―信州大学をやめて、今の「虹の村診療所」を始められた経緯を教えてください。
「信大を辞めて、突然今の活動を始めたというわけじゃないんですよ。その前から、ずっと意識教育研究会というものに医療面で関わっていました。ここのすぐそばに『有明の家』という関連施設があるのですが、そこの代表の波場武嗣という方が始められた会です。その関係でこの診療所を開いたんです。」
―意識教育というのはなんですか。
「意識教育というのは、簡単に説明すると人の教育ということですね。『人生は心の学校である』という定義に基づいて、全ての病気や困難をその人にとっては心の学習をするためのものだと考えるんです。それから、自分の意識というものを通して自分を振り返ること。これを『内省』といいます。ここではお昼と夕方に全員であつまって、一人一人が半日の出来事を振り返るということをやっています。例えば、ダンスをした。そのとき自分はどう感じたか。いまいち楽しめなかったとか、みんなの前で話すんです。すると他の人が、私はそうは見えなかったよ、なんてフィードバックをしてくれる。それを通してまた、自分を振り返る。これもみんな学習しようという意識でやっていますね。あと、これは説明しにくいんだけど、主体を自覚するというのかな。自分の本当の主人公を知る。例えば、ある人が親から生き方を指示された、弁護士になれとか医者になれとか。本人は無自覚にそれを信じて一生懸命勉強してきたけれど、しかし自分にとって弁護士になるのはどういうことかと問い直しますよ。問い直して本当はどうなんだろうかと問い続けます。すると自分がどうしたらいいかと指示してくれる世界があるわけです。自分は実はこういう人間なんだと。こうやっていくんだと。自分の内なる主体性に目覚めて行く。これを対話法という方法で引き出してみます。これが意識教育の本質ですね。」
―しかし先生は医者ですよね。医療と教育はどのようにかかわってくるのでしょうか。
「医療の一番の基礎は教育だと思うんですよ。ある人が病気にかかる。そしたら、それを治す過程でその病気を統合して、病気であるがゆえにそこから学ぶということを、医者が助けてあげないといけない。一般には、具合が悪いっていうのは健康体からみれば例外状態なんですよね。そういう固い人生観だけがある。違うんです。病気というのはそれを通して人生を学ぶチャンスなんです。私はこのことを繰り返し言ってます。で、医療の視点でなにをするかっていうと、体のことはもちろんなんだけど、その上で身体にでた病気、心にでている病気っていうのを翻訳して返す仕事があるんです。翻訳者の仕事が一番だと思いますよ。その人がなぜ神経症の症状をだしているのか。なにゆえ統合失調症の症状がでているのか。体と心とその人の人間関係を全体として、その人に翻訳していく仕事。こっちは神様じゃないから、ひとつの環境のなかで一緒に学んでいくという視点ですね。」
―それが先生のご専門の精神科場合は、さきほどの意識教育になるわけですね。
「そうですね。その人に質問をする。問うわけですよ。問うてまたその子の反応を見て、質問して返すっていう繰り返しですね。そして、その人の内部にあるものが明確になっていく。話が飛ぶようですが、それをプラトンはイデアとしてるんですよね。あるいは魂と呼んだんですね。だからここは、プラトンやソクラテスがつくった学校、※アカデメイアを目指したいなって思ってる。虹の村アカデメイア、診療所ではなく。診療所は手段ですからね。やっぱりどうしても治療が必要な方っていますから。
病気の場合、身体っていうのはひとつの入り口にしか過ぎないわけです。その病気はその人の精神を侵してしまうんです。その原因を取り除かなくてはいけない。そこが結局はプラトンのいわゆる魂の問題なんですよ。魂っていうと新興宗教っぽいって誤解を受けやすいんだけど、体と心と社会の関係ですかね。病気に関して医学は非常にたくさんのことを教えてくれます。しかし、哲学も必要です。宗教も必要ですね。人を理解するために必要な最小限の哲学をここでは取り入れてますね。だから学校だと言ってるんですよ。」
―精神科医やカウンセラーになりたい人にむけて、これだけは考えておいてほしいなということはありますか。
「人が狂うという問題と人が死ぬとか生きるとかいう問題について、真剣に考えられる人になってほしい。
以前信大の医学部にいたとき、『死の臨床を語る会』という活動に参加して、ターミナルケア(終末医療)の勉強会をやっていたことがあります。あるとき、そのポスターを貼ったら、教授会でクレームがついたんですよ。病院の中で『死』の文字をいれてくれるなっていうんです。これは疑問ですよ。もっとも死について考えなければいけない人たちが、もっとも死から遠ざかろうとしているわけですね。それはやはりおかしい。こうした人間が否認したい、認めたくない部分、それを直視できない人はなるべきではない。それについて真面目に考え続けられる人がなるべきでしょうね。」
※アカデメイア・・・紀元前 387 年頃、プラトンがアテネの郊外に建てた学園。プラトンの死後も後継者が輩出したが、 529 年東ローマ皇帝ユスティニアヌスにより異教思想の温床として閉鎖された。 |