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本日ここに、「長野市地附山地すべり災害 松寿荘犠牲者二十周年慰霊祭」が執り行われるにあたり、慎んで追悼の言葉を捧げます。
昭和六十年七月二十六日、戸隠有料道路付近に発生したこの地すべりは、想像を絶する規模となって、瞬く間に松寿荘を呑み込んでしまいました。懸命な避難救出作業にもかかわらず、全員救出の願いも空しく、二十六名の尊い命が失われ、帰らぬ人となられたのであります。長野県企業局が造成した湯谷団地でも、土地家屋五十戸が埋没全壊という甚大な被害を受けております。
二十年という月日を経た今日、長野市街地から地附山を仰ぎ見る時、復旧工事や緑化の取組みにより、目に見える災害の爪跡は消えつつあるとはいえ、犠牲になられた方々の無念、最愛の肉親を失われたご遺族の皆様の悲しみを、あらためて強く、深く想い起こさずには居られません。もとより自然の力は人智を凌駕するものとはいえ、防災に携わる行政が安易に免罪されることは、決してあってはなりません。
なぜ、その日、松寿荘だけに長野市からの避難指示が出されなかったのか。
なぜ、自力で避難できない二十六名の方々が、避難しにくい二階の居室に寝かされていたのか。
なぜ、地すべりの危険性を秘めた土地に、松寿荘は建設されてしまったのか。
安全な施設と疑うことなく松寿荘に入所されておられたであろう皆様の御霊を真に慰めるべきは、これらひとつひとつの疑問に立ち向かい、行政の至らなさを根本から改めていく私どもの決意と行動に他なりません。
平成九年六月に長野地方裁判所が出した判決によって確定した、戸隠有料道路の管理瑕疵に関わる責任を含め、県民、市民の生命と財産を守るという重要な責務を、結果として当時の長野県、長野市の行政が果たし得なかったことに対し、今日この場に於いて、皆様には深く、心よりお詫び申し上げます。
災害の都度、ご高齢であられるなど避難がままならない方々が、多くその犠牲になるという全国的な状況に対処すべく、長野県ではそうした方々がどこに、どのようにお住まいかを地域の皆様が常に知るための「災害時住民支え合いマップ」を初め、「災害時における高齢者・障害者等避難支援計画」の策定に全力を注いでおります。
また、松寿荘を初め、人里を離れた、自然災害の危険が内在する土地に建設されがちであった特別養護老人ホームなどの大規模施設から、小規模でも地域の中で介護サーヴィスを受けることができる宅幼老所などの支援、充実へと、福祉施策の方向を抜本的に転換しております。
この地附山で失われた尊い御霊の犠牲を、私ども行政に携わる者は常に忘れてはなりません。真に安心して生涯暮らしていける地域の再生、創造に、長野県はさらに全職員の力と智恵を傾注して取り組んでまいりますことをお誓い申し上げます。
御霊のご冥福とご遺族の皆様のご多幸を、すべての県民の皆様とともに、心からご祈念申し上げ、追悼の言葉といたします。
平成十七年七月二十六日
長 野 県 知 事 田 中 康 夫
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