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最終更新日:2004年04月14日

日本外国特派員協会講演「しなやかな改革」


長野県知事を務めております、田中康夫と申します。
本日は、私、そして220万人の長野県民が目指す、当たり前の事が当たり前に言える、当たり前の事が当たり前に行える。そうした、しなやかな改革の理念、具体的な方向についてお話ししようと思います。

『脱ダム』宣言」に引き続き、先週の火曜日に発表した「『脱・記者クラブ』宣言」もまた、しなやかな改革の一つです。
長野県庁に於ける記者クラブは、家賃も光熱費も新聞社や放送局は支払うことなく、机や椅子も長野県が無料で貸し出し、スタッフも長野県が派遣していました。税金から毎年1500万円近く拠出する形で存在してきたのです。
また、記者会見は記者クラブの主催であったため、フリーのジャーナリストは除外され、出版社関係、スポーツ新聞、外国メディアの記者も前日までにお伺いを立てないと入れない形でした。
今回、私は来月末をもって、3つの記者クラブを撤去し、代わって、そこに表現に携わる者なら誰もが自由に利用できる「プレスセンター」を、県の全額費用負担で設ける事を決めました。
この「プレスセンター」では平日の午前と午後の2回、広報担当者が「プレスリリース」を掲示し、希望者に無料で配布します。インターネット上でもアップします。その場で質疑応答にも応じます。必要に応じて、知事である私や、部局長もその場に赴き、説明や質疑を行います。つまり、今後、理論的には毎日でも私が記者会見を行う可能性を、自ら設定するということです。
聞くところによると、都道府県知事で毎週記者会見に応じているのは、私と石原都知事だけだということですが、取り分け、私の場合は記者会見を毎回1時間以上にわたって、更には日々、県庁、あるいは様々な視察現場で「ぶら下がり」と称する記者との質疑応答にも応じて来ました。手前味噌かも知れませんが私は、マスメデイアに対して、従来から最も門戸を開放してきた公人だと自負しています。
先週から記者会見は、県庁内に3つ存在する記者クラブの主催ではなく、県主催へと変更になりました。そして、全ての表現者、即ちそれは、いままで会見に出席できなかった東京の雑誌社や地元のミニコミ、インターネット放送といった媒体に留まらず、表現に携わる全ての市民が自由に記者会見へ出席し、質疑応答ができる形となりました。その内容も、質問者の名前を含めて、県のホームページにアップします。

一方で現在、国会で審議されている「個人情報保護法」は、このネーミングからは想像出来ない程、危険性を孕んだ法案です。巨大な新聞社と通信社、放送局のみを政府という権力が何故か庇護し、他方、出版社やフリーランスのジャーナリストの取材活動、或いは表現活動は著しく制限が加えられる。つまり、“知る権利”と“報ずる権利”を奪いかねない法律であります。
私は長野県知事という「権力」装置の一翼を担ってはおりますが、同時に「表現」という活動を個人で続けてきた人間でもあります。「『脱・記者クラブ』宣言」が目指す方向とは、こうしたきな臭い法案を形式的な審議のみで押し進めようとする現在の日本において、自由な発言という権利を一人ひとりの市民が確保するための手立てでもあるのです。
詳しくは更に後ほど、質疑応答の時間でお答えしようと思いますが、一つだけ申し添えれば、県主催の記者会見となることで、都合の悪い内容が公表されなくなるのではないか、と批判するマスメディアがあります。それは実に浅薄な見方です。日本で最も進んだ情報公開条例を設けているのが、私が就任後の長野県なのです。
もちろん、その前は、秘密が一杯詰まったオリンピック招致費用の帳簿を何と焼き捨て、その行為に何ら問題なしと反省の色も見せず、挙げ句の果てには、スピードスケートはミズスマシのようでつまらない、と記者会見で述べた人物が20年間、県知事を務めていましたけどね。
昨年の10月、私は県知事選挙で、その後継者に当たる副知事と戦い、−県内に120も存在する市町村長は全員、その候補者を支援したのですが−、選挙戦の僅か3週間前に出馬表明したにも拘らず、公共事業の見直し、3つのダム計画のゼロからの見直しを掲げ、11万票の差で勝利しました。
少し悪のりして明かしてしまえば、彼は姓名判断に凝っていた前知事の奥さん−その女性は動物好きで、知事公舎に犬やネコだけでなくポニーやクジャクまで飼っていて、近所から苦情が絶えなかったのですが−、その彼女の勧めに従って改名もした人物です。
話を元に戻しましょう。従来の取り決めでは、記者クラブが求めなくては、県知事は記者会見を行うことすら出来なかったのです。これでは逆に、記者クラブにとって都合の悪い場合には会見が開かれない、とも言えます。
現に、今回の宣言を、「読売新聞」は長野地方面で1行も報じていません。1行もですよ。ベタ記事扱いした社会面ですら、見出しには「県庁記者クラブ 非加盟社に開放」と打ってある。「『脱・記者クラブ』宣言」という文字も、記事の中に見当たりません。まるで、自らの手で、開かれた記者クラブを目指しているかの印象を読者に与えます。
つまり、「読売新聞」の読者は、この間の長野県での動きを知らされていないに等しいのです。こうした対応をこそ、情報操作と言うのではないでしょうか。そして、1週間が経過した今も、今回の宣言を社説で扱った全国紙は皆無です。安穏と既得権益を貪っていた彼らは未だに、黙殺すればやり過ごせると高を括っているのです。自浄作用での開かれた記者クラブ改革が行われなかったからこそ、そうしたギルドへの異議申し立てを行う“田中革命”という黒船が海もない長野県へと到来したと言うのに。いやはや、極めて日本的対処です。
「知識階層」と称する面々が現地の英字新聞からも情報を入手するタイや香港と異なり、母国語の新聞・TVが幅を利かせてきたのが日本です。声高に「構造改革」を主張する記者クラブの人々こそが、皮肉にも「保護貿易」の恩恵を受け続けていたのです。
護送船団方式の日本の記者クラブ制度と、自らへの批判を受け付けぬ、誇り高き日本の新聞社と放送局の閉鎖性については、まだまだ申し上げたいことが山と有ります。どうか、最後まで席をお立ちにならずに、質疑応答の時間までお待ち下さる、ジャーナリストにとっては不可欠な忍耐力を、今日お集まりの皆さまがお持ちでらっしゃることを願います。
誤解無きように申し添えれば、長野県は一方的に記者クラブを廃止するのではありません。何故って、記者クラブという組織自体は、任意の親睦団体に過ぎぬのですから。県民の税金で買い求めたソファで昼寝をしたり、県民の税金で買い求めたテーブルで賭け麻雀を行い、親睦を深めるその具体的活動まで知っている県民は限られていますが。

さて、地元「信濃毎日新聞」の世論調査によると、就任7ヶ月を迎える私の支持率は依然として、8割を大きく超えています。一方、長野県の県会議員を対象とした調査では、76%は私の県政を評価せず、逆に田中県政になってから、自分たち県会議員への県民からの期待が高まったと77%の議員は答えています。その状況認識が鋭いのか、鈍いのか、判断はお任せします。
なぜ、県民と県会議員で、このように田中県政に対する評価が異なっているのでしょうか。ある意味、この点にこそ機能不全を起こしている日本の間接民主主義の問題があり、であればこそ、そのスパイラルに捻れた間接民主主義を正常な形に戻すべく奮闘する私の改革に期待する数多くの市民が居るのだと思います。

その世論調査に拠れば、長野県民は、
 1. ダムをはじめとする公共事業の見直し
 2. 県の職員の意識改革
 3. 1兆6千億円もの借金を抱えた県の財政再建
の順番で改革を望んでいます。
「日本の背骨に位置し、数多の水源を擁する長野県に於いては出来得る限り、コンクリートのダムを造るべきではない。」と述べた「『脱ダム』宣言」も、納税者としての市民の望みとは正反対の公共事業ばかりが全国各地で横行している私たちの社会の在り方を見直そうという改革理念なのです。環境問題の深刻さを人々に考えさせる民主党の「緑のダム」構想よりも、幅広いパースペクティヴを持っているのです。
であればこそ、2月20日に発表するや、県内に留まらず、国内外の数多くの市民から賛同を頂戴したのです。政党でも、小沢一郎氏が率いる自由党と、同じく野党の日本共産党の2党が、その理念と方向性への支持を、いち早く表明しました。それは、東西対立時代のイデオロギーが潰えた時代を象徴する、恰もジャズとクラシックのコラボレーションの如き反応です。
他方、「朝日」「産経」「毎日」「読売」といった全国紙の長野支局は、手続き無視の強権だ、独裁的だ、背筋が凍る思いだ、と連日に亘り、書き続けました。本当に私が独裁者だったら、そうした言葉を記す自由すら、とっくに彼らは奪われていると思うのですが……。何れにせよ、是々非々で田中県政を報じる姿勢が見られる「信濃毎日」「中日」「日経」「長野日報」とは対照的です。
恐らくは前者の全国紙は、思考停止状態に陥っているのです。その昔から社説では「公共事業の無駄を見直そう」、なあんて主張していたくせに、いざ実際に市民運動の側ではなく「権力」の側に同じ考えの為政者が現れ、しかも御題目として唱えるだけでなく実際に変革を行い始めると、どのように反応したらいいものか、判らなくなってしまっているのです。
これが3年前、作家であり一市民運動家としての私が、東京から年間100往復もして、総事業費1兆円の神戸“市営”空港に反対する住民投票ムーブメントのリーダーだった時は、悲劇のヒーローみたいに私を取り上げた訳です。計画に賛成してる神戸の市会議員の数を数えれば、議会制民主主義の下で否決されるのは当たり前。なのに、二重ローンに苦しむ被災した市民が集い、そして政党や労組が主体ではない形で35万人もの署名が集まった、と書く。判りやすい物語です。
ところが、カウンターパートじゃなくて権力側で、社説で言ってたような内容を実際に行う県知事が出てくると、彼らは思考停止状態になっちゃう。すべからく権力は叩くべし、みたいなステロタイプな捉え方から脱却していないからです。「出来得る限り、コンクリートのダムを造るべきではない。」との「『脱ダム』宣言」の理念自体を否定は出来ない。さりとて、礼賛したのではジャーナリストとしての沽券に関わる。なあんて勘違いしているのですね。だから、プロセスが乱暴だとか、民主主義じゃない、とか書いている。
フィリピンでマルコス政権が崩壊したとき、あるいはルーマニアでチャウシェスク政権が瓦解したとき、日本の新聞は「民主主義が到来!!」と大見出しを打ったものです。でも、それらは民主的に行われたのですか? いいえ、マラカニアン宮殿に人々が石を手にして入り込んだとき、それは民主主義とは程遠い“手続き”でした。
一応は選挙によって選ばれた人物を市民が追い出した。が、それは民主主義が機能していない社会に愛想を尽かしたればこそ、真の民主主義の到来を人々は切望したからです。長野県民の想いとて一緒です。繰り返しますが、私の就任前は、ことごとくプロセスが包み隠され、オリンピック招致の帳簿を焼き捨てても知らぬ存ぜずと居直る体質だったのですから。
10年も20年も掛かる改革なんて、単なる変化に過ぎない。スピーディでなくてはいけない。ただし大事なのは、県民と対話する姿勢です。
日本では、全ての手続きは一応、「民主的」に行われてきました。何らかの計画が有ると、説明会や審議会、更には公聴会を開き、最後に議会で審議の上、議決する。一つひとつは法に則った民主的な手続きではあります。けれども、そうしたプロセスを踏んだ後に訪れる結論は、多くの市民が望んでいたものとまったく異なっている。諫早湾の干拓事業は、その最たるケースです。結果に於いて、民主主義は捻れているのです。
この10年間で日本の財政出動は100兆円。そのうち71兆円は公共事業に投じられました。なのに、家の狭さも含めて、市民の生活は豊かになっていない。せいぜいが、私が学生時代に書いた最初の小説「なんとなく、クリスタル」から20年経って、ルイヴィトンだけでなく、シャネルやグッチも多くの国民が所有するようになった程度。「公共事業に多額の税金を投入し続ける日本という国の豊かさは、実は一人ひとりの日本人の生活が貧しい状態に留め置かれていたからではないか」。フランスの社会学者 ジャン・ボードリヤール氏が阪神・淡路大震災直後の被災地を訪れて呟いたセリフは鋭いのです。
税金の使い方が間違っていたんです。ならば、公共事業という言葉の意味合いを、住民参加という言葉の意味合いを、正しい姿に直さなくちゃいけない。まずはオープンな形で話し合い、パブリック・サーヴァントであると同時にサーヴァント・リーダーでもある私が新たな方向を呈示し、その判断に対して更に市民が自由に意見を言える環境が設定されているかどうか。これこそがクリエイティヴな民主主義のプロテクション、クリエイティヴ・コンフリクトです。私が就任直後から心を砕いてきたのは、真の意味でのパブリック・インヴォルヴメントの在り方なのです。
長野県では現在、知事直通のFAXとEメールへ、1日に200通以上の県民からの声が寄せられます。その全てに私が目を通し、4名の政策秘書が返事をします。6月からは更に組織を充実させ、「県民の声ホットライン」をスタートさせます。税金を払ってくださる県民は私たちの大切なお客様。その方々から寄せられる意見や質問や提言は最大の宝物。とスタッフに言い聞かせています。手紙やFAX、Eメール到着から1週間以内に、調査の上、具体的な内容の返答をします。1週間では調査し切れぬ場合には途中経過を報告し、更に1週間の猶予を戴きます。
BAのイニシャルから、嘗てはブラッディ・オーフルと呼ばれたブリティッシュ・エアウェイズを立て直したサー・コリン・マーシャルの哲学に私は大きな影響を受けているのだと思います。
月に2回、県内の各地で「知事と語ろう 長野県の明日」と題して車座集会を開催しています。人口2千人余りの山間部の村でも、500人近い人々が参加します。基本は2時間なのですが、質問が多く、常に3時間を超えます。80歳を超えたおじいちゃん、おばあちゃんが皆の前で立ち上がって、「知事さん、元気かやぁ。この年になって、毎朝、『信毎』の第3面から新聞を読むのが、こんなに楽しいとは思わんかった」なあんてね。地元紙では県政関係の記事が第3面に掲載されるのです。夕方の30分間のローカルニュースも視聴率がグンと上がってしまった。そして、働く若い女性も昼休みにカフェで、前日の県議会での遣り取りを話題にする。
この他、「ようこそ知事室へ」という直接対話の場も月に2回、設けています。応募者の中から抽選で1回10組、15分ずつお目に掛かって、具体的提言をお聞きしています。
今年度の予算編成では、身障者リハビリテーションセンターを始めとする養護施設の全てのベッドの脇に、パソコン用のジャックを取り付けるようにしました。たったそれだけの公共投資でも、体の不自由な人たちも社会と繋がり、社会に参加出来るのです。それは、とても大事なことです。車座集会を始めとする様々な場面で、私はそのことを強く感じています。
何故、参加することが大事なのか。一人ひとりが思考停止状態ではなく、「思考覚醒状態」になる必要があるからです。ポピュリズム的独裁者だなんて私を批判する連中は、勘違いしています。ヒトラーやスターリンは人々を思考停止状態の興奮や恐怖に陥れましたが、私は一人ひとりの県民や市民に、こんな日本でいいのですか、と思考覚醒状態をもたらしているのです。
いままでの長野県に限らず、日本中が、全部クローズドだった。対して、従来から私生活も包み隠さず日記形式で公開してきたのが私です。そのラディカルさは公人となって更に増し、4月の上旬、ブドウ球菌が膝から入って、蜂窩織炎という病に罹って1週間入院したときも、白血球の数を始め、県のホームページに全ての数値と病状を写真入りで掲載しました。当たり前のことです。県民が払ってくれた税金から給料を貰っているのだから。

確かに無駄な公共事業は一杯有ってね。八ヶ岳の麓の富士見町で16キロの農道建設に160億円も掛けていた。而も、当初予算は90億円。何で、そんな立派な道路を造ったの、と尋ねると、カーブがあるとトラックに積んだギアチェンジをする度に野菜が傷むって。だけど、図面を見たら、2ヶ所も直角に曲がってる(笑)。理屈にもならない。川上村というレタスで有名な村にも、誰も使わない巨大な橋が出来ている。これも当初は19億円の計画だったのに、どんどん金額が膨らんで63億円にもなっちゃってる。どういうこと、と尋ねたら、小さく生んで大きく育てるのが公共事業の秘訣だと農政部長が説明するんで、ひっくり返りそうになった。ふるさと農道というウルグアイラウンド対策予算で始めた事業だから、通行量予測すらしていない。
話してると頭に来るから、今や名刺と並んで長野名物となったガラス張りの知事室の話をしましょう。それは実体のあるパフォーマンスです。県民ホール脇のガラス張りの部屋だから、談合的で根回し的な陳情タイプの連中は、あの部屋に入りにくくなっちゃった。みんながロビーで見ているからね。今までは三階にあったから、それに県庁には一般ピープルがほとんど来なかったから、秘かに出入りできたのかな。あるいは料亭でも会ってたのかな。面白いことに、ガラス張りで、外から大勢が見ていると、人間は喋り方まで変わります。どんな議員でも、論理的に説明できなければ、私を説得させられない。これが実体のあるガラス張りの効果。
その上で、何を食べているかまで市民は見れる。来た人は、「ああ、知事はあんな昼食を食ってるんだ」と。食べるのが早いなとかね、判ってしまう。同時に、県庁まで来れない人もテレビを通じて、ガラス張りになったんだ、知事がこんなこと言ってる、県政が近くなったなぁ、と。それはパフォーマンスの効果です。でも、実体がないパフォーマンスだったら、続かないんです。今日も会場にいらっしゃるかも知れませんが、アメリカの代表的な週刊誌の東京支局長が長野へやって来て、1時間ばかり会議が長引いて待たせちゃったら、「パフォーマンスばっかりだ」と挑発するのです。「何言ってるの。パフォーマンスだけだったら、テレビドラマだって三カ月で消費されていく時代に、こんなに県民の支持が続く筈もない」と言い返しちゃいました。単なるトリッキー・スターだったら、そんな田中康夫は、とっくに消費されて捨てられちゃってるわけです。

公共事業の在り方を見直そう、そして下諏訪ダム、大仏ダム、浅川ダムの3つのダム計画のゼロからの見直しを行おう、と公約に掲げて私は当選しました。世論調査でも県民の88%は、公共事業の見直し政策に賛同しています。2月20日、「『脱ダム』宣言」を発表した私は、240億円を投じて建設が予定されていた下諏訪ダム計画の中止も同時に発表しました。
実は、ダムが計画されている砥川という流域では、今まで土手が決壊したことも、家が流れた事も、人が死亡した事もありません。ですから、4月に行われた世論調査では、下諏訪町の住民の1割にも満たぬ人しか下諏訪ダム建設に賛成していないのです。他方、7割を超える多くの住民が下諏訪ダム建設に反対しています。
にも拘らず、長野県は20数年間にわたり、下諏訪ダムが必要だと言い続けてきました。何故でしょう? 理由は簡単。ダムが金を生むからです。その絡繰りを説明しましょう。
多目的ダム建設の場合の国庫負担は50%。更には巨額の交付税も県に支払われ、最終的には国が約8割も面倒見てくれる計算なのです。たった2割の県負担で数百億円の県営ダムが造れる。一方、治水の基本とも言うべき河川の浚渫という維持管理作業への国からの補助は、驚くなかれゼロ円です。
けれども、改めてその数字を見てみると、長野県の場合、5億円以上の公共事業は、その金額の8割が東京を始めとする県外に本社のあるゼネコンに流れてゆくのです。つまり、国から8割のお金が降ってくるとは言いながら、そっくりそのまま、東京のゼネコンに流れ戻っているということです。仮に国からの補助率が6割や7割の仕事であったならば逆に長野県民が、東京の会社にお金を献上していることになるのです。
他方で、例えば養護学校の改築では、約30%しか起債が組めない。そして、国からの補助はなく、100%の県負担です。こうした事業による負担率の違いが理由で、長野県に限らず地方自治体は、国負担比率の多い事業に手を出すこととなる。だから、日本の公共事業は「造る」から「創る」へと一向に転換出来ないでいるのです。
こまめな浚渫や護岸改修の方が、よっぽど地元の活性化に役立つ。地元の業者でも担当可能な作業内容なのですから。長野県では、家族も含めて約16%もの土木建設業者が居るのです。県知事の私は、そうした県民の生活を確保することも仕事です。だから、公共事業の在り方を変えねばならぬと言っているのです。
治水の基本は、こまめな浚渫と護岸の点検補修、そして上流域の森林整備です。が、今述べたように、浚渫に関しては国からカネが降ってきません。その結果、下諏訪の場合も、1b約1万円で行える浚渫が行える河川だったにも拘らず、その記録が殆どないのです。20数年前から、ダムが無ければ安全は保てない、と“広言”してきたのに、その間、治水の王道たる浚渫と護岸補修を怠っていたのです。
 これでは、住民は納得出来る訳もない。ダム推進の旗を振る面々とは実は、中央から運んできてくれるコンクリートの塊を望んでいたに過ぎないのです。愚かな話です。だって、8割の金額は東京へ還流していくのですから。
何れも、ダムありきで計画を立ててきたのです。ヴァイオリンのスズキ・メソッドで知られる松本市にも、薄川という川があって、美ケ原の麓に大仏ダムを25年前から計画してた。私は10月の就任直後に即中止を決めました。
何故って、そのダムがないと松本の駅前は水浸しになる、と長野県は言ってたのです。が、それが仮に本当だったとして、じゃあ25年間、現実にダムがない状態で、その間、どんな治水対策をとってきたのでしょう? 驚いたことに、市街地区間で浚渫をした記録が残っていない。浚渫費用は1m僅か1万円なのにね。更に薄川下流域の、田川と奈良井川と合流する、水が一番“渋滞”する区間を護岸改修した記録も同様にない。それでいて、どうして200億円も掛かるダム計画の必要性を、住民に説明できますか。
長野市の郊外で計画されていた浅川ダムも、総事業費400億円の半額に当たる200億円が既に、長野オリンピックの取付道路としてのループ橋に使われていたのです。ダム本体の工事は始まってもいないのにね。で、そのダムが完成しても、100年確率の降雨の時には流域が水浸しになると、当の土木部も認めているのです。ならば一体、ダム計画とは何なのでしょう。

「緑のダム」から連想するのは、環境問題です。対して「脱ダム」という単語は、環境問題に留まらず公共事業のあり方、税金の使われ方、延いては人類の未来をも私たちに考えさせるのです。「公共事業に多額の税金を投入し続ける日本という国の豊かさは、実は一人ひとりの日本人の生活が貧しい状態に留め置かれていたからではないか。」との阪神・淡路大震災直後のジャン・ボードリヤール氏の発言を今一度、復唱しておきましょう。
私が幼かった時分、コンクリートのダムはアポロ計画と同じく、人間の勝利、進歩の象徴でした。私たちが生み出した科学技術で、森羅万象をコントロール出来るのだと。けれども今や、巨大なダムの前に立つと、科学技術信仰に対する言いしれぬ不安を感じるのです。塩分満載な山陽新幹線のトンネル壁面崩落事故も頭をよぎって、これが壊れたらどうなるのだろうかと。
それは、アポロ計画で宇宙へと飛び立った人々の多くが、その後、宗教家や哲学者へと転じ、あるいは精神的変調を来した向きすら存在する現実と、無関係ではありますまい。ソビエト時代の宇宙船に乗り込み、オゾン層が破壊された地球を眺めたTBSの秋山豊寛さんが今、福島県で土に生きる農耕生活を送っているのも単なる偶然ではない。そう思えます。
未来は無限に開かれている、と私たちは前世紀、誰もが信じて疑いませんでした。けれども、無尽蔵にモノもカネも蔵匿されていた筈の泡沫経済は、脆くも崩れ去り、真の意味で豊かな社会を築く為には、一人ひとりの個人が豊かさを、先ずは獲得せねばならぬのだと、私たちは学びつつあります。
向上心に満ち溢れた220万県民と共に「長野モデル」の構築と発信を行う“ナガノ革命”に、少なからぬ人々が期待を寄せて下さっているのだとしたら、それは「日本株式会社」的な鋳型社会とは対極に位置する、“しなやかな個々人運動”であるからだと思います。

奇しくも今年は、足尾銅山の鉱毒問題と渡良瀬川の治水事業に生涯を捧げた田中正造が、衆議院議員を辞めて天皇に直訴した年から、丁度100年目なのです。同じく長野県でも100年前に、関清英という官選知事が、文書を残しています。目先の利益に惑わされて、殖産興業で森を乱伐してはいけない。人心が荒廃し、洪水の危険も増す。200年掛かろうとも森林整備をせねばならない。それが、我々の子孫に対する責務なのだと。
今年度から森林整備を大きな柱に据えて、間伐や育林の作業に、中山間地域の土木建設業者を新規参入させ、年間収入の1、2割を造林から得られるような“二毛作”収入策を図っていこうとする私も又、100年、いや、200年先へ残す資産としての河川・湖沼の価値を信じているのかも知れません。

モノやカネよりも自然、環境、文化を重視するポスト・マテリアリズム即ち脱物質主義の道を、日本の市民も又、一人ひとりは選択しつつあります。それこそは、真の意味での人間主義への回帰です。
当たり前の事が当たり前に実現する。そうした普通の社会の実現を、私は目指しているのです。

(日時:2001年5月21日、場所:日本外国特派員協会)

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