「仕事始め式」知事あいさつ(2003年1月6日)
通常ならば、あけましておめでとうございますという言葉から始めるのでありましょうが、もう皆さんも既にご存知のように、大変に、年末年始も日本全体が忙(せわ)しない社会になってきましたし、3が日と呼ばれる日にも、まさにお店もオープンし、通常と変わらぬ日々なわけであります。もちろん、年末にも申し上げたように、年末年始も私たちの多くの職員が、病院やあるいは警察、その他の現地機関の職員が、雪の中、昼夜を問わず県民のために働いてきたわけでありまして、また未曾有の財政危機の中にあって、まさに、あけましておめでとうございますと言うよりもですね、今年もまた皆さんが私とともに県民のための奉仕者としてですね、昼夜を問わずご尽力いただくことを私からぜひお願いをする、そうした場であるとこのように思っております。
かつて、カルタゴというような国家がありましたけれども、潰えてしまったわけでありまして、こうした話を去年に引き続いてすると、あるいは、何をまたと、笑われるかもしれませんけれども、日本の経済が華やかなりし頃に、シンポジウムのようなものに出かけますとですね、必ずそうしたときに、パネリストで参加している企業の方々がですね、わが社は永遠であるという前提のもとで活性化のお話をなさるわけであります。けれども、私たちには永遠というものは、これは地球という物体も含めて、あるいは無いかもしれないわけでして、その事を充分自覚した上で、けれども自暴自棄になったり、あるいは諦めてしまうのではなく、永遠ではないであろうからこそ、いかに永続させていくべきなのかということを日々考えるべきであろうと思います。とりわけ、わが社は永遠であるというふうにおっしゃった方々というのは恐らく、わが社というものを自分たちの仲間内での集合体と考えていたわけでありまして、そこにはそのまさに企業市民として、社会の中で存在をしているという観点がいささかならず希薄だったのではないかと思われます。思いますと、そうしたときにわが社はと、したり顔で語ってらっしゃった、それぞれの役職にあられた方々の会社というものは、その後、栄枯盛衰を経ているわけでありまして、そのように考えますと、この長野県という220万県民の緩やかな集合体というものも、今のまま存続しうるという発想は、やはりこれは厳しく廃さねばならないと思っております。
学校教育に関して私がお話するときに常に、児童・生徒が顧客であって、また税金を払っている保護者というものが株主であるというお話をしてきたと思います。顧客であるということは、必ずしも、何をしても良いということではありません。お金を払って施設を利用する場合にも、そこの什器を壊せば厳しく咎(とが)められるわけでありまして、そこに集合している児童・生徒は、顧客であると同時に、顧客としての慎みということを学んでいかねばなりません。そしてまた、その顧客とともに株主というものがいて、初めて学校は成り立っていくわけであります。私たちの自治体がこれからどこを向いていくのかということを年末年始、改めて考えておりまして、私が、ある意味ではそうした自治体の運営者として大変に尊敬をする、長野県の一番北のはずれの栄村の高橋彦芳村長が去年インタビューでお答えになっていることを、あるいはこのような年頭の場でですね、一人の首長の名前を出して、その方の発言を引用するということは、従来であるならば、またそれは、必ずしもその方にとってですね、心地よい言葉が周囲から聞こえてくるものではないという形であったと思います。ただ私たちは、目立つということを恐れてはいけないと思います。目立つということは、良い意味でさらされることでありまして、毎日新聞の、1月元旦の鼎談(ていだん)の中でも私は申し上げましたが、私たち公務員というものはやはり市民の目にさらされることによって、身を縮こまって律するのではなく、その市民と向き合うということの練習問題を解いていくことだと思います。高橋さんは、このようにおっしゃっておりまして、率直に言って、地方分権改革で何が変わったとは殆ど感じませんと、国との関わりも、県を通じてしかありませんが、県そのものがあまり変化をしていません。急に変わることは期待もしておりません。犬の注射とか、野犬狩りとか、人のあまりやりたくない仕事は市町村の仕事になりましたが、根幹は何も変わっていないように思います。もちろん、町村の姿勢にも原因があります。国や県というか、実際には職員が、単なる行政指導で法的規制など実際にはないのに、あるかのように振舞う場合があります。それでも町村が黙っているということがあるように思います。県と村は対等なんだと言うように意識を変えろと強調しているのですが、指導要綱に忠実にやるのが一番いいというように、従来と変化を我々もしないわけです。このように述べています。私たちの職員としての存在価値はどこにあるのかといえば、それはまさに、長野県の中の市町村あるいは市町村よりもさらに小さなコミュニティ、集落というコミューンにあるわけであります。それは、そうした集落が今まで持っていた、コモンズと呼ばれる共有の財産というもの、それを守るということにも繋がります。この春には、県の本庁舎にいる者の約半数を目途に、人事の移動を行うということを既にお伝えをしているのも、こうした私たちはまさに一人ひとりの市民が暮らすコミューン、コミュニティというものと日々接して仕事をしてこそ、初めてこの大きな220万の、全国4番目の広さの自治体も、自治体として存在し得るという危機感からであります。同時にこれは、NPOを始めとする様々な新しい市民の集団だけでなく、ホテルであったりあるいは病院であったり、あるいはスーパーマーケットであったり、まさに市民が最も集い、市民の目線で市民のための商いをしている場所にも積極的に私たちの職員が研修あるいは交流の形で派遣されるという、新しい年度にしたいとこのように思っております。これは、長野県にはご存知のように、駒ヶ根に海外青年協力隊の訓練所というものがあります。ここで訓練を受けた方々、あるいはその後、中南米やアジアやアフリカを始めとする発展途上国で2年の勤務を経て戻ってこられた長野県出身の方々が、1階にあります知事室にあいさつにみえられることが年に何度かあります。そうした中には、まさに日本の公務員であったり教員であったり、あるいは名だたる企業と呼ばれるような所への就職を、当初は考えていたにもかかわらず、そのような場所でまさに多くの市民のために働くという経験をしてきた方々がいます。私は、これは決して憐(あわ)れみからではなく、そうした若い男性や女性が語る言葉は、派遣される前においても、また派遣された後においては尚のこと、まさにそこには生きた言葉があると、このような意識を持った人々が私たちの新しい仲間として加わっていく必要が、私はあるのではないかと前から思っております。これは今後、人事委員会の方々に深いご理解をいただかねばならない点ではありますが、年末の朝日新聞の社説にも、父親あるいは母親が、事業等に失敗する中で、あるいは精神的に組織の中で追い詰められて自殺をしたにもかかわらず、そうした子弟というものが立派に勉学を修めて社会へと羽ばたく人たち、そうした方々を、交通事故の遺児を支えてきたあしなが会の人たちが同様に支えていると、にもかかわらず、そうした方々の就職と呼ばれるものが、もとよりの就職難ということにも増して厳しいものがあるという記事がありました。私は、長野県という行政組織は、まさに県民のための、様々な意味での福祉のサービスをする機関であります。とするならば、そこに集うものたちも、ある意味では海外青年協力隊であったり、あるいは家族が事故死をしたり、あるいは自殺をしたりした、そうしたものを乗り越えてきた人たち、ある意味では、大変な大病を乗り越えてきた人たち、1月2日の日に、地球環境高校のサッカーの試合というものを観に、埼玉県のさいたま市へと出かけました。彼らは、塚原青雲高校がわずか17人という人数で甲子園出場することを勝ち取ったように、チームができて1年にもならない中で、長野県の代表となり、そして長野県勢としては5年ぶりに1回戦を勝ち抜きました。そしてまたそこに集っている者たちは、長野県出身者だけでなく、関東一円から、まさに良い意味で人生の挫折というものを乗り越えてたくましくなった若者たちです。私は、こうした人生の経験を経ている人たちが、新たに私たちの仲間へと加わることによって、さらに私たちが県民への福祉のサービスをする一人ひとりであるということを、より今までの知識や経験を豊富に持った皆さんをはじめとして、またこの講堂にお集いの方だけでなく、今この私のあいさつを放送で聞いている方々にも深く自覚していただけるようになろうと、このように思っております。
昨日、若手職員の集いというものがございました。大変にすばらしい意見がいくつも出まして、大雪の中、35名ほどの方々が、下伊那や佐久からも足を伸ばしてくださいました。私はここで大変に深く反省をいたしまして、もちろんこれは、ひとえに私の思慮の至らなさでありまして、告知をした人事活性課や政策秘書室が咎(とが)められるべきものではありませんが、若手の係長以下の者が参加できますというような文書にいたしました。何人かの方から指摘を受けまして、まさに私たちの職員の中には、私は今46(才)でありますが、私より年齢が上であっても係長級として、けれども県民のサービスの最前線で働いている方々がいる、係長級の若手というその文書は、無意識であるにせよ、まさにその皆さんがいる講堂の横にある県庁本庁舎というものの目線で、県庁本庁舎の基点で物事をとらえていたのではないかと。日頃こうした発想を廃しよう言ってきた私としてその思慮の至らなさに深く反省をいたしました。私は、従来から皆さんがお書きいただく文書の中で、「長野県といたしましては」という文章がありますけれども、これをぜひ改めていただきたいと、「長野県は」というふうにしていただきたいと申しました。行政の文章というものは比較的私も文書はいまだに拙(つたな)くありますが、それよりも、非常に、ある意味で言うと、有り体でいいますとまだるっこく書くところがあります。これは結果として、無意識の中に責任を回避しようとしている動きではなかろうかと私は思います。「長野県といたしましては」という文章は、それは自分がまさに、皆さんが今名札をつけているように、バイネームで、フルネームで、名前を出して、自分がその役職や年齢にかかわりなく、まさにその仕事を任されたディレクターとして行っているのだという、良い意味での気概や誇りとは逆の意味であって、「長野県といたしましては」という、大変に大きな、漠とした形が目に見えない長野県という名前を背負うように見えて実は責任回避をしている言葉であります。ぜひ、今後書類を書く場合には、「長野県は」と、その場合は、長野県は220万の集合体であると同時にすなわちその220万の集合体の奉仕者として働いている県庁職員すべてが、という意味であります。同時に、私のことを、今でも多くの皆さんは、知事あるいは知事さん、あるいは田中知事というふうに呼ぶかもしれませんが、先ほども部局長会議でお話をして、皆様にもご了解をいただきましたが、ぜひこれからは、肩書き、役職名で、課長、部長と呼ぶのではなく、最初は戸惑うかもしれませんが、それぞれの人の名前で、さん付けで呼んでいただくようにしたいと思います。何をまたかしこまって、とおっしゃるかもしれませんが、でもこれは1つのやはり私たちの中の意識改革であります。先ほどの若手職員の集いのときに、彼らがある意味では私と、あとは皆若いものでありましたので、非常に恐らくは臆せず今までにも何度か視察の現場で会ったことがあるときに感じていた印象とはまるで異なる、非常に生き生きとした発言を、積極的な発言をする人たちがいたと思います。ぜひ、さん付けにして、役職名で呼ぶのをやめていただけるようにお願いしたいと思います。もし、それがなかなか難しいようでしたら、各部署に小さな募金箱でも置いてですね、役職名で呼んでしまった場合には、そこに幾ばくか自分の気持ちを入れるというような形で、それは、県財政が逼迫してますから、それを福祉施設に寄附していただいてもかまいませんし、あるいはそれが逆に、そうした形でよい意味でフラットな意識になったときの親睦のための費用の足しにしていただいてもかまわないかと思います。いずれにしても私たちには多くの権限があります。もちろん、役職名がある方にはさならぬ権限があります。でも、その権限は私たちの権威という名誉のために、家族のために、周囲のために用いるのではなく、今この瞬間も、私たちが直接相対することができない多くの県民の幸せのために私たちに与えられた権限を用いるのです、そしてその権限を、そのように適切に用いるために、たまさか私たちにはそれぞれ自分の名前以外の肩書きがついているということです。その意味では、長野県の人事評価というものも、現在、いくつかの企業の様子を調査をさせていただいてますが、まさに360度の、部下が上司を評価する形、あるいは直属の上司の評価に納得ができない場合に、それは第三者によって別の評価を得られるような、良い意味での敗者復活の形、こうした能力制度というものを厳格に市民のためにより具体化していかねばならないと思っております。
昨年、地球環境室という部署の公募をいたしました。大変に多くの職員が応募してくれましたし、また、室長に関しても、多くの、私が今までゆっくりと話す機会がなかった現地機関の職員を含めた多くの意欲のある方々が応募をくださいました。私は、繰り返し申し上げておりますが、自分が手を上げるという人に対して、きちんとしたチャンスを与えるという人事でありたいと思っております。やる気があって、提案力があり、また実行力と、また良い意味での市民のための思い切りの良さがある人というものにチャンスを与えていくということです。その意味では、具体的にどういうポストでどういうことをやりたいのかと、こうした点が明確な人をより起用をしていくという人事方針でありたいと思っております。この課で、こういうことを自分はやりたいと、あるいは、その課というものを超えて、具体的にこういう行政サービスをしたい、また、それはすなわち課を超えて、他部署や県全体で取り組むべき、こういう行政サービスがあると、このような考えをぜひ課長級以上の方々はそれを書く意思のある方々は応募をしていただきたいと。書面に関しては、後日ご説明を担当の方からいたしますが、これをまずお願いをしたいと思います。そして、今課長級以上というふうに申し上げましたが、これは現在の課長級以上の職責にあるということを意味するものではありません。たとえそれが20代の方であっても、あるいは年齢を経た方であっても、自分は課長級以上の権限の下で、このような仕事を県民のためにしたいと思う人はですね、まさに誰もがそのレポートをお出しいただきたいということです。繰り返しますが、このレポートの提出は、それぞれの個人の自由な判断に任せます。ですので、現在の職責を越えて自分が行いたいということが未だ明確ではない方は、あえて申し上げれば、無理をしてまで出す必要はありません。しかしながら、昨日出席をした若手の方々を含めてすべての職員が、自分にもし課長級以上の職責の権限が与えられたならば、このような仕事をしたいというものがある方は応募をいただきたいと思います。現地機関において、応募しにくいという方もいらっしゃるかと思いますので、これは新しくイントラネットとしてコンピューター網が整備されましたので、ここから書面をダウンロードするような形、あるいはそこに記すべき内容が書いてあるので、書面の形式は問わず、応募を郵送等で行うことができる等、様々な配慮を踏まえた上で、実施をいたしたいと思っております。
もう1点、元旦の新聞をご覧になった方は、現在、県の本庁舎の1階にあります知事室というものを、塩尻市に位置しております林業総合センターの中に設けて、そこでの執務を私が行うということをお読みになったかと思います。再選後、私は県の中南信において、一月のうち10日程度は、そこを拠点にして執務をするようにしたいと申し上げてきました。当初は、合同庁舎の中の一画をお借りするような形を考えておりましたが、これはどこでも知事室のときの拙(つたな)い経験からいたしますと、そのために県民のスペースが奪われたり、あるいは私が訪れる都度、前日に大掃除をせねばならないというような職員への迷惑を強いてきております。こうした反省にたって、私はある意味では森林県であり、環境というものを21世紀においてリードする長野県のある意味では基点ともなる林業総合センターの場所にそのような場所を設け、そこで「ようこそ知事室へ」も、あるいは市町村長とお目にかかることも、またその場所を基点として県内各地へさらに現場主義を実行することを行いたいと思っております。私が赴くだけでなく、何人かのいわゆる部長級の方々、あるいはまさに意欲ある職員の方々も一緒にその場で執務を行うと。また、私が逆にそこで執務をしていないときには、阿部さんをはじめとする方々がそこでも仕事をするという形をとりたいと思っています。ウインドウズ型ではなく、リナックス型であるということを繰りかえし申し上げてきたと思います。私はこの長野県において、いささか北に偏った長野市に県の本庁舎があったことによって、長野県というものの反映があったという面は少なからず多く、その点は、私はこの北信地域、とりわけ長野市に住まわれている方々に感謝をするところではあります。他方で、一昨年になりますが、三水村で、農政部が主催をして、独身の農村青年と、若い方々とのいわゆる合コンパーティーというものを行いました。この行ったサンクゼールというワイナリーに私も出かけましたときに、1つ、これは長野市の方を貶(おとし)めることではなく、無意識の中にそうした意識が県民の中にあるということを知って、いささか呆然としたのですが、どちらからお越しですか、と、若い男女に聞きますと、多くの方は、私は富士見町からきました、南木曽町から来ました、あるいは川上村でレタスを作っています、あるいは東京からこの会合をホームページで知ってきましたという方がいました。地元である三水村の方も、どちらからですか、とお聞きすると、三水村ですと答えましたし、須坂市の人も例外なくそうでありました。たまさかだったのかもしれませんが、数十人の、長野市内からお越しの男女の方に私が聞いたときには、ほぼ例外なく、どちらからですか、とお聞きすると、地元ですというふうに答えました。そこは、地籍的にいえば、広い北信という地域ではあるにせよ、三水村であります。私は、この県の本庁舎に片道高速道路を使っても3時間半以上かけて、会合のためにお越しになる南信の方々がいる、あるいは佐久地方の、南の方々がいらっしゃる。ある意味で言うと、この本庁舎を基点に考えていると、松本や上田で会合があっても、少し遠い場所で行われているように私たちが無意識のうちに思っているのだとしたら、その意識は、やはり県民の税金によって生活をしている私たち自らが改めなければいけないことではなかろうかと、このように思います。長野県全体が、まさに一つひとつのコミューンが、小さな確実な分身運動をすることによって、長野県全体が全国で4番目の広さであるとか、あるいは本州の真中のまさに活断層がある背骨に位置するから活気があるということではない、小さな一つひとつの分子運動が全県下で行われることによって長野県全体の大きな活力になると思っております。その意味では、これもまた追ってお話をしますが、今までは例えば、林務部の仕事は林務部、農政部の仕事は農政部という形でした。私たちが部長会議で発案が出ても、それはどこどこの部の仕事だからそこで企画を立てるという形でありました。これは、言葉を変えればある意味では、私たちの県の組織内において随意契約をしていたというようなものであります。けれども、そこに競争があってこそ、私たちは良い切磋琢磨があります。政策秘書室や企画局が、それに対抗して計画を立てるというような形ではなく、昨日の若者の中に、まさに良い意味での遊軍組織のエージェントのようなものが20〜30人いて、そこが良い意味での営業マンとして、接続コード役として新たな企業家の手伝いをする、あるいは新たな県の仕事としての立ち上げを手伝う、企画を立案するという提案がありました。私は、私が漠然と考えていたことをまだ30代前半の職員が、それは3人のグループでありましたが、詳細なレジュメを書いてきたのを見て大変に心強く思いました。良い意味で言えば、私たち県の組織内においても、「脱・随意契約」の発想を導入していかねばならないと思ってますし、同時に私たちはまさに、民間の活力を尊ぶという観点からたてば今後は、技術の現場においても私たちは、営業マンであるか、あるいは良い意味で民間が行ったものを、良い意味であら捜しではなく、県民のためにチェックをする検査マンであるか、究極的に言えば、今後の私たち行政マンの仕事は、事務、技術、あるいはその他の職種を問わず、営業マンか、検査マンという意識になっていくのではないかと、このようにも考えています。
大変に長くお話をしました。いずれにいたしましても、私たちの長野県のすばらしさは、昨年ヒットした映画「阿弥陀堂」にあるように、お年を召した方々もまさにその地域において、地域への帰属意識を持って、地域の人がともに支えあって、幸せに暮らしていけるということであろうと思います。昨日実は、NHKの教育テレビで録画で見たのですが、「心の時代」という再放送をやっておりました。建築家の外山 義(トヤマ ヨシ)さんという男性の方で、昨年末に急逝をなさった方です。彼はまさにモダニズムという建築というものに携わってくる中で、例えば住宅も含めて、あるいは老人施設も含めて、それはハウスに留まっていて、ホームになっていないのではないかという疑問をもつようになり、北欧に留学をします。彼が言うのは、どんなに立派な特養ホームであっても、そこに移る老人は、それまでに暮らしていた地域や、あるいは家の中の使っていた家具があったり、あるいはもう亡くなられたご主人が向かい側に座っていた場所があったりすると。私たちは、そこにとてもすばらしい、高さの調節もできるベッドがあり、多くのスタッフがいれば、そこでその老人は遥かにより幸せな生活ができるのではないかと思いがちであると。けれどもその老人にとっては、今までいた自分の存在していた存在価値や存在場所というものが、一変してしまうと、そこで、まさにそれがホームではなく、建物というハウスであって、そこで痴呆の具合が進んでしまうということを彼はテレビの中で繰り返し語っています。それは、阪神・淡路大震災のあとに、それまで住んでいた文化住宅と呼ばれる、決して恵まれた環境ではなかったけれども、その自分の家の温もりがあった所から、避難所に移り、仮設住宅に移り、復興公営住宅という、暖房も完備して、オートロックのドアの部屋に移れば移るほどその老人たちの痴呆が進み、老人たちの孤独が広がっていったということも期を一にしてるのではないかと思います。私たちがこれだけ、8000人を超える、あるいは警察や教育の現場を含めれば3万人にならんとする、まさに労働集約な私たちが県民のために今もなお存在しているとすれば、長野県全体がコミュニティーだけでなく、長野県全体が立派なハウスではなく、まさに心が通うホームであることを、老いも若きも実感していただける、そうしたために私たちは日々尽力をすべきであると、昨日の夜そのビデオを見て改めて痛感したところです。ぜひ、この1年も大変に厳しい財政状況下ではあります。多くの皆さんに迷惑を、また、労苦をお掛けするかもしれません。けれどもそれは一人ひとりが自分の名前で仕事をする、県民から良い意味でさらされている、けれども良い意味で県民から感謝されることを心の糧とできる公僕として、この1年、共に働けるように改めて多くの方々にお願いをして、新年のあいさつといたします。どうぞよろしくお願いいたします。
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