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最終更新日:2003年03月24日 |
−知事年頭あいさつ(2001年1月4日)− どうぞ楽な姿勢で、と毎回申し上げていますが、スペース的に限られた場所に多くの方にお集まり戴いて、恐縮であると同時に、大変嬉しく思います。仕事始めの言葉を述べる場ですが、病院や交番を始めとして、私たちの仲間には31日の日も、また1日の日も働いていたメンバーがいるわけです。おそらく多くの皆さんは年末年始、御家族と過ごされたと思いますが、その瞬間も私たちはまさにパブリックサーバントとして働いているのでして、取り立てて、今日この日から2001年の新しい仕事が始まるわけではございません。 今までの慣例とは違って、昨年末から私は、平成13年度の予算に関して各部局の皆さんから、計画していること、また希望している内容に関してお話を伺っています。今日も明日もまた、大変遅い時間までにはなりますが、お話を伺います。 私は平成13年度の予算というものは、もちろん私が就任する前から様々な計画をされてきたこと、あるいはそれ以前の年度から引き続いて行われてきたこと、さまざまに存在するとは思いますが、私は県議会の皆さんに御審議をお願いする直前まで、多くの職員の皆さんと予算のあり方に関して忌憚のない意見を交わして、新しい長野県のあり方を多くの市民の方々に、数字の上でも把握して戴ける予算案にしたいと考えています。ですから今日明日、残りの部局の方々からのご説明を聞いた後も、財政課を中心としてもう一度、ある意味で言うと、軟膏を塗る場所を変えたり軟膏の種類を変えるというような形に留まらず、県民の皆さんが、きわめて精神的な豊かさを実感できるような社会をもたらすべく、大きな外科手術を、13年度予算に於いて敢行せねばならないと思っています。 私もそのためには、皆さんから、更に多く、それも、今ここに集っている方に留まらない、あるいはこの長野県庁に働いている方に留まらない多くの方々から、予算の上での要望をお聞きして、御一緒に新しい13年度予算を形作って参ります。改めて申し上げるまでもなく、それは私一人の力で出来るわけもなく、多くの皆さんの忌憚のない御意見や、提案や、助言や、御協力が必要です。そのことを、今、県内の各地でこの時間も、私たちと一緒に働いている同僚であり同志である職員の方々に対しても、お願いを申し上げたいと思います。知事直通FAXやEメールでお待ち申し上げています。 今日も多くの取材陣が訪れているように、私の発言というのは、この年末年始に留まらず、連日、全国で報じられております。長野県の在り方というものが、私が就任してから2ヶ月余りを経て猶、引き続き多くの県民のみならず全国の方々から注視されている理由に関する私見を、今暫く述べてみたいと思います。 私は、今の世の中は大文字の時代ではない、と繰り返し申し上げてきました。たとえば、かつてのアパルトヘイト下の南アフリカのように参政権が制限されていた国に於いては、すべての人々に参政権をという訴えは、これは誰もが否定し得ない大きな大文字となり得るのです。あるいは現在でもイランに見られるように、新聞の半分が毎朝真っ黒に塗りつぶされて配達されるような国に於いては、言論の自由を獲得するということは、とても大きな大文字の目標です。これは恐らく、仮にそうした状況が日本にあったならば、今楽しく語らっている若い世代もまた、イランの若者達と同じようにその言論の自由を求める一点において集合するはずです。 けれども日本では、欧米に比べれば極めて小さな家に住んでいるという、あるいは多額の住宅ローンを抱え、あるいは家の資産が半減しているという大きな問題を除けば、たとえば私達は今日食べる御飯に、ほとんどの方々はさほど困るわけではない。着る洋服も今年買うことを手控えても、今着ている洋服以外に幾枚もの洋服が家にある。こうした基本的には満たされた社会に於いては、大文字の目標というものへと多くの方々を引き付けるのは難しくなっています。 とは言え、今の社会の現状に私たちが満足しているわけでは決してない。おそらく政権与党に投票し続けてきた人々こそが逆に、今の日本で平気であろうかと、疑問を抱いている。だからといって、シュプレヒコールをあげたり、デモ行進をしたり座り込みをしたり、こうした大文字の時代に現われていたような世の中への異議申立てをする方はごく限られています。また、今なお、そうした形の活動をする方々の発想は、一人ひとりの市民に還元できるような運動では、得てしてなく、まさに賛成のための賛成派であったり、反対のための反対派であったり、自分たちの組織を維持し、自分たちの活動を確認するために運動を行いがちな傾向にあります。これは、基本的な生活においては満ち足りていても、けれどもどこか、お腹が空いてはいないけれども、そして喉がとりわけ渇いてもいないけれど、もう少し今までとは違う、更に精神的に満ち足りる飲み物が、水がどこかにあるのではないかと思っている方々には、こうした組織のための運動、活動のための運動というものは広くは理解されないのです。 私は、子ども未来センターの見直しの会合の1回目に、30代半ばの本当に普通の、自分の子どものことをまた家族の幸せを日々、考えているであろう面立ちの女性が、今まで世の中に対して疑問だなあと思うことがあっても、県庁まで陳情に行ったり、駅前でチラシを配ったり、そうしたことをしないと自分たちの意見を社会で伝えることができないのだろうかと、でもそうした活動は私には少し距離があるなあと思っていた。けれどもこうして県の職員の人たちも来て、また推進していた人も疑問を抱いていた人も反対の人も一堂に会して、3時間4時間という長い時間、平場で一緒に語り合えるこうした形というのは、きっと、子どもの日常を考え、おいしい御飯を食べ、素敵な洋服が欲しいと思いながらも、一方で社会のことに関心を抱く私たちでも、自由に語れるのだという、そうした切っ掛けを与えられた気がする、それが何よりも嬉しいとおっしゃいました。私はこうした視点というのはとても大事なことだと思っています。 私たちは小さな、まさに大文字の時代ではない時代に小さなディテールを、一人ひとりの市民が漠然とながらも、けれども明らかに社会を良くしたいと思って抱いていることの中から、私たちが出来ることを直ぐに、また直ぐには出来ないことでも行うべきだと考えたことを計画を立てて行い、またそれに費用が必要であるという場合には費用を掛けても行うことが、行政というものに課せられた役目であるのです。私はその意味でも、13年度の予算を多くの県民の方々に納得戴ける形で提示をした後には、私たちの県の職員一人ひとりが更に意欲を持って働けるような人事を、皆さんとも協力をして行いたいと思っています。それは、一旦異動があると慣例として、ある年数を経ないと異動が行われないという形が仮に固定化されていたとするならば、その慣例には今後はこだわらず、それぞれの適性に応じた、また、新たな行政の小文字を解決する上で必要な異動ということを行いたく思っております。 他方で、私は年末に、こども病院、あるいは信濃学園、波田学院を訪れましたが、そこで改めて感じたことは、極めて専門的な知識と意欲を持った、そうしたマイスター的な精神を抱く職員に関しては、一定の年数を経たなら定期異動という形に捕らわれずに、それぞれがまさに専門職としてそこで求められていることを行えるような環境を設定していってあげる必要もあると思っております。またそうした専門的な職に関しては、従来から医師に関しては年齢の制限を設けずに私たちの新たな仲間として受け入れてきたように、採用に関しても弾力的に対処するべきだと考えています。年齢を経なければ思い至らない点も、人間にはあるのだと思います。たとえば私は今から6年前の38歳の時に、たまさか文章を書くという何処にいてもパソコンかFAXがあれば仕事を続けられる恵まれた立場にあったので、半年あまり50ccバイクに跨って、被災地を回るという活動をしました。でも、仮に私が25歳であったならば、そうした気持を抱いたとしても、実際の行動には至らなかったかも知れない、そもそも、思い至りもしなかったかも知れない。そう考えたりするのです。 18歳あるいは20歳、22歳という時点で、まさに長野県において大きな声を出すことが難しい人々のケアをしようという志を抱く尊い若者もいると同時に、年齢を経ねば、あるいはその他の職種を経験したればこそ、その経験を生かして、私たちと同じ長野県民でありながらなかなか大きな声を出せない人々の手伝いをしようという気持ちを抱く方もいるはずです。私はこうした職種に関しては、年齢にこだわらずに私たちの仲間として受け入れられるようにしていきたいと思います。 また長野県と市町村は対等な関係であるということも繰り返し申し上げてきました。私は市町村からも、また県から市町村へも、これは上下の関係ではなくて横の関係としての人事交流も、皆さんの理解を得ながら行っていきたいと思います。それは、民間との人事交流に於いてもです。 そして一番大事なことは、私は今長野県で行っていることが全国の方から少なからず期待を持って見守って戴けているのだとしたならば、それは一人一人がまさにしなやかな形で自分の責任というものを、それぞれの場所で行っていくということを、おそらくこの短い期間の間に多くの県の職員の方が基本的な理念として共有しつつあるからだと思います。 私たちが今長野県で行おうとしていることは、民主主義を壊すことではなく、民主主義のまさにリハビリテーションであると私は思っています。ひとつひとつは民主主義の手続きかもしれない。例えば私たちが計画をし、住民に対して意を尽くして、何十回かの説明会を開き、また、極めて専門性の高い人々によって、審議が行われて、私たちの方向を裏付けてくれ、また、多くの市民の代表が集まって意見を述べる公聴会も開かれ、また、県民が選択した議員の方々が、多くの時間をかけて議論をして、最終的に多数決という民主主義の手続きによって決定をしていく。その一つ一つは、紛れもなく民主主義です。いささかも間違ってはいない筈です。けれども全体として眺めた時に、なぜか市民の多くが、―ピサの斜塔は傾いているからこそ地球的遺産となりましたが、それとは別で―民主主義の手続きを経て得られた筈の私たちの新たな方向性に、どこかねじれを感じているのだとすれば、それは、繰り返し申し上げてきているように、民主主義の「プロセスを踏む為のプロセス」を私たちがアリバイ造り的に踏むという形であっては市民の理解を得られないのだ、ということを指し示していると思います。 私が、こども未来センターや産業廃棄物処分場の問題に関して、「ディレクター」という言葉のもとに、一人の責任ある人間を選任して、またそのもとに小人数、今までの審議会に比べれば明らかに小人数でしょうが、正に自由闊達に責任ある自分の言葉を発してくれる方を選び、また、その審議の過程をリアルタイムで県民は包み隠さず知ることが出来、そこでの方向性を平場で一緒に議論して頂くことで、新たな長野県の方向を決めていきたいと申し上げているのも、その点にあるわけです。 私たちは、日本の民主主義の現在に、仮にねじれがあるとするならば、その形骸化した民主主義をもう一度リセットするという試みを、長野県で行っているのだと思います。少なくとも今日ここに集ってらっしゃる多くの方も、民主主義というものが私たちの考えられ得る最良のシステムであると信じてらっしゃると思う。その民主主義は、とても時間が掛かって、まだるっこいものです。でもそれは、おそらく私が就任した日にも述べたように、一人の全知全能の人間が居るわけではない。それぞれ、皆いびつで不完全な人間です。それは私とて例外ではありません。そうした人間が、まさに包み隠さず議論をして、それを当たり前のこととして公開していく営為こそは、民主主義の暴走を防ぐことだと思っています。 私は今、長野県は、テロリズムに象徴されるような恐ろしい形が日本で発生することを防ぐべく、220万人の英知のある県民とともに、数々の民主主義のリセットを行っているのだと思います。テロを起こすような人物は、最近のアメリカに見られるように銃の乱射をいたずらにしたいと思っている方ではないと思う。私たちと同じように今の日本で大丈夫なのかと憂いているのです。けれども、そうした思いがなかなか通らない、あるいは公的資金という巨額な税金を投入しても、責任者であった筈の金融機関の役員が誰一人として辞めない。 こうした形が続いていくと、いつの日か大きな力によって、あるいはとても甘い言葉を囁く大きな一人の存在に頼って、世の中を変えようというような方々が出てくる可能性を排除出来ません。私は皆さんと一緒に一人ひとりが、一人ひとりの責任の場において、まさにしなやかに体を張って発言をして民主主義を作り直していくことが大事だと思っています。そして、それは大きな目標ではなくてまさに、小さな小文字の市民の声を聞き分けることから始まると思います。 けれども、それは最初に千葉県の松戸市で、「すぐやる課」というのができた時のように、トラブルシューターとして小さな意見を聞いて路面の補修をしていくような形には留まらないのです。今すぐ行うべき路面の補修的な軟膏を塗りながらも、その背後にもっと深いえぐれがあるとするならば、それをどのように、皆で一緒に議論して外科手術をしていくかというライフプランナーのような、デザインを県民の皆さんに提供していくこと、それも県民の税金によって生活をしている私たち県の職員に課せられていることだと思います。 本日部局長会議において幾枚かの、私が普段から申し上げているようなことを他の人間が論評したもの(大塚英志「田中康夫の『サービス』精神」、浅田彰「人類がふたたび月まで行く日」 共に「Voice」2月号)あるいは年末の新聞のインタヴュー(マリオ・バルガス・リョサ「21世紀を読む 貧困からの脱却」「日本経済新聞」12月29日付)、新年から始まった連載(「21世紀の幸福」「読売新聞」)、こうした私が少なからず感銘とヒントを受けたものをコピーでお渡しいたしました。もしできれば各部局長もそれを各課に貼り出すなりして下さい。今こうして私が限られた時間の中で語ったことを更に演繹して、また実感として皮膚で感じていただけると思います。それは県庁だけでなく、県内各地の私たちの事業を行っている各場所にもその資料をお配りしたいと思っています。 いずれにしても、まさに真の意味での県民益を長野県から、ひとつひとつの小さなディテールの問題を、私たちもまた一人の県民であるという改めての自覚の下、県民と同じ体温と目線に立って解決していくことによって、この長野県が更に活力の在る、そして全国の方から更によい意味で注目をされる、実体の有る幸せを県民に届けられる長野県にしていきたいと思います。 それは私一人でとうてい到達できることではなく、私のいささか向こう見ずで、あるいは体重は変わらず、ちっとも痩せないにも拘らず、走り続けようとする私を、ある時は支えてくださり、またある時は叱咤してくださることによってこそ到達可能なのだと思います。 どうぞ、今年もまた多くの県民の為に、同志である多くの職員と共に、長野県を育んでいきたいと思います。よろしくお願いいたします。 |