プロフィール

1995 年
『誇りです、登校拒否』出版

1997 年
『誇りです、登校拒否(その後)』出版

2001 年
NPO 法人日本型チャータースクール推進センター 記者

2002 年
歴史の町長野を紡ぐ会 事務局員

 活動内容

自ら不登校の経験を踏まえ「誇りです、登校拒否」「誇りです、登校拒否その後」を出版、教育のあり方に深い関心を寄せ「学校以外の学びや子どもたちの居場所作り」を模索してきた。一方で歴史にも造詣が深く、「歴史の町長野を紡ぐ会」事務局員として、総合的学習への活用など教育の観点から善光寺表参道の活性化を考えている。
現在は、新しい学校づくりに取り組む一方、子どもサポートプラン県プラン推進会議の会長として活躍している。

一つのテーマ『どういうことを楽しんでやっていくか』

― NPO などの活動はいつ頃から始められたのですか。

「不登校の経験があって、中学の頃から学校に行けない、学校に行ってない子供が公民館などに集まって話をする会を開くなど、学校外で子供たちが、若者が集まれる場所を作る活動をやってきましたね。社会を何とかしたいと言う思いがあったので、高校時代は本を書いたり様々な講演会に呼ばれて話をしたりとやりました。

これらの活動や実績が大学の推薦試験に活かされ、京都の大学で西洋史、教育史を勉強しました。大学院 1 年の頃、インターネットが普及してきたとき、長野県知事選挙でメーリングリストがあった。そこに中学生のころ、東京のフリースクールで知り合った人がたまたまいました。それで連絡してみたらね、「何やってるんだ」「 NPO やってる」「じゃ、一緒に手伝ってくれない?」って。取材したり情報集めたりするのを手伝ってくれないかという話になって、関わり始めたんですよ。人のつながりって大切ですね。

当時、自分を高めていくのに何が必要か考えた時、研究室の中にいたのでは動けない事が分かっていて、飛び出して自分で動き出さないといけない意識ももあったんですよねぇ。 」

―「長野に新しい学校を創る会」の発足について聞かせてください。

「子供たちの居場所づくりといったけれど、子供たちにとってほんとに充実した環境であり、かつ新しい勉強の場を造っていくのはどうしたらいいか。となると、簡単にはいかないんですよね。自分たち民間が勝手にやる事には限度がでてきて、実際にそれを教育機関として認定してもらおう、県や市から助成してもらおうと思うと、きちんと制度として行政に認めてもらえるような仕組みをつくっていく必要があるとやっと気がついたんですよ。

そして、公設民営、つまり行政の間でお金を出して民間で運営していく学びの場を作ろう、学校として卒業などの資格もつくようにしようと発足しました。 」

―新しい学校創りの活動で困難だと思われたことはありますか。

「民間で運営していくには、民間の側が力をつける必要があるということです。制度と民間の力の両方が成立してはじめてできるんですよ。単に制度だけ作っても、委託していいですよとなって、ところが民間の側で動ける人がいないとできませんよね。まかせられる NPO ですか、ってのがすごく大事なんですよ。

これが、教育分野では特に難しいと思いますね。話が、抽象的になっていて、いざ具体的な新しい学校と言うものを考えることにはすごくエネルギーがいる事でした。カリキュラムの事、資金管理のこと、場所のことなど。特に、場所のことは難しい問題で。会に集まってきている人たちは遠方から参加している方も多くいましてね。特定の地域だけに同じ学校に対する思いが集まる事も難しい。

結局、制度をつくって、人が集まっても、場所というか、一つのテーマ―一定の地域の中で何が出来るか、どういうことをやるのか、どういうことをみんなで楽しみながらやっていくか―というテーマが必要だったんですよ。 」

―そのテーマで小林さんが現在考えておられる事はありますか。

「最初、これがつながってくるとは思わなかったんですが、今、『歴史の町長野を紡ぐ会』という NPO にも関わっているんですよ。善光寺の中心市街地で催し物をやっていくグループで、主に、この辺りの知られてないような場所のご案内や、伝説の語り、紙芝居、子供たちにクイズを出して案内をしています。

この取り組みは、場所はもう決まっていて、地元のことを多く伝えたいと集まってきている、テーマがはっきりしているんですよ。だから、今は、まだこれがこのまま学校つくりと結びつくか分からないですが、はっきりとテーマを持って、そこに人がつながっていくようにしたいと考えています。例えば、門前町の長野に暮らしている人が教えるのを学べるカリキュラムを持ったとか、になるんじゃないでしょうかね。 」

―長野県で NPO 活動をすることにおいて思う事をお聞かせください。

「気づいたのですが、いろいろな活動をしていく上ですごく長野県のポジションは有利だとおもいます。インターネットが使えれば、やる気があれば、いくらでも最新情報は入ってきますので。長野にいながら、最新の情報をキャッチするアンテナを張ることが出来るんですよ。

そして何がいいって、全国の人の長野県に対する憧れがあると思うんですよ。田中知事が登場した事もあるでしょうし、もともと信州の持つイメージのよさがあるでしょう。自分たちで思っている以上に注目してくれる人が多いですね。

それに思い立ったら、東京などにアクセスしやすいんです。日本の中央部にあることもあって全国の人と交流するには向いている地域だと思っています。地域の中で地道に活動しながらやりたい事をやっていく事は可能なんですよ。現実に、長野県にきたことのある人は多いし、そういういろんな人たちと積極的に交流していくことが大事なんだろうなといつも思っています。

地元でいろんなことに携わっているけれど、目は常に他の地域に向けながら長野県の枠に閉じこもるわけでなく活動していく事が大切なんでしょうね。 」

―今後はどのような活動をされるのでしょうか。

「行政などとの信頼関係を築きながら NPO などが持続可能なようにしっかり自分の基盤を築いていきたいですね。人との信頼関係を築いていって、地元の人が地元を大切に思う、長野の人が長野を大切に思う、社会にしていきたい。自分たちが動いて、自分たちが実績を作っていく事が必要だと思います。楽しみながらそうやっていきたいですね。」