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最終更新日:2003年03月24日

内外情勢調査会長野支部・松本支部 田中知事講演

 
 長野県知事を務めております田中康夫でございます。
 私はちょうど東京オリンピックの年、小学校2年生のときに長野県に移ってまいりました。最初の2年間は上田市に、その後、小学校4年生から高校を卒業するまで松本市に住んでおりました。そして昨年、25年ぶりに再び長野県民となったわけでございます。
 私が長野へ移り住むまでの東京は、まさに都電が通っていたり、トロリーバスが走っていたりという時代でした。東京オリンピックのために日本橋の上にもコンクリートの高速道路が出来て、光化学スモッグや交通戦争に悩まされた時期は長野県で過ごしたわけでございます。狂騒曲的な高度経済成長というものが新しい段階に入りました1975年から再び東京で暮らしておりました。
 さまざまな意味で多感な青春時代をこの長野県で過ごしたことは、私の人格形成に大きな影響を与えてくれました。ずっと東京に住んでいても、また、大学に入るまでずっと長野県で暮らしていても、今日の私はないと思っています。

 本日は、今まさに脱・物質主義の時代であり、新しい理念に基づき、具体的な変革を行っていかなければならないというお話をしてまいりたいと思っています。
 私は、フランスの社会学者であるジャン・ボードリヤール氏が阪神・淡路大震災の直後に神戸を訪れた時の彼の感想をよく引用します。日本の大変に素晴らしい技術によって造られた新幹線や高速道路が見るも無残に崩れ落ち、そして大きなコンクリートのビルが壊れ、けれどもその横にある築20年を超えた木造の家が窓ガラスこそ割れたものの、傾きもせず立っているという状況に、彼は「国家がこれだけ豊かになったのは、市民がそれだけ貧しい状態に置かれていたにすぎなかったからだ」と言ったのです。私はこれこそ常に心の中に刻んでおかなければならない言葉ではないだろうかと思っています。
 科学技術がもはや信じられないとか、科学技術に頼ることはできないと言っているわけではありません。税金の使い方が間違っていたのです。ですから公共事業という言葉の意味合いを、住民参加という言葉の意味合いを、正しい姿に直さなくてはいけないのです。

 私が選挙中にも感じたことですが、長野県民というのはそれぞれに自分の言葉を持っています。唯我独尊ではない、まさに考えるとしての言葉を持っています。極めてまじめだし、まじめすぎるために愛想多くの言葉が言えなかったり、表情がぎこちなかったりするというのも長野県の観光を考える上で、これからの課題だとは思いますけども。でも大変に向上心があります。そうした方々が昔は野沢菜を食べながら自由闊達に議論をしていたのでしょう。
 私の母親が長野県に引っ越してきて、上田でのPTAの会合に初めて出席したときの話です。私たち家族に「やあ、とっても驚いた。本当に普通のお母さんのおっしゃることが批評家から借りてきた言葉でも、本に書いてある言葉でもなくて、本当に自分の言葉で語っているのに核心を突いていて、とても立派な子育ての考えを持っている。私が東京で小学校の教員をやっていたときにはそんな意見聞いたことがない」と。やっぱり長野県というのは大変なところだと母親が言ったことを今でも覚えております。
 でもその後、私が長野県にいない間に、そうした力を持っているにもかかわらず、なかなか自由に言えない空気や行動しにくい空気になってしまったのであれば、県民と一緒に変えていくことが私に与えられた使命であると考えたのです。

 私は長野県をリフォームするのではない、あるいはリペアするのでもない、リコンストラクトするのだと申し上げています。これまで、長野県でも説明会や審議会や公聴会など、民主主義の過程を踏んできました。なるほど、一つ一つは皆、民主的な手続きでした。けれども大多数は、市民が知るときには後戻りができないような段階になって初めて情報が開示され、方針が発表されていました。説明会は本当に開かれた形だったのでしょうか。何十回と会合を行うことだけで終わっていたのではないでしょうか。審議会も民主的ですが、その委員は本当にそれぞれの責任のもとに意見を言っていたのでしょうか。所属する大きな組織が機関決定した意見を言っていただけではないのでしょうか。あるいは公聴会も同じです。そして議会の議決、それも民主的なはずです。けれども答えとして出てきたものが、多くの市民が望んでいたものとは違っていたとするならば、私たちはその民主主義のねじれを戻さねばならないのです。私は機能不全に陥っている民主主義を立て直さなければならないのです。

 責任をとるべき人間が責任をとらず、世の中が結果としてリペアをする形だけで動いていく社会を、私はテロリズムを生む社会であると思っています。長野県が行っていることは、口幅ったい言い方をすれば、日本にテロリズムの社会が訪れることの回避です。
 日本では大きな目標というものを持ち得なくなっています。例えば、イランでは今なお毎日、新聞の半分が真っ黒に塗られています。若い学生も農村地帯に住む人々も、言論の自由を取り戻そうと、誰もがその一言のスローガンのもとに集うことができます。かつての南アフリカにおける参政権の場合もそうです。これは大文字の目標です。けれども日本には少なくともそうした大文字の目標は、もはやありません。少なくとも参政権はあるし、言論の自由もある。けれども家の大きさを見てみればなんだか小さい。私たちの考えが社会で生かされているとも思わない。民間では当然の理論が行政では当然と思われなくなっている。つまり、誰もが今の日本の在り方で本当にいいのかと思っているのです。
 テロリズムを起こすような人は、米国のように突如、小学校へ入っていって銃を乱射する人とは違うはずです。私たちと同じように今の日本で大丈夫なのだろうかと思っていて、私たちと同じように日本をより良くしたいと思っている人なのです。このままでは、ある時回路が壊れて力によって日本を変えねばならない、社会を変えねばならないと思う人が出てきかねないということです。日本をテロリズムにしないためにも、スピーディーな改革が必要なのです。
 私は、いたずらに血を流さねばならないような革命を望んでいるわけではありませんし、武器という形での圧力によって大きな変革が起きることを望む者でもありません。けれども10年、20年もかかる改革は単なる変化にすぎません。私たちは変化ではない形を求めなければなりません。
  
 脱・物質主義の時代では、今までの頭脳の組み立て方、コンピューターに例えればOS(オペレーティング・システム)と言ってもいいと思うのですが、古いOSでは対応できないということです。私たちは新しいOSを見いださなければならないのです。けれども人々は、この新しいOSは見つからないと思っている。ですから私の場合、長野県にはダムなどをはじめとして、あまりにも待ったなしの懸案事項が山積していたので、そうした計画のありのままの姿を県民に伝えて、一緒に考えてもらうインヴォルヴメント方式を採用しているのです。情報を開示して一緒に議論するのです。
 私はパブリック・サーヴァントであると同時にサーヴァント・リーダーですから、方向を示さなければなりません。でも私が出した方向は最終決定ではありません。それに対して県民は、投書という従来の形だけではなく、さまざまな手段で意見を言える形でなくてはなりません。
 私の具体的方策が間違っていれば、皆さんは今までの社会よりもより自由に、率直にご意見をお寄せいただくことができます。それが民主主義の暴走を防ぐプロテクションです。民主主義の在り方を評価していくのはすべての県民です。小さなことから始め、それを長野県の皆が共有することによって、もしそれが正しいことであり望ましいことであるならば、結果として全国にも波及していくのです。
 今まで行政は市民団体の意見を聞こうともしなかったからでしょうが、自分たちの意見を言い放しの市民団体は、そのOSの転換を迫られています。行政と馴れ合いでやろうという市民団体であってもいけません。私は常々、クリエイティヴ・コンフリクトという言葉を使っています。クリエイティヴとは創造的なという意味です。コンフリクトというのは、もともとは矛盾とか争いという意味です。人間はそれぞれ考え方が違います。100人の意見が全員一致するわけがありません。今は使われなくなりましたが、ドイツ語にアウフヘーベンという言葉があるように、まさに異なる見解の者が議論をして、その上の高い段階、高いというのは高尚ということではなくて、より人間的な段階へと答えを求めていくこと、より人間的に磨きをかけていくことが必要です。クリエイティヴ・コンフリクトという言葉にはそうした意味合いもあるのです。

 私は県下各地で車座集会を開催し、さらに「ようこそ知事室へ」を始めました。さまざまな方法や場所で、私が示した方向性に対して県民は意見が言えるのです。
 私は当初、「ようこそ知事室へ」にご応募される方は、きっと、知事室にやって来て写真を撮り、友達の分まで名刺を下さいという方が大半かなと、大変不謹慎ですがそう思っていました。ところが決してそうではない。県内各地からおいでになる方々が、大変に立派なことをおっしゃる。例えば、佐久市から建設会社の若い二代目と年老いた優秀なスタッフが一緒にやって来て、「知事、今のこんな入札の形は違います。うちの会社は入札に関して県から大変に高い評価をもらっているけれど、私は今の入札をこのように改めるべきだ」と知事室で話してくださるのです。ご応募もなさって、お名前も分かっている。会社名も分かっている。私たちの政策秘書の職員も聞いている。でもそういう場で、自分の会社だけではなく長野県の土木・建設業界がもっと良くなるようにと、公共事業という比較的ネガティブにとらえられがちな言葉を前向きにとらえて、県が改善してほしいことを自ら進んでおっしゃりにくる建設業界の方がいました。
 私は一人ひとりの県民や市民に、今のままでいいのですか、と思考状態をもたらしているのです。

 そして6月1日からは「『県民のこえ』ホットライン」も設けます。これは皆さまから手紙かEメールかファクスでお寄せいただいたご質問、ご意見やご提言に対して1週間以内に調べてお返事をするものです。その日に分かることはその日のうちにお返事をします。
 県の側に落ち度があったのであればそれは認めます。もしお便りを下さった方の側にまだご理解いただけない点があるのであれば、その点をお伝えします。そしてすぐ実施できることは、このように改善しますとお答えします。予算化しなければならないことは、予算化するかどうかを検討して改めてご連絡しますとお伝えします。チームをつくってブレーンストーミングをしなくてはならないことは、知事がブレーンストーミングをする会合をつくるということを決めましたとお伝えします。
 1週間以内にお答えできないような複雑に絡まりあった内容であるならば、1週間の段階で分かったことをお伝えし、そしてもう1週間の猶予をいただいてお返事を申し上げます。私たちは皆さんのサービス機関なのですから、当たり前のことなのです。民間の企業で当たり前に行っていることを、しかも皆さんから先にお金をいただいている行政機関が当たり前にできなければ、そんな機関は解散した方が良いということです。
 この「『県民のこえ』ホットライン」は、より多くの皆さんの意見を具体的に聴いて県の施策に反映させていくことを目的としています。時々、「田中知事は、Eメールやファクスのような文明の利器を使える人の意見だけを聴いているのではないか」とおっしゃる人がいます。私はそういう方には笑って、「では皆さんが後援会の方のご意見を聴いていたのは偏った意見ではないのですか」と伝えます。
 けれども後援会の意見だけを聞いていてもいいのです。極論すれば、話を聞いてその極めてディテール、現場の意見を聞いたときに背後にどのような行わねばならないことがあるのかということをリーダーが想定できるかどうかが大切なのです。松本市のお年寄りから、こうしてほしいとの提案があったときに、私たちは、それは行うべきことなのかを考え、同時に他の地域でも同様な事例がないか、さらにはお年寄りがそうおっしゃるということは、逆にいえば障害のある人たちにも同じような悩みがあるのではないかというように、良い意味で視野を広げていく必要があるのです。これがディテールからの変革という意味であって、ディテールというのは語句の意味の小さな違いを議論するようなことではありません。

 今まで改革派と呼ばれていた県知事は、政策決定のシステムをはじめとして、県の長期総合計画なるものを最初に策定していました。でもそれは誰がつくっていたのでしょうか。県知事や県の立派な建物の中にいつも入っているようなごく一部の人たちが頭で考えた理念です。だから目に飛び込んでくるような、耳に入り込んでくるような言葉が見当たらないのです。私のやっていることは順番が逆なのです。それでは着地点が見えない、と不満を漏らす方がいらっしゃいます。でも一人ひとりがディテールから想像して、この例の場合はどうだろうと職員が判断できる能力を得ていくしかないのです。今年の秋以降に策定していく「県政改革ヴィジョン」の中でそうした方針を明らかにしていきたいと思っております。

 では、私たち県職員はどういう方向を目指すべきかという時に、私が常に言っていることは、「私たちは県民から税金をして、そこからをんでいるのであるから、私たちは県民のために奉仕しなくてはいけない」ということです。つまりわれわれは、サーヴィス・パーソンであり、まさにコンシューマ・オリエンテッド、市民のための発想にならなければいけない。そして、そのヒントは現場にこそあるのです。
 長野県では、県民の皆さんと接する機会が多い合同庁舎などの機関を今まで出先機関と呼んできました。私はこの言葉が大変苦手というか違和感がありまして、5月から現地機関という言葉に変えました。なぜならば現場にこそ1番アイディアが転がっているからです。もちろん5年、あるいは10年たてば現地機関という言葉も化し、古くなるかもしれない。ならばその時にまた変えればいいのです。
 長野県に限ったことではありませんが、どうして行政というものは市民の判断と乖離している、あるいは市民に対して冷たいと言われるのでしょうか。私たちはパブリック・サーヴァントと呼ばれています。県庁や合同庁舎などの県の建物は、パブリックな場所のはずです。そこで働く瞬間、私たち県の職員は、パブリックなマインドにならなくてはいけないはずですが、取り分け県庁舎の中にいるときに多くの職員は、プライベートなマインドになっているのです。なぜプライベートな考えに陥っているのかといえば、自分が上司からされたくないからです。驚いたことに行政にはほとんど降格人事や降格されるような評価がないのです。それが市民のために失敗を恐れず仕事をするということに機能しているならばプラスのシステムです。でも自分はどんなことをしていても、とがめられることがないという担保を与えるがためのシステムであれば、これはマイナス以外のなにものでもありません。
 県の建物の中にいるときに上司に怒られないように、あるいは自分が解雇されずに滞りなくローンを返済できるように、という気持ちで仕事をしていることは、公の建物の中にいるときに実はその人はもっともプライベートな気持ちで仕事をしていることになります。ですから失敗を恐れますし、新しいことを恐れるわけです。
 取り分け、これは首都圏のような満員電車に揺られて何時間もかけて郊外の家に戻られるような公務員の人は、一人ひとりの、まさにプライベートな時間になったときに家族とテレビを見ながら、あるいは近所の人とお酒を飲みながらこんな日本でいいのか、こんな税金の使い方でいいのかと議論をしているわけです。なんと、プライベートな時間にもっともパブリックな、公的な社会の話を、そしてそれに対する自分の考えを述べているわけです。
 私が想像していた以上に長野県の職員は変化しつつあるとは思いますが、早く彼らがサラリーをもらう時間にパブリックな決断ができるようになってほしいと思っています。

 県知事に就任して最近よく考えますのは、行政は公的なことに税金を使いますと以前から申し上げてきましたが、公的とは果たしてどういうことを意味するのだろうかということです。
 今はIT(情報技術)の時代だと言われています。私はコンピューターというのは大変に不思議な商品だと思っています。例えば冷蔵庫が壊れたとします。通常、私たち消費者は、電気店に電話をして早く直してくださいとお願いします。修理に行かれません、あるいは修理に来た人がこれはメーカーに持っていかないと直りませんと言えば、早く引き取りに来てくださいと言います。車の場合、設計や生産過程での欠陥が見つかるとリコールになります。リコールを届けなかった企業は、社会的な制裁を受けます。
 けれどもコンピューターはどうでしょう。コンピューターが故障した場合、販売店では正確に不具合の場所が分からないからという大義名分のもとに、消費者が自分でお金を払ってメーカーへ郵送するか、あるいは東京でもわずか1カ所しかないメーカーの消費者センターまで自ら持ち込むことを結果的には強いています。けれどもユーザーはそれに対してさして疑問は抱かない。また、3年もたたずして新しいモデルが出ると、現に使えるにもかかわらず、そして地球環境というものを考えねばと、そのユーザーは言っているにもかかわらず、買い替えたいという欲求を抑えることができないのです。これはきわめて商習慣を逸脱した産物です。大きな箱ではないかもしれませんが、限りなく小さな箱です。ITは従来型の政治の世界の人にとって、抵抗なく投資し得ると考える箱なのです。だから国は今、ITの時代だと言うのです。しかし、こうした形の投資では本当のITにはなりません。
 長野県においては今年から身体障害者リハビリテーションセンターをはじめとして、体が不自由でその施設の中でお住みになっている方々のベッドサイドに、コンピューターをインターネットと接続するためのジャックを設けます。これは極めてわずかな金額です。けれどもこれは人々が尊厳のある生活をするために必要な投資です。自由に社会に出ることのできない市民も、インターネットによって地球の裏側の人とコミュニケーションできるのです。今までのようにテレビを受信する、ラジオを聞く、新聞を読むという一方通行ではなく、相互のコミュニケーションができるのです。インターネットは、すべての価値を等価にしていくということです。

 鳥取県知事は片山善博さんという方です。まだお会いしたことはございません。日本の中で今、最も話をしてみたい知事は誰かと尋ねられれば、私はこの方のお名前を挙げると思います。彼は私より5歳年上の昭和26年生まれで、もともとは旧自治省の出身でございます。鳥取県知事ですが岡山県の出身で、岡山県でお育ちになられた方です。こうして羅列された記号だけを聞くと、「旧自治省から天下ってきて、県知事を務めている人か…」と思われるでしょう。けれども彼は実に画期的なことをしているのです。
 彼は鳥取県西部地震で家が壊れた方に対して、公的資金を最大300万円まで出すと決めたのです。鳥取県西部地震は、阪神・淡路大震災のように広範囲ではなく、また、多くの方が亡くなられたわけでもなく、また、全壊あるいは焼け出されてしまった家の数が多かったわけでもありません。家屋のほとんどは半壊に近い損壊であったので、公的資金を支出することができたのかもしれません。
 実際、彼が公費投入をしようとしたとき、古巣である旧自治省に呼ばれて、個人補償することは憲法違反であると言われたのです。彼はその時、「憲法のどこにそんな条文が書いてありますか。税金を払っている市民のために税金を使うこと、ましてや尊厳のある生活ができるように税金を使うことこそが公的なことではないですか」と反論したのです。
 なぜ彼は300万円の補助を決めたのでしょうか。損壊した家の多くは、いわゆる中山間地域と言われる場所だったのです。そうした場所に住む人の多くは高齢の方であり、彼らが自力で家を建て直す気力を持ちにくい。そうすると、ご子息が住んでいる鳥取市や米子市に移ってしまうかもしれない。あるいは結婚なさったお嬢さんが住んでいる大阪や東京へ移り住んでしまうかもしれない。人口が約61万人である鳥取県にとって、一つ一つの集落が崩壊していくことは看過できなかったのです。そこで彼は公的資金を導入したわけです。結果、地震を契機に中山間地域から他の地域へ移られた方は、世帯数にして一けた台にとどまっているのです。
 阪神・淡路大震災の際、仮設住宅を造るのに1世帯300万円でした。仮設住宅を1世帯造り、そしてそれを取り壊し、また新たな公営住宅を造る。そうした投資と比較すれば、いずれが一人ひとりの自立する意欲を引き出すかということは明らかです。公的なことに税金を使うとは何かということを、これからの長野県も考えていかねばならないのです。

 遅まきながら県もハイブリッドカーを購入しまして、私も乗るようになりました。こうした車に乗ることによってのみ、県の環境保護への関心が高いなどと批評するのは極めてな見方でございます。長野県では数多くの公用車を所有しておりますが、そのうち何パーセントをハイブリッドカーにするのかという具体的な目標を設定していないのです。とかく今まで行政というものは、的なことが多かったのです。環境基本計画などは、非常に多くのな目標が書かれていますが、それを具体的にどのようにするかということについては、記載されていないのです。言葉として目の中に飛び込んでくる形になっていないのです。ですから長野県という主語をどこかの県に変えても、同様に使える形になってしまっているのかもしれません。これはディテールではないわけでございます。
 ハイブリッドカーに乗るようになったため、不要になった黒塗りの公用車を売却することにしました。ディーラーの人は、下取り価格は10万円から30万円だろうと言うのです。買ったときは1,000万円以上もした車なのでオークションにかけましょうということになりました。そうしましたら大変奇特なことに、180万円も払ってくださった方がいらっしゃいました。
 私は5月の連休に、その車をお買いいただいた方とお会いしました。宮田村の方で、150人の社員を抱え、航空機のタービンブレードを製造なさっている会社の役員でいらっしゃいます。彼の工場は、米国のジェネラル・エレクトリック社にその高い技術力が認められて、日本に6社しかない契約工場の一つになっているのです。彼の工場でつくられた製品は成田空港から空輸され、エアバスのエンジンのターボ部品になっているそうです。
 世界中の人々が自由に行き来できるエアバスのエンジンを作っている。彼の仕事は極めて公的なことです。私はYS―11に代わる新しい飛行機を国策として作るべきであるなどと言っているわけではありません。国威発揚などという言葉を使うことは、もはや時代遅れだと私は思いますが、彼の会社は私たちの雇用を支えてくれ、長野県の経済も支えてくださっているのです。
 私はお聞きしました。「県は今までに皆さんに何かお手伝いをしましたでしょうか」と。「いいえ、田中さん。長野県庁は私たちには敷居が高くて」とおっしゃいました。「何をおっしゃいますか。長野県庁は1兆6,000億円もの借金を抱えているのにいまだ危機感のない人間が集っている場所なのです。敷居が高いのは皆さんのような自立した企業なのでございます。私はあなた方がなさっていることは公的なことだと思っています」とお答えしました。彼らが行っていることは、まさに市民益の根本であり、公的なことなのです。
 私は見直さねばならない補助金が長野県だけでなくて日本中にたくさんあると思っていますし、補助金という言葉の概念を報奨金に近い形に変えねばならないと思っています。現在の日本の報奨金は、キックバックという言葉に近いものがあります。実際に購読している読者の数よりも多い新聞を毎日、販売店に届けてそれを受け入れてくれた販売店には、営業報奨という形で後から入金される。これは極めて人間を悪い方向へもっていく報奨です。私が言っているのはそうした報奨金ではありません。

 バブルの時代に私たちは、お金があれば何でも買える、お金があれば何をしてもいいのだと思っていました。けれどもそうではなかった。お金があっても買えないものがあり、お金があっても違うことに使っておけばよかったということを私たちは学びました。県内には今、多くの特別養護老人ホームが出来ていますが、今後は、その建設の在り方を見直しながら宅老所と呼ばれる施設にも公的資金で援助していきたいと考えています。
 宅老所は、デイケアセンターと言われる施設に似ているものです。デイケアセンターの大部分は、鉄筋コンクリートで出来た立派な建物です。大体30人から50人いらっしゃって、定められた時間に皆さんご一緒に一つの方向を向いて体操をなさったり、手でいろいろな細工をするお稽古をなさったりしています。でも人間はそうした定められた時間に皆で同じことをする環境に生理的になじめない人もいるわけです。
 宅老所の多くは、非常に古くなったのような自宅を使っています。そこに10人くらいお集いになって、こたつに入ってテレビを見ていらっしゃる。テレビを見ているだけなら痴ほうが進むんじゃないかとおっしゃる方がいるのですが、そんなことはありません。元気な方は一緒に料理を作っています。デイケアセンターは毎日通うのがいやだなと思うコンクリートの学校のようなものですが、宅老所は別荘へ行くような感覚なのです。
 でも宅老所に今まで長野県はほとんど援助してきていません。しているとすれば、それは介護保険が使える宅老所の場合です。そのためには何が必要か。台所の周りの壁を全部はがして燃えにくいものにしなくちゃいけない。まあ、それは仕方がないとしても、木造の平屋の家でも非常口ランプを付けないと、建築や消防の基準を満たさないから介護保険によるお金がもらえないというようなことです。
 宅老所の中には、福祉の現場にいた若い人たちが自分でお金を出して運営している例もあります。やはり『鉄コン筋コンクリート』の建物になじめなかったスタッフもいるのでしょう。「いくらかかりますか」と尋ねたら、立ち上げるのに800万円くらいとのことでした。私はこうした施設にも支援しなくちゃいけないと思っています。それは融資ではなくて、公的資金を差し上げる形でなくてはいけません。融資となると融資の審査をする機関が必要になります。行政が今までやってきたことといえば、ふさわしい場所をご紹介しましょうということ。そんなことは宅老所を運営しようという彼らが、足を棒にして不動産屋さんを回ればいいことなのです。大事なことは彼らを信じて800万円を差し上げる。それは離陸するために必要なエネルギーなのです。800万円で離陸できて、介護保険の認定がとれれば彼らはエネルギーを切りつめて環境に配慮して巡航高度で飛んでいけるのです。
 公的という言葉の意味が今、問われているのです。そして公的という意味は変わってきているのです。

 今まで地方交付税や補助金の在り方など国の施策に対して物申せるのは、そうした国からのお金が流れていない東京都知事だけであると言われてきました。他の道府県知事は、国からお金を頂戴しているのだから、そんなことしたらお金が来なくなっちゃうよと言っていたんです。でも私はそうした考え方こそが裸の王様にすぎないと申し上げたいのです。なぜならば国からくるお金も私たち一人ひとりの市民が払ったお金だからです。私たち市民が払ったお金をありがたく頂戴するなどという関係こそが前近代的なのです。そして間違った税制や間違った補助金があるならば、それは具体的にディテールから実例を挙げて説明していかなければならないのです。具体的な事例に、より多く接することができるのは、おそらくは県職員であり私なのです。
 具体例を申し上げましょう。新聞記事などでご覧になっているとは思いますが、現在、富士見町から茅野市にかけて大きな農道を建設しています。種を明かせば、広域農道というウルグアイラウンド対策予算を活用した事業です。国から農業のためにいっぱいお金を使うように言われ、長野県では土木部だけの予算では十分に道路を整備できないことから、八ヶ岳の山麓にエコーラインという名前の農道をほぼ東西に通そうとしたのです。延長16キロで事業費は、167億円です。当初の予算は97億円でした。私がその計画を具体的に知ったのは、農道のルート上に水田を所有している皆さんから、道路が出来るのならといって土地を提供したけれど、1個1億円のコンクリートの橋脚がいっぱい出来ており、自分の田んぼは日陰になってしまうのではないか、という意見をいただいたからです。
 私はその現場を見に行きました。「なぜこの道路が必要なのですか」と尋ねると、「八ヶ岳で栽培している花の集荷場を1ヵ所に統合するためには東西の道路が必要なのです」とのことでした。「集めた花はどうやって消費者のもとへ運ぶのですか」と尋ねたら、「諏訪南インターから運びます」と。ちなみに皆さまご存じかと思いますが、諏訪南インターは請願インターで地元が費用負担しているインターチェンジです。私は「南北の方向には昔からの道路があるではありませんか。もしその道路が危険であるならばガードレールを付けたり、少し拡幅をしたりすればいいのではないですか。インターの入り口近くに土地はまだ広大に空いているのに、なぜそこに花の集荷場を造らなかったのでしょうか」とさらに詳しく尋ねました。すると私たちの責任者は、「道路が曲がりくねっていると運搬しているときに傷んでしまいます」と答えました。そこで私は「そうですか、それは大変なことです。でもこの図面を見ると新しく造る道路には、鍵の手にクランクになっている場所が2つありますね。そこではギアチェンジはしないのでしょうか」と尋ねると、彼は「既存の県道があって皆さまの税金を有効活用するため県道と組み合わせて道路を造りました」と言うのです。でも県道と組み合わせるのだったら、どうして緩やかなカーブを描く形で接続しなかったんでしょうか。
 そして「なぜ97億円が167億円になったのですか」と尋ねると、「阪神・淡路大震災が起きた後、とりわけ橋脚などの強度を高めなければならないというお達しが来たからです」と言うのです。阪神・淡路大震災が起きたのは平成7年ですから、現実にまだ出来てもいない橋を図面上で強度を変更し、それに伴う費用が増えるという計算をするのに4年も5年も掛かっているのです。その道路はほぼ8割完成しています。私は完成している部分の道路を使う意味がないなどとは言いません。それは私たちの税金を投入して得た国民の財産ですから有効活用せねばなりません。けれどもこうした公共事業は、長野県に限ったことではなく、全国各地で行われているのです。
 もう1例紹介しましょう。川上村の信濃川上駅近くの大変に美しい牧歌的な場所に78メートルの2本の巨大なコンクリートが立っています。それは川上村のレタスをいち早く消費地に運ぶために必要不可欠だという農道の橋脚です。私はある程度土地勘がありましたから、なぜ農道が必要なのかその理由が分かりませんでした。尋ねると中部横断自動車道のインターと結ぶためだと言うのです。けれども中部横断自動車道は、10年後に出来ているという保証は皆無に近い道路です。川上村のレタスは、中京地区へも首都圏へも中央道小淵沢インターから運ばれています。小淵沢インターへ通じる道は、レタスが傷まないまま運べるように既に整備されています。
 この農道の予算は19億円で始まりましたが、現在は63億円になっています。これは、ふるさと農道予算ですから通行量予測すらしないでお金が付けられた道路です。私はこの橋の予算は付けるべきでない、もっと地域の意見や県民の意見を聞かねばならないと言いました。なぜならば決定するのは税金を払っている県民のはずだからです。
 事業費が増加した理由を尋ねると、ある責任者は、こうした公共事業というものは小さく生んで大きく育てることがですと言うのです。私はそんな秘訣はくそ食らえじゃありませんか、と思うのです。
 それだったらなぜ稲荷山養護学校は、雨が降って薄暗いときにも廊下の電気を節電せねばならないのでしょうか。稲荷山養護学校は大変に古い建物です。そこで使っているバスは、十数万キロも走っています。そんなバスで体が大変に不自由な、そして知的障害もある子供たちが通っているのです。県庁は昼食休憩時に電気を消しておりますが、昼休みが終わるとまた電気をともします。でも稲荷山養護学校の薄暗い廊下には節電という紙が張ってあり電気が消えていました。そういう状況であるということは、私が実際に現場に行ってみなくては分からないことです。そして本当はどちらに節電をすべきプライオリティーがあるのかということです。稲荷山養護学校には空調設備もないため、夏は40度を超えてしまい、食堂はもっと温度が高くなってしまうそうです。さまざまな障害や疾患をもっている子供にとって、これは大変憂慮すべきことだと思うのです。行政は論理的に説明できないことをやってはいけないのです。
 今まで私たちは税金を公的なことに使うと言ってきました。でも果たして公的なことに使われてきたのでしょうか。人間の生命と財産を守ることが行政の主たる仕事ですから、採算がとれなくても行わねばならないことは当然あると思います。でも私は先ほどの富士見町と川上村のような事例にお金を使えるほど悠長な時代はとうに終わっていると思っています。

 そしてもう1つ付け加えなければならないことは、リーダーというものはビジブルに見せる、ビジブルに見せる段階に至っていない段階、つまりインビジブルな段階においても想像してそのことを皆に説明をし、そして皆の意見を聞いて決断をし、その決断に対してさらに市民の意見を聞いて果敢に進めなければならないということです。
 道が便利になってほしいと思っていた人も、1個1億円のコンクリートの橋脚が富士見町にできて、初めてここまでする必要があるのだろうか、5分程度短縮するためにまるで新幹線のような橋脚ができるのだったら、もう少し違うルートにした方がいいのではないかと思うかもしれない。川上村に78メートルもある橋脚を造るのであれば、川上村の道路と比べたら非常に狭くて曲がりくねっている南相木村や北相木村の道路をどうして良くしないのか、と人々はそこで初めて思うのです。目に見えるようになって初めて人々が疑問を抱いたり、あるいはこれは違うんじゃないかと思ったりすることを事前に、ビジブルに伝えていかなければリーダーとしての資格がないと思っております。もちろん私も全知全能の神ではないですから私が想像できないことも多くあります。その時に市民がそれに対して意見を言えるかどうかなのです。

 私は商店街の皆さまが元気になっていただくことは非常に大事なことだと思っており、中心市街地の空洞化対策については善光寺周辺地区をモデルケースにして考えてみようと思っています。長野市の中央通りにスピーカーとベンチを設置する事業への助成を、本年度は見送らせていただきました。商店街の皆さまのご商売が儲かるためにスピーカーやベンチまで設置するのは、私的なことへの補助であるという考えで見送ったわけではありません。単にスピーカーやベンチを設置するだけでは、善光寺の前の中央通りも他の街の商店街と同じになっていくだけなのです。
 善光寺の周りの土地が幸いにしてお寺の所有になっていますから、現在利用している人々にも強く理解を求めた上で、私は土地に規制を掛けるべきだと思っています。その上で見直しをしていかなければならないのです。
 善光寺周辺の在り方について関係者の方との話し合いを始めました。善光寺を世界遺産に登録しようというお話があります。でも今、1番考えなければならないことは、善光寺に来られた方々が、どうして夕方4時の新幹線で日帰りのビジネスマンと同じように東京にお帰りになって、東京でご飯を食べてしまうのかということです。泊まるべき場所や食べるべき場所がないからです。そこで私は、宿坊を全部きれいにする、善光寺の周りを京都の祇園の切り通しのあたりや高台寺下の石塀小路のようにして、ネオンはない、けれどもドアを開ければそこに和風のバーもある、東京や大阪で働く立派な料理人だけれどもなかなか店を出せない人に、地元が51%以上のお金を出して長野県の食材をきちんと使う料理店を設けるということも必要だと思っています。
 車から降りて歩いていただく、そして滞在していただけるような空間をまずつくるべきは善光寺周辺なのです。残念ながら現在は、善光寺の裏手に大きな駐車場があります。車でお越しになる方は、善光寺の裏側からお入りになって、裏側からお出になる。これを改めなければならないわけです。現在、大門地区の皆さんと長野市のイニシアチブのもとに、善光寺の正面入り口側に駐車場を設ける案が検討されているようです。信州大学から大門町の方へと幅広い道路を走ってきますと、何か抜け落ちた歯のようで震災後の復興途中の神戸を思い浮かべてしまいます。多くの方に訪れていただき、よい意味で意欲のあるご商売をなさっている方々が報われるような、つまり民主的な結果が出る街づくりを進めなければなりません。そのために皆さんと話し合い、そしてサーヴァント・リーダーである私が新たな方向を提示する。それは最終結論ではなく、皆さんからその結論に対して意見をいただくことが必要です。
 善光寺自体が魅力的になることによって次に中央通りの再開発はいかにあるべきかということが議論できるのです。連休の時に河川敷に駐車場を設け、牛車を描いたバスを走らせても、善光寺裏の駐車場や中央通りに駐車してある車を見ると、河川敷に駐車して善光寺に来られた方は、なんだか俺は正直なことをして馬鹿しちゃったなと思うのであり、これでは民主主義にはならないわけです。河川敷に駐車しても移動することが楽しくなるようにするにはどうしたらよいか。仮にベンチやスピーカーを設置することがかなりスピーディーなカンフル剤であっても、まずは善光寺の周りから短期間に改革をすることが先だと思っています。

 長野県農業の在り方に指導助言をいただく“あぐり”指南役として、皆さんご存じの世界的ソムリエの田崎真也さんと東部町に移り住んで17年になりワイナリーも営まれている玉村豊男さんの2名にお願いしました。
 長野県はマツタケの採取量が全国第2位なのに、イメージは丹波篠山の方が強いですし、信州牛は大変いい牛肉なのに米沢牛や前沢牛のようにブランドイメージが確立していない。また東京の大田の市場に行きますと、はっきりした理由はわかりませんが、新潟県で生産された花の方が長野産の花より多少お値段が高くなっているという話をよく聞くわけです。あるいはワインであったり、乳製品であったり。私は長野県の意欲ある農業者が生産した農産物のブランドイメージを確立させ、適切な利潤が得られるようにすることが県知事としての責務だと思っています。そこでお二人と一緒に、花、キノコ類、ワインや日本酒に水、牛肉をはじめとするさまざまな食肉、そしてチーズやヨーグルトなどの乳製品、この5つの農産物について1、2年かけてブランドイメージを確立していこうと考えているのです。
 最初に考えたのは、「原産地呼称管理」制度、フランス語ではアペラシオン・コントローレと言いますけれども、こうした制度を導入しようということです。塩尻市にある五一ワインが生産する貴腐ワインは、フランスのボルドーの下、ソーテルヌ地区の貴腐ワインと互するものと、私も田崎氏も認めています。こうしたものに「原産地呼称管理」制度を導入しようと話をしていました。

 そして今は、野菜や果物という食材を味覚で評価する制度をつくろうとしています。この制度が確立すれば、農業という世界にとどまらず、私たち日本の社会の発想や評価の仕方をも変えていくことになるかもしれないとひそかに自負しており、私は是が非でも成功させねばならないと思っています。
 例えば今、トマトの箱には2つの品質表示があります。優良可とABCの2種類です。優良可は色合いです。色や形が悪くなると良あるいは可になります。ABCはサイズです。大きなものが1番良い評価を得ている。こうした評価は、目が不自由な方でない限りきちんと検査ができます。色や大きさで判断している限り、その検査員は間違っていると責任を問われることもありません。でもこれでは偏差値教育的な輪切りではないだろうかと思うのです。
 例えば、欧米の市場に行けば、曲がっているけれどもおいしいズッキーニや小振りだけど香り高いネクタリンも並べられています。大事なのは、おいしいかおいしくないかなのです。そこで“あぐり”指南役のお二人と私が、野菜や果物の味について等級を判定するのです。田崎さんは初心者にも上級者にも届く言葉で語ることができ、その言葉に哲学があるソムリエなのです。ワインだけではなく、食生活や私たちの社会の在り方についても語ることができます。味にこだわりのある方々は、田崎さんが褒めているのだからと、仮に1.3倍の値段であっても買ってくれるでしょう。
 しかし、すべての生産者を対象とすることはできません。応募してきた生産者だけになるでしょう。そんなことでは長野県全体の農業生産額は増加しないとおっしゃる方がいるかもしれません。田中はすべての県民にチャンスを与えるといいながら、ごく一部の恵まれた農家のためにだけ行政をしているのではないかとおっしゃる方がいるかもしれません。そうではないのです。
 なるほど確かに今までも5%から10%の人たちは、自分でマーチャンダイズをして産地直送をやっていたかもしれない。でも、その人たちがさらに素晴らしいものを生産していれば、それは長野県のアペラシオン・コントローレによって認められるということです。
 次に30%前後の方で、こんなにいっぱい農薬を買わなきゃいけないのかなと思いながらも農薬を全部買わないと出荷できなかった人たちがいる。その人たちがつくるリンゴでも、おいしければがなくても立派な商品なんだと認められれば、その人たちに勇気を与えて上位の10%の人たちと同じような形のビジネスができるようになっていくかもしれない。
 次の40%の人たちは、何か大変なことをやっているなと思うかもしれない。でもその人たちがつくるボリュームゾーンの野菜や果物も今までの既存のルートを通じて大市場に行くわけです。その時に上位の農家のブランドイメージが確立していることによって、その40%の人たちの商品もボリュームゾーンでありながら、それは市場においてさらに適正な評価を得られるかもしれない。
 そして最後の10%の人たちです。私は土地改良事業も全面的に見直さなければならないと強く思っています。本当に農業者のためになる土地改良事業を行わねばならないからです。組織を存続させるための補助制度であってはならないということです。一人ひとりの意欲ある人に還元される税金の使われ方でなくてはならないということですが、一番下に位置する農業者の方々には、尊厳のある生活ができるように社会保障を整えることこそが必要なのかもしれません。
 私たちは、意欲のあるすべての人に平等にチャンスを与える必要があります。けれども同時にそこで現れてくる結果は、それぞれの意欲や適性や能力や努力、さらには運によって異なるかもしれない。その違いをそれぞれが認め合うことによって次にまた平等に門戸が開かれた社会がやってくるのだと私は思っています。
 私が目指していることは、皆さんから頂戴した税金を用いて意欲のある方々が長野県によって光輝き、県民全体がさらに尊厳のある社会を営めるようにしていくことです。

 私は2月20日に「『脱ダム』宣言」を発表しました。この中で私が申し上げているのは、出来得る限りコンクリートのダムに頼らない治水を目指すべきであるということです。
 日本におけるダム建設の歴史についてちょっと振り返ってみましょう。終戦直後、GHQは日本がダムを造ることに強硬に反対しています。なぜ反対したか。水力発電のダムが日本に出来ると日本の経済はすぐさま復興してしまい、それは欧米諸国にとって、あるいはアジアにとって驚異になると考えたからです。けれども幸か不幸か朝鮮動乱が起き、その後方支援基地としての日本には水力発電が不可欠になったのです。すると世界銀行がの融資をして佐久間ダムをはじめとする巨大なダムができてきたわけです。また、技術的にダムがなければ治水が保たれないという個所には、1950年代から70年代の前半までにほぼ造られているのではないでしょうか。しかし、それらのダムは、仮にそのコンクリートが山陽新幹線のように塩分を含んでいなかったとしても、今後どのように維持補修するのか、あるいは他の治水や発電を考えるのか、あるいはその結果として造り替えるのか、取り壊すのかということを議論しなければならない状態なのです。
 長野県が独自に計画しているダムの大半は多目的ダムですが、主たる目的は利水です。いつも土木部と議論になるのですが、利水が主な目的のダムを、なぜ土木部河川課が考えるのでしょうか。水が本当に足りないのであれば、その需給予測も厳密に見直し、衛生部や生活環境部が市町村とともに水をいかにして確保するかを考え、あらゆる可能性を考えたけれども見当たらないのでダムによって利水はできないだろうかと、土木部河川課に働きかけるべきではないでしょうか。でもそうした文書は残っていません。いつの間にか土木部河川課が利水のためのダムが必要ですと言っているのです。
 25年前から長野県は、松本市内を流れる薄川に大仏ダムを造らなければ松本駅前は水浸しになると皆さんに申し上げてきました。松本駅前を水浸しにしてしまう危険な川があり、その危険を回避できるとしたダムを25年間建設できなかったのですから、長野県はその間、いかに危険を回避するための作業を行ってきたのかということを、皆さんに説明できなくてはいけません。松本市街地のは1立方メートル1万円でできますが、浚渫についてきちんとした記録は残っていません。田川と奈良井川が合流する場所は、道路でいえば渋滞個所です。この付近の護岸の点検はしたのかもしれませんが、改良と整備は行われていません。それでいて、どうして200億円も掛けるダム計画の必要性を住民に説明できますか。
 また、山ノ内町を流れる角間川の上流に角間ダムという利水と治水を目的としたダムの建設を予定しています。私はこの利水の計画表というのがどう見ても現実の数字とかみ合っていないと思っています。そして、昭和20年代から30年代初頭に角間川がした写真を何度となく見せられ、この川は危ないのですと伝えられました。しかし、今そこには多くの方が家を建てておられる。湯田中には、川から遠く離れた所にまだ家が建っていない水田や畑があります。なぜ私たちは、ダムを造らなければ危険であると説明してきている場所に、家を建てる許可を出したのでしょうか。そこは私有地だけでなく地元の組合の土地もあったのに、その組合の土地を借り受けて家を建てることを私たち行政は結果として許しているのです。家を建てる方に、家を流されても人命を失っても家を建てたいということを納得してもらい、特例として建築許可を出したのでしょうか。あるいは、危ないことを知っていながら建築許可を出したのでしょうか。いずれであっても論理的に説明できないのです。にもかかわらず上流にダムが必要だと言っているのです。
 下諏訪ダム計画も同じです。流域に降る雨の9分の1しかコントロールできないダムを、240億円も掛けて造るというのです。マスメディアがダム建設について地元アンケートを実施した結果、流域の人を含めても1割の人しか望んでおらず、逆に7割近い人たちが反対しているのです。これはいずれの人々に対しても県は説明責任を果たしていないということです。7割の人にその事業が必要であることを説明できていなかったのです。また、1割の人にはダム以外の選択肢を取るべきであることを説明できていなかったのです。

 多目的ダムを建設する場合、建設費の81%は国から来るお金です。長野県が負担する費用は19%だと言われています。ダムのような大型公共事業の場合は、ご存じのように大きなゼネコン3社によるジョイント・ベンチャーが組まれます。そのうち上位2社は長野県内に本社がないゼネコンです。しかも公的資金を入れたことがあるのに大半は役員が1人として辞めていない会社です。3社目がやっと長野県内の建設会社となります。長野県のための大型公共事業であっても、平均すると約7割のお金は県外の企業が持っていってしまうのです。私は、大型公共事業で景気回復を、という呪縛からそろそろ解放されねばならないと思っているのです。租庸調の世界を私たちは今なお、なぜ続けなくてはならないのかということです。
 私は家族も含めれば県内に16%いると言われている土木・建設業者の人々の生活を保障せねばなりません。であるならば、私は浚渫や護岸の点検と補修、さらには森林整備といった地元の企業によっても成し得る事業にまずエネルギーを注がねばならないと思っているのです。「『脱ダム』宣言」は、公共事業の在り方を変えていこうとするものなのです。
 今までも公共事業については、さまざまな疑問、意見が寄せられていました。例えば道路工事に関して、いつも年度末に作業があると多くの方はおっしゃいます。一方、行政は年度末ではないと言っています。もしそうならば誤解を招く理由を説明する必要があります。横断歩道の白線がどれだけ消えたら年度の途中でも線を引くのか、どのくらい路肩が壊れたら直すのか、通行量がどのくらいあるところは何年に1回、どのくらい掘り下げて下水管も含めて点検をするのか。皆が一目で分かるガイドラインを設けなくてはいけないと思います。緊急の場合を除いてこのガイドラインに基づいて補修をする。こうした形でなくては市民の理解が得られない時代だということです。

 5月15日に「『脱・記者クラブ』宣言」を発表しました。県庁内には「県政記者クラブ」「県政専門紙記者クラブ」「県政記者会」という3つの記者クラブがあります。この3つの記者クラブの家賃も水道光熱費も、さらには担当の女性職員の給与も、全ては県民の血税で賄われてきました。推計でその金額は年間1,500万円になります。そこで宣言では、6月末を目途に県庁舎内の3つの記者クラブ室を撤去し、プレスセンター(仮称)を3階に設け、今まで記者クラブ主催だった知事の記者会見を、今後、県主催とするとしています。私は記者クラブという親睦団体までも廃止しなさいと申し上げているわけではありません。
 具体例を挙げましょう。いかに記者クラブが閉鎖的であったかを。県では今まで、県職員が記者会見をするときだけ県庁の会議室の使用を認めていたので、市民の方が県庁で記者会見できる場所は、市民は税金を払って税金によって出来た県庁舎であるにもかかわらず、会議室ではなく記者クラブの部屋だけでした。例えば、松本市民が、全国紙や一部の県内紙、さらには県内テレビ局などが加盟している県政記者クラブで記者会見をする場合、その記者クラブに加盟していない松本市の市民タイムスは出席することができないのです。市民は市民タイムスが加盟している別の記者クラブに行って、もう一度同じ内容の会見をしなくてはいけない。これは消費者オリエンテッドでしょうか。読者オリエンテッドでしょうか。視聴者オリエンテッドでしょうか。私は違うと思うのです。
 別の例を挙げましょう。先般、ある報道番組に自民党の山崎拓幹事長が出演したときの話です。山崎さんは番組の中で、国軍を持つべきであるという持論を展開した本を近く出版すると発言したのです。彼の発言に対して内閣記者会が、「山崎さん、どうして4月中のテレビ番組でそんなことを言っちゃったのですか」って抗議したわけです。記者会としては、5月3日の憲法記念日に、山崎さんが国軍保持を明記した本を出版するというニュースを一斉に報道しようと申し合わせしていたのです。ところが4月の最終日曜日に山崎さんは発言してしまったので、翌日の月曜日の新聞に皆、仕方なくなのか、とてもうれしくなのか分かりませんが書いています。
 そして、その番組の中で山崎さんは、女帝を認めるべきであるという発言もしています。私は、山崎さんの発言は大変に勇気ある問題提起であると思ったのです。ところが、そのことはどこの新聞も1行たりとも書いていなかったのです。もちろん情報にはそれぞれ重要度があります。判断するのは編集者です。しかし、政権与党の幹部が少なくともテレビ放送という公共の電波を使って初めて女帝論について発言したことは、新聞で1行も報ずるには値しない、ニュース価値のないものだったんでしょうか。もし私が新聞記者であったならば、日本においても女帝論を議論すべきであると記事にしていたでしょう。

 私はニュースの価値を決めるのは、市民でなくてはいけないと考えています。長野県は今後、“表現者”、すなわちすべての市民が参加できる知事の定例会見を、週に1回、県主催で開催します。そして平日は2回、政策秘書室の職員がその日発表すべきものを掲示し、必要な方には無料でそのコピーを差し上げ、質疑応答をいたします。必要であれば部課長が出席し、時には県知事が出席する場合もあります。そこではいかなる方も質問をすることができます。それは同時に1人ひとりの取材の能力や編集をする能力が問われていくということです。
 そして県のホームページには、質問者の会社名と氏名をはじめ、会見の質疑応答のすべてを載せています。こうすることによって報道の内容が市民によってジャッジされるのです。毎回1時間以上もある会見ですから、紙幅の関係からその全てを報道することは不可能です。でもマスコミの皆さんが会見のどの部分を報道しているか、報道するにしてもどのように抽出し、その抽出が的確であるかどうかを誰もが判断できるのです。
 プレスセンター(仮称)は市民の共有財産です。ご予約をいただければ全ての市民がそこで会見をすることもできるのです。

 いま、都道府県という組織が非常に注目されていますが、私は50年を経ずして都道府県知事は中抜きされる存在になっていくと思っております。なぜならば1番大切なのは、それぞれの地域のコミューンだからです。竹下元首相が提案した「ふるさと創生1億円事業」は功罪半ば、いや罪が大半だと言われていますが、本当に自己判断ができる市町村長にとっては、よい練習問題であったはずです。試みとしては評価すべきものであったと思っています。
 県民の皆さんに期待することは、長野県に関して思考覚醒状態になってもらうことにより、自分の小さな地域の問題にも賛成のための賛成派や反対のための反対派を演じるのではなく、また、意見の違う人が小異を捨てて大同に着くのではなく、まさに小異を残しながら大同を目指していく形のアウフヘーベンを地域で行っていただきたいということです。市町村やさらに小さな単位のコミューンに活気が出れば、いつの日か都道府県という概念は中抜きされるべき存在なのです。
 私が長野県職員に期待することは、自分の存在すらいつの日かは消え去るという覚悟を持ち、パブリック・サーヴァントとして日夜精励することによって、まさに自立した、お題目ではない市民のための社会が到来するのだと思ってもらうことなのです。
 時間もまいりましたので、これで終わりにさせていただきます。本日はどうもありがとうございました。

 

平成13年5月23日・松本市・ホテルブエナビスタ/5月25日・長野市・ホテル国際21)

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Tel 026-232-2002
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