プロフィール

1929 年長野県生まれ。
1951 年青山学院専門学校建築科卒。
1953 年関東学院大学建築学科卒。
1961 年家業である山共建設 ( 株 ) を継承し、 1963 年現事務所設立。

信州大学社会開発工学 ( 建築 ) 非常勤講師。 著書に「民家の再生」 ( 建築資料研究社 ) 、「民家再生の設計手法」 ( 彰国社 ) 、「現代の民家再考」 ( 鹿島出版会 ) などがある。民家の再生は、全国1都2府 38 県、 220 軒に及ぶ。 '90 年日本建築学会賞他、受賞多数。

 活動内容
民家や土蔵などの再生を全国に先がけて開発し、手がけた民家再生は、全国で 250 棟以上。 1990 年に「民家再生の新しい方法論を確立するに至った多年の業績」により、日本建築学会賞を受賞。民家再生を通じて店舗や街並みなど地域の開発を地元松本市をはじめ全国各地で業績をのぞんでいる。
「失われた日本を取り戻したい」

―降旗さんの設計事務所では、どのようなお仕事をなさっているのですか。

「家の再生です。家の建築というと、古いものを壊し、新しいものを作ることが一般的です。しかし、古いものをただ捨てるしかないのだろうか。直して生き返らせる仕事があってもいいのではないか。そう思って家の再生をはじめました。再生というのは、一般にいう創作とは違います。一般的にいう創作には、自分の欲が必ず含まれてしまいます。家のためではなく、自分の名声のため、お金のため、という思いですね。でも、それでは家の再生はできない。家のため、その家に住む人のためにどうすればいいのかを考えないとできません。

古いものは悪いもののように思われますが、新しいものにはない落ち着きや風格があります。キズなども消す必要はありません。それが『歴史』なのですから。そうやって、再生してきた家は 270 件くらいでしょうか。」

―どうして長野でそのようなお仕事をしようと思ったのですか。

「若い頃は、東京で一旗あげようと思っていましたよ(笑)。大学院卒業後、大学の助手をしていたのですが、体調を崩して信州に帰ってきました。その時は、元気になったら東京へ戻って…という気持ちが強かったです。でも一向によくならない。どうやら自分が、家業を継ぐべき長男だったにもかかわらず、家のことは妹にまかせっきりで、東京で名をはせようとしていたことが、どこかで心の重荷になっていたようですね。精神的に参ってしまい、白馬まで死に場所を探しに行ったこともありました。

 そんな中でやっと気づいたことがありました。それはどんなに名をはせても、人間としてなすべき務めを果たさなかったら何の意味もないということ。地方で苦労して命を終えても、人間としての務めを果たした人は、人間的な生き方をしたと言える。そして、東京に戻るのはやめよう、信州で人間的に生きることにしようと決めました。そうすると、心の重荷がとれ、体も徐々に健康にもどっていきました。家業を継ぐということが、昔は嫌だったのに希望を持てるようになったのです。それからは親兄弟のためにも仕事に専念しました。」

―家の再生ということを考えついたきっかけは何だったんですか。

「私の家の周りには民家があり、貧しい人がたくさんいました。最初はその人たちのために古い家を直すことを考えつきました。『病気』の家を『治し』、そこに住んでいる人を少しでも幸せにしたいと思い、家の医者のような仕事をしていました。しかしあるとき、命を全うしたと思えるような家に出会いました。そのとき、これは医者では手の届かない領域だと思いまして。これは『治す』のではなく、生き返らせる、生まれ返らせるという思いで仕事をしなければ、と感じました。この家を手がけてからですね、家の再生という仕事は。

例えば、地方へ旅をするときの楽しみは、自然の風景だけではないですよね。そこで行われている人の営みとか、生活の象徴である家などの風景を見て、安らぎを味わうことがあると思います。本来、地方ごとに違う風景があるのが当たり前なのに、今はありません。どこへいっても同じ風景です。このことは家だけでなく生活している人間の心にも影響していると思いますね。もっと地方独自の色が出ていてもいいと思います。地方には蔵があります。都市は蔵がないためどこでも同じになってしまいますが、田舎は蔵があり、それが地方独自の風景となっていると思います。ですから、蔵を住宅にするときもあります。」

―昔の家と今の新しい家との一番の違いは何でしょうか。

「新しい家は、昔の家と違って味わいが乏しいですね。ボタンひとつで何もかもできてしまうという生活は、余裕がなくて、体を通した味わいがない気がします。例えば障子を閉めたときに手に伝わる感覚や閉めたときの音には、なんともいえない安らぎがあります。機械まかせだと、生活を通して感じる美や趣を知らないままで生活することになってしまいます。体だけの便利さになってしまい、心に伝わることがない。それがストレスになっているように思います。しかし、田舎の人は生活することにあまりストレスを感じていません。住んでいる周りが癒しの空間であり、家自体が癒しになっているのではないでしょうか。」

―これからはどのようなお仕事をしていく予定ですか。

「私は、失われた日本を取り戻したいと思っています。海外と交流することで得たものもあるけれど失ってしまったものはそれ以上に大きく、日本人は心も失ってしまった気がしています。昔の日本が美しかったのは、そこにすんでいる人の心が美しかったからだと思います。なんとか、この心を住居でもう一度取り戻したい。今のコンクリートには心の美しさや暖かさを感じることはありません。その土地の風土に合わせた家を作っていって、環境と人間の生活を触れ合わせ、家の再生、ひいては人の心の再生をしていきたいのです。

 昔の日本には助け合いがありました。若い人たちと共に、そんな日本のよさを再び見つめなおし、日本を再生させたいと思っています。」