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最終更新日:2003年03月24日

内外情勢調査会 知事講演「最近の県政について」

 
平成14年5月17日 長野市・ホテル国際21
平成14年5月21日 松本市・ホテルブエナビスタ

 長野県知事を務めております田中康夫でございます。

 本日の演題は「最近の県政について」という大変に凡庸なタイトルともいえますが、ある意味、県政は県民の皆さまの生活すべてでございまして、もっと言えば、私たちが生きているということに関して長野県は一緒にお手伝いをするということです。

 私たち行政はサービス業ですので、皆さまから税金をちょうだいしていろいろな事業ができ、お給料までいただいているのです。普通の商売は、良い商品をつくって、良いサービスをして初めて、それも何カ月後かにお代をちょうだいできるわけです。ましてや皆さまの中で大変に優良な納税者には、黒字ですと予定納税という形で翌年分まで前もってちょうだいするという、商習慣を逸脱しているのが私たちの仕事なのです。行政は、ある段階で採算がとれなくても事業を行わなくてはならないことがありますから先にお代をちょうだいするのです。私たちは常に行政の役割を意識していなければいけないのです。

 そして私たちは、よほどのことがない限り失職することもありませんし、ひとたび評価がワンステップアップしますとそこから落ちることもないという非常に恵まれた待遇にいるのです。私たち公務員が恵まれた立場にいることは、自分が楽をしようということではなくて、食うや食わずでは隣人へのお気持ちを持つことができないからなのです。腹八分目以上になったら、その残りの部分とその他の精神的なエネルギーをも長野県内の意欲ある方々のために奉仕として使わなければならないということです。長野県では生きる意欲のある方々に公平ではなくて、公正なチャンスを与えていくことが行政の一番の役目だと思っております。公正なチャンスというのは、結果が人それぞれ異なります。しかし、その結果にお互い目を背けることなく見つめることが次の公正なチャンスを与えることになるのではなかろうかと思います。

 今、長野県は生きる意欲のある人を支援すると申し上げましたが、これは自律的な自己判断をしていただける方を支援するということです。端的に申し上げれば、補助金的な発想の行政から転換して、長野県内で税金を払うという義務もきちんと果たしてくださっている企業がさらに構造変換できる、あるいは社業がさらに発展するための手だてを行っていくべきだということです。

 と申しますのは、現在の私たちの社会は食うや食わずではありません。飢餓があって今日食べ物を提供しなければ、その方が亡くなってしまうわけではありません。地震を例にしますと、地震発生直後の食べ物や水がない時には食料や水を差し上げる、一週間経過してお店も開店したがふろ屋はまだ開いていない時には架設のふろを設ける、老夫婦で暮らしていたけれども独居になってしまったならば心のケアをするというように、私たち行政が行うことは徐々に変わってまいります。私たちの社会は今日食べる物も明日着る洋服もあります。これは大きな目標です。例えば、かつてのアパルトヘイトのころと違って20歳以上の方には全員に参政権が与えられています。大きな目標は達成されているのです。しかし、恐らく自由民主党を支持なさっている方も今の日本のままでよいと思っていらっしゃる方はいないと思うのです。日本は果たしてどうなってしまうのかと皆さん心配されているのです。これは大文字の目標ではなく小文字の目標で、日常の生活の中で変革しなければならないことなのです。

 法は本来、人々のためにあるわけで、より自律的な意欲のある方に自由度を与えることが目的なのですが、往々にして法を守るために新たな法をつくったりするわけです。けれども人はだれによって救われるかといえば人なのです。私たち行政は極めて労働集約型の産業です。なぜ労働集約型かというと、行政は人がいなくてはできないことを行うからでして、ところがこの労働集約型の産業が得てして法律を守るために新たな条例を制定したり、規制や指導をしたりしているのです。これでは本末転倒なのです。

 私は福祉、環境、教育がこれからの長野県の三本柱であると思っています。今、県職員とも話しているのですが、福祉という言葉を健康に替えて健康、環境、教育ではなかろうかと思っているのです。福祉という場合、言葉の意味合いとして授ける、あるいは、していただくというニュアンスがあると思うのです。長野県が目指すのは、一人ひとりが自律的に判断をして、そして自律的であることだと思うのです。

 ただ福祉、環境、教育は、都道府県知事のだれもが言っていることで大変に凡庸ともいえるキーワードです。従って、この福祉、環境、教育をいかにしてビジネスモデルとしていくかということが重要なのです。

 まず福祉・健康に関して今年度実施している象徴的なことをお話しします。

 障害者の在宅福祉サービスについては、タイムケアの利用時間限度を倍増するなど、今年度予算を前年度に比べ28%増加させました。さらに精神障害の方のために新たにホームヘルプとショートステイのサービスを開始するなど、精神障害者への福祉サービス関係予算を前年度に比べ40%以上増額しています。

 私は意識として分散型の健康の体制にしていこうと考えています。例えば、駒ヶ根市に建築後34年が経過した西駒郷という知的障害の方の施設があります。建設当時は非常に輝かしい理想郷的なコロニーと呼ばれる施設でした。施設の中で生活のすべてが完結し、職業訓練も施設内で行います。けれども、こうした知的障害者の方も私たちと同様に恋愛をして、自分たちも街の中に住んで、そこから仕事をする場所に通いたいと思われるのです。そうした方に県営住宅などにも入っていただけるチャンスを設けていかなければならないのです。

 西駒郷に併設して駒ケ根病院という精神科の病院があります。この病院一つだけを長野県の精神医療の拠点として指定しても長野県の面積は全国4位の広さですから、十分に機能しないのです。一つの施設だけでなく、分散型あるいは巡回型にしていくことが必要なのです。

 長野県の平均寿命は、男性が全国1位、女性が4位です。しかし老人医療費は全国最低で、またご自宅でお亡くなりになる方も一番多く、病院に入院している日数も全国最低の県なのです。こうした状況になったのは、行政が優れたビジョンや戦略を持っていたからではないと私は思います。厚生連の佐久総合病院や組合立の諏訪中央病院といった農村地域にある病院に勤務し、農村医学に取り組んだ大変に優れたお医者さんがいらしたからではないでしょうか。こうした医師の皆さんが保健婦と一緒に農村の集落を回って、まさに勤務時間外の夜にミニ車座集会を開催したのです。

 かつて長野県民は野沢菜の塩辛いのを食べて塩分を多くとり、また、日本茶やお酒を飲んで口角泡飛ばして夜中まで議論をする県民性なので頭の中までホットになってしまい、農家のトイレは離れにあるので用足しに行っているその間にお亡くなりになられる方が多かったのです。こうした住環境や食生活を変えようと努力なされたのが医師や保健婦の皆さんだったのです。

 長野県がサービス産業よりはむしろ中央官庁や精密機械などの製造業で素晴らしい人材を排出してきたのは、非常に理詰めに考える県民性だからだと思うのです。ですから医師が理詰めで、それも高みから語るのではなく、同じ畳の上に座って保健婦と一緒に話をしますと県民は素直に従うのです。

 私たちのような税金を先にちょうだいして仕事をしている人間は、自分が良かれと思うことを皆さまに押しつけることをしてはならないということです。極論ですが農耕民族的な意識が色濃く残る日本という社会では、皆さまは長野県以外の場所に住むという選択もできるわけです。けれどもこの美しい長野県にお住まいになるということは、私たちにとっては顧客であり、顧客が仮に理不尽なことをおっしゃったとしても、私たちの考えをお話ししなくてはいけないのです。私と共に働く県職員、あるいは私たちが少ない金額の交通費をお支払いして審議会の委員になっていただいている方は、県民という点ではお客さまですが、その方々もまた県民の期待に応えていただかなければならないのです。審議会の委員は今まで各種団体からの推薦という形をとってきました。けれどもこれは極論すれば、私たちの責任をその団体に回避していたことになるのです。ですから私の力を強めるということではなくて、委員は私たちの責任において選ばねばなりません。そして私どもの職員は私と共に働くスタッフですから、お客さまとしてではなく私と共に私たちが信ずることを行わねばなりません。それが好ましいか好ましくないかを判断するのは顧客である県民の皆さまなのです。

 今年度から宅幼老所の開設へ助成する制度を始めました。既に県内にはいくつかの宅老所が開設されていますが行政の支援はありませんでした。デイサービスセンターは往々にして立派なコンクリートの建物です。そこでは50人以上の方々が定められた時間に体操をしたり、同じ机に向かって切り紙をして紙を並べたりしています。いすの生活なのです。でも多くの皆さんは、夕方ご自宅に帰られたあとは畳に座っていらっしゃるでしょう。朝と夜は畳で食事をするのに昼間はいすに座っているということは、いわば毎日遠足に出かけているようなものです。一日の生活のリズムが精神的にも肉体的にもあまりに異なることがお年寄りにとって好ましいことなのでしょうか。そうではないと思うのです。

 宅老所は、しもた屋や農家を利用して5人から10人という単位で、まだ元気で意識はかくしゃくとしている方が集われる場所です。今までの宅老所をみますと、往々にして社会福祉協議会などに勤務していたけれども、大きな組織の中では小回りが利くサービスを提供できないと考えて独立された方々が運営しています。しもた屋を宅老所に改修するにしても消防法の関係で100平方メートル以上の面積があると非常口を示すランプをつけないと補助金を受けられないのです。台所に防火装置を設置するにも1,000万円ほど必要になります。そこで長野県ではスタートする際に新築で最大2,000万円、改修で最大500万円を助成する制度を作ったわけです。

 今までの行政のシステムですと、こうした施設を支援する際には融資を行ってきました。しかし融資ですと一定期間返済していただく間、担当者が片手間であってもその融資の返済に関しての事務を行う必要があります。しかし宅老所を開設しようという方は、長野県内に住民票があり、長野県を愛して老人福祉に貢献しようとしてるわけですから、浅薄な性善説とは違った意味で私たちはその方を信じて、お金を差し上げることにしました。離陸する時にはどんなに環境に配慮したジェット機でもそれなりのエネルギーが必要ですので、最大2,000万円を離陸(開設)する時に助成するのです。

 宅幼老所では老人だけでなくて同時に0歳児や1歳児といったお子さんもお預かりするのです。子どもが小さい時には親といる時間が長い方が好ましいと私は思っていますが、現実にご夫婦、あるいは母親が働いている家庭が多いわけですから、自宅の近くにお子さんをお預かりする場所を設けることにしたのです。

 このように長野県は、制度を維持するために制度が続くという形ではないものを目指していかなければならないと思っております。

 私が知事に就任して1年半、県内の多くの方が県政に対してさまざまな意見を言ってくださるようになりました。始めたころの車座集会での発言は私憤が多かったのですが、最近は私憤ではなくパブリックの憤り、憤りというよりも公のディテール、細部でこうした方がいいということ、そしてそれに対して私はこういうことができると思うとおっしゃるのです。提言あるいは意思表明に変わってきているのです。ただ、これをさらに推し進める上で私に何か言えば解決するのではないかと期待することは、私にある種大岡裁きを求めていることになりますので、必ずしも健全な社会とは言えないのです。

 この1年半の間に県民の方に県政に関心を持っていただき、同時に県政が自分の子どもが通う学校の問題と同じように日常会話の話題となってきました。これからの1年間は、自分の市町村をどのように評価すべきなのか、あるいはどう変わるべきなのかについて今まで以上に関心を持っていただく時期だと私は思っています。

 県では宅幼老所への助成制度を始めたとお話ししました。県から助成があるとなれば県に申請しようと思いますが、ご存じのように直接県に申請することはできず、市町村に申請していただくことになります。福祉施策は国と県と市町村がそれぞれ費用を負担しており、宅幼老所のような県単独事業の場合には県と市町村が共同で負担するからなのです。

 これから1年たったときに隣の町には農家を改造して宅幼老所が3つできたけれど、うちの町にはできないという町が出てくるかもしれません。5つのグループが町に申請書を提出していたのに町から県に1つも申請されなかったという場合に、今度は市町村に説明責任が求められてくるということです。田中知事はえこひいきしているのかな? そういうことではないのです。最終的には市町村長が判断をなさるのです。「私たちの町は宅幼老所ではなく、50年後を見据えて立派な美術館をつくることが住民の情操教育のために必要だ」とお考えになるか、あるいは「宅幼老所ではなくて、もっと老人保健施設を造るのだ」という選択をされるかもしれません。市町村長の理念がこの1年間は県民一人ひとりによって良い意味でチェックされていく時代であると私は思っています。今後は県知事だけではなく市町村長にも説明責任があるということです。

 次は環境についてです。

 私たちはよく環境の世紀であると言いますが、環境の世紀というのは得てして抽象的に聞こえがちです。バイオマス発電に真っ正面から反対する方はあまりいらっしゃらないでしょう。けれども「バイオマス発電がビジネスモデルになるのですか?」とまず言われます。

パリのオルセー美術館は昔は駅でした。ロンドンにあるテート・モダンは、もともとテムズ川沿いの火力発電所だった建物です。この二つの美術館は石造りの建物であったからかもしれませんが、中をリノベート(修復)して、駅や発電所を美術館として活用したのです。今、日本においても高度経済成長期よりも少し前に建設された給水塔や発電所が役目を終えて壊されていく運命にありますが、そうした建物を活用できないかと思っております。例えばセメント会社の大きなプラントは今ほとんど眠った状態にあります。そのセメント工場の巨大なプラントで県産の材木を燃やして、そこで木酢液をつくることができるかもしれません。

これは私の一つの夢ですが、高速道路を利用すれば東京からほど近い軽井沢と名古屋から近い飯田にエコリビングセンターを造れないかと思っております。県のお金を使って造っても私たちのサービスがいたらないかもしれませんから、願わくはPFI(プライベート・ファイナンス・イニシアティブ)で建設したいと思っています。

そこに行くと玉村豊男氏のような、あるいは、ある農村マイスター的な生き方や山の中のきこり的な生き方がイメージ喚起できるのです。それは東京や名古屋であっても違和感のないような、純文学ではなくてとてもナチュラルな木造の家の展示があり、木を使ったさまざまな食器や生活工芸品が少し現代的なテイストで並べられていて、品質保証された野菜もあり、それを使ったおいしいレストランがあって駐車場は木立の中に点在しているのです。それは少子高齢化の中でも多くの生きる意欲のある人が長野県に住めるような生活を提案する施設です。

東京ガスのガスタンクがあった西新宿の場所には今、51階建てのビルが建っており、この3階にはザ・コンランショップというのがあります。そこではイギリスのサーの称号をもっているテレンス・コンラン卿がデザインしたものを販売しています。この人が食生活や住生活全体のデザインをするようになって、若い人に非常に人気がでてきました。

 教育についてです。

 教育制度を検討する上で感じることは、県と市町村それぞれに教育委員会があるため、私が考えていることに県民も少なからず理解を示し、支持されたとしてもなかなかそのままダイレクトに実施することができず、大変に民主主義的な、私の暴走を防ぐプロテクションが最もよくできた社会が教育の世界だということです。教育とは、私たちが子どもに教え、はぐくむだけでなく、子どもたちにもまた育っていく意欲がなければなりません。

 今年から小学校1年生を対象に30人規模学級を始めました。私の記憶に間違いがなければ、「30人学級はみんなの願い」と県議会議員の皆さんがおっしゃっても、長野県は財政事情が厳しいので30人学級を県単独では到底実施できないと言ってきました。私は厳密な30人学級ではなくて30人から35人までの学級に関しては、もう1人先生を加配するか、2つのクラスに分けるかのシミュレーションをしてくださいというと、10億円くらいでできることが明らかになったのです。まずは目指すべき社会を先に提示することが大切です。そのためにお金はなくても計画を立てましょうということではなくて、目指すべき社会の実現のためにどのように変えていけばいいのかということを議論しなければならないのです。

 高等学校の通学区は現在の中学2年生の入試から4通学区制になります。これは学校教育改革の第一歩にもならない、ごく当たり前のことです。公正なチャンスを与えるということです。学校の教員の資質をどうしていくのかが課題です。お金を出している保護者や生徒から教員が評価されるようにならないといけないのです。こうした制度を導入すると大変おもねるような教員だけが評価が良くなるとか、厳格な先生は評価が悪くなるとか、さまざまな意見があるかもしれません。でも離陸することを恐れてはいけないのです。離陸をするときにはエネルギーが加わります。次の目的地に行く時にはどんなに空の上が快適でも降りるときには必ず大きな揺れがあります。けれどもその目指す場所はどんな方向なのかということを明確にすればそれは行わなければならないということです。

 教員の評価は外部の人によって行われなければならないと思っています。県の行政機構を変えるために行政改革推進室を設けて何人かの職員を配置しましたが、彼らもタコがタコの足を切るようなことになってしまい、本意ではないと思っているのです。これはやはり良い意味でしがらみのない人によって方向を出していただくのです。そしてその方向、すなわちたたき台を提示していただいたら、その人には逆にその時点で責任を逃れていただくのです。責任は県民から選ばれて県民から常に判断される私が取るのです。提示されたものが私と議論してその方向であると思うのならば職員だけでなく議会にも県民にも提示して、こういう組織に変えていきたいということを示さなければならないのです。

 小諸市に動物愛護センターという施設があります。当初、犬や猫を主体に飼っていましたが、今はブタも飼っています。学校が週休2日になった現在の動物愛護センターの役割は、文部科学省が言うようなお題目ではない、子どもたちにとって良い意味での総合学習のオリエンテーリングの場所となることだと思います。近くには宿泊施設もありますし老人福祉施設もあります。そして川を渡れば北御牧村の大変素晴らしい農作地帯もあります。そこで田んぼの学習をするのです。すべてを行政が行うというのではなく、私たちが提言するのです。私がマスメディア上で辛うじて発信力を持っているとすれば、同じことを他の県がするよりも長野県で行った方が有効ですし、そして日本列島の真ん中にあるのでより多くの方に来ていただきやすいということです。

 先ほどからお話ししている健康、環境、教育に加え、これからの長野県では製造業、農林業、観光業の3つが機軸になり、そのキーワードが優しさ、確かさ、美しさだと思うのです。

 製造業についてお話ししたいと思います。

 昨年の秋に「信州ものづくり産業戦略会議」を設置し、セイコーエプソン株式会社の安川英昭会長さんを座長に、6名の方にご議論をいただいています。先ほど、私たち長野県は生きる意欲のある人、自律的な判断をしていただける人を支援すると申し上げました。端的に言えば補助金的な発想の行政から転換するということです。これは製造業についても同様です。

 生糸から始まった長野県の製造業は、精密機械になりIT関連産業へと成長してきました。伊那谷にはばねの製造から始めてスチールいす製造に発展し、そして車いすを製作するようになって、今では福祉関連機器を製造している会社があります。あるいは海なし県であった私たちの先達が天草を用いて寒天を作り始め、今では寒天を老人の医療食用に活用している企業も出てきています。こうした企業は必ずしも行政の強いリーダーシップの下に誕生したのではなく、皆さまがより自律的であったからなのです。

 ただ現在は日本全体が大きく変わりつつある中で、私たちの産業が次にどこへステップアップしたら良いのかが今ひとつ見えてこないのです。ですから行政もただ傍観するのではなく積極的に、自律的である企業がより自律性を持てるように支援していく必要があるのです。

 極論ですが、私はかねがね一人ひとりの人間が自律的に自分の行動を規定できるようになれば、行政組織も警察組織も無用の長物になるのではと思っています。ですから、私たち行政や警察機構はより小さくなって、最後は良い意味で消滅することを恐れてはならないのです。けれども、すべての人が自律的に生きる時代になっても、充実の度合いを深めるために行政機構の存続を許すかもしれませんし、あるいはその時に行政機構自身が考える葦(あし)としてアウフヘーベンをしていく中で、行政や警察の新しい存在というものに自ら構造変換できるかもしれないのです。しかし、いま定められている範囲のことだけを行っているだけならば、人々がより自律的に、また産業がよりIT化をしていけば、早晩行政は存在することが難しくなるかもしれないということです。こうした前提に立たねばならないと思っております。

 次に農林業についてお話しいたします。

 ワインと日本酒に関して、秋から「原産地呼称管理制度」を始めようと思っております。なぜこうした制度を始めるかというと、私は阪神・淡路大震災の前から神戸によく出かけていたのですが、いったい神戸のどこに牛が飼われているのだろうと疑問に思っていたのです。六甲山の裏側に行っても牛を見ることはまずないのに百貨店に行くと「神戸牛」という表示で売られているのです。兵庫県で飼育されているのでしたら「兵庫牛」とおっしゃればいいわけですが、「兵庫牛」ではたぶん売れないということなのでしょう。日本酒も山田錦を使っていると書いてありますが、どこの山田錦か分からないのです。仮に山形県の山田錦を使っていても、うちの杜氏(とうじ)が優れたマイスターであるから長野県内で非常においしいお酒を醸造していることに自信があるならばその旨を表記すべきであるということです。逆に長野県でとれたブドウが山梨県へ行ってボトル詰めされて甲州ワインとして売られているケースもあるでしょう。これは原産地呼称管理制度の範囲外です。大きなメーカーほどこうした制度をお望みにならなかったりします。

 行政のみならず、私たち日本国民はきまじめですので、全員一斉にそろわないと始められないと思っていますが、私はソフトオープンという形を導入していかなければならないと思っています。例えば海外のホテルですとグランドオープンとソフトオープンという二種類があります。客室300室のホテルであったら取りあえず100室でソフトオープンし、従業員が習熟をしてから300室でグランドオープンするのです。100室でソフトオープンしている間に営業の人も客室をどのように売っていくか習熟していく、レストランも4つあるならば2つからスタートして従業員が習熟していくのです。長野県においても大きな目標ではなくて小さな現場における改革が必要ですから、私が職員に言っているのは誤謬性を恐れてはいけないということです。誤謬があってもいいから、それは人をあやめるようなことであってはいけませんが、人を幸せにすることであったならばソフトオープンから始めていこうということです。つまりマニュアルはすべて人が扱うものですから、それぞれの現場であらかじめ作られたマニュアルがそのまますべてに適用できるとは限らないわけです。行政においても良い意味で思いついたら吉日との発想で施策をソフトオープンさせる必要があります。ですからすべてのワインメーカーが参画しなくてもいいのです。ある程度のメーカーが参画したならば始めていくということです。

 野菜と果物に関しては、ケースに固有の番号が打ち込まれていて、その番号をホームページで検索していただければ、生産地や生産者の名前に収穫時期、どのような農薬を使って生産されたかといった情報が分かるようにトレーサビリティー(履歴証明)していこうと考えています。分業化社会の中で、私たちの社会が見えにくくなっています。ですから長野県は非常にまじめな県民性で嘘をつかず、県内で生産する野菜や果物は確かなものであり、長野県は確かな県であるということを証明していく必要があるのです。

 また、長野県には大変おいしい水が多いですから、長野県の水に関しての表示基準をつくる必要があるのではないかと思っております。つまり実体のあるブランドイメージを高めることが大切です。東京の料理人にお聞きすると、長野県のアスパラは日本で一番おいしいとおっしゃる方がいます。このおいしいというのは主観ですが、首都圏の主婦の方にアンケートを取れば、アスパラで連想するのはおそらく北海道ではなかろうかと思います。

 長野県産の米の東京での市場価格は、宮城県や山形県産の米よりも幾分高くなっています。けれども長野県が米の産地であるということを広く消費者がご理解になっているかというと、必ずしもそうではないのです。飯山市には請われて新嘗祭に米を献上している農家がありますが、残念ながらその地区の米が首都圏などの消費者の間でブランドイメージとして確立していないのです。もし彼の米がもっと広く知られるようになれば同じようなその周辺の粘土質でできた米が彼ほどの米ではなくても、彼の次の価格帯で売れるようになっていくかもしれないということです。長野県は農業者の数が全国で一番多く、そして生産高も多いのです。生産高という量だけではなくて質の面でも本来、潜在的な力を持っているのです。それをまっとうに市場の末端価格で評価していただくようにしていこうというものです。

 今、東京のイタリア料理やフランス料理のレストランでは、岩手県の「白金豚」を使っています。ご存じのように港区に白金台いう地籍がありまして、白金台で買い物をしたり、付近に住んでいたりする方を「プラチナ族」とか「シロガネーゼ」と呼んでいることとも相まって、岩手県産の「白金豚」は非常に訴求しています。

 私は当初、岩手県やJAが大変に労力を積まれたのかと思ったのですが、あに図らんやそうではなくて、一人のある肉好きの青年が、最初はとても臭くて食べられなかった「白金豚」を農家の人と一緒に品種改良したのだそうです。そして彼が素晴らしい豚肉であると料理人に紹介した結果、いま私が訪れるような東京のレストランのほぼ半分くらいは岩手県産の豚を使うようになったのです。かつてトンカツ屋においては福島県産の豚が大変素晴らしいと言われていました。けれども長野県にも大変に素晴らしい飯田市千代の豚もあるわけです。また「村沢牛」と呼ばれる肉は、京都・銀閣寺近くの食肉問屋の人が、県内にお住まいの村沢さんの飼育方法にほれ込んで、これを関西において普及させて、村沢さんの下で薫陶を受けた人が同じ飼料を使って飼育している牛肉なのです。

 こうした長野県の食材を使っていただくイベントを東京と大阪において秋には展開しようと思っています。「知事が言っていることは一部の農事組合法人や個人のためではないのか。公共性がない」とおっしゃる方がいるかもしれません。そうではないのです。東京や大阪の料理人に関心を持っていただく。関心を持っていただいたならば少し使用していただく。そしてメニューに加わっていくことによって、多くのトレンドセッターと呼ばれる人に「長野県の豚がうまいらしい」、「長野県の牛肉はうまいらしい」、あるいは「長野県のアスパラはやっぱり北海道よりうまいのだ」と伝えてもらうのです。それは結果としてレストランには足を運んだことがないかもしれない多くの方々にもマスメディアを通じて報道されていくことで、また、郊外のスーパーマーケットで売られている長野県産のアスパラガスもトレーサビリティーの番号をコンピューターに入力すれば、どこの生産者がどのような農薬を使ったのか、あるいは使わないで作られたのかという情報が出てくることで、確実に末端価格が上昇するということです。それはまっとうな利潤の取り方であり、あるいは消費者にとってもまっとうな利潤の取られ方であるということです。

 私は農業においても意欲があり自律性のある方々を支援していくことが必要であると思っています。いわゆる狂牛病の対策として巨額な税金が使われていますが、果たしてそれはだれのために使われているのでしょうか。食べ手である消費者のためでないことは明らかです。作り手もまた食べ手なのです。食べ手のための食料行政、食料行政と言いますと何かロジスティックスのような感じがして有事の話になりますが、つまり食料部とか食べ手部というような発想で判断していかなくてはいけないのです。

 次は林業についてです。

 現在、県内の民有地においては針葉樹と広葉樹の比率が6対4となっています。針葉樹の割合が多いので、山からイノシシだけでなくカモシカも降りてきて畑を荒らしてしまうのです。これから100年という気が遠くなる長い年月をかけて、長野県では6対4を4対6、広葉樹の割合を多くしていこうと考えています。同時に、民有林の約半分を保安林化していこうとも考えています。皆さまの家の屋根のかわらが落ちて誰も片付けなかったら、多くの方からお宅のかわらを処理してくださいと言われるはずです。これは市民として暮らす上での最低限の責任です。でも山の場合はどうでしょう? 山が荒れ果てていても、「私は不在地主だから」、「年取ってしまったから」、「お金がないから」ということで今までは許されてきたと思います。しかし、山を所有している限りは市民が望む最低限の手だてをしていただく必要があります。そこで高齢の地主や不在地主の方の山を私たちがお借りして、NPOなどに管理を委託していこうと考えています。その代わりにその山の木の販売には一定の制限を加えさせていただきます。

 林業は採算が取れないので、今までは業として成り立たないと言われてきました。ですから昭和35年から比べると長野県の林業従事者は4分の1に減ってしまい、現在、2,400人ほどと言われています。でも県土の8割を森林が占めていますから、今までと同じ手だてをするにはどんなに機械化されたとしても従事者が足りないということです。ですから従事者を増やさなければなりません。いま県内には45年たった木が多くあります。あと15年歯を食いしばりますと60年生になり、外材と対抗できるようになると言われています。15年の間に従事者を約2倍の4,200人にするには、少なく見積もっても毎年400人くらい増やしていく必要があります。そこで長野県では昨年から信州きこり講座を設けました。昨年は783名もの方に受講していただいています。

 私が知事に就任してからの1年半で森林整備の予算は1.5倍にいたしました。それでも予算額は70億円にもならない金額です。長野県全体の予算は1兆円です。このうち4分の1は人件費に、さらに4分の1が今までの借金の返済額となっています。話はそれますが、このままの財政状況、お金の使い方ですと、平成15年度には財政再建団体に転落してしまうのです。現在、収入に対する借金の返済額の割合を示す起債制限比率が岡山県に次いでワースト2です。財政再建団体になりますと総務省の管轄下に置かれ、私たちの予算をすべて総務省がチェックすることになります。そして県単独の予算が付けられなくなります。県単独の道路補修も十分にはできなくなりますし、知的障害と身体障害の方が共に学べるように稲荷山養護学校を改築することもできなくなりますので、建設業の方にも響くことになるのです。それを回避するために財政再建計画を策定しているわけです。

 今までは間伐作業をすべて森林組合に委託してきましたが、昨年度は約10%を土木建設業社が担当しました。これを今年は40%くらいに増やしていかなければならないと思っております。あと10年たてば建設業は人数や企業も半減すると国土交通省だけでなく大手ゼネコンが参加している協会も言っています。では半減してしまうのは一体だれなのか。私は長野県内の意欲ある、そして自ら構造改革をする意欲のある建設業の方々であってはならないと思っています。私が県内の意欲のある土木建設業の人たちに公正な手段によって参加していただいた上で限られた県の予算を使っていくと繰り返し申し上げているのもそうした理由からです。

 森林整備に従事されている方には、約300万円の年収を保証しなくてはならないと言われています。年収300万円で4,200人が働くとすると126億円が必要になりますから県の事業で行うことは到底無理だと言われました。でもこのお金は県と国と市町村が負担をしていくということです。もう1回冷静に組み立て直さなければならないということです。長野県が森林整備に取り組み始めたものですから、小泉首相も森林整備を進めると国会で発言されるようになり、いくつかの県知事の方が「森林整備の予算を増やしてください」と国に対して書類を出しています。でもこれでは今までの陳情型と同じなのです。

 長野県では、これから15年間の森林整備をしていく上でどれだけの人数が必要で、そのために長野県が出せる予算額はいくらか、森林整備に携わる人の300万円の年収うち、どのくらい自前で得られるか、さらには市町村にはどのくらい負担していただくか、社会貢献といってお金を出している日本の大きな企業からどのくらい拠出していただけるのか、その上でさらに足りない額はどのくらいで、首相も森林整備と言うならば国の税制や補助金をどう改めるべきかを記載した書類を秋までには作成して国へ提案しようと思っています。

 観光業についてです。

 観光業については2つの観点があると思います。1点目は、東南アジア、特に韓国、上海、香港、台湾のお客さまに来ていただける県になっていくということです。北海道では雪祭りの時に韓国だけでなく、台湾や上海などからも非常に多くの方が訪れます。上海の人にとっては、雪がある山を見るのは中国国内より日本に来た方が近いのです。愛知県に中部国際空港が完成した時に、東南アジアからのスキーのお客さまをどのように受け入れるかということです。

 昨年秋に香港の繁華街にあるショッピングセンター「タイムズスクエア」で長野県を紹介するフェアを開催しました。日本で一番新しい新幹線と温泉と雪の見える県であるという広東語のパンフレットをつくり、セイコーエプソン株式会社とソニーイーエムシーエス株式会社長野テックのご協力をいただいて、長野県の魅力をPRしました。おかげで非常に多くの方にお越しいただきました。今年も香港と台湾で同じイベントを行います。また、韓国からは今年2月に韓国の若者向けの雑誌とテレビ・新聞の記者の方を野沢温泉と八方尾根にお招きし、長野県の紹介をお願いしました。

 2点目はスキー産業の再興です。今年度、野沢温泉スキー場、御岳周辺のスキー場、白馬村、志賀高原のスキー場をモデルケースにして「スキー再興戦略会議」を発足させます。ソニー株式会社のファウンダー(創業者)である盛田昭夫氏のご子息で、新潟県新井市で新井リゾートを経営されている盛田英粮氏、長野県出身で元スキー選手であったキョーリン薬品の荻原社長、元オリンピック選手の海和俊宏氏、東京でマーケティングコンサルタントをしている西川りゅうじん氏、長野県スキー連盟の宮崎氏などにご議論いただきます。約1,000万円の予算を投じますが、それは単に広告宣伝というだけでなく、どのようなスキー場を立案していくかということを議論していただくのです。

 私はスキーは巨大なるイメージ装置産業であると思っています。イメージを確立させなければいけないのですが、今まではリフト整備に補助金を出して欲しいとの要望に、長野県は財政が厳しいから出せないという議論に終始してきたのです。インフラ整備が先ではないということです。それぞれのゲレンデをどのようにしていくか、極論すれば八方尾根スキー場でもファミリー用なのか、老夫婦用なのか、日帰り用なのか、あるいはスキーはしないが雪ぞりで半日楽しんで富山空港から次の目的地へ移動するという海外からのお客さまを対象とするのかということです。

 志賀高原と白馬村のスキー場は百貨店といえましょう。このイメージを今後どのように変えるかということは1年でできることではないことかもしれません。でも今はご存じのように百貨店もブティックの時代です。非常にコンセプトのはっきりしたブティックが入っていると、その百貨店にお客さまが来るという時代です。もちろんその百貨店の持っているのれんの信頼感も当然あるわけでして、その相乗効果もあります。

 また、なぜ野沢温泉スキー場を選ぶかといいますと、野沢温泉という響きが有意性、アドバンテージを持っているということです。野沢温泉の場合は、よい意味でブティックであります。野沢温泉で考えていますのは、今はアフタースキーではなくてウィズアウトスキーという発想が必要であるということです。アフタースキーというのは夕方以降をどのように過ごすかという発想でした。しかし、リゾートに行った時に、海に入って必ず真っ黒に日焼けする人もいれば、ただ海を見て浜辺で本を読んでいるという人もいます。よく若い人がおふろで半身浴しながら本を読んでいます。日曜日の午前中に半身浴をしながら本を読んでいるとなんとなく落ち着いた気分になるというのです。スキー場ももしかするとそうした場所かもしれないのです。

 例えば浅草橋付近の人形の問屋街では、ひな人形や五月人形のお金を払う75%から80%は父親や母親ではなく、祖父母なのです。とするならば、おじいちゃん、おばあちゃんが孫と一緒に来るスキー場のイメージはどうだろうか、まさにこうしたスキー場が野沢温泉ではないだろうかと思うのです。スキーをなさらない祖父母には県内の木で作った小さなコップを差し上げて、何カ所もある外湯のお湯を飲んでいただくのです。その説明をすることで最初に出迎えた民宿の方も会話のきっかけを持てるのです。子どもは、フリーターの若者をはじめさまざまな人によってスキーのトレーニングを受けるのです。そして夕食も京都の北山地区の摘み草料理を少しバージョンダウンした、長野県的な素朴な摘み草料理を主体とした料理を出すようにしていくのです。

 私たちにとって東京ディズニーランドに行くことは「晴れと褻(け)」という言葉で言えば晴れかもしれません。長野県にわざわざお金を使って来る人にとっての晴れの部分をどのようにつくるかということが大切なのです。

 御岳周辺のスキー場についても、岐阜県側でJR東海が経営しているチャオ御岳スノーリゾートというスキー場があるので、宿泊施設も含めてこのスキー場との連携をどのようにしていくかという点を検討しなければなりません。近い将来、中部国際空港が完成すればアジア、とりわけ韓国や上海、香港、そして台湾から来られる方々をいかに長野県へ迎え入れるかということが重要になります。中部国際空港には名鉄がJR金山駅から乗り入れます。金山駅のホームでJRと接続できるようになりますから、中央西線を利用して木曽まで鉄道でどのように有機的に送迎するかは、JR東海と今後具体的に話をする必要があります。またJR東海は、宿泊施設がなく高山市からの交通の便が必ずしも良くない場所にチャオ御岳スノーリゾートを経営していますから、長野県側の御岳周辺のスキー場とどのように連携させるかということも議論しなければいけないことだと思っています。

 いずれにしてもブティックとして変わっていかなければなりません。百貨店を変えていく時に、仮にソフトオープンしたとしても、マスメディアを通じてブランドイメージが確立するまでには何年もかかります。しかし、ブティックであればどのような店にするかというイメージを確立するまでの時間はかなり短縮されます。

 私がこうした会議を開くと言うと、その前にリフト整備に補助金を出して欲しいとおっしゃる方もいます。けれども、いまリフトに補助金を出すことで投資効果が現れるでしょうか。カンフル剤で終わってしまうのです。まずそれぞれのスキー場のブランドイメージを確立した上で、その後どのように投資をしていくかが大切なのです。ブランドイメージが確立されれば地元をはじめさまざまな方が発想を豊かにして参加できるのです。それがまさに新しいPFIの形であると思います。

 4月から5月にかけて長野市で「善光寺花回廊〜ながの花フェスタ2002」を開催しました。そのオープニングイベントしてインフィオラータというイタリアで始まった花の祭りを行いました。私はこのイベントから2つ大きなことを学びました。それは真の民主主義の成果とは何かということ、そして真の民主主義を一人ひとりの市民が喜びとして実感するということは何かです。

 善光寺前に130メートルもの長さにわたり花を並べました。神戸市や東京の晴海でも同様の祭りを行ったことがあるではないかとおっしゃる方もいます。写真で花の現物をご覧になっていただければ分かることですが、善光寺前に並べられた花の図柄は真ん中を対象にして左右対称になっています。左右対称ですが、それぞれの色合いは左右で変えてあります。今までの神戸や晴海での祭りは、区画ごとに担当する企業やボランティアがそれぞれに絵を描いていました。花を並べているというプロセスにおいては自分が参加している気分です。でも全体ができあがった時には絵の統一性がとれていないのです。

 長野ではイタリアから何人かの職人を招きました。職人はチューリップの花をどのように並べるか、カーブをどちら側にするか、この境目にはどのように花びらを並べていくかを事細かに指示しました。参加なさったボランティアの皆さんは、記念のTシャツをもらっただけですから、色はもう決まっているのになぜそんなにうるさいことを言うのだろうと思われたようです。けれどもプロセスにおいてはとてもうるさかったかもしれませんが、全体を見た時に花があれだけ立体的に見えるようにするためには一つ一つの花びらをどのように並べるか、それはまさにマイスターの芸なのです。その一芸に秀でた人間が一方的に教えるのではなく、自分の経験を市民の喜びのために提供したのです。これはプロセスでの喜びとは違う、結果としての民主主義の成果を招いたということです。

 2日目には雨が降りましたが、それでも2日間で25万人もの方にお越しいただきました。ある女性の方が「知事、こんなに楽しいことはなかった。来年もやってよ」とおっしゃるので、「お金がいっぱいかかるかもしれませんからどうでしょう」と言うと、その方は83歳の方だったのですが「来年元気かどうかわからないけどやってよね」と言われました。その横にいた女性の方からは、「25万人もの人が見に来てびっくり。私は参加する喜びを感じました」とおっしゃるのです。それは何かというと、「長野オリンピックの時にもボランティアをして自分が参加している喜びがあったけれども、主人はあまり理解を示さなくて、『子どものご飯もそこそこにしてボランティアに行って、一体何をしているのだ』と。裏方の仕事なので自分がどのような表情でボランティアをしているか、どのように役立っているかを主人に見てもらうことができなかった」とのことでした。「でも今回は主人が花を並べている場所に子どもと一緒に見に来て、『おまえがあんなにうれしそうな表情で参加しているなんて私は知らなかった』と言ってくれ、翌日、車いす生活になってしまった母親を連れて来て、『私が担当した場所はあそこよ』と言うことができた」というのです。これはとても大事なことでして、住民参加という言葉がお題目のように言われますが、分業化社会の中では自分の存在を実感できる瞬間がとても大事だと私は思っています。それは数字には換算できないことなのです。

 ヤマト運輸株式会社が運営している財団法人ヤマト福祉財団では、銀座や赤坂などに知的障害児の方が作ったパンを販売している「スワン」というお店を出しています。うわさを聞きつけてフランス料理店やイタリア料理店の何軒かがここのパンを買うようになりました。知的障害の人たちは、自分が作っているパンをどんな人が買ってくれているのか確認するため配達したい、あるいは集金に行きたいと言うのです。周りのスタッフは、首都高速も環七通りも混んでいるので、朝早くからパンを作った人たちを車に乗せてパンの配達に連れて行くのはいかがなものかと心配するわけです。けれども皆が望むので連れていくと、とてもうれしそうな表情をしてコックさんにパンを渡すのです。お店のスタッフが「あなたが作っていたんですね」と言ってパンを受け取ってくれるのです。それは人が人によって生きている、社会の中で役立つ自分がいて、自分を待っていてくれる人がいるということを実感できる瞬間なのです。お金に換算できない達成感があります。こうした充実感、達成感を意欲ある長野県民にあらゆる場所で感じていただくことが大事だと思うのです。

 昨年から賑わい創出研究会という形で、幾人かの方にまちづくりについて講師を務めていただきました。なんで田中知事は滋賀県長浜市の商店街を黒壁にしたなどという人を交通費まで払ってよそから呼んでくるんだとおっしゃる方もいます。でもこれはとても大事なことなのです。長野県民はそれぞれに誇りが高いですから、最初から小布施町で行われている何十軒かの方々が自宅のガーデニングの成果を観光客の方に見せることに同意をして、そのパンフレットも作成しているという身近なまちづくりの話をしても、私たち長野県民はありがたがらないかもしれないのです。

 南木曽町や山口村の妻籠や馬籠は、私たちが景観条例を制定するはるか前から街並み整備に取り組んできました。そこへ出かけた時に私は「ディスカバー・ジャパンのころには、もっと大きな観光バスが着くような街にしようという意見があったのではないですか」と尋ねたら、「以前、役場に勤務していた人の『この街並を生かし、保存していくことが私たちの責務だ』という考えに基づいているのです」との話を聞いて大変に感銘を受けました。その方は、先達からの財産を守りはぐくもうと、理解するの「理」を説いたのです。一方、財産を守ることよりもモータリゼーションの時代にどう対応していくのかという人には、急がば回れで利益の「利」を説いたのです。この街を保存していくことは必ずや永続的に私たちに利益をもたらすということです。

 1年間に渡って賑わい創出研究会を開催し、遠来からいらっしゃった人の話を聞いた結果、木曽谷をはじめ県下各地で「じゃあ自分たちも議論をしよう」と自主的に講師を呼んでの会合が開かれています。そして私たちの足元を見れば、南木曽町や山口村もあるし小布施町もあるのではないかということに1年たって気がつくのです。

 長野市の中央通りの活性化が急務であるということは、私が知事に就任当初から多くの方がおっしゃいました。2日間に渡ったインフィオラータの期間中、2日目の午前0時から10時までに5万人の方がお越しになられました。残念ながらその時間帯に長野駅から善光寺門前までの間でお店を開けていた方は、コンビニを除いてだと思いますが4軒です。あるいは日曜日で少し雨が降っていたからかもしれませんが、インフィオラータの会場周辺の商店街でもお休みになっていた方もいますし、10時になって通常どおり開店した飲食店もありました。でもそれは学習です。「インフィオラータの時にはお茶などしないで黙々と見ることが素晴らしいから、午前10時に開店してくれてありがとう」と言われるか、「あなたはどうして朝の7時からお店を開けないのですか」と苦情を言われるかのいずれかなのです。それはもうけるために開店するのではなく、結果としてインフィオラータに来た人が美しいと言って、雨が降っていたけどお茶を飲んで語り合うことが、結果として収入が増えるかもしれませんが、活性化にもつながるということです。地元の方が今年の経験を踏まえてどのようにお考えになるかということであって、自主的に判断していただくことなのです。

 長野市に信濃美術館がございます。県の美術館ですが今まで「県立」という言葉を付けてきませんでした。この信濃美術館の新たな館長に松本猛氏を選任しました。彼は安曇野ちひろ美術館の館長であり、いわさきちひろ女史と日本共産党の衆議院議員である松本善明氏との間に生まれたお子さんです。彼は「県立」と付けようと言っております。「県立」と付けることによって話が早く進むのであれば付けることが望ましいでしょう。

 実は信濃美術館の建物はかなり古く、雨漏りもします。貯蔵庫の温度管理もままならない状況で、お金をかけなければならない個所が随分とあります。けれども彼もあの古い建物をどのようにリコンストラクトするのではなくて、どうリノベート(修復)するかということを議論しています。信濃美術館の中に喫茶店がありますから、喫茶店までは自由に皆が入れるようにすることで、美術館周辺の公園に来た人がお茶でもして、結果として美術館にも足を踏み入れるかもしれない。そして長野市が管理している公園の花時計のところは砂利道がいいのか、芝生がいいのかも考える必要があります。

 善光寺の方とは昨年、宿坊のあたりの道をどのようにするかを検討しました。例えば京都・高台寺の下の石塀小路は、石塀が大変きれいに整備されていて、ドアを開ければ夜遅くまでやっているバーがあったりするのです。善光寺の場合、裏に駐車場があるので、お越しになる方は裏から入って裏からお帰りになるので、なかなか前に来られません。また善光寺は4時過ぎには閉まってしまうので駐車場も5時には終わってしまう。善光寺の皆さんは自動販売機を撤去し、電柱の色をどうしようかということを検討していますが、これはとても労多しくて益少ない作業です。そこで善光寺や商工会議所の方にご理解をいただいて、まさにインフィオラータと同じように一人の責任あるランドスケープのディレクターを置いて、信濃美術館や善光寺周辺、さらには近くの高校の景観も含めて、あの場所をもう一度組み立て直すという作業が必要だと思っています。

 パリの街をかつてフランスの文化大臣であったアンドレ・マルローが変えたように、一人のディレクターがいなくては見直しは成し得ないと思っています。インフィオラータの場合も一人のプロデューサーがいて、その彼が図面を描き、彼のスタッフが花びらの一枚一枚の並べ方まで一緒に参加した人々に一方的に言うのではなく、なぜ、どうしてこのように花を置くのかという理由も述べて伝えたのです。それが結果として皆が参加して民主主義の成果が現れたように、信濃美術館や善光寺周辺の再整備も同様だと思うのです。

 美しさについてお話しします。

 先般、軽井沢町が「マンション軽井沢メソッド宣言」を発表しました。旧軽井沢地籍に県の地域開発公団が3階建てのマンションを建設しようとしていたのですが、地域の住民の方だけではなく、今までですと開発を望まれていた方が多かったかもしれない商工会や観光協会の方も名前を連ねて、「マンション建設を見直して欲しい。造らないということではなく、3階建てを2階建てにして欲しい」と要望されたのです。今までのルール上では3階建てマンションの建設が許可される地域でした。長野県も建設を許可せざるを得ないという見解でした。そこで私は職員と共に法は誰のためにあるのかを議論しました。法律を守ることが法治国家ですし、民主主義の根幹でもあります。しかし、法を維持するために新たに法や条例が制定されることは、それは人のためにはならないということです。法律は一人ひとりを自律的にする、自律的に判断したり、責任を取ったり、行動したりするためにあるということです。また、そのお手伝いをするのが行政であり、警察なのです。

 「マンション軽井沢メソッド宣言」は、直接町民から選ばれた軽井沢町長が発表したものです。この宣言に基づいて行政を進めなければなりません。私たちは、すべてを想像できませんから、何か事象が起きて初めてそれに対処する方法を法律で考えます。けれどもそこにはタイムラグがあります。法律が成立して施行されて有効になるまでには6カ月、あるいは1年という期間が必要になるかもしれません。その間にいわゆるマンションの問題だけでなくさまざまな駆け込み的なものが発生するのです。税金を払って法律の下で暮らしているのに、私たちが望む法律ができるまでになぜそのような駆け込みという状態が許されてしまうのかということです。直接選挙で選ばれた、常に住民よって判断を下されている首長の責任において、新たな判断をまず先に示す必要があるということです。それは緊急避難的な逃げ場所ということではありません。その場を取り繕うということでもありません。メソッドはマニュアルではないのです。メソッドは確かに方法論ですが、理念であり哲学に基づいた方法です。マニュアルというのは理念や哲学に基づいたものではなく、行間を読んで一人ひとりが判断することを排除するものです。出来不出来が皆一律になるものがマニュアルです。マニュアルの社会は人に判断をさせること、創造させることを欠落させるものです。メソッド宣言を出すことによって軽井沢は一つ一つの事例を皆で解決しながらまちづくりの条例化を目指していくということです。

 長野県には今、4万人もの外国籍の方が住んでいます。このうち約2万人余がブラジルからお越しになられた方です。こうした方々にも税金を払っていただいているわけですから、国籍こそブラジルですが長野県民なのです。どなたにも公正なチャンスを与える必要があります。けれども3人に1人のお子さんが未就学なのです。ポルトガル語で授業をする学校へは私たちは直接税金を投入することができませんので、ブラジルの方を多く雇用している企業などに少しずつお金をいただくことを国際課が研究しています。

 同時に、公立の学校に通学される方に対しては、何校かに1人、日本語指導教室の補助や生活相談を行うチューターを付けることにしました。ブラジル人のお子さんが1人か2人しかいない学校にまでチューターを付けることは限られた財源の中では難しいことです。チューターがいる学校に親が車で連れて行く、あるいはNPOの人が巡回ミニバスを運行するなどの共同作業という形も考えられます。

 長野県とは直接関係のない話ですが、中国・瀋陽の日本総領事館に北朝鮮からと思われる亡命者が飛び込んだのに、その人たちを連れ出した中国政府は大変けしからんと、多くのマスメディアは一般市民も含めて連日叫んでいます。その人たちが北朝鮮に帰ったら命がないことは明白であると私たちは言っています。ではどうでしょうか。アフガニスタンがタリバンの政権下にあったころ、日本にやって来て日本への永住を希望した、あるいは難民認定を望んだアフガニスタンの人たちの約8割を、日本は有無を言わさずアフガニスタンに戻しています。その人たちがいま生存しているかどうかを私たちは知る由もありません。実は私たちがしていることは、中国政府がしていることと同じではないでしょうか。けれどもそうした報道はあまり見ることはありません。

 そしてもっと言えば、100人あるいは1,000人という人が日本に亡命をしたいと総領事館に入ってきた時もその人たちの亡命を受け入れるのかということです。日本に亡命者が来る場合にどう対処するかということはなんら議論されていないのです。有事とは何かという議論もしないで、上陸武力攻撃型時代の有事だけを想定して有事法制関連3法案を議論しているのです。その意味では、いまだに島国という大変に守られた社会において、大変に古い冷戦構造時代のOS(オペレーティング・システム)の議論をしているとも言えるかもしれません。仮に上陸武力攻撃型が北側からあるならば、なぜ日本海側にあれだけ多くの原子力発電所があるのか、なぜ日本海側にはアメリカ軍の基地が一つもないのかという根源的な問題はあまり話し合われていませんが、逃げまどう市民をだれがどのように避難誘導するのかということは一行も書かれていないのです。私は県民の生命と財産を守らなければならないわけですから、逃げまどうかもしれない人々をどう救うのかということに私たちは手だてをしなければならないのです。

 これからの長野県は、福祉・健康、教育、環境に製造業、農林業、観光業、そして優しさ、確かさ、美しさという3つの項目がそれぞれに重ね合わさっていくのです。長野県の10年後、20年後の目指すべき方向を明らかにするため、近く何人かの方にご参加いただいて委員会を発足させる予定にしています。と同時に若い気鋭の学者と若手職員に集まってもらい、長野県が目指すビジネスモデルも示したいと考えています。

 一つ私が大切だと思うのは、常に消費者の視点に立つということです。今までは個人であるということは単に権利を追求することでしたが、一人ひとりの人間に戻って常に発言をしなければならない時代になっているのではないかと思うのです。

 県産材活用といって公衆トイレや交番ばかりに活用してきました。実は今年から県産材を活用して住宅を造ってくださる方のために5年間の無利子融資を始めました。県産材の家というと、木を供給する側の思い入れのもとで、とても純文学的な県産材の家のデザインしかないかも知れないのです。木の家を建てようという方は、とりわけ大都会においてはある程度余裕のある方ですし、比較検討して目が肥えている方かもしれません。そういう方が納得していただけるような、少しく都会的な、少しく現代的な木造の家を提示するようなことを私たちはしなければならないのです。常に食べ手の側、使い手の側、買い手の側から発想するということです。

 いずれにしましても私は一人ひとりの県民が参加する喜び、また自分が参加した成果を確認できる社会をさまざまな場所につくっていかなければならないと思っています。

 私が今まで文章を書く中で「こうありたい」と思っていた社会を私が発言し、職員やあるいは県民の皆さんも求めてくださるならば、実際に私が行うことができるということは大変な喜びです。

 権力と権威は似て異なるもので、権力は必要なものと思っています。権力は本来、人々のために判断し責任を取る人間のためのもので、人々を解放し自由にするために行使されるものなのです。私が物書きであった時に「こういう社会になってほしい」と思い、そして多くの方が賛同してくれても、それ以上はできませんでした。私には今、県知事という肩書があってさまざまな権限があります。途中の仕事であっても書類を見ることもできます。私がそれを県民に伝えて、県民がまた望むならばそれを組み立て直すことができるのです。ただそこには責任や判断が必要です。権威はえてして責任や判断からは遠く離れることができる立場にある方が、多く社会的な意味での言葉として使うのです。

 以上です。大変に長い時間ご静聴いただきましてありがとうございました。

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