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最終更新日:2005年04月04日

 

部課長級職員辞令交付における知事あいさつ(午後)
(2005年4月1日)
音声(WMA形式00:32:06)


 どうぞお座りになってお聴きください。
 最初に花粉症でございますのとそれに伴って少し咳が出て、辞令を皆さんにお渡しするときに失礼があったのではないかというふうに感じております。
 ご存じのように私たちの本県はですね「優しさ」や「確かさ」や「美しさ」というものを形づくろうということをひとつの大きなモットーに掲げています。そしてその中で私たちは的確な認識を持って、迅速な行動を行い、明確な責任を果たす、あるいは県民も観客民主主義ではなく、行動する、あるいは参加する民主主義であるべきであると、また私たちはともすればですね、私たちが、あるいは皆さんは私よりもより長い行政組織の中における研鑽を積まれてきているわけで、そうした皆さんの知識や経験というものは次の新しい大きな社会変革をもたらすために本来寄与できるものでありますが、しかしながら往々にして日本の教育が5W1Hの中のWhy やHowを教えずしてですね、項目の羅列暗記になりがちであるとうこととあるいは無縁ではないかもしれませんが、マニュアルという中にいつしか閉じこめられてしまって、知識や経験が豊富であるが故に、こうしたことは前例がない、あるいは、こうした制約が法律上も条例上も規約上もあるのでできないというような言い訳を私どもはときとしてしがちであります。しかしながら私たちは今後、従前にも増してスピードというものが強く求められているわけであります。そしてスピードを増していくということは、それはその中で多くの県民に確かさをもたらすためには、プライオリティー、優先順位というものを常に認識していく必要があります。私たちは当初からディテールからの改革、つまり細部にこそ真理は宿るという形でディテールからの改革と述べてきましたが、このディテールからの改革はもちろんひとつひとつ小さなことからコツコツと行っていくという、学問同様に行政改革にも県民サービスにも王道がないということを示しています。と同時にディテールからの改革はひとつひとつの場だけで終わっていくのでは次に似通った事象が現れたときにも最初から議論をしなくてはならない、すると結果的にひとつひとつのディテールからの改革は、そこで改革が成し遂げられても結果としてパッシブな受け身的な事象が起きると対処する、後遅れのモグラたたき的になる危険性があります。すなわちディテールからの改革は同時に私たちが目指す社会、長野県、信州はどういうものであるかということを常に念頭においたそうした俯瞰図を頭の中で思い描くことによってディテールからの改革はより他の場所においても皆さんが実践的に迅速に対処できる形になっていくわけです。その意味ではパッシブ、受け身ではなくて、ポジティヴであることがひとりひとりに求められています。そしてまた、弁明、できない理由を列挙するようなエクスキューズという形ではないアティトュード、これは先般スペシャルオリンピックスが開催された時にユニス・ケネディ・シュライバーというご高齢な創設者、あるいはティモシー・シュライバーという現在の会長と話しをする中で私たちは制度や仕組みが整うような以前、あるいはそこにお金があるとか人員がいるとかという以前に、ひとりひとりのアティトュード、つまり心の構え、それは何か組織の中の人間の所作として、身の処し方というようなものではなく、ひとつの哲学をもった向き合う姿勢というものが全ての基本においてとても大事だということです。この向き合う姿勢ということは、皆さんは白州正子という大変に優れた文筆家であり、あるいは芸術愛好家であった女性、この白州正子の夫は白州次郎といって戦後期の混乱時において吉田茂の政策アドバイザーを努め、そして東北電力の社長、会長を歴任した人物でありますが、彼が述べていることに子供から好かれる大人でなくてはならないというのがあります。子どもというものは本能的に直感的に取り繕いのある大人であるかそうでないかを見抜くものであると、つまり子供に好かれる大人というものは良い意味でその全力で前向きにそして全面からまさにアティトュード、態度を持ってですね、取り組もうとしているものであると、何か取り繕いのあるものというものは子供は鋭く見いだして、こうした大人になったり、あるいは信用しないものだということを述べています。これは私はとても大事な真理をついているのではないかというふうに思います。私たちが県民のためへの仕事とよく申します。これは、県民のためへの仕事というのは県知事のために皆さんが働いているわけでは無論ない、あるいは県議会議員のために働いているわけでも無論ない、そしてあるいはここに集う県組織のために働いているのでもありません。実は皆さんも県知事も県議会議員も一人の議員や知事である、あるいは部長や課長である、企画幹である前に一人の県民であり、もっといえば一人の人間であるわけです。私たちは人のために働くわけで、優しさという言葉で私たちは多く福祉や医療や教育の充実ということを図ろうといってきました。これは無論医療は多くの技術機械の進歩によって飛躍的な向上を遂げてはいますが、しかしながら医療や福祉や教育は人が人のお世話をして初めて成り立つ、ロボットではなし得ない領域というものがあるわけです。ですから皆さんは常に組織のためでなく、一人の皆さんが県民としてしかしながら皆さんのためだけでなく、県民の多くが願うことは何かを想像していかなくてはいけません。県民が願うことは何か数字によってのみ判断、絶対的にされるというものでは必ずしもないということなのですね。では県民が望むこと、それは以前に繰り返し述べていますが、演繹法から帰納法にしなくてはいけないということを述べました。最初にこれを自治研修所で述べたときに、たいへんに勉学を究めてきたある職員が私に間違っていると言いました。で、何が間違っていると言ったかというと、演繹法というのは、私は知識や経験が多くあるがために、普遍的なものより俯瞰的なものが出せるはずが、こういう条例があるからできません、前例がないからできません、予算規模がこれだからできません、と言って知識や経験がなまじあるがために、袋小路のものを見出してしまうと。帰納法というのは、ある意味では教養を超越したおじいちゃん、おばあちゃんが、こんなことしてほしいだとか、こんなことはもうたくさんだよとか、こんなことなら私達だってできるよとか言ってくれたときに、それを皆さんも一人の県民として、人間として、そのとおりと思ったことを実現していくということです。午前中の方には、この話をするのを忘れましたが、あるいは以前にしたかも知れません。現在、光文社という出版社の社長を務めている並河良氏というのがいます。この並河氏は、皆さんのあるいはお嬢さんもお読みになっていたかも知れない、JJという雑誌を創刊した人です。最初は、彼は女性自身の編集部にいました。女性自身は皆さんご存知のように、かつて多くの社会派の記事というものも載っていた。立花隆氏のようなものも女性自身で原稿を書いていた。ですので、並河氏は、実は実用ページ、昔の言葉で言う、お裁縫であったり、お惣菜であったり、こうしたことの写真ページであったり、活版の記事ページを担当してたので、女性自身のなかでは比較的主流派ではない部署と言われていたんですね。実は、そのページを女性自身の読者は読んでたんですが、女性自身の編集部の人たちは、我々は単なる女性誌ではないと、我々は社会的なこと、後に田中角栄の問題をも追及するような書き手を抱えた社会性を持った女性誌なんだという自負がありました。彼は、そんな中で別冊女性自身として、まさに良くも悪くもテニス同好会に入り、テニスウェアを着て、あるいは車でデートをするような若い人達が読む女性誌がないということでJJを始めるんですね。別冊女性自身なのでJJと付いたわけです。彼は、その後CLASSY、あるいはVERYという結婚をした世代、あるいはその年齢の上のSTORYというような雑誌を出してきます。他方で女性自身は、なかなか活版のざら紙の雑誌というものが売れなくなるなかで低迷をします。そのときの編集長が女性自身を2世代雑誌を目指すということをしたときに、この並河氏は、烈火のごとく怒ります。2世代雑誌というのはわかったようでわからぬ、極めて抽象的だと彼は言ったわけです。2世代雑誌というのは、つまり2世代住宅ができたり、お母さんと娘さんが仲良く百貨店に行ってお買い物をして、あんみつも食べて帰ってくると、それはよく雑誌にも載ってる世界なので、JJやCLASSYにも載っているのと同じことを、女性自身もやろうとしたときに怒ったわけです。なぜ怒ったかというと、コアになる人はどこにいるのだと言ったんですね。2世代雑誌というお題目から、そういう計画から入ることは、リアリティがない。この雑誌は誰に読んでほしいのか、年齢はいくつくらいで、自宅なのか、自宅はどこにあるのか、ひとり住まいなのか、彼はいるのかいないのか、あるいは彼以外にも密かに男性がいるのか、この洋服は好きだけど、この服は好まないとか、化粧品はどこを使ってるとか、想定する人を、つまり編集部が共有できる対象読者のイメージというものをかたちづくりなさい。しかし、その人にだけ売れるような雑誌であったならば、それは決して部数は1万部を超えない。コアの読者がいるときに、その読者像にあこがれる人達も読めるだけの間口、あるいは逆にコアの読者が、より次回も買いたいと思う専門性、ファッションに関しても、少しそういう引出しもどこかに用意されてるか、そうしたことが広がっていくパースペクティブ、俯瞰性というものを持った編集者であったときに初めて、それは母親も美容院で読んでくれるかもしれない2世代雑誌で、読者の数も少なくなっているから、美容院にも若い子も老いも来るから、美容院で最初から読んでもらおうという2世代雑誌などというお題目だけ掲げても、それは虻蜂捕らずだということを言ってます。これがまさに演繹法の本来あるべき姿ですが、演繹は知識や経験があると袋小路に入りがちです。私が帰納法と言っているのは、そうした良い意味で教養を超越した、皆さんの生活者としての直感、生活者としての実感から来るひらめきが大事だということです。このひらめきを手続民主主義の人達は往々にして、思いつきと言いがちですが、それはアイデアが枯渇して出てこない、今まで習ったマニュアルのなか以上のものは出せない人の、ある意味では負け惜しみである場合も往々にしてあります。つまり、皆さんはひらめきを大事にすることが必要です。それは、この県庁の前の通からJRのほうへ行くと、アールエフシステムという会社があります。内視鏡あるいは「みはるくん」という虫歯を診る機械を作っている丸山次郎という上田出身の創設者は、よい意味で思いついたら行動する。行動してこそ不具合があったら直していく。それは長野県のものづくり産業が確たるものであるのもアイデアの段階で逡巡することなく、行動に起こすからこそ、そこで使って、自分の家族も使う、自分も使うから改善がされていくんです。どんなにか議論をされたとしても、想定されない事象は起きてきます。そのために議論を尽くすだけでなく、行動することが必要です。またそのときに先ほどのディテールからの変革というのはひとつひとつをもぐらたたきするのではなくて、何かの事象に関して私と議論することによって行ったときに次に別な事象が起きたときには、これはどうやって対処しようかなという想像力を常に持つかんどころが必要だということだと思います。部長会議には地方事務所長も参加してますし、あるいは部長会議での私や部長の発言はJSNで皆さんお読みになることができます。あるいは部長会議において私が配った資料は私の書いたものであったり、発言したものであったり、それはテレビにおいてもラジオにおいても多くありますし、あるいは、私が雑誌や新聞の他者が他人が書いた文章を切り抜いてコピーをする場合があります。それはまさにもののとらえ方、とらえるというグラスプ、つかみ方、認識の仕方だけでなくてどのようなアティテュ―ドでこれからの海図なき時代に立ち向かっていくかということのヒントを私なりにお渡ししているということです。
 私の述べていることが絶対ではもちろんありません。しかしながら皆さんはこの組織の一員として事業を行っていくときに小林公喜氏がいみじくも先の議会で述べたように議論の段階においては、上司が提案したことに対しては勇気をもって自分の意見を述べる。そこでまさにブレインストーミングがありますが、一旦決まったことに関しては、一緒に誠意をもって尽くす。そしてまた的確な私はいつも認識、迅速な行動、明確な判断と申し上げているのは的確な判断といってしまうと、ひとたび決めるとUターンや微調整ができません。認識を深めていく、不具合を直していくために、的確な認識であるものを、迅速に行動して、さらに的確な認識にしていく必要があります。その意味においては、私が述べていることを、義務としてオブリケーションと聞いたり読んだりするということではなく、よりみなさんの仕事がし易くなるための、一助のツールであると認識をして私が、さまざま述べていることを読んでいただきたい。そしてその上で異なると思ったことは、遠慮なく私に言っていただきたいということです。そうでなけれは、私がひとつひとつこれはこうするんですよと、述べて行くことは、ときとしてそれは物理的に不可能ですし、皆さんのように深い専門的な知識や経験をつんだ人からすればトンチンカンである場合があるかもしれません。ただ「報連相」という報告、連絡、相談を欠かさずにとみなさんに申し上げているのは、そうした意味です。
 そしてもう一点、これはお正月にも申し上げたかと思いますが、それは、決して屈しない、決して逃げないということを、とりわけ今日辞令を渡した方には認識していただきたいと思います。
 先の議会で私は、エドマンドバークという18世紀のイギリスの政治家のことを幾たびか議場で申し上げました。どの程度ご理解いただけたであろうか、少しおぼつかないところでありますが、このエドマンドバークというのはですね、イギリスの自由党と言われている第3の政党があり、ここに属していましたが、彼は、党派制というものを非常に嫌った政治家であり歴史家でありました。彼は、民主主義をより充実させなけばならないという考えの人間でした。しかし、彼はフランス革命に関しては極めて懐疑的なのですね。なぜ懐疑的かというとですね、人民が革命を起こさざるを得なくなるような社会の矛盾というものが到来する前にリーダーたるもの、彼は皆さんがご存じのフランス語でもあるノーブレスオブリージュ、これは高き地位にあるものは、より深く社会的責任を自覚するということです。普段はイギリスのカントリーハウスで狩猟をしているような貴族も、一旦緩急あれば最前線に立ってかつての日本の人間魚雷とは異なる意味において、ひるまず自らが最前線に立って責務を果たすということが、ノーブレスオブリージュです。このエドマンドバークはエリートというものを否定してはいけないと言ってます。こういうことを申し上げるとすぐ目くじらを立てる方がいますが、私よりも皆さんの方が得意な料理もあるかもしれません。得意なスポーツもあるかもしれません。得意な知識もあるかもしれません。それは私、あるいは、いまそこにお二人座っているものどうしの間で、いい意味での優劣の差はあるということです。人間はそれぞれ、ユマニテ人間尊重課が金子みすずの詩をポスターに出しているように、一人ひとり異なるからこそ人が理解しあう皆さんが兄弟であっても家族であっても、あるいは愛する恋人というふうに先ほど新任者には言いましたが、愛する家族であっても100%意見が一致するなんてことはありえません。でもありえないからそこに議論があるし、ありえないからそこに行動が起きるわけです。エドマンドバークはよい意味でエリートを否定してはいけないといってます。皆さんは本県の中においてエリートです。ただそのエリートというのは、おごり高ぶったり、自分の地位を保全するためにエリートが存在しているのではありません。エドマンドバークは、まさに社会の多くのまっとうに生きている人々が、この社会ではいけないと思って立ち上がる、蜂起するようなよりも前に、ノーブレスオブリージュの精神を持ったエリートというものは、いち早く、社会を改善していかなくてはいけないということを言ってます。彼はこうした考えによってイギリスの保守政治のまさに輝ける星だといわれています。保守というのは、ある意味では私たちの仮に民主主義というものが、すばらしいものであるとするならば、それを保全していくために、たゆまぬ改革を続けてこそ、新の保守です。自分のいる地位を保全するために、なあなあの現状追認をしていくことは、これは、保守ではないということです。すなわち、保守や革新という2つの二項対立ではなく、真の改革を、この私たちのより良き社会をより充実させ保全していくために行っていくという、保守とは、実は真の意味で革新でなくてはいけないということをこのエドマンドバークは言っているわけです。
戻ると、皆さんには、多く、今回、様々な肩書きが付与されました。その肩書きに伴って、多くの権限も付与されています。けれどもこの与えられた権限や肩書きは、良い意味で、県民のために貢献するために与えられたということです。そしてある意味ではその皆さんを県民が羨ましいと思ってくれる、そうした仕事振りであるべきだということです。多くの県民もこの民度の高い本県において、「もっとこういう社会にしたい」ということを願っているはずです。そう願っている人達が、「ああ、私が願っていることをあの人には結果としてその肩書きや権限が付与されているからより実現できるんだ。いいなぁ、羨ましいなぁ。」と思われる、そういう公務員でありたいと私は思います。
 改革のスピードやその充実についていけないと、往々にして、そこで学ぼうとかあるいは議論をしようとするのではなく、自分を正当化するために、その改革のスピードや充実が異なるなどという人達が往々にしています。自分が想定していた、何かホリエモンのようですが、想定の範囲内、あるいは範囲を超えた充実であるととまどって、それについていけない人たちが往々にして自分を正当化するための意見を言いがちです。ただそれは、かつて、そうした形が続くということは結果的にカーブの中でブレーキを踏んでしまうということです。
 皆様の中には二種免許を持っている人がいるかと思いますけども、一種免許のときにはカーブの中でもスピードが出すぎていると、教習所の人は、「もっとちょっとブレーキを踏んで。」と、大してスピードが出てないからかもしれません。でも二種免許の場合には、カーブに入る前に適切なスピードであること、またそしてカーブに入ったあとその適切なスピードを超えていたとしてもブレーキを急に踏むのではなくむしろフルスロットルで踏み込むことによって車がカーブを曲がっていくということが二種免許の場合には教えられるわけです。ある意味では、皆さんはそうしたカーブを共に曲がっていく職責にあるわけです。同時に皆さんの考え、私の考えていることを多くの課員にあるいは多くの県民に、伝道師として伝えていくということがとても大事なことです。このたび、BMW東京の社長からダイエーのCEOになった林文子さんという女性も一昨日、日経産業新聞の中で同様に、それぞれのサービスの現場の喜びを多くの人に伝道師として伝える社員が活性化の原点だということを述べています。ぜひ皆さんにはそうした大きなミッションがあるのだと、そして、昨日までの業務と異なった方々がいらっしゃいます。ぜひ、昨日までの業務を今日辞令をもらうときれいさっぱり忘れてしまうのが今までの仕事の方法であったかもしれません。けれども、昨日の業務の引継のみをもって引継ができるわけはありません。なぜならば、その前、皆さんが何か月、何年にわたって、それぞれの多くの複数の事業を皆さんがチームワークの中でなし遂げてきているからです。それを新しい皆さんの後任者が一日にしてすべてを把握できるなどということはありません。幸いにして、皆さんのコリーグである、同僚である部下たち、あるいは同僚が残っていて教えてくれるかもしれません。でも皆さんがそれぞれその多くの方が所属長として、あるいは様々な、所属長に次ぐ企画幹としての権限と責任を持っていたわけですから、どうぞ次の部署に行っても、古い部署の人に、従来の部署の人に、「仕事はどう?」ということを電話で聞いたり、食堂で会ったときに話してみたりしてください。それは決して皆さんがいばるようなことであるならばこれは院政になりますけど、そうではないのです。自分のやってきた仕事を愛していれば自分の子どもと同じように、引き継いだ後もその仕事が少しく心配になる、関心を持つ、とするならば、次の人にも様子を聞いてください。同時に皆さんも新しい部署で、前任者に臆せず恥ずかしがらず、電話をしたり、メールで「このことはどう思う?」と聞いてください。それは決して職権の濫用を前任者がすることでも皆さんが後任者にすることでもありません。つまり、与えられた仕事をこなす意識ではなくて、それは、仕事は県民の要望に応じて生まれてくるものですし、仕事をこなすのでなく仕事をやり遂げる気概と勇気というものをぜひ持っていただきたいと思います。そのときに初めて皆さんは、同僚からもあるいは先輩からも後輩からも、ましてや多くの私利とか私利私欲とか私益というものは無縁で働く、学ぶ、生きる県民から羨ましがられる存在になるということです。本来エリートというのは私はそういうものであると思う。自分のための自慢ではなくて、まさに奉仕者として、最前線で戦うノーブレス・オブリージュを皆さんが一人ひとりお持ちになって、そしてそうした改革の内容を同僚や部下にも伝道師として伝え、決して屈せず決して逃げない、そうした責任ある者として働くときに、おそらく、白洲次郎が言うように多くの子どもあるいは多くの老人から好かれる、羨ましがられる、そしてその者が言うことに協力を惜しまない、それは私の自戒もこめて、そうした公務員像というものを一人ひとりが作り上げていくことではなかろうかというふうに思います。どうぞ多くの職務を大いに議論し、そしてまずは始めてみて不具合があれば直していく。それは同時に、私への報告や連絡や相談は、皆さんの上司がいるからとかいうような、決裁の判子の順番上、知事には直接伝えられないとか、そういったことはお思いにならないようにしていただきたい。なぜならば多くの県民は、地方事務所長にも部長にも私にも直接、臆せず伝えられるようになってきたわけです。そしてそれは、B to C、Business to Consumer あるいはBusiness to Business の世界です。もしかすると県議会議員の方々は、そうした直接話法になっていることが、自分たちの存在が希薄になるのではないかと思って不安を抱いているのかもしれません。でもこれは大きな間違いです。なぜ間違いかといえば、皆さんがコンピューターでショッピングをしたとしても、なぜではコンピューターショッピングをしている人がわざわざお店に行くのでしょう。洋服のボタンは、昔の親だったらちゃんととれていないかどうか見たけど、今の若い人は、イタリアものやフランスものだったらボタンも適当に縫ってあるけど、ボタンの糸がほつれそうかどうかまでは見ない。でもそこのお店には、自分が行ったら、お天気の話かもしれない、恋愛の話かもしれない、仕事の愚痴の話かもしれないけれども、自分と感覚を共有できる売り場の人がいて、その人と一緒に選んだ服であるということは数字やお金に換算できない「確かさ」なわけですね。そうしたものがマイスターです。こうしたマイスターであるならば、どんなにB to Cのフラットな社会になってもその問屋さんは生き残れるというということです。県議会もそうしたマイスターとしての問屋化が求められているわけでしょうし、何人かの議員は確実にそのことができているのだろうと思います。ある意味では皆さんはこのコンピューター社会、グーテンベルグの偉大なる発明の次に、先ほど清水情報政策課長に辞令を渡すときに述べましたが、ITというのはまさにグーテンベルグの発明に次ぐ、偉大な社会の変革です。でもその変革のフラットな社会を生き抜くためには、皆さんが、まさに、先ほど申し上げたように、真の帰納法に基づき、失敗を恐れない、行動を恐れない、そして議論もいとわないという中において初めてそれぞれ専門性のマイスターを持ち、そしてノーブレス・オブリージュの気概を持った真のエリートとして、県民から期待され信頼され感謝され、その感謝の気持ちが数字やお金に換算できない私たちの次なる原動力となっていくという、改革を成し遂げるものであろうと思っております。どうぞ、皆様とご一緒に、引き続き本県を改革していく、そしてその改革が、日本の多くの方々にもご理解いただいて、他の地域にも、ゼロ予算事業が他の都道府県で、今年度「ゼロ予算事業」と名乗るようになったように、この言葉はまさにパテントフリーであって、むしろそうした言葉や事業が他の都道府県でも導入してもらうことが、私たちのお金や数字に換算できない喜びであり名誉であるという、その勇気や自信を持って、突き進んでいただきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。ありがとうございます。

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