プロフィール

1957 年
坂城町に生まれる

1977 年
父 宮入行平に師事。後に福島県、藤安将平に師事。

1982 年
文化庁より作刀承認を受ける

1983 年
新作名刀展初出品し、努力賞を受賞。以後、平成 12 年までに優秀賞、特賞を受賞
高松宮賞も6回受賞

2000 年
新作刀展覧会無鑑査に認定される

2003 年
日本橋高島屋において3度目の個展を開催

 活動内容

昭和 52 年人間国宝である今は亡き実父宮入行平師に師事。
昭和 58 年 第 19 回新作名刀展に初出品。 努力賞。 以後、努力賞 5 回、優秀賞、寒山賞、毎日新聞社賞、高松宮賞 6 回受賞。 数々の受賞暦で今もっとも注目される刀匠のひとりである。

好きな言葉は、「夢しか叶わない、夢なら叶う」

ー現在の刀とはどんなものなのですか。

「一言で刀というのを捕らえるのは難しいんです。現在では武器という要素はないのに、どうしてまだそれが受け入れられているかという事を考えると、確かにきれいという要素もあります。見てきれい。美しい。そういう芸術性みたいなものも、刀の持つ大切な要素です。もうひとつは、それに寄せる思い、心の部分ですよね。刀というのは原型が古墳時代とか弥生時代から来ていると言われてるんだけれど、そういうころから何かを刀の中に託す、人を切るためじゃなくて、自分が何かから守られるという思想があるんですよね。刀というのは何か象徴的なものがありますよね。だからまあ、今言った二つ、芸術性と心、それともうひとつはどうしてもはずせない武器ということ。だから例えば、武器であることがなくなっても、その刀に今話したような要素があるものだから、こうやって受け継がれてきているのですかね。今は展示館ができたこともあって、展示館の講座のなかで子供たちに釘からナイフを作らせようというのがあります。それがすごい好評なんですよ。やっぱり今ナイフを使えない子って多いんですよね。アメリカのよい時代のお父さん達は、子供にキャッチボールと火のおこし方とナイフの使い方を教えれば役目を果たしたっていうじゃない。それ、ぼくすごい好きなんだよね。結局自分の子供にもそうだけれど、勉強しなさいというよりはその三つに象徴されることを伝えたいという気持ちがあったんですよね。だからまあ手作りナイフ教室も、世の中のお父さんたちができないことを変わりにやっているというか、やらしてもらっているのかな。今後、刀がどうなるかは一人一人のとらえかただとおもいますよね。僕はまだ武器だと思います。武器として発生した形式とか、美しさってものがある。ただ全然そうじゃない人もいますよ。あくまでも美術品だと。きれいだったらいいんだって言う人もいます。刀っていうのは第二次大戦まではちゃんと使われていたんですよね。この時代、僕達が生きてきた時代がはじめて、それをぬきにした時代ですね。だからどう捉えるかというのが大事だと思うんです。ただ刀っていうのはあくまでもその時代の要求に応じて変わってきてるんですよね。江戸時代には棒みたいなんですよ。貧弱な。だけどもそれはもう使う時代じゃあないからなんですよね。天下泰平で形式だけで差してた時代ですから。でも、それはそれで身分を表すという非常に重要な役目を果たしてたわけですよ。」

ー刀に私たちが惹かれるわけは何でしょうか。

「よく‘気'って言う言葉を使うんですよね、気合いの気とか。気がめいるとか、かまけるとか、それは気というのを僕達は生命力と捉えるからなんですよね。本来、人間とくに日本人は生命力が強いものを、好んで自分の周囲においたり信仰の対象にしたりしてきたんですよね。たとえば一年中青々とした緑。椿とか、榊とか、青樹とか、自然界にある大きい山とか、それから、磨いた石とか。そういう一連の流れで、今度は鉄を鍛えて剣を作るんですよね。それらの持ってる強い生命力から、今言った‘気'をいただく、生命力ををいただくっていう思想があるんですよね。やっぱ三種の神器なんていうと、刀、鏡、水晶。ああいうピカピカ光ったもの、強く輝いてるものに生命力を感じるからなんです。」

ー鍛冶師という職業の魅力はなんですか。

「どうしても、今の日本の教育の制度っていうのは小学校入るくらいから一発勝負みたいなところがありますよね。だけどこういう仕事をやってると、それは違うと思うんですよね。何回でも人生なんてのはやり直しがきくし、どっからでもスタートができると思う。とくにぼくたちの仕事では失敗の連続なんですよね。で、これでもうやだとおもっちゃったらそれでもう終わりなんです。だけど気分転換してもう一回最初から始めようかとすると新しいものが見える。作品てのは失敗しても何回でもやり直しが聴くわけで。要するに答案用紙を教科書みながら書いて、限りなく100点で答案を提出できるというのが作品なんですよ。それを七十点にしちゃうのが自分の気持ちなんですよ。だからまったく採算性としてはそれほど進められる仕事ではないけれど、ほんとに好きだったりとかこういう日本の文化を継承したいっていうことでは非常にいい仕事です。あと、やっぱり歴史っていうのかな、刀っていうのは千年くらい残るんですよね。正倉院なんかにある八百年から九百年くらいの前の刀を見たときに、刀を作れば、たぶんちっぽけだけど自分もこういう歴史の中に一齣として組み込まれるのかなって思ったからなんですよね。それと、こつこつやるのがきらいではない。自分にあってたんだね。だけど、ほんとにこの仕事やってよかったとか、この仕事すきだなあって思ったのは最近ですよね。それにどんどん作ってくものはかわるんです。人間てものは悩むものなんだよね。それはやっぱりかわるからだと思います。そのところでやめておけばいいものを、『もうちょっと』ってやっちゃうからまた滅茶苦茶になるし、そうなったらまた積み上げなきゃいけないし。人の習性はいそいろあるとおもうんですけど、僕の習性としてはそれが違ったとしても先に進みたくなる、踏み出したくなる。結果的には、作品の完成度から言えば踏みとどまってたほうが、いいかもしれない。だけどやっぱりふみだす。そしてまだ積み上げたら、今までとはまた違うものができるような気がするし、これまでもそうしてきた。だからつい行き過ぎちゃう。好きな言葉なんですけど『ころあい』って言葉があるんですよね。『ほどほどのとこ』って意味。認識するためには、仕事を繰り返すしかないんですよね。それをわきまえた上で踏み外すと案外修正がきくというか、だから都合がすごくいい。答えがでない。僕にはあっているんですよね。ものをつくれるってことはありがたいことなんですよね。ものづくりっていうのは自分が出せる、どんな風にでも出せる。悪くも出せる。そうじゃなくて、これまで自分が積み上げてきたものを作品に出せる。
 やっぱり夢を持つことですかね。僕の好きな言葉は『夢しか叶わない』『夢なら叶う』なんですよね。何もしなければそのままなんです。夢を持ちにくい世の中になっていることは確かなんで。それは感じますね。何度でもやり直しすればいいと思う。五年遅れたら五年長生きすればいいと思う。とにかく何回で も答案用紙は書き直せばいいんです。」