―実際にみてみると本当に素敵な景観ですね。現在のような取り組みを始めたのはなぜですか。
「40 年以上前に電気屋を始めたのと同じころから、今日までずっと景観について考えてきました。先人の残してくれた歴史や文化資産を大切にし、気候風土に適した快適な住まいとそれらと調和する自然環境を整えた景観づくりをしなければ、と。
小布施町で「美しいまちづくり条例」が出されたのをきっかけに、私がやらなければ、と思い立ち、『景観研究会』を設立したんです。それが今から 13 年前のことになります。先にも言いましたように、景観づくりは過去のことから何十年も先の将来のことを考えながら進めていかなければいけません。ですから、メンバーの選定にも気を使いました。そして目先の利益にこだわらず、ボランティア精神のみで頑張って景観作りに協力できるとした地元の設計士や建築企業を中心として計画的に進めることを決めました。その結果、純粋に街を美しくしようとする人達で構成された団体ができたわけです。こんな景観を供給する人々だけで作られた団体は全国には我々しかいないでしょうね。」
―ボランティア精神のみで進めるというのは大変なことじゃなかったんですか。
「たしかに、会の結成にあたりメンバーからの賛同を得るのは、大変でした。みんな『景観って何』って状態でしたからね。つまり景観というものを誰も認識していなかったんです。でも、景観なんてそんな難しいものではないと思うんですよ。『街並みがそろっていればすごいなぁとか、そこに緑があれば心地よいなぁとか思いますよね。景観というのは、見る・見させる景色が良ければおのずと生まれるものなんだよ』って皆に伝えました。
そして、『お前たち ( 皆 ) がこの一つの仕事をすることで街が美しくなる。一つの点から線へ、そして面へと広げていって、自然発生的に業になるような景観作りを進めていけばおのずとすばらしい景観が生まれるんだよ。金銭面については行政からは一文ももらわない。そのかわり行政に対して自由に提言する。また、我々も我欲や利益のためにやるのでもないし、外部からの訪問者のために活動を行うのではない。ここに住む人が快適に生活できる町をつくろう。ずくだせ ( こまめに動く)。汗だせ。知恵をだせ。こう言ったんです。するとこれに 28 人もの人が賛同してくれたんです。うれしかったですね。」
―地域の方々の協力はどのようにしてとりつけたんでしょうか。
「景観作りの仲間が集まったとは言え、景観作りは地域全体に関わるものです。そのため地域住民の理解得るための啓蒙活動が必要だと考え、情報誌「オーライフ」を発行することになりました。しかし、メンバーは予算を気にしていましたね。会費はメンバーから頂いているものの、赤字になるのはやはり怖いですからね。でも私は、『びくびくするな。活動に自信を持ち、理解してもらい、賛同していただき、広告なしで寄付金を頂く。無駄な出費は削る』と言ったんです。
ものごとの遂行には情熱と誠意、つまりポリシーを持って接し、とことん話せば活動の意義をわかってくれるんですよね。情報誌の第一号の発行資金調達に1ヶ月かからりませんでしたね。また、印刷・製本も創造を超える値引きをしてもらいました。景観を良くしようってことに反対する人はいないんですね。市民の皆さんも資金的な援助はいろいろ協力してくれましたし、後援や研究会もほとんど無償に近い形でやっていただきました。そのおかげもあって今では景観研究会の名は全国に広がっていますよ。俺たちが小布施の町を作ったとまで言われているぐらいですよ。」
―これから取り組んでいきたいことはなんですか。
「未来像は小布施全体を五感で感じる公園にすることですね。以前、街を美しくする試みの一つとして、行政が催したヨーロッパツアーで花を見に行ったことがあるんです。それをきっかけに『花の友の会』が発足し、自分たちの庭くらい自分たちで整備しようという試みが始まりました。それが小布施におけるヨーロッパの『オープン・ガーデン』の実践です。非常に意味のある視察だったと思いますよ。今ではこの活動が実り、多くの家々で自分たちの家の庭を整備するようになり、小布施の景観作りに役立っていますから。皆、景色の良い場所は好きなんですね。
でも小布施全体を五感で感じる公園にするには、まだまだやらなきゃいけないことがたくさんあります。小さなところでは道端に落ちているビニールのゴミから、地域の休憩所などの設置ですね。これを実現させるためにも私たちのモットーである『ずくだせ、汗だせ、知恵だせ』をベースに、住民、企業、行政が町を好きになって継続的に景観作りに取り組んでいくことですね。だから、きっと私は、 10 年後も公園づくりをしているでしょうね。すべてはここ小布施に住む人々が安らぎと潤いを感じるものにしたいから。」 |