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最終更新日:2003年03月24日

明日からこそパブリックに 〜退職される皆さんへ〜


明日からこそ真のパブリックな行動を

少し意外に思われるかもしれませんが、私は城山三郎という書き手の作品を数多く読んできた一人であります。私が予備校時代に彼のご子息と机を並べて、たまさか学んだということも影響しておりますが、彼の作品を読むたびに私とは違ってまさにストーリーテラーとしての、そして非常に優れた社会的な嗅覚の書き手であるということを痛感するわけです。彼の作品には、皆さんご存知だと思いますが、例えば「野にして粗だが卑ではない」とタイトルだけで既に人々の心を打ち、勇気づける作品もございます。更にその作品自体は多少前の作品ではありますが、「毎日が日曜日」という作品もございました。

もしかすると皆様は今日長きにわたる公務の務めから開放され、明日からの自分の生活あるいはそうした毎日が日曜日ではないかと、私のような若輩が大変に失礼な言い方をしているかもしれませんが、あるいはそのようにお考えになる方もいらっしゃるかもしれない。けれども私は、私と同じくパブリックサーバントとしてお勤めになられた皆さんこそは、むしろ日本という社会に於いては明日からこそが真の意味で公僕として、あるいはパブリックサーバントとしてパブリックな発言やパブリックな行動を、誰からも制約を受けることなく行える日が到来するのだと思います。

古くはカントが言ってることでもあるらしいのですが、本来パブリックな仕事をしている人間が実は、パブリックな空間の中では得てしてプライベートな営みをしていたりするのです。これはどういうことかと言いますと、おそらく今日お集いの皆様の多くには家庭があり多くのご家族がいらっしゃる。皆さんはパブリックサーバントとして公務に携りながら同時に、自分のプライベートな部分である家庭を維持していくという責任も負っていたわけです。

そういたしますと、人間というのは非常に一人ひとりはもろい生き物ですから、自分の生活を守るということをあるいは自分の生活の場を確保するということを、無意識のうちに考えるのです。それは決して行政という場に限らず多くの民間企業においても、同じであろうと思います。自分の生活の場を確保するために、あえて大きな冒険はしない、あえては新しい指針を提示しない、すなわち前例を踏襲していく、つつがなく日々の与えられた仕事をこなすということに人間は流れがちであります。私はそのこと自体を、端から責め立てたりすることは、一人ひとりの、か弱き人間に対しては些か酷なことだと思っております。

いずれにしても、この長野県の建物の中で、そこではパブリックな業務が行われているはずにも係わらず、一人ひとりは自分の生活の糧を得るプライベートな行為を、プライベートな意識で行いがちであったと言うことです。それは私自身も日々、厳に心して勤めねばならない事柄であります。

 

プライベートな時に実はパブリックな意識を持つ

では皆様が郊外の、首都圏とは異なり長野県の場合はそれぞれの職場から至近の場所に、お住まいであられたかも知れませんが、一人ひとりのプライベートな家に戻り、そうして、同じくプライベートな生活を過ごすご近所の方々と語らう、あるいは家族と語らう時には、実は私たちは極めてパブリックな意識で、パブリックな感懐を述べているのです。

恐らくは今、日本という国に暮らされている方の中で、今の社会の在り方で大満足であると、なにも改める必要はないと感じていらっしゃる方は皆無に近いであろうと思います。私たちは自分の家庭や地域に戻ったときに、もっと世の中はこうなればいいのに、もっとこういう風に行われるべきではないかと、必ずしも肩を怒らせたり、拳を振り上げたりするわけでなく、ごく普通に食事をとり、ごく普通にお茶やお酒を飲みながら極めてプライベートな時間に、私たちはパブリックな発言や、あるいは地域コミュニティの活動という、パブリックな営為を行っている訳です。その意味においては、まさに皆様は数十年にわたっての長い間、パブリックとはどうあるべきかということを、日々、仕事の中で自問自答され、苦悩なされながら私たち長野県民のよりよき生活のために、自分のできる範囲の、権限の、職務の中のことをお勤めいただいた大変に志のある方々だと思います。そうした方々がまさにこれから県の職員という肩書きがとれたときに、その経験を生かして、さらに地域のためにあるいは、長野県全体の県民益のためにお尽くしいただける日が、明日から、いや辞令を交付させていただいた、この瞬間からこそ到来するものだと私は思っております。

 

プライベートな人間がパブリックな社会を前進させる

先般、高遠町で車座集会を行いました。幸いにして今、多くの県民の方が県政を、遠いものではなくまさに自分の生活の一部として、あるいはお昼ご飯を食べながら若い方々も報道された県政の動きを語らい、更には一階の県民ホールに多くの小さなお子さんや、年老いた方もおいでになって、パブリックな空間でのパブリックな営みを、自分のプライベートな場所に引き寄せてお考えいただけるようになってきました。高遠の場合でも、もちろん伊那市をはじめとする近隣からもお越しいただきましたが、人口7千人の町で千人近い皆様にお集まりいただいて、自由闊達にご質問やご意見やご提案をいただきました。

私はその会合の最後に、これから申し上げる話を、―― 何故かパブリックな職についてから、以前にも増して涙もろくなってきておりまして、お話をするうちに涙腺が緩んでしまい勝ちなのですが ――、高遠の最後でお話ししたのは、東京にスワンという、脳に障害を持った方々が働くパンやさんがございます。パンというのはご存じのように、新聞配達や、あるいはお豆腐やさんと同じように、世界で一番早起きの職業であります。これは皆さんが日頃ご利用になっている、日本で一番最初に顧客本位な、宅配便のサービスを手がけた企業が支援をしているのですが、ここのパンは銀座にもショップがあって、そこでお買い求めになれる。レストランにも卸している。その、子供たちというには些か年齢を経た、けれども非常に純粋な気持ちを持った方々が、パンを工場でこねて焼くだけではなく、時には、そのパンを定期的に買ってくれるレストランや、町の人のところに自分が持っていって、あるいは集金も一緒に行いたいと、多少意思表示は不自由かもしれないけれど、おっしゃるようになったのです。その周囲で彼らや彼女らを支える人たちは、配送のトラックに渋滞の中、長時間乗って、パンを届けにいくことは、彼らの体力に影響を与えるかもしれない、お金の計算をするときに時間がかかったり、小銭の計算が誤れば、お客様に迷惑をかけるかもしれないと、当初は逡巡したわけです。けれども多くのそこで働く人たちが、自分が朝から焼いたパンが、どんな人に食べていただいているのか見てみたいと欲して、介護の者と一緒にそのパンを届け、お金の計算をする。すると、嬉しそうにパンを届け、とても嬉しそうにお金の計算をする。

私たちの社会は、人間として大切なことを学びつつあるのです。それは、この高齢化社会に於いても、社会の中で自分が他人に尽くせる場所がある、あるいは社会に貢献しようとする自分を待っててくれる人が何処かにいる。それは決してお金では獲得できない喜びの充足感で、でもお金や数字には換算できない私たちのそうした、人が人を支えている確かさによって、もろくて弱い一人ひとりのプライベートな人間が、パブリックな社会をより良くしていく気持を抱き続けることで、何時の日か、望ましき社会を私たちのものとすることが出来るのではないか、と今のエピソードを語るたびに、まだ至らぬ点も多い、この自分を反芻しながらも思うわけです。

 

これからも県民の一人として長野県のために

是非、この美しい、けれども厳しい気候や貧しい地味でもあった自然環境の中で数多くの豊かな農作物や、誇るべき教育や、たゆまぬ営みを、私たちの先達が歩んできたように、なおこれからも、220万を越える多くの県民の一人として、この皆さんが生まれ育ち、―― 私もこの県で多感な青春時代を過ごしました ――、このたぐいまれなる可能性を秘めた長野県が、更に一層、地方自治の希望の星として輝き続けることが出来るように、今日この日からも引き続き、一人の県民として皆様にも、今までの経験を生かして、更に心をお配りいただければ、それは私をはじめとする多くの職員にとって、何よりの励ましとなるでしょう。

どうも長い年月に渡ってお勤め頂き、お疲れさまでした。そして今日この日を迎えられた皆様の喜びを、この場で分かち合えることを嬉しく思っています。どうも有り難う御座います。

(退職者辞令交付知事あいさつ 2001年3月30日)

 

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