかがえんえんと築いてきた名前も捨てられる。親も捨てられるし、友達だって殺すこともできる。そんなことを言われて、なんだこの野郎と思ったんだけど(笑)。でもやっぱり伝統文化や、自分の価値をしっかりもたない人間というのは何なのかと考えましたね。そこで、自分のふるさとを誇りをもって人にいえるようにしたいと思った。当時はだれもふるさとをどうしようなんて思わないんですね。ふるさとはただそこにあるもので。でも、私は誇れるようなふるさとを、自分が家の中を掃除するようにきれいにしたいと思っていた。

 それともう一つ。この町でも、都市部へ人が利便性を求めていくという過疎化がありました。つまり人間の経済移動だよね。すると経済が薄くなったところというのは逆にいえばチャンスがあるんですよ。ただ、ここに何があるかといわれて何も見えてないだけで。たとえばここには斜面があります。山の中だから。私のもっている地形というのは斜面なんですよ。そこからここをキャンパスにしてお花畑をつくってもいいかなという考えがでてきますよね。」

―池田町は「花とハーブの町」をうたってますが、これは水野さんが夢農場をつくってからなんですか

「町と私どもと連携してですね。これを始めたとき、池田町でハーブの見本園をつくったていう記事が新聞に載ったんですよ。そしたら、若者が数名それを見にきましてね。見本園といっても、試験的にやってた本当に小さいものだったんです。それをみせたら『なにこれ?馬鹿にしてんの』っていって車から降りずに帰ってしまった。これはマズいと。やっぱり人が来て納得するようなハーブ園をつくるべきだと思って、すぐヨーロッパから種を 60 数種類とってきて 60 aぐらい蒔きつけました。それでみんなが見に来てはくれるんですが、もともとハーブっていうのは花を見るもんじゃないんですよね。食するとか育てるとかの楽しみはありますけど。葉っぱきりでろくな花が咲かないのも多いんです。だからきれいな花が咲くハーブを植えようと思って、それでラベンダー畑をつくったんです。だから人に要望されてやったていうのが正しいのかな。僕が先を読んで仕掛けたっていったら格好いいけど、そうじゃないんです。」

―地域づくりにおける課題はありますか

「みんなが地域づくりにおいて一歩踏み出せないところかな。たとえば、家に閉じこもってなんか楽しいことないかなと考えてる。窓の外を見たら美味しそうな柿がなってる。でも外は木枯らしが吹いて寒くて、それをとりにいけない。そんな感じだと思うんです。意識の上ではかなりのレベルのことを考えることができるんです。あってほしい世の中っていうのはみんなもってるんだけど、それが実行できない。でもみんながそういう気持ちになったら動かなきゃ。地域づくりってそういうものだと思うんですけど。

 僕はこれは教育の問題でもあると思いますね。ある程度の知識をもって、郷土愛にもえて地域づくりをやろうってベースが今の教育にはないんですよ。知識だけ身につけて、なんかぎこちない、予算をふってそれでおしまいっていうようなのが多すぎる。それにやっぱり自分のルーツをしっかりもつということ。自分の家族を愛したり、自分の生まれた土地を愛したりすることができれば、これは地域づくりそのものじゃないですか。」

―今後どのような活動を予定されていますか

「小鳥のつくった桜の里づくりっていうのを始めました。山桜ですね。それもぼくらがつくったんじゃなくて、小鳥がつくった里づくりを。桜の里っていうと、ただ桜だけにしちゃって切っちゃうのがありますよね。でもそうじゃなくて、他にも緑の木や竹があったりするものを考えています。今年で 1800 本ぐらい植えてますけどね。

 僕は一生種をまいてればいいですね。種を植えたとき、土を耕したとき、花が咲くのを夢見てやってるわけですから。その花をみて微笑む人の顔を思い浮かべながらやってるわけですから。水野が死んでも桜が残る。ちょっとかっこよすぎるかな(笑)」