A:【田中知事】
まず最初に、9月11日に米国で発生いたしました同時多発テロ事件に関しての御質問であります。
テロリズム、テロリスト及びそれを支援する政権や勢力が許されぬのは、申し上げるまでもないことです。
今回犠牲となられました多くの方々、被害に遭われたすべての方々に対して、改
めて哀悼の意を表します。
今回、そうした被害を受けた欧米社会が寄って立つ新約聖書のルカ伝には、「もし誰かがあなたの右頬を打ったなら、あなたの左頬をも向けなさい」と記されています。「目には目を」「歯には歯を」を越えた、「目には体全体を」となりえぬ報復は、決して真の解決には繋がらず、むしろ見えない敵との、出口の見えない暗闇への突入を招くと、冷静にとらえるべきではないでしょうか。
世界中が喪に服している今、世界貿易センターやハイジャック機、ペンタゴンの中で亡くなられた、また、傷つかれた多くの人々、そしてその家族が、心から死や傷を悼み、無念の思いを、そしてまた、怒りを抱いているように、そうしたテロリストが数多く生息するといわれているアフガニスタンにも、多くの一般市民が、今回の事件を憂いながら住んでいるわけです。
私たちが忌むべきは、テロリスト及びそれを支援する権力者であり、住むべき場所も食べるべき食料にも事欠く、アフガニスタンやパレスチナの市民自体ではないのです。
日本国政府は、小泉内閣発足直後の5月8日、「許容されている自衛権の行使は、我が国を防衛する必要最小限の範囲にとどまるべきものであり、集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであって、憲法上許されない」との統一見解を述べています。
私たちは、20世紀に人類が起こした戦争という数々の悲劇を繰り返さない為にも、憲法第9条の理念を継承し、旧世紀の戦争観を超えた新しい安全保障の概念を創造すべきであり、また、日本の平和活動は、世界の国々が加盟し、唯一の平和機構である国際連合を中心に据えるべきなのです。
にもかかわらず、今回、「9月11日以降、議論が変わった。危険が伴っても自衛隊に貢献してもらう。出し惜しみはしない」と小泉純一郎首相は述べ、自衛隊派遣には国連安全保障理事会の武力行使容認決議など新たな決議は必要としない。自衛隊派遣の際に国会承認も必要としない、との法案が提出されようとしております。更には、こうした、いささか性急な法案提出をも待たずして、イージス艦の派遣は既成事実化しております。
訪米した首相は記者会見で、「我々は断固として米国と共にある。武力行使以外の軍事的支援措置も取る」と明言しました。国民の代表者が集う国会も開会されぬまま、ジョージ・W・ブッシュ大統領という他国の元首の前で、「日本の、いわば参戦」を宣言した訳です。日本という法治国家は、独裁制でも大統領制でもなく、議院内閣制を敷く民主主義社会であります。憲法も国会も、シビリアンコントロールをも否定しかねぬ、問答無用の事後承諾を私達に強いる、看過し得ぬ迷走であります。
今回の忌むべきテロ事件を、真珠湾攻撃にある人はたとえ、ある人は広島・長崎への原爆投下にたとえました。
また、報道機関の調査によれば、9割近くのアメリカの方々が、人生で最もつらい、悲しい事件であると答えております。が、私たちは、自身があるいは自身の国家が経験した悲劇を超えて、他者への、とりわけ、生まれながらに、数々の人生でいちばんつらい経験をし続けてきた第3世界の方々への想像力をこそ喚起、冷静に喚起すべきなのです。
また、自衛隊の権限と機能、内閣総理大臣の指揮権を、憲法に明記し、シビリアンコントロールを徹底させることもまた、大切なことであります。なお、長野県内にも約1700人のイスラム諸国の出身者の方々が、働き、暮らされ、また納税をなさってくださっております。現在アメリカでは、今回のテロ事件を契機に、イスラム教徒やアラブ諸国出身者に対する心ない迫害行為等が報道されておりますが、憎むべきはテロ行為であります。
私は、長野県に暮らすイスラム圏出身者の方々も、同じ県民として、安心して暮らせるよう、行政として務めると共に、県民の皆様の冷静な判断や御理解を改めてお願いしたいと思っております。
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