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最終更新日:2002年1月15日

わたしたちが真に目指さなければいけないのは

ハードヘッドでソフトハートな長野県政

〜効率性の原理と公正の原理を〜

−知事年頭あいさつ(2002年1月4日)−


目次

調整型の指向から解決型の志向

どのような夢のある社会を目指すのか「演繹法から帰納法へ」

県民が求めるサービスをより少ない税金によって提供することが利潤の最大化

適性や能力や意欲に応じて多様な働き方が選択できる社会

生きる意欲のある人に公正なチャンスを

ハードヘッドでソフトハートな長野県


明けましておめでとうございます。と申し上げるべきでしょうが、年末には長野県内でも金融機関の破綻があり、また、年末のボーナス支給がままならないという県内企業も多かった訳です。今年最後の仕事納めの時にこそ、明けて良かったと言える長野県に、私たちの社会にしなくてはいけないと心を引き締めております。

調整型の指向から解決型の志向へ
 昨年一年間皆さんと一緒に行ってきた県政改革を更に進める上で、いくつか私たちの共通の理念としてキーワードを提示させていただきたいと思います。まず一つは、問題調整型の指向から問題解決型の志向へと移らねばなりません。
 日本語というのは大変便利にできておりまして、「しこう」と言う言葉にもいくつかの字が当てはまりまして、問題調整型の「しこう」の場合には、これは「指を向ける」という「指向」であろうかと思います。問題解決型の「しこう」というのは、まさに「志をもって向ける」という「志向」でしょう。
 そして、それはいささか乱暴な言葉で申し上げれば、前例の踏襲でなく前例の打破です。打破するというのは壊すということではなく、前例の上にたって、弁証法的に再構築をしていく、詰まりは新例の創出であります。これは、社会全般でいわれている“量から質へ”、つまりは“成長から成熟へ”という転換でもありますし、“継続から飛躍へ”ということでもあります。これこそは私たちの社会が目指すところです。
 努力や協力を惜しまないということは、私たちの社会が自分一人によって成り立っている訳ではない以上当然のことではありますが、そうした努力や協力を行う前に、私たちは哲学や戦略というものを抱かねばならないと思います。就任以来申しあげて参りましたが、クリエイティブコンフリクト、創造的な葛藤ということにいきつく訳です。

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どのような夢のある社会を目指すのか「演繹法から帰納法へ」
 なぜか日本では昨年、意訳ならぬ“異訳”をされたままショー・ザ・フラッグという言葉が一人歩きをしましたけれども、まさに私たちが目指すのは、旗を立てるというような一つのマニュアルではなく、その先にどのような夢のある社会を提示するのか、どのような夢のある社会を目指すのか、それを市民や県民に指し示すというショー・ザ・ドリームこそが大切だと思っております。そのためにはまさに私が繰り返し申し上げてきた、“感覚の感性”ではなくて“勘どころの勘性”が大事です。少し難しい言葉で説明を加えれば、私たちは演繹法から帰納法へと発想の転換をしなくてはいけないのです。
 どんなに優れた科学者でも、科学の知識を持ち合わせていなくては、偉大な発見はできません。まずは知識というものがあり、そしてビーカーやフラスコを割りながら経験を積んで初めて偉大な発見を成し遂げるのです。こうした知識や経験を積み重ねていくのが演繹法です。
 私たち日本という社会に住む人々は、知識や経験を演繹的に積み重ねて向上させていく作業には大変に長けていた訳です。が、今、私たちに求められているのは「どのようなデザインを描くか」ということです。
 テープレコーダーや、カセットテープ自体を発明することはできなかったのですが、それをオートリバースにしたり、再生専用にしたり軽量化するというような、まさに三角形にするのか円にするのか台形にするのか、グランドデザインを自ら描くことはできなくても、その中をきれいに塗り分けてリファインさせるのはとても得意な国民性であったと思われます。そうした努力や協力が私たちの社会を豊かにしてくれたのも事実です。
 けれども今、求められているのはそうした演繹法ではなく、往々にして偉大な科学者が偉大な発見をする時に立てる仮説に相当する“閃き”を、私たち一人ひとりが抱かねばならないということです。例えば、仮に近い将来、HIVを治療する画期的な新薬を開発した科学者が登場したなら、それはまさしくノーベル賞に値するでありましょうが、その科学者に、「ではなぜあなたはこの薬を発見できたかのか」と問うたならば、彼は「閃いた」と答えるでありましょう。“閃く”というのは“感覚の感性”ではない訳です。知識や経験を得て、ある瞬間に脳は、私たちが目指すべき社会、求めるべき薬、即ちウィルスの動きをブロックする上で必要な分子の組み合わせに関する仮説を、漠然とながらも立てるのです。恐らくは永遠に、そこへ至った過程を論理的には説明できないかもしれません。けれども、その仮説の実現を、私たちの社会を構成する人々が望むのであるならば、その実現へと向けて帰納する。帰納法によって現実化することがとても大事だと思います。

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県民が求めるサービスをより少ない税金によって提供することが利潤の最大化
 私たちは現在、資本主義の社会に生きています。その現代の資本主義の中には、自由主義もあれば社会民主主義も存在している訳です。『資本論』を書いたカール・マルクスは、「生産力が高まって資本が十分に蓄積されて、商業が発達したところに資本主義が生まれる」と述べています。この生産力や資本や商業というのは、産業革命以前にも既に十分あり得た訳です。
 けれども、この三拍子が揃っても、資本主義は必ずしも勃興しなかった、とマックス・ウェーバーは言っております。私の友人であります浅田彰や、あるいは宮台真司も一目置く、小室直樹や佐和隆光の両氏が繰り返し述べていることです。イギリスでは資本主義、産業革命以前の17世紀にすでに銀行というものが、バンク・オブ・イングランドがあり、大運河時代、運河によって通商が行われていたのです。中国で言えばもっと6世紀や7世紀の随の時代に、あるいはマルコポーロが驚いた宋の時代にも、英国より遙かに太く長く深い“大運河”というものがありましたが、必ずしも資本主義というものは成立していなかったのです。
 資本主義が成立するには、いろいろな条件が必要でありましょうが、マックス・ウェーバーは「労働そのものを目的として、救済の手段として尊重する精神、これが一番目であり、二番目に目的合理的な精神、これが条件であり、三番目に利子・利潤を倫理的に正当化する精神が必要」なのだと述べています。ですが中世のヨーロッパでは、「利子を取ってお金を貸すのは犯罪である」と考えられていました。隣人愛よりも利子や利潤を優先させるのは、罪深いどん欲な犯罪であると捉えられていたわけです。
 私の両親はカソリックでありますが、冷静に考えれば、ローマ法王庁が世界最大の財テク集団であるように、往時、利子・利潤を優先させるご都合主義的な矛盾というのをもたらしていたのは、皮肉にもカソリックの教会でありました。これに抵抗する形でプロテスタントの教会ができる訳です。このプロテスタントの教会の中でも、ご存じのようにカルバン派と呼ばれる宗派は禁欲的な発想をし、カルビニズムと呼ばれています。利潤をむさぼるのは罪悪であると。けれども、隣人達が本当に必要としているものを自らの労働によって生産して、適正な価格。私たちで言えば適正な税金によって市場、県民の元に供給することによって得た利潤、この利潤は、目先の意味では私たちの給与かもしれませんが、これは私たちが公僕として、パブリックサーバントとして県民に尽くしているという達成感や幸せでありましょう。
 これこそはどん欲の罪どころか、逆に善行の結果であると。こうした強靱な倫理観こそが、逆に利子・利潤の追求に対する罪悪感を一掃して、このとき初めて産業革命以降、資本主義というものが始動していく訳です。
消費者が求めるサービスをより競争力のある価格、つまりそれはより少ない税金によって提供することが、利潤の最大化、県民にとっても、あるいはパブリックサーバントの私たちにとっても最大化につながるのです。けれども振り返ってみると、バブル期も含めて日本は、製造業も金融業もあるいは、自戒をこめて私たち行政も横並びの硬直的な経営というものをしてきたわけです。
 例えば、不良債権の処理問題も、その不良なるものを即刻処分することから始めるべきにも拘らず、今の日本も残念ながらそうですが、そこの部分は先送りにした上での「聖域なき構造改革」という言葉だけが一人歩きしてしまう訳です。あるいは、多角経営という言葉も喧伝されましたが、実は往々にして、市民にとっての利潤の最大化ではなくて、目先の、数字の上での事業の多角化やあるいは規模の拡大化や、ひいてはその経営を営む人たちの自慢の増大化であった訳です。また、本社と子会社が同じ領域で多角化をすることによって、民間に於いても縦割りの弊害とも呼ぶべき顧客の取り合いをして、逆に言えば私の体と同じように、バブルが終わった後も生活習慣病であるかの如く、それぞれの組織が肥満体になってしまったのです。

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適性や能力や意欲に応じて多様な働き方が選択できる社会
 私たちは、仕事をしていないと“なんとなく”不安だから出勤するいうことであっては、これは真の意味での倫理観を持った利潤の追求とは言えない訳です。そしてまた、前例がないからといって動かないのもまた、真の意味での倫理観をもった利潤の追求には至らないと思っております。検察官を経て現在福祉の事業を営んでいらっしゃる堀田力さんが昨年の暮れにお書きになっていらっしゃいました。「真の構造改革というのは目先の景気回復ではなく、人々がそれぞれに自分らしく生きる社会の構築にある」のだと。
 それはまさに相手の尊厳ある生き方を支える福祉や教育や医療や環境といった領域に当て嵌まる訳でして、これは社会全般で見れば、硬直化した年功序列制というものから、適性や能力や意欲に応じて多様な働き方が選択可能な社会への変換を意味するのです。

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生きる意欲のある人に公正なチャンスを
 最後にもう2点ほど。ステイクホルダー・エコノミーという言葉を以前から申し上げてまいりました。ステイクとは英語でSTAKEと書きます。杭という意味です。杭というのは同時に英語では賭事という意味があります。賭事などということを年初から申し上げると、先ほどの利潤というものを倫理的に捉えねばと思う方は、あるいは反発なさるかもしれませんが、英国の社会においては、馬をつなぐ杭、その杭の周りに集まる人々が賭事をする人という意味で使います。けれどもこのステイクホルダー・エコノミーとは、真の構造改革を成し遂げた後に、年齢や性別、経歴や肩書、あるいは国籍を問わず、生きる意欲のある方に対しては公正なチャンスを与える社会を意味します。“公平”ならぬ“公正”な社会を目指すことに繋がる訳です。馬主がいて調教師がいて、騎手がいて、馬券を買う人もいれば馬券を売る人も、ガードマンの人もお掃除をする人もいる。それぞれ数字として目先に現れる収入は異なるかも知れませんが、それぞれが参加し、それぞれの職務を務めることで、その社会に必ずや役立っているという充足感を得る。これこそが、お金には換算できない、誰もが等しく社会に参加するステイクホルダー・エコノミーです。

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「ハードヘッドでソフトハートな長野県」
 「冷静な頭脳と温かい心情」、即ち「クールヘッドでウォームハート」であってこそ、市民にとっての幸せをもたらす、と20世紀初頭には言われていた訳です。その後、私たちは20世紀の最後には逆に、「冷静な頭脳と温かい心情」ではなくて「のぼせ上がった頭脳と強欲な心情」「ホットヘッドでナローハート」という形の社会が、そうした考えに基づく人こそが経済を支えているかの如く錯覚していた時代がありました。今、私たちが真に目指さねばいけないのは、「ハードヘッドでソフトハートな長野県」です。どういうことかと申しますと、これはビル・クリントン政権の時に連邦準備制度理事会の副議長を務めたアラン・ブライダーという人がいて、この方の著書が『ハードヘッド、ソフトハート』であります。彼曰く、伝統的な共和党の経済政策というのは「ハードヘッドでハードハート」だったと。つまり効率一辺倒で、弱者への思いやりを欠いていたと。他方で伝統的な民主党の政策というのは、「ソフトヘッドでソフトハート」だったと。公平を重んずるあまり非効率性というのを温存しがちだったと述べている訳です。ちなみに彼は、レーガノミックスという代物もあまり評価しておりませんで、「ソフトヘッドでハードハート」だったに過ぎないと。市場経済の原理というものを十分に活かしきらぬまま優勝劣敗であったと批判的な訳でして、このロナルド・レーガン時代の「ソフトヘッド、ハードハートな動き」というのは、ある意味では現在、小泉純一郎内閣がお題目として唱える日本の構造改革に近いものがあるかもしれません。
 私たち長野県が目指さねばならぬのは、自律心を抱く一人ひとりの個人に幸福をもたらす効率性の原理と、そして、“公平”に代わる“公正”の原理でありましょう。それこそが「ハードヘッドでソフトハート」な私たち一人ひとりのパブリック・サーヴァントたる県職員の奮励でもたらされるべき事柄だと考えています。
今後、2月に向けて予算策定の中で、皆さんに多くの労働を強いるかもしれません。が、それは、まさに先ほど申し上げたように、禁欲的な、ピューリタリズム的な発想の下で、今までの利潤とは異なる真の利潤を、県民の下へとお届けする行為なのです。
 1階の知事室で、予定以外でも皆様からお申し出があれば予算に関してお話を聞く時間を十分に取れるようにしております。そしてそれは、今日ここにお集いの方だけでなく、この長野県の本庁舎や現地機関、そしてこの瞬間もそれぞれの現場で県民と接して働いている一人ひとりの職員の哲学や理念、そして戦略というものが反映された形で努力と協力が行われてこそ、真に220万県民の方々にご満足いただける予算策定となりましょう。
 今後も多々、ご苦労をおかけするかもしれませんが、どうぞご一緒に奮励、奮闘いただき、まさに今年の暮れには明けて良かったと思える長野県にして参りたいと思います。どうぞ今年も一年間、よろしくお願いいたします。

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(田中知事 年頭挨拶 平成14年1月4日)

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