プロフィール

1992 〜 2000 年
東京都墨田区本所保健所にて HIV 抗体検査エイズカウンセラー
( 1994 年都立駒込病院内エイズ患者会スタート発起人メンバー)

 活動内容
エイズに悩む人達を支援するボランティア。軽井沢町の喫茶室「ポジティブ・カフェ・ノーチェ」(現在、喫茶店は営業していない)を拠点にエイズに感染した人達とそれに理解を示す人達が交流できる場づくり、エイズに対して理解と支援を示す人達を育てる人づくりを行っている。
「細く、長く、とにかく続けていくこと」

―HIV感染者、患者さんを支援する活動をはじめることになった経緯を聞かせて下さい。

「1991年に※メモリアルキルト展が日本に来たんですけど、それに関わったのが最初のきっかけですね。たまたまパッチワークを教えていたので、ちょっと手伝って下さいといわれたんです。そして東京にあるボランティアの事務所で週一、二回電話相談をするようになりました。感染者、患者さんの70%は東京にいるんです。またその内の半分以上は、地方から東京に通ってきてるんですね。患者さんにとって、自分の病名が地元で知られることが一番怖いんです。親にも、パートナーにも、兄弟にも病名を一切隠している現状ですから。地元に帰った時孤立してしまうわけです。そうした感染者、患者さんにどのようにして情報を与えたり、もらったり、仲間づくりをするかというのが活動をはじめた時の課題でした。そして、2000年に私が還暦を迎えるのと、主人の病気もあって、長野で暮らそうということになりました。長野で何かできないか考えたとき、ちょうど私と主人が二人だったので、ここをオープンスペースとして使う事になったんです。長野だから、とくにここはおくまった場所だから、ここで一日のんびりしてても誰にも会わないし、顔も見られない。駆け込み寺としてここは安全な場所だったんですよ。新幹線もあるし東京から一時間で来れますしね。」

―様々な問題を抱える感染者、患者さんと接するなかで困難はありましたか。

「性感染症のエイズの問題をやっているから、セクシャリティーの問題抜きで話はできないんですね。ゲイもいれば、バイセクシャルの人もいるんです。私がまず、人間なんでもありだ、いろんなセクシャリティーがあるんだってことを受け入れるのが最初の壁でした。二つ目が守秘義務。彼等との信頼関係は、ぶつかりあって、どろどろになった果てにあるんです。三つ目は、あまりにも一般の人が無関心なこと。やっぱり差別や偏見ってあるんですよね。性病の一種であるのだから、もう少し自分の体に近い問題だと受け取ってくれればいいんですけど。自分は大丈夫というのは思いこみであって、実は大丈夫ではないんだという話にもっていくのが一番難しいですね。やはり無関心な人の意識を変えるのは難しいです。ある講演の帰り、高校生の女の子が「私も偏見を持っているんだけど、どうやったらそれを取り除けますか」と質問してくれたんです。その子に、今話してくれた感染者の人と握手して帰ったらもうそれでいいんじゃないかって言ったんですね。すると「それでいいんですか」といって握手して帰っていったんです。こういうシンプルなほうがいいんじゃないでしょうか。直接、感染者、患者の声を聞いて、全部じゃなくても、少しでも意識が変わってくれればいいですね。」

―ボランティア活動を続ける上で信念はありますか。

「無理をしないで、細く長く、とにかく続けることが大切。続けないとだめなんですね。感染者、患者さん達はこの人に相談して大丈夫かなってずっと遠くから見ているんですよ。 危ないかなって思いながらも二年続いて、三年続いて、五年目に電話相談だった人が顔を出すんです。その次に家族を連れてきて、そして遊びにきて、泊まりにきて。長い人とは十年以上交流が続いています。その人とは長野の講演などに一緒にいってもらってるんですよ。患者さんが亡くなると、だいたいボランティアの人も消えていってしまうんです。ボランティアをしたいって張り切ってくる人もいるんですけど、一緒になってのめりこんで、落ち込んで、燃え尽きてしまわないでもらいたいと思います。いろんなことをしながら、その中の一つにボランティアがあっていいかなと思います。また楽しみながらやるって事も続けることの原因ですよね。いろんな人の話を聞くことが、私の財産なんです。ボランティアは、してあげるんじゃないんです。自分が何かもらうかもしれないですよね。」

※ メモリアルキルト エイズで亡くなった人達を偲ぶ催し。亡くなった人の遺品をつなぎ合わせて縫い上げられてできた 90センチ×180センチの大きさの布が展示される。