―村おこしをするきっかけとなったのが「青年の船」に乗られたことだそうですが。
「そだねぇ、最初はいきなりそんなとこ ( 村おこし ) に入らねぇもんね。で、この青年の船って長野県で募集して 25 年くらい続いてもう今はないけどね、三隻目だったね。目的は、青年たちにきっかけを与えようとするのかな。生まれて、いきなりボランティアや社会参画とか生まれないんだと思うんだよ。でも、こういうことに参加する事によって、いろんな人と知り合って。で、俺もそうだったんだけど社会参加してみようって。こういうとこ出てみて、いろんな素晴らしい人と出会って、自分もやってみようと。
で、いろいろやってみましたよ。昔の青年団とか作ってね。昔って結構そういう若者の集まりがあったんですよ。今は価値観がみんな違う個性派集団だから、集まってなんかするっての嫌うんだよね。お金儲けならいいけんども、ただボランティアでやるってのはね。だけどそういうことはやっぱり地域にとって必要だと思うよ。一人じゃ出来ないけど団体じゃできるってことあるでしょ?」
―どういった活動の移り変わりがあったのですか。
「最初『アイラブとよた』とかそういう組織を作って、豊田村大好きなんだと、とにかく好きにならなくっちゃなんにもできないから、村のいろんな事を勉強する事によって、もっともっと好きになろうってしましたねぇ。
そして、豊田村をメジャーにしたかった。有名にしたかった。青年の船に乗ったときに豊田村を誰も知らなかった。聴いた事はあってもどこにあるかはわかんない。それだから、説明するのに大変苦労したんだよ。有名なものが何もない。これじゃいけないってんで、非常に帰ってから悩んで、豊田村っていったら、ああ、あれがあるんだってので、知ってもらおうと、祭りをやったんだよ。 10 年くらい続いたかな。青森のねぶた祭りを真似して灯篭を三つ作って有名な夏祭りにしたんだよ。だけど、継続ってのは大変なもんだ。一発花火は非常に楽だけれど、やっぱ、 2 年目 3 年目マンネリ化もしてくるし、人間も疲れていくし、それをいかに継続していくかだな。やっぱり価値観あるじゃん。デートしたいのもあるし、いろんなことやりたい事もあるし。強制には出てもらわないから、そうすると一人かけ二人欠けてっちゃうんだよな。最後はやっぱりあまり多すぎて人間が減って担ぐにも担げなくなっちまって。
そこにやっぱ、意識を高めていかなくちゃならない。目的と言うものは別においといて、あくまでもやってる事は手段だよと。それを間違えちゃうとみんな疲れちまう。コンサートもやったり東京の方から劇団呼んだりしたけど。それも一生懸命やって成功させなきゃ意味ないから。だけど、終わったらがっくり来ちゃうんだよ。
そんな事を繰り返しながら、将来これをどういう風にしていこうってことで、考えた時に、この村には足元見直せば立派な資源があることに気づいたわけさ。 」
―そのこの村の資源とはどういうものなんでしょう。
「『兎追いし かの山〜〜』と世界的にも知られている『故郷(ふるさと)』の作詞をされた高野辰之先生がこの村の出身で、これは、ふるさと、この村を思う歌なんですよ。東京へ出て、一番二番なんか、故郷離れてね、涙ながらに思い出しながら友達やふるさとの風景を思い出しながら歌ったんだと思うんですよ。望郷の思いだね。
で、 3 番は、志果たして、いつかは故郷に帰るんだと、自分を勇気付けるためにうたったんだと思うんですよ。われわれが一番重要してみたとこはこの最後の‘山は青き故郷 水は清き故郷‘ これをいつまでも残していてほしいなって言う高野先生の願望だと思うんですよ。そこで、高野先生がいつか帰ってきたときに生まれ故郷が変わりはててたら、がっかりしちゃうから、村に残るわれわれの責任としてこのいつまでも残る故郷のイメージを残していこうってことで、少しでも故郷の雰囲気、イメージを残していこうという運動なんですよ。
また、故郷を求めてこの村を訪れた人たちが、なんだこれってならんように、さすが故郷の地だなと。そういうことで残っている村民もそれを理解して、みんながその気持ちを持ってくれればと、ここ 14 年もやっているけれども、だいぶみんなその気持ちになっていますよ。年間楽しめる花畑を作ったり、蛍を呼び戻す運動をしてね。ここ 5 , 6 年でね、 5,600 匹くらい出ますかね。
また年間通して行事あるでしょ、とにかく故郷を大事にしていこうって言うのを頭においといてそれを目的にして、いろんなやる事は手段なんですよ。目的は一つなんですよ。 」
―故郷作りをしていこうという人へのメッセージはありますか。
「ある程度社会に目を向けていかないと社会は滅びちゃうよなぁ。 20 代にしろ、 10 代にしろ、 30 代にしろ、必ずその世代世代のそのときの責任ってあると思うんだよ。やっぱりその責任はある程度は果たしていかなくちゃいけないよね。
あと、まちづくりやった事によってある程度利益も必要なんだよね。今、仲間で特産振興会っていうの作ってやって、いろんな特産物を販売したりね。村に二回大きいお祭りあるんだけども、そこで特産品を持ち寄ってね、観光客に売ると。ある程度その、経済的なことも連なっていかねぇとつづかねぇよな。大事な事なんだよな。ただただみんなで、金も出す、ずくも出すってのでは続かない。そんなに、暴利をむさぼるわけじゃなぇんだけどね。慰労会やって一杯ある程度のね ( 笑 ) 。」 |