プロフィール
大正 12 年生まれ。昭和 63 年、長野県農林業関係コンクール間伐の部で知事賞(最優秀)を受賞。平成 14 年、所有林に自ら植林した 45 年生のヒノキ間伐材を利用し、総ヒノキ造りの家( 14 坪)を建築。長野県指導林家、「ふるさと体験館木曽福島」の館長を務める。
 活動内容
昨年、自分で植栽した「ヒノキ」で一軒の家を造ってみたいという長年の夢を実現。45年生の間伐木120本を柱、桁等に製材し14坪程の離れを建てた。巾崎さんは、『若者よ、夢を持て。自分の植えたヒノキで家が建つ。人は森林(林業)とともにあるべき』と自ら手本を示している。また、地元のみどりの少年団、県林業大学校の生徒をはじめ、愛知県の中学校生徒に対して、実習地の提供や講話、実技指導により後継者育成に貢献しているほか、県の指導林家として、優良材生産はもとより、森林・林業全般に優れた知識・技術をもって地域林業の振興に発展寄与され、平成 14 年度には全国森の名手・名人100人にも認定された。
「木曾には山があるんですよ、なんせ 90 %以上山なんだから ( 笑 )」

―林業を始めたきっかけを教えていただけますか。

「今の時代、林業はかなり厳しいけどね。昔はそうでもなかったんですよ。私の場合、家が小作人だったもので、いくらがんばっても半分くらいは小作料で持ってかれる。それに木曽自体があまり作地面積がない。山ばかりだからね。私が林業を始めたのは戦後すぐのころで、その頃、日本は復興に向けて進んでいたんだけど、何をするにも木が必要でね。でも、木がないわけ。戦争のときにね、みんな木を切ってしまったから。だから、木を持ってくればお金になった。ご飯が食べられた。

私は終戦直後、東京にいたんだが、東京にいては飯が食えない。木曽に帰っても貧乏百姓だしね。それに戦時中、関東平野一円を、兵隊として回ったことがあってね。農業では、木曽の百姓は関東に太刀打ちできんなと思いましたよ。だって、平地の広さが違うもの。びっくりするほど違う。長野に住んでいればわかるけど、四方山でしょう?木曽はその長野の中でもかなり山深い。何せ 90 %以上が山なんだから。でもね、山があるわけですよ。そして山には木がある。日本の復興のため必要な木がある。東京にいても飯が食えない。木曽に帰ったって百姓はできない。じゃあ、どうするかってことで、ここはひとつ山に生きようと思ったわけです。山に入って生きていこうと思ったわけです。」

―でも、山には木がなかったんですよね。

「そうね。戦争で、山の木をみんな切ってしまってね。裸山でした、ほとんどね。信じられないと思うかもしれないけど、ほとんど木が生えていない。しょうがないから植林しましたよ。でも、植林するにもお金がかかる。こっちは食うや食わずでやっているんだから、当然、植林するお金なんかない。

それで、次に考えたのは、植林のための現金を確保するために、シイタケ栽培を始めたんですよ。原木は無尽蔵にある、雑木はあるからね。シイタケといっても、ただのシイタケではなく、夏の木曽の冷涼な気候を利用した夏出しのシイタケを栽培したわけです。

昔は冷房なんかないからね、夏にシイタケなど出るわけがないと、みんな思ってたんですよ。それを東京の市場に持っていく。東京にもって行くといっても、今と違って、トラックがあるわけじゃないですからね。汽車で持っていく。客車便といって客車に 1 両だけ貨車が連結されているのがあってね、それにシイタケを積み込みため、バスに乗って 20 箱くらい乗せて、木曽の駅までもっていくんですよ。えらく苦労しましたが、それがマツタケと同じくらいの値段になったんです。でもね、シイタケ栽培はあまり長く続かなかった。冷暖房の装置が充実してきたのと、多くの人がシイタケ栽培に目をつけたこともあって、だんだん値が下がってきた。そうこうしているうちに、木材の値段も下がってきてね。所詮、動乱期の値の付け方だったんですよ。日本が戦後の混乱から立ち直っていくにつれ、木材の値段がね、下がってきてしまった。」

―植林は中止したのですか?

「いや、結局、植林をすることにしました。シイタケ栽培で稼いだお金で。私が子供の頃はね、木曽の山の 6 割は御料林だった。御料林ともなれば、皇室の財産だからね、当時の林学の粋を集めて、ものすごく手間をかけて作られた美林・模範林が、木曽にはあった。それは見事な山でしたよ。そういう立派な山を見ている私は、やはり木を植えてみたくなった。戦争で荒れてしまった木曽の山を復活させてみたいという気持ちが強かった。最初はカラマツを植えたんだけどね、木曽はやはりヒノキでなきゃと思い、ヒノキを植林することにしました。」

―「ふるさと体験館」について教えていただけますか。

「実はこの地域の統合した学校の建物を残してもらいたいとの要望があったわけです。古い校舎をそのままに、木のぬくもりある学校を残したいという要望ですね。まぁ、要望かなって、体験学習施設ということでこの学校を残すことになりました。それが「ふるさと体験館」です。

そのとき、私がたまたま、ある体験学習会の会長をやっていた関係で、館長をやれということで仰せつかって、今、館長をやらせていただいています。ふるさと体験館は、メニューが豊富ですので、中京方面を中心にたくさんの方に訪れていただいています。また、日本中から中学生、高校生、一般の人たちがぼつぼつ来るようになってきました。しかし、体験学習の費用だけでは、なかなかスタッフの人件費をまかなえないのが実情ですね・・・。

体験館で、私どもが一番期待しておったのは林業でした。ところが、林業がこういう時代ですから非常に関心がないんですね。例えば 150 人の中学校 2 年生が、山を勉強したいというのは 5,6 人ですね。あと、食体験が非常に多いですし、それから木工体験、織物、渓流釣りを選ぶのが多いです。山に対する関心がまことに少なくて嘆いているのです。そういうことを教育の場でも林業の大切さを取り上げてほしいと。」

―たとえば、どんな教育ですか?

「やっぱり小学校 4,5 年から、大人にも社会教育、生涯学習でも取り上げてもらいたい。山や木の大事さは環境問題、水保全などに絡んでくる。そういう重要な問題だということを常に関心を持たせるには、国が力を入れて体制を整える必要があると思います。そうしないと、山づくりは出来ない。人間が住むためには、必要なことです。木を大切にすること、山を大切にすること。このことを若い人たちに、ぜひ知ってもらいたいと思っています。」