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北山早苗 氏
すいません、先に聞かせて頂きます。「さわやか早苗日記」という日記を公開している北山早苗と申します。ぜひいい機会ですので、あの、信濃毎日新聞の宮坂重幸さんと、それから、私の地元のメディアの市民タイムスさんの記者さんがいらっしゃいましたら、お聞きしたいんですが、表現センターの存続について先ほど、「たぁくらたぁ」の編集長さんから質問が知事にありましたけど、私は知事ではなく、そのぜひメディアの方にお聞きしたいと思います。表現センターの存続を望みますか。私自身は表現センターとかそういう名前とかそういうことではなく、こういうふうにどなたでも、小さい表現者の方でも、どなたでも県民の方でもここに来られて、あの、質問ができるという、こういう形の記者会見、こういう形の存続を望みますかということを大きな、県内でも大きなメディアの信毎の宮坂重幸さんと、それから、前、そういう記者クラブというものに、田中知事になる以前には、入れて頂けなかった・・・
信州・長野県知事 田中康夫
いやぁ、3つ記者・・・、あの確認、3つクラブがあったんですね、この県には。
北山早苗 氏
あぁ、そうですか。
信州・長野県知事 田中康夫
ですから、県政クラブというのは、いわゆる全国紙、と言ってもスポーツ新聞は入っていませんけども、それと信濃毎日新聞と長野日報とNHKを含めた在長野のテレビ局がいた。で、第2クラブ、あるいは、正式名称は忘れましたが、第2クラブや第3クラブに属されていたということですね。
北山早苗 氏
あっ、そうですか。そういうクラブがまた変わっていた、一斉にってことではなかった訳ですね。
信州・長野県知事 田中康夫
第1クラブで会見を、一般の会見というか、会見じゃなくて、紫煙が、たばこの煙が漂うソファの前でやるときには、第1クラブ所属の方以外はそこに入室ができなかったということですね。
北山早苗 氏
そうですか、はい、第1クラブに加入をすることができなかった市民タイムスの方がいらっしゃいましたら、こういう形の記者会見を望むのかどうかということをぜひお聞きしてみたいと思いますのでよろしくお願いします。
信州・長野県知事 田中康夫
どんじゃらぽい。
信濃毎日新聞 宮坂重幸 氏
繰り返しになりますが、北山さんの質問の希望には添えかねますけども、これは田中康夫さんの記者会見ですので、他に田中さんにお伺いしたい人もいるでしょうから、私がその点については紙面なりでお答えいたしますが、北山さんについてはお答えはできないと。
信州・長野県知事 田中康夫
紙面でいつ回答してお答えくださるの。
信濃毎日新聞 宮坂重幸 氏
この問題ではなくて、我々は紙面で記事にするのが仕事ですから、ここでしゃべっても特に意味がないと思いますので、お答えはしないつもりでいます。お願いします。
信州・長野県知事 田中康夫
他に信濃毎日新聞の方いらっしゃればお答えになりますか。どうなさいますか、ご質問された北山さん。
北山早苗 氏
ぜひ宮坂さんがどういうふうにお考えに、その存続を望むのかどうかということはぜひお聞きしたいんですけれども、それはやっぱり無理でしょうか。
信濃毎日新聞 宮坂重幸 氏
残念ですけれども、この場で答える必要が私はないと思いますので、お答えは控えたいと思います。
信州・長野県知事 田中康夫
個人としての感懐をお聞きしたいのかな。
北山早苗 氏
個人としてのお考えはいかがでしょうか。
信濃毎日新聞 宮坂重幸 氏
ここで私の個人の考えを述べても意味がないと思いますので、残念ですけれどもお答えは控えさせていただきます。
信州・長野県知事 田中康夫
いや、まあそれはともかくとして。
北山早苗 氏
すいません、あの市民タイムスさんは。
信州・長野県知事 田中康夫
平澤さんが手を挙げてますからどうぞ。
信濃毎日新聞 平澤隆志 氏
我々言ってるのはですね、この場っていうのは県の最高権力者である長野県知事に対する質問の場ということなんですよね。知事会見ということであれば、やっぱりこちら側の質問に対して、行政庁のトップであるところの知事さんにお答えいただくという場なので、この間も申し上げましたけど、この担当の方のブランド室長さんだと思いますけど再三ちょっと申し上げましたが、こういう形でもしワイワイガヤガヤという形であれば、これは知事会見ではないところでですね、別のところでやったらいいんじゃないかということで、知事会見というのはあくまで権力者であるところの、これは村井さんになっても同様ですけれども、権力者であるところの都道府県知事の方にこちらの側の権力を持たない人間が個人ばらばらに質問をするということなので、だからこれはちゃんとその辺を守っていただかないと、ちょっと通常の取材の時間というのは非常に限られてしまっているので、そういう趣旨で申し上げたんです。
信州・長野県知事 田中康夫
何かご質問あるの、平澤さんは。
信濃毎日新聞 平澤隆志 氏
こういう開き方でやる事についても知事の、権力者であるところの知事の方から一方的に申し上げてまして、こちらが別に同意した訳ではないので、みんなで質問しあってっていうのであれば、これはまた別の会場なりで別にやれれば良いということだと思います。
信州・長野県知事 田中康夫
だって、マスメディアというのはきちんと第4の権力なんじゃないですか。そして警察や検察とて開かれた形になって、批判を甘んじて受けるのではなくその批判を受けることで弁証法しているのが今の日本の非常に進歩をした検察であったり警察だと私は思います。
信濃毎日新聞 平澤隆志 氏
だからそれはそれでいいんですけど・・・
信州・長野県知事 田中康夫
その意味でおかれると皆さんは批判をですね弁証法されるのかっていうことを多分先程の北山さんはお聞きになられてんじゃないかと思いますが。
信濃毎日新聞 平澤隆志 氏
それは、こういう場でなくても別に僕ら北山さんの質問に対しても答えない訳ではない。つまり、この場で時間をとって行政庁の長の方に質問する場なんですよね、ここは。別に僕らが何かやりとりをして質問しあってっていう場ではないんだということをちょっとご理解というかご認識いただかないと。
信州・長野県知事 田中康夫
それはね、じゃあ先週私はマルチインタラクティブな場が表現センターであるし、同時に私はすべての人が表現者であると
いう観点に立って「脱・記者クラブ」宣言をした訳です。私がたまさか知事であると同時にですね、文章を紡ぐことでですね、幾ばくかの生業を行っているということで述べた訳ではありません。すべての、私は、政治というものは生活そのものだと思いますし、芸術も生活そのものだと思いますし、ですからアプライドアーツという言葉があり、生活そのものが政治であり、芸術でありそして言葉であると思っていますから、言葉を紡ぐ者はすべての生きとし生ける者は表現者であり
ます。先程のお話でいうと、知事という権力者に、とおっしゃられましたが、私の前任の頃にどれほどの覚悟をお持ちになって権力者と対峙されたのか、後世の歴史家が評価するところだとは思いますが(拍手)、同時に権力のない我々がっておっしゃいましたけども、そうではないと思います。ペンは正に武器よりも強しでありまして、それは権力という表層上の言葉を使う使わないではなく、皆様も常にそれは批評の対象であるということが、信濃毎日に読者室があるのか、どういう形なのかわかりませんが、その意味で今日はマルチインタラクティブな会見でやるということにご同意いただいている方々がご出席なのだと思います。(拍手)
他の方どうぞ。はい。あと、なんか質問いっぱい出てくる。じゃあ、小比賀さん、どうぞ。
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小比賀志帆 氏
東京から来た小比賀です。田中康夫の偉業として、経済改革といいますか、財政の立て直しをしたってことがすごい大きな業績があるっていうふうに私は考えているんですけれども、以前田中さんがシニカルな意味でエプソン、某エプソンさんが80万円も税金を納めてくれているっていうことをおっしゃったら、その場にいた人たちが「本当にすごい80万円も納めてくれてるんだ」っていうふうに感心してしまったという事件があったんですけれども、この国の人たちは100億円と100兆円では1万倍もの差があるんですけれども、それにもかかわらず2.5倍ぐらいにしか感じていない人たちがとっても多いんですね。ですから、無駄な公共事業というか公共投資なんかにどんどんお金を使っても納税者から暴動が起きないんですけれども、この経済感覚のなさというか、経済を知らないことこそが、無駄な公共事業につながっているというふうに私は考えるんですけれども、田中さんは長野県にかかわらず、この国の人々の経済感覚のなさをどのように感じられていますか。
また、あの、全国で車座集会をされたいっていうふうに昨日メディアでもおっしゃっていたんですけれども、できたら、その車座集会の中でこういった面での基本的な生活に根ざした経済の感覚の啓蒙とかもしていただけたらと思うんですけれども、その点についてどういうふうにお考えになられますか。教えてください。
信州・長野県知事 田中康夫
あの多分それは、どうぞお座りください。公開討論会等で述べたことだと思いますけれども、先程述べたように平成12年というのはITバブルと呼ばれる年で、この年だけ有史以来、本県は県民所得が300万円を辛うじて上回りました。ですから、その翌年から今お話があったのは多分セイコーエプソンのお話なんだと思います、お話しになったように。赤字欠損という制度が税法上ありますので、平成13年から赤字欠損しますと自動的に3年ないしは5年赤字欠損になります。ですのでセイコーエプソンは平成13年から3ヵ年にわたって、赤字欠損を選択していますので、法人事業税の支払額は0円です。で、法人県民税は1年間に80万円です。私は今小比賀さんがおっしゃったように80万円もお支払いただいた、と言ったのは「80万円も払っているのは大変なことだ」っていうふうにおっしゃった県民がいたので、私からすると、個々の社員の方からは天引きで、税金は取られてるかもしれませんが、その間、正にプリンターのコマーシャルというのは、プリンターの性能を述べるよりも、非常にイメージ広告として恐らく何十億あるいは100億近い広告費用というのをお使いになってらっしゃったでしょうから、とりわけその間に国からの交付税が540億円、3年間で減らされるという中で、今年度当初予算でいうと8250億円の予算を、切り盛りを職員と一緒にさせていただく者としては、非常に複雑な思いだったと。でありますからして、年間80万円も、ではなく80万円しか納めず、それの何百倍であろうコマーシャルを、それもイメージ広告をなさっているという方々が、本県の経済は疲弊しているのだというふうに言われることには複雑な思いを持っていたということを述べたのだと思いますが。
一番はやはり、私どもの県は、これは村井仁氏との引継ぎの時にも申し上げようと思いますが、どなたが知事であろうとも、極論すれば知事がいなかろうとも、これから年間400億円近い金額は、私たちの県は、起債の残高は減少していきます。あるいは恐らく2年後には東京都と同じ財政の状況、というのはですね、実質公債費比率と呼ばれるものは、本県は現在ワーストワンでありますけれども、全国47都道府県では。恐らく2年後にはこの実質公債費比率は、東京都と同じ状況にまで改善をされます。それは、無論この6年間不要不急の起債を抑制をする。しかしながら有効求人倍率に関して言えば、起債が非常にピークに達していたオリンピックの年も、その翌年も0.88であったものが、現在1.20であります。無論いろいろな経済の尺度はあるかもしれません。ただ、この間にまた非常に気を緩められればですね、元の木阿弥で、瞬くうちに夕張市と同様になるということです。
で、行政に関して非常に不思議なのはですね、例えば、会社が会社更生法を適用する場合には、多くそこに投資、融資をしていた方々も皆損切りをする訳ですね。ところが行政に関しては、総務省が借金をしていいですよということをしていたものがですね、ある瞬間リトマス試験紙が変わるかのようにですね、「君のところはもう財政破綻」と言われてもですね、そこで損切りはありません。全部その自治体の人が返さねばなりません。今、夕張メロンを作っている方々が悩んでいるのは、本当に夕張でなければ夕張メロンは作れない、泉州の水茄子同様に作れない。その中で札幌に移っていく人は、夕張市の負の遺産の債務者でなくなるんですね。でも、夕張市から居を移すことすらできない人たちは、その夕張市の借金を、誰も、北海道庁も、国もですね、面倒を見てくれず、返さざるを得ないという形です。ですからその意味で言うとですね、倒産も解雇もありうる民間会社のですね、会社更生法や倒産よりもですね、過酷な状況が待ち受けてるということです。ただそれは、実態として、では夕張市のことが連日報道されても夕張市の方が餓死している訳ではありません、食事をしている訳ですね、皆。生活習慣病にもなっちゃってるかもしれない訳です。
ここに、中途半端に豊かな、正に日本全体が1千兆円の借金を抱えている、1時間に66億円ずつ借金が増えてて、世界一の借金国で、このわずか5年間で250兆円も借金増やした訳ですけども、ICUの中に入って、ICUの中で手の施しようもなくなってるにもかかわらず、そこの人たちは餓死もしていない。あるいは脳死状態ですらない、というところに非常に財政の難しさがあるんだと思いますね。でも、これからの数年間、全部そうなるかもしれないので。私、よくずっと思うのは、インフルエンザに最初かかり始めた時、クラスで「おまえ風邪を引いちゃうくらい弱いやつなの?不摂生なの?」って言われたのに、クラスの6割がインフルエンザにかかってきて、学級閉鎖になりかけてる時にピンピンしている人間は、「おまえ風邪も引かないような人間なの?」って言われるんで、ある意味では日本全体がですね、夕張市になりかけてるんですよね。本県は、極めてその47都道府県の中で、そうであった訳です。ただそれは、地元で報じられすらしていませんでした。むしろ外の方々によって報じられてた訳です。
それを私たちは先駆けてやったんで、日本全体が「赤信号皆でとどまってれば怖くない。」って思ってるんですけども、それが前回申し上げた、その状況でいまさらこれ以上職員の給与もカットしたり、さまざまなことをしなくてもよいと考えるのは、それは保守なのではなくて、正に守旧であって、それは創ることではなく、それこそが壊し続けることだっていうことだと思いますけどね。それは実際にそういう状況が、赤信号の状況にとどまっている人たちが何ともし難くなる場所が一杯出てきたときに、後からわかってくるんでしょうね。でも、後からわかっても、人は恐らくこの日本の飽食の世界では餓死はしませんから、それはみなさんご安心なさった方がいいと思いますけど、でも、その安心しちゃうのが果たしていいことなのかっつうのもあるきゃもしれません。良い?
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井出佳代子 氏
佐久市から来ました井出佳代子です。先週もこの場で、メディアの方に聞きたいということで質問させていただいたんですけれども、先程の信毎の記者の方のお答えを聞いていると、恐らく答えてはいただけないと思うので、ちょっと私の思いだけ言わせていただきたいと思います。
今回の選挙戦に関して、私は元々県外出身者なんですけれども、県外の友人とか・・
信州・長野県知事 田中康夫
今は佐久にお住まいなんでしょ。
井出佳代子 氏
佐久には住んでいますが、元々は、生まれは長野県ではありません。
そういう友達とかインターネットの他県のブログなんかを見ると、全く評価が違っているということを感じるんですね。それは何故かと思ったときに、やはり県内のある大手メディア、あるいはテレビ局がないせいではないかと思ったりすることがあるんですけれども、私のところに信毎の佐久支局の方がいらしたときに、田中県政に関して批判的な報道をするのは何故かというふうに聞いたことがありました。そしたらば、知事というのが権力だから批判するのだと、その記者は答えてくれたんですけれども、もしそれが信毎のスタンスであるならば、9月から代わる村井県政に対しても、同じようなスタンスで、権力だから批判的に見るというそのスタンスで、同じように続けていただきたいと思います。
もう過ぎたことなんですけれども、吉村県政のときにも、もし同じようなスタンスで見ていられたら、帳簿問題だってこんなうやむやになる前に、もしかしたらはっきりと追及できていたかも知れないってことを考えると、メディアの責任というのはもの凄く大きいと思います。(拍手)
私たちが何かを判断するときにも正しい材料が与えられなければ、正しい判断ができない。今回の選挙に関しては、私は元々田中知事の改革を応援していましたので、そちら側から見ているかも知れませんけれども、やはり正しい判断材料が与えられなければ、正しい判断はできないんではないかと、本当に今でもその結果を思い返すと悔しい思いがしております。
表現センターなんですけれども、やはり県民としては、このような形のものは続けて欲しいと思います。メディアの方たちがどのように望むのかわかりませんが、もしそのような機会があれば、県民は、少なくともここに来ている県民は望んでいる者がいるのだということを覚えておいてほしいと思います。
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井出佳代子 氏
それから、今回の選挙、私は佐久市の方で、コモンズ佐久という勝手連で応援させていただいていたんですけれども、今日ここに来れない仲間から、ぜひ田中知事に聞いて下さいという質問があるので、代りに質問させて下さい。「6年間知事をやってきて、幸せだったことは何ですか」という質問です。すいません、よろしくお願いします。
信州・長野県知事 田中康夫
何だよ、記者クラブ的な最後、質問だな。そのうちには、独自採点して何点ですかとか聞いちゃうんじゃないの。大丈夫?
こんなに楽しい日々はないと思いますよ。今までもそうだと思いますけれども。ただ、私は正に「怯まず・屈せず・逃げず」ということ、そしてその中で正に信念と行動力によって、ぶれない人間でありたいということは、知事というたまさかの権限や肩書きを皆さんから付与される前からそのように生きてますから。その意味で言えば、私は知事になる前も知事になっても知事でなくなってもですね、田中康夫という人間は同じだと思いますよ。それはこの、先程の日経ビジネスの中で、私は多分、だから、やはり既得権益との闘いだったんだと思いますよね。「政官業に御用学者や報道機関も含めた『政官業学報』の現状追認ペンタゴン。彼らが依拠する既得権益を溶かしてきたのが田中康夫です。」と。
「福祉・医療、教育、環境、観光の分野こそは、」
これはいつも言っていることですけれども、
「人が人のお世話をして初めて成り立つ21世紀型の労働集約的産業だと唱え、予算を傾注投資してきました。大型公共事業は、県外ゼネコンの懐を潤わせるだけ。」
つまり、「脱ダム」宣言も、信州型木製ガードレールもそうした意味です。同時に私は必要なものに関しては行ってきている訳ですから。公共事業がNOと言ってるんじゃないんです。公共事業のあり方を変えなければいけないんで、それが道路特定財源を堅持せよっていう多くの地方自治体長の意見はそれだけでは、いわゆる鄙の論理、つまり中央対地方のローカルな論理になってしまうんで、道路特定財源というその制度をいかに活用するかで、それが欧米が今、消費税を増やすということはできない中で注目していることで。ところがこの中で電線の地中化に使われている予算は、わずか2、3%でしかない。でも電線の地中化のみならず、そうした景観形成、景観形成っていうのが、何か役人的言葉だけど。そうした形に使うことが道路特定財源の3割になったり4割になったら、これはいわゆる中央地方の論理に立っている都会と言われる人も田舎と言われる人も納得するもので、つまり補助金がいけないんじゃなくて、つまり制度のあり方を変える。そしてあり方を変えるだけでは如何ともし難い制度や仕組みを変えていくというのが、地域から始めるコモンズですし、それは新しい農本主義を目指すということだと思うので、私はこれは昭和天皇や平成(今上)天皇の目指していた、あるいは願っていた社会というものにも似かよってんじゃないかなって思いますし、その原点が下伊那郡の泰阜村にもあったということだと私は思ってますけれども。
で、「県外ゼネコンの懐を潤わすだけ。地域でできることは地域の企業や人々とともに、をモットーに地域密着型の公共事業への転換を進めてきました。
その方向性や中身は、現状追認ペンタゴンの彼らも否定しにくい。そこで、手法が独善的だと戦前の修身の授業のような批判を繰り返してきたのです。
ある全国紙で『大人になれなかった田中知事』という趣旨の社説を拝見し、思わず苦笑してしまいました。大人になるってどういう意味なのか。守旧派と組めという話なのか。そんな政治だから、有権者は愛想を尽かしているのではないでしょうか。」
ですから、やはり信州型木製ガードレールというものは、前も言ったように地域雇用が5倍になりますし、3つのガードレールを作っている会社のうち、既に2社を回りました。もう1社も訪れます。やはりこの意味というものがですね、わからない方々、あるいは田中が言い出したから木製ガードレールはけしからんという方々というものは、そもそもの、何と言いますか人間として目指す社会というものがですね、それでも私は言葉によって人は
紡ぎ出さねばならないと思いますけどもね。そこが木製ガードレールは、じゃあなぜ全国知事会や関東圏知事会で、国の認証も受けた強さでと言って、15年は持ちますって言った時にどよめきが起きるのかっていうのは、やはりそうした、今もう全国の知事の中で29人が9月1日からは官僚出身者です。都道府県職員出身者も含めれば、6割以上の人がですね、役人出身なんですけどね。でも、そういう人たちの多くがどよめくっていうのは、やはり私たちが本当に脱物質主義の社会、環境の世紀などという表層的な言葉を超えたところに生きている人がですね、暗黙知の中でその木製ガードレールというものの意味、あるいはそれが意味する私たちが目指すべき社会を示しているってことだと思います。
地域雇用が5倍になるとかですね、林野庁が補助金半分付けたので地元負担が鉄のガードレールを作る場合よりも安くなるとか、県内に2千kmも県道だけでガ−ドレールが付いてて20年で交換するので、単純計算すると100kmも
換えてる中の50kmだけでも木製ガードレールにすれば七掛けの費用でできるという、従来のですね、そして県民負担は鉄のガードレールの場合よりも少なくなるというような金額の話を私は言っているんじゃなくて、アティテュード、意識の話をしていて、そのアティテュードが全く異なる場所にある方々の中で大人になれないというのは、それこそがやっぱり永田町や霞ヶ関という非常に閉塞された中での視点から超えられてないことで、やはり本県で起きてきたことは、すべての権威というものを溶解させていく、溶かしていくということですから、既得権益にある方々からすると、とても不安だったんだろうと思いますね。
一つはやはり私は、外郭団体の見直しを小倉昌男さんにしていただいた、を始めとする方々に。これは非常にアンシャンレジウムな方々にとっての不安だったと思います。というのは、多くの金融機関が外郭団体に融資をしていたバランスというものをですね、そのアカウントをクローズしなきゃいけませんから。バブル期の融資が全部白日の下にさらされてしまうということです。それは恐らくそこで何ら不祥事が出て来なかったとしてもですね、株主総会で問われることもなかったでしょうし、ないんでしょう、これからも恐らく。
でもそうではなくても、これはもう生理として不安を感じるということだと思うんですね。あるいは五輪帳簿の問題というのは、帳簿は焼却されたと言われていたものが、帳簿はコピーとおぼしきものが出てきた訳ですね、委員会のメンバーによって。で、このときに地元の、先程来ご質問を受けてらっしゃる、それは期待されているからだと思いますけれども、この新聞は、第二社会面では扱われて、52行だった訳ですね、帳簿のコピーが見つかったと。つまり、明日香村で何か遺跡が見つかったっていうような、うちの県にとっては、話だと思うんですけれども、第二社会面で52行だったんで、ちっちゃな記事ですね。で、委員長を務めていた大塚将司さんは、ご存知のように日本経済新聞に復帰されることになったので、その日本経済新聞の社員になるので委員長を辞められるというときに、その翌日だったと思いますけども、これあの1面で408行、委員長退任という記事が載っている訳ですよね。
ですから恐らくこれは、木製ガードレールに関して評価を、私と県議会の多くの方々が違う認識を持っているのと同様に、オリンピックの帳簿のコピーとおぼしきもの、そしてこれはその後、その金融機関は金銭の出納記録を出すことを拒んだ訳ですけども、長野地方裁判所が証拠保全申請で県の側にその、県はオリンピックの招致委員会の一員であるから、アカウントを全て公開すべきだという、裁判所が命じて出てきて、この帳簿のコピーはコピーとおぼしきではなく、明らかに帳簿のコピーだということが判明して、それは広報ながのけんでも2回に亘って全面でお伝えをして、非常に多くの不明点があり、IOCの決めた、何だっけ、ここだけはもう1回やっぱり会見録で残しておくべきだと思いますね。ですから、使途不明金が1億円近くあったということと、それからIOCが決めた金額のですね、制限額の24倍以上もの金額をですね、委員に接待をしている。そしてこの監査をしたのが、本県の指定金融機関である銀行の頭取が、この招致委員会の出入記録に関しては何ら問題ないといってサインとハンコを押しているということが判明した訳でして。ただ、いまだに私のところには、帳簿の問題だけは解明してくださいっていう手紙やメールが来るから、私どもがお金を、皆さんのお金を使って全面広告を出してもなおですね、伝わっていない。それは私たちの広報活動の不足なのか、あるいは本県における表現というものがいかに常軌を逸した状況にあるのか、それは後世のまた歴史家が判断することかもしれませんし、今いる生きる県民が判断することかもしれません。
ただこの2点は、やはり本県の正にピラミッドの人たちが、外郭団体だけではなくてオリンピックの招致ということは、ピラミッドのスクラムの中でフォーメーションを組んで行ってきたことですから。それは以前にしなの鉄道でインディージョーンズのポスターで私もインディージョーンズになってですね、ポスターを張ったことがありますが、知らないうちに本県の掘ってはいけないお宝を掘り始めていたのかもしれません。でもそれは県民が望んだことですからね。私は県民から選ばれたので、そのお宝を掘るべきものだったと思っていますが、一方で県民から、まだ帳簿の問題はどうなんだというメールが来たりするのを見るとですね、ちょっぴり不思議な気分よ。
はい、他の人。はい、どうぞ。そちらの男性。
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熊谷浩司 氏
阿智村出身の熊谷浩司といいます。今、静岡の方で精神科医やっています。田中知事にはこの6年間、すばらしい改革を見せていただいて、とても楽しかったです。僕も長野県出身であるっていうことを誇りに思いました。ありがとうございました。で、まあ信毎、僕昭和35年生まれなんですけど、当時新聞というと信毎、信毎と言って慣れ親しんだ新聞だったんですが、あるいは長野朝日放送。ずっとこの6年間、反田中ということで報道の流れはされていたと思うんですけれども、1つ聞こうと思ったのは、その報道を、例えば子どもに「どうして田中知事に反対するの?」と聞かれて、報道の方が説明できるのかどうか。これ聞こうとは思ったんですが、ちょっともしかすると答えなさそうですので。で、もう1個は最後に1つ、、この6年間報道されてきて楽しかったですか?楽しかったという方いたら、ぜひその言葉お聞かせ願いたいんです。救われるような気がします。お願いします。
信州・長野県知事 田中康夫
いやいや、どういうご質問?その今、名前出たのは信濃毎日新聞と長野朝日放送という名前が出たけど、そこの方に聞きたい?
熊谷浩司 氏
その方に限らずで。どの報道の方でも結構なので。
信州・長野県知事 田中康夫
まぁあの、それは石田治一郎さんも信濃毎日新聞の大きな株主の1人でらっしゃるし、小坂憲次さんも大きな株主の1人でらっしゃるでしょうから。でも私たちの県は、これ信越放送だけはなぜか株を売却することにご同意いただけないんですけどね。他の3つの民放局に関しては県が株式を保有してたんですが、私はこれは違うと思ったんですね。
先程、権力を批判する、権力は批判されるべきものだと。ジャーナリズム、報道機関は批判されるべきものではないということを暗喩されてるのかもしれませんけど。私はそこにも立脚してませんから、マルチインタラクティブだと言ってますけど。
県の職員がですね、OBがこうした報道機関に多く役員であったり監査役であったりし、いわゆる天下りを続けていた訳です。これは全国どこでもあることです。私はこれはですね、良い意味での緊張関係として、緊張関係ってのは対立関係ということではありません。あるいは始めに批判ありきというものの報道ということとは違います。これは違うんじゃないかということで、青山篤司とも相談をしてですね、当時彼は総務部長であったか、もう既に出納長であったか、政策秘書室長であったか、ちょっと時期は定かではありませんが、このやはり株はですね、もう既に大変なコマーシャル収入とともに立派な社屋をお持ちになって自律的に運営なさってるので、県が株式を保有してるということはむしろ違うんじゃないかということを申し上げました。で、この中で売却をさせていただいております。長野エフエム放送に関しましては、まだ経営の状況が少しく離陸をしてる途中であるというお話から、これに関しては私どもが公的な、公的というのは私どもにとって都合が良いということじゃなくて、FM放送というものを県内で維持していくという上でお手伝いをしてます。
信越放送に関しては、なぜ売却に応じていただけないのか。私どもは実勢価格で、と申し上げたんですが、その点でどうも当時の社長等と見解が相違したのかもしれませんけども。ただあるときにそこの会社の方が私に、飲み屋でってんじゃなくてもう少ししらふの席で「県の株はなくなったから、これから大手を振って批判できる」ってのを聞いて、面白いこと言うなぁって思ったんですね。つまり株主であったって、その株主が社会的に問題があるときには批判するのが当然ですし、株主であるから批判ができないとするならば、一体表現とは何ぞやっていうことになる訳で、その意味で言うと私たちが行ってきたことは、あらゆる既得権あるいは後ろ盾に立脚しているような方々という者の社会では、この日本が沈没しちゃうってことでやってきたんだと思いますけどね。
えー、他の人。いっぱい何か手挙がんだな。じゃあ君いって、その男性いって、それからそっちの女性。
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麻生卓郎 氏
東京の私、麻生と申します。先程立たれた女性がエプソンの税金の話をされたと思うんですけど、80万円っていうね、ほとんど払ってないっていうはちょっと聞いてたんですけど、80万円毎年払ってるっていうふうに、そうですよね。企業研究はね、田中知事はいろんな企業研究昔からされているから。ちょっとここにいらっしゃる方はもう意識もあるし、プロフェッショナルのブンヤさんもいっぱいいらっしゃるんですけど、エプソンのその連結の年間の売り上げっていうのを皆さんちゃんとわかってます?だいたいどのくらいかっていうのが。
例えば県の予算が1兆円ですよね。5千億、1兆、1兆5千億って3つあったとしたら、だいたい連結でエプソンがどのくらい売り上げてるかっていうのをちゃんと認識して80万円ということをわかってます?それをちょっと何か簡単に手を挙げていただきたいんですけど。エプソンの連結は5千億円ぐらいだと思う人。じゃ1兆円ぐらいだと思う人。挙げない方って、じゃ1兆5千億円ぐらいだと思う方。後の方は、じゃあ自信がないということですね。知らないってことですか、知らないで80万円という先程の女性の話を聞いてる訳ですね。
要するにこういう程度で、要するに県が80万円しか税金を受け取ってないっていう、これ僕はね確かね当選された当時、県内の巨大企業、エプソンってのは、一番これ巨大企業ですよね。世界中で商売してますよね。従業員も数万人いるっていうんで。これ確か四季報見たとき1兆6千億円くらいの数字が出てたと思うんですよね。だからその辺のことをきちんと分かって、皆さんこの80万円という話をしてらっしゃるのかなっていうのね。
信州・長野県知事 田中康夫
まあそれはさあ知らなくても、これこそ我々が「暗黙知」っていうんだけどね、百万円じゃなかろう、まあ3千万円でも3千億でもなかろう。でも1兆円か1兆5千億円か9千億円かなんて分からねえよな。分からねえけど、これが暗黙知ってやつでさ、うん。
あっとごめなさい。さっきねIOCの規定では、1人につき2百USドルを超えてのプレゼントはしちゃいけないっていう決まりがあるんだけれども、仮に表に出てきてる金額だけでも24倍以上の供応をしていたってことです。すみません。
いい?それで終わり?おしまい?
まあいいや、じゃあ、次の人、そこの男性の人。
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名古屋タイムズ 古市敬一郎 氏
すみません。ちょっと音色が変わった質問になると思うんですけれども。名古屋から来ました、名古屋の夕刊紙で名古屋タイムズという、古市という記者なんですけれども。
知事も中部圏の知事会議なんかに出られててですね、あの、あれなんですけれども。昨日あたりから愛知県知事選、来年のですね、ちょっと色々と、こうクローズアップされて来たんですけれど、田中知事が思われることとですね、それともう1点は、愛知県の知事選に興味が、まあ出馬も含めてですけど興味がおありかどうかというのをお聞きしたかったんですけども。
信州・長野県知事 田中康夫
新党日本の会見のときにも述べましたけれども、私のもとだけでも3千通程の手紙やメールが来てますし、党へのも含めると1万くらいあると思うんですけども、そのまあ大半、というか私個人に来るのは、もう少し揶揄するものがあるかと思ったんですけれども、10通くらいなんですね。揶揄する人たちは、もうそんな気力もないのか油断してんのか、有頂天なのか、よう分かりまへんが。大半は、よく孤独の中で耐えてたというのと、県民として恥ずかしいというのと、県出身者としてもちょっぴし恥ずかしいとかですね、あと青年会議所とかの人も含めて、うちの東京で沖縄で神戸でとか、あと大阪関係、関西多いのは、うちで既得権を徹底的に、まあこれ多分部落解放同盟の既得権を指しているんだと思うんですけれども。これも県内ではほとんど報じられなかったので読売テレビと毎日放送が報じて、私どものホームページへの部落解放同盟との音声付の交渉を私がやりましたので職員と一緒に、これへのアクセスが急に増えたってのがあって、やっぱしがらみの無い人たちというのは大事なことなんです。ジャーナリズムというものは、しがらみを断ち切っていかなくては批評足り得ない訳でして、その人たちがしがらみがあるっていうところに大きな問題がある訳ですよね。
ですけど、まあ愛知県でというお話は来てませんね。愛知県はもっと見えていて見えざるピラミッドがあるんじゃあないでしょうか。
名古屋タイムズ 古市敬一郎 氏
今回ですね、オール与党だったのが民主党が独自で候補を立てられるということを言ってるんですけども、その辺、小沢一郎氏と近しい田中知事としては、もしかしてっていうのを期待してるんですけれども、どうでしょうか。
信州・長野県知事 田中康夫
よう分かりません。長野県の自民党や民主党や連合はとっても古いので、それを夏には変えて欲しいと言ってくる人も随分いますし、ああそういう考え方もあるんだなって思ったりしてますけど。私は基本的に、日経ビジネスの別に宣伝ばっかりする訳じゃありませんけれども、私は本当に他者に奉仕をするっていうことが私の仕事だって思ってますからね。その意味では、私がより、この信州を変えていくということは、行わせていただいてきたことですし、日本を変えていくということも一緒に行うという中において、それはリンケージしなくちゃいけないということが新党日本という地域政党をですね、結党したことにもつながっている訳です。
ただいずれにしても私は、本当に皆様への奉仕をするってことですから、私がより社会変革をする上で奉仕をする場所がどこなのかということを、全国で車座集会を行うだけでなくですね、私のやはり暗黙知の中で考えていくということだと思います。ただそうした中で、この最後のところに書いてあんだけども、落選が決まってから全国に生中継された私の会見を見た幾人もの記者から、「こんなに悲壮感が漂わない会見は初めてだと言われました。」って言われたんですけどね。「私は、6年前の選挙ポスターに『信念と行動力の人』と記しました。これまでも、そして、これからも『怯まず・屈せず・逃げず』の気概を抱いて、人から仕えられるのではなく、人々に奉仕する存在としての人生を歩む覚悟です。」って、まあそういうことだにぃ。
う〜ん、はい、一番後ろの女性。
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田幸さよ子 氏
須坂の田幸と申します。「おんなしょの会」という会を立ち上げて、政治に関する学習会をしている者なんですけども、先程、知事の権限でここは一般の人たちとそれからマスコミの人たちとも会話ができる場にするっておっしゃったにもかかわらず、信毎の方が、ここは違うんじゃないかって、またそのマスコミとしての権力で、あの逆指名もされちゃって私としては、ここのいる立場としてはね、本当に平等な立場として、意見が言えたらいいなっていう思いでいたので、それはとても残念でした。それでマスコミに関わっている人たちは、本当に最初に入社したときの初志を私は忘れて欲しくないなと思うんです。本当に今回の選挙を通して、私は言葉の、何て言うんですか、言葉によってどうにでも県民の意識が歪められちゃっていくんだってことを本当に痛感したんですね。ですからあくまでもマスコミっていうのは、公の立場で、公としての立場でいるんだってことをね、私は本当に自覚して欲しいと思います。これから長野県がどんな方向に行くかってのいうのは、皆さんもこの結果を見て暗澹とした思いの人は長野県民のみならず、マスコミに関わっている非常に優秀な皆さんがね、頭の中で考えたこと、それを何て言うんですか、もう一度噛みしめて欲しいと思うんです。それは私は、堂々と上に持っていって、意見の言えるような部署にして欲しいってつくづく思います。それで知事の言動がですね、職員が非常に萎縮しているとかって言うんですけど、あなた方の職場こそ萎縮してる職場じゃないんですか。それを私は思います。(拍手)
それで知事に一つ質問なんですけども、知事は、異動はね、何て言うんですか、知事は気に入らない人を異動するっていうことが非常に巷に、まあマスコミを通してなんですけども、巷に、何て言うんですか、あの知れわたっちゃっているんですけど、私は内部告発っていう形でね、その沈滞ムードである部署を流動的なルールを持たせるために、もっとどんどん異動して欲しいっていう陳情はきっとあったんじゃないかと思うんですけども、この場を借りて、私は知事にそれをお聞きしたいんですけども。
信州・長野県知事 田中康夫
まあ先程言った弁証法ってのは、言葉尻で言ってんじゃなくて、やはり常に、まあ新党日本のマークの中に日の丸のように見えるのの横にもう一つ日の丸がありますけど、あれはいわゆる排除と翼賛の歴史を繰り返してはいけないっていうことです。それは日本のみならず、この信州・長野県においてもとりわけ排除と翼賛の歴史をですね、続けてはならないということを私は強く思ってます。ただ、それは先程冒頭で旅館・ホテル経営者の言葉があったように、排除をして皆で村社会で翼賛してく方がそれは楽なんですね。大変やっかいなことに日本は飢餓で亡くなる人がほとんどいない、中途半端に豊かな目先の社会ですからね。同時にやはり弁証法ってのは相対化するってことです。ですから私の以前、あるいは私以降はどうなのか、ということを相対化しないといけません。一般的に言えば、人事に関しては私は600人近い人たちと面談をしたりして、その中での希望を聞いてきてます。人事というものはですね、100人が100人納得する人事なんてあるならばぜひ教えて欲しいし、全員が納得しています、などというような企業や組織というのは、むしろそれこそが翼賛であり、個人が無いっていうことじゃないかと思うんですよね。愛し合っている恋人であったって夫婦であったって家族であったって、100%意見が一致して100%満足し合ってるなんて社会があったら、それこそが民主主義じゃない社会です。
ですから少なくとも私は、誰もが自由に言えるようになったということは大変な変化だと思います。ただそれが先程来言ってるように、ただ何でも批評してる、まあこの県は文句言うのはみんな私も含めて得意ですからね、田中康夫は極めて、この県のDNAは多分一滴も入っていないんですけれども、多分この県民を象徴してる人だと思いますよ。だからあまりに自分の等身大を見ていて、とまどっちゃってらっしゃるんじゃないかなって気もしますけど。ただそれは先程言ったように、これからは県内のメディアも含めて、メディアという言葉が似つかわしいのかどうか分かりませんが、みんなが誰かまかせ、誰かの責任にはできなくなっちゃうということです。自ら自主自律、自己責任を踏み出したのが8月6日なんです。私は投げやりで言ってるんではありません。これは大変な決断を県民はされたんです。私はそれは大変な決断だと思っています。とりわけ県内のメディアと呼ばれる方々は、これから日々ですね、その自分の自主自律、自己責任を直面していくっていうことだと思いますよ。その意味では非常に「脱・記者クラブ」宣言が有る無し、あるいはこの表現センターが有る無しというのは表層の問題ではなく、恐らく日本の中でいまだかつてなかったような中で、ここにおいてプロフェッショナルを自認される方々の表現活動がですね、大変な新たなステージに入っていくってことだと思いますけどね。でもまあそれはまた同時にそこの県民がどう思うかによる訳ですけどね。
はい、あと何?あと質問、はいもう2人だけ?いいの?はい、あとじゃああと2人、はい。
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13 今後の政治活動における情報弱者への対応について
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武居博明 氏
塩尻の武居と申します。知事のいわゆる弱者と言われる皆さん、私も高齢者福祉や障害者福祉の現場で関わらさせていただきますけども、そういう人たちに向けていただく温かいまなざしってものにずっと感謝し続けてきましたけれども、今さかんにこの場でも話題に出ている情報という意味でですね、いわゆるマスメディアに頼らざるをえないような、言葉はちょっとおかしいかもしれませんが、情報弱者という人たちもいると思うんですね。これ、今まではこういう形での知事会見があったりとかこういう場所があったり、あるいはいろんな人たちが自主自律で小さなメディアを動かしていましたけれども、そういうものに触れることができずに、ごく日常的には一般的に信濃毎日新聞を読んでいたりとか、普通にSBCの夕方のニュースを見ていたりとか、そのくらいしか日常の忙しい生活の中ではなかなか報道に触れる機会がない、情報に触れる機会がない、そういう人たちに対して、今後も政治的な活動を続けていかれる、人のために尽くすということを続けていかれる田中康夫さんとして、そういう人たちへの温かいまなざしっていうのをぜひお考えいただきたいと思うんですけれども、その点についてお考えがありましたらお聞かせください。
信州・長野県知事 田中康夫
なんじゃい、その温かいまなざしって抽象的なハンド・イン・ハンドみたいな言葉は、最もそれは私が苦手とするところの言葉です。最もそれこそが、そういう言葉でくくってしまうというのはメディアの中でよく誰かが発言して、「何々ときっぱり」って書いてある体言止めがあるんだけど、あれ私は一番前から苦手できっぱりなんて人間言えないことです。
このあいだ、トルーマン・カポーティの映画が、「カポーティ」という映画が9月に封切られます。アカデミー賞の主演男優賞をとった内容で、監督が来て浅田彰と一緒にホテル西洋銀座で公開対談をしましたけども、人間くらいですねある意味では葛藤に満ち満ちて、そして矛盾に満ち満ちて、そして孤独に満ち満ちているものはないと思うんですね。カポーティの人生というものは正にそうしたものであったと思います。そのカポーティを表層的に彼は甲高い声をしているとか、あるいは露悪趣味であるとか、あるいはゲイであるとか、あるいは非常に時流に乗った人であるとか、そういう捉え方ってのはカポーティが持っていた多面性、それは同時にどんな人間にもそれなりの孤独と矛盾と葛藤に満ちたものがあります。
で、それを全て説明していくと永遠に終わりのない「ネバーエンディング・ストーリー」のようになってしまうので、非常に言葉を1個使うことでですね、正に村社会で排除と翼賛とが自由になってっちゃうんですね。で、そうじゃなくて、カポーティが皆さんご存知のように仮装舞踏会を行いました。ニューヨークのザ・プラザでですね、ホテルで、その時に誰が呼ばれるかってことで、みんなが大変な状況になる訳ですね。そのいわゆるセレブリティと呼ばれる人たちが、誰がカポーティに呼ばれるんだろう。で呼ばれなかった人たちが1年後のエスクァイアにですね、カポーティを、私たちは呼ばれたとしても行かなかったっていうギャグをですね、エスクァイアの表紙にですね、何人もの著名な監督や作家やジャーナリストがですね、それこそ仮装舞踏会のように正装して表紙に出てくるって、そのくらい時代の流れが遅かったのかもしれませんけど、そのくらいな形だった。で、カポーティに、じゃ、どういう基準でその仮装舞踏会に来る人選んだのって言われたら、「いや、基準なんかないよ」って言ってる訳ね。で、これは決してカポーティは投げやりで言ってるんではなくて、正にそこに先程基本高水協議会の方々が来た時にも言ったように、私たちは科学を信じて科学を疑わずじゃなくて、科学を用いて科学を乗り越えていく、それは逆に言えば政治を用いて政治を乗り越えていく、あるいは文学を用いて文学を乗り越えていく、経済を用いて経済を乗り越えていく、それこそが真の生活な訳ですよ。
で、カポーティが言っていることは、正に彼の持っている暗黙知によってですよね。そして彼が「冷血」という猟奇的でもないごく普通の一家殺害の事件というのを書いて、ノンフィクション小説という新しい領域を作ってますけども、でもこれも今見たら
「冷血」で描かれているような殺人なんて日常茶飯事です。私たちのがむしろ鈍感になっている。でも当時は、彼はニューヨーク・タイムズに小さな記事で載っていたものを見てずっと取材をしていく訳ですけどね。その中で犯人とも接触して犯人のために弁護士を雇いながら、同時にその小説、結果的に犯人は2人死刑になるんですけども、最後彼はその文章を書いていく上で、決して結末が欲しかった訳でも何でもなくて、ネバーエンディング・ストーリーであるべき社会がネバーエンディング・ストーリーであると彼がその文章を
書けない中でそこで彼らが2人が死刑になって、絞首刑になるというところでその文章ができ、これは「ティファニーで朝食を」のイメージの彼とは全く違う社会の評価を得ますが、彼はそれ以降文章が書けなくなって、で、まあ50数歳で亡くなる訳ですね。
恐らくここにいらっしゃる表現者の方々も日々それは殺人事件だけではなくて、いろんなもの、締め切りに追われ、面取りに追われ、行数に追われ、そして現場の状況を10年前の状況しか知らないデスクなり、部長なりに、整理なりに言われて直していく中で、自分が紡ぎ出したはずのものがどんどん変容してってしまう。そしてその時マイクを向けたりペンを向けて、その遺族であったり嘆き悲しむ人と同じ気持ちでありながらも書かねばならない自分がいて、書いてしまった後、ベルトコンベヤーに乗せられて、自分の作品であるはずの文章がバイネームで署名原稿でもない形で変容されて、見出しも自分が望んでいたものとは違う形で出てってしまうこの歯車の分業化社会の中で、皆さんも葛藤されながら、けれども目の前で起こるまた矛盾に満ちた社会の中のことを書かねばと思って書いていく。でもその矛盾に満ちた社会を書いていく中において、多くの躊躇があったりですね、あるいは葛藤がある中で、いつしか極めて表層的な二元論的な捉え方で書いてしまうほうが、はるかに自分もそこで思考はしてんだけども、そして思考停止してる訳ではないと自分に言い聞かせながら、その気を異常に表層的な形で表現をして、終わらせてベルトコンベヤーに乗せてしまうほうが楽になってってしまう自分というものが表現者の中にあって、けれどもそれは恐らく鏡を見た時に少しく悩む人もいるかもしれない。悩む人は決してナイーブとかセンシティブとかセンシブルっていうことではなくて、それはとても人間にとって大事なことなんだけど、その鏡を見て少しげっそりしてしまってる自分を見ることすら避けたり、あるいは避けてる訳でもない、鏡など見ない自分がむしろ極めてタフなジャーナリストなんだって思い込んでいかざるをえない人たちがいるとしたら、こんなに不幸な社会はないっていうことです。
で、カポーティがパーティの場で、あの誰もが聞いたことがある甲高い声でしゃべる。で、カポーティが何か冗談を言ったり、あるいは誰かのプライバシーを語るときに、みんながそれにあわせて笑ってる人たちのほうがはるかにかわいそうな人であるのに、カポーティがかわいそうな人だと思うことで、カポーティを愛玩物っていうか観賞物として見てる人たちってのがいてね、この映画はとても、その監督は私よりも10歳年下で40歳だってのを聞いて、「ああ、あなたは丙午(ひのえうま)の年で、私たちの日本では、丙午の年には恐らく、公務員体質的、銀行員体質的、橋をたたいて渡るような家族は、なるべく出産を控えたので、この年に生まれた子たちは、男の子も、あるいはとりわけ女の子は本当の意味でとんがった子が多くて、私の周りにいるのはちょうど10歳年下の丙午の子が多いんだよ。」って言ったんですけど。
ところが彼が作り出した作品ってのは、とても、非常にあの、何てのかな、僕が大好きな言葉の「ディーセント」なんですよね。控えめな映像、でもディーセントってのは、慎み深くて、気品に満ちていて、けれども、正に信念があったり、「怯まず・屈せず・逃げず」のものなんですね。そういう、カポーティだっていうと非常になんていうかブリリアントなような映像のような感じがするけど、音楽も映像も、その俳優もですね、非常にディーセントで、それが逆にカポーティの真実を語ってんですね。でも、カポーティを、さっき言ったように、ちょっと風変わりな人っつって片付けちゃうのはとっても簡単で、そう片付けちゃったほうが人間は、葛藤から目先逃れられるんですよ。でもそうではない。それはもっと、先程言ったように、今を保守しているつもりでいるのが、実は守旧でしかなくて、今を壊し続けていることにしか過ぎないということが、前回述べた、正にイギリスのエドマンド・バークという保守政治家が、人々が革命を起こさざるを得ないような状況の矛盾を生み出す前に、リーダーたるものは常にインセサントに絶えまず、その変革を続けなければ、何が民主主義を守る保守かということを言ってる訳で、今日本で起きていることは民主主義の保守ではなくて、全体主義の守旧をやっているということによって、破壊されてんだと思いますけどね。
ですから私は「きっぱり」っていう言葉はどうも苦手で、あともう一個言うと、武居さんの今のお話で言うと、やっぱり主語がないってことです。前から申し上げたように、tuとかjeとかIとかvousとかですね、いろんな言語は主語から始まりますけど、私たちの日本の言葉は主語から始まんなくても伝えられる訳です。こうやってしゃべってますけど、私は「I」っていう「私は」って言葉が、今この間私も出てきてません。でもだから、大変美しい形容詞で、和歌に使われるような「美しい」とか「愛してる」って形容詞は、世界で最も豊富だと思います。でも、そして「・・・と私は思います。」と最後に付くのは、これ変局です。他の言葉で最後に「do
I」って付いたらこれは強調語です。同時に私たちのメディアって呼ばれるところも、外報部の方が書く記事だけは署名なんですね、昔から大半。まあAPとかUPIとか時事とか、ああ時事はどうか知らないけど、共同とかロイターとかって書いてあることもありますけども。大半の国内のニュースは署名ではない訳ですよね。
海外の記事も、実はこれはいい第六感が持ってる人、読売の国際部的な人たちだと非常に素晴らしい記事を書くんだけど、大半は多分地元のテレビや新聞や週刊誌や、その支局のスタッフの通訳してくれる人から聞いた話の中から、これはおもしろそうってのを書いてく訳で、単に端っぱとしての情報を集めんだったら、東京の本社にいる人の方がはるかに通信網によって全部入ってくんですけど、でも、それをどうエディットするか、っていうことはそれぞれの才覚に任されてんですけどね。だけど、国内のものはクラブというところで守られていて、誰もその責任の所在が希薄だってことで。
最後になりますけれども、やはりこの間、天皇、昭和天皇の富田メモっていうものが出てきた。そしてこの富田メモが、私はたまさかなんですけれども、日本経済新聞のスクープであったこと、あるいはこのことに関して、今月の「日刊ゲンダイ」に今週と先週と両方書きましたけども、「文藝春秋」の本誌でですね、保坂正康、あるいは秦郁彦、あるいはそしてもう一人が半藤一利という人たちによってですね、この昭和天皇の孤独というものがきちんと描かれてんですね。あるいは渡辺恒雄という人のもとでも、読売新聞というものがこの靖国の問題であったり、そうしたことに関してきちんと明確に姿勢を示しているっていうのは従来で言う左巻きと呼ばれる人、左寄りという人たちが沈黙してて、いや個人としてはいますけど、メディアとしてはですね、むしろ右寄りに思われた人たちが非常に今の状況を危惧しているということは、私は大変に、私たちは良い意味で、厄介かも知れないけども、これはチャレンジングな社会に生きているんだと思うんですね。
ですから主語がない、つまりそれが山本七平の『「空気」の研究』につながっちゃう訳で、誰も責任を取らないで、天皇に、戦艦大和を出しても無理だと思ってるのに、誰もそこで言い出さないで、天皇に「出撃の空気でございます」。それで天皇は最後、誰も真実を伝えてくれないので、アメリカの短波放送を聞いて戦況の様子を聞いてですね憂いている、ということが私の心だと言って、A級戦犯が合祀してあるから、ないからじゃない訳ですよね、昭和天皇の考えは。
そして、今回平成(今上)天皇のですね、全国戦没者慰霊式典における言葉が極めて短かったということも、それは私は一つの天皇の思いだって思います、8番目に献花をした人間としてですね。それは前回も述べましたし、もしあれでしたら日刊ゲンダイも差し上げます。けれども、その8月15日に靖国神社に早朝に行った首相というものに会場で拍手が沸き起こり、A級戦犯の分祀を述べていた古賀誠という人には日本遺族会において貢献してきたにもかかわらず、拍手すら出ないっていうところに私はとても不思議さを感じます。ですから、主語を持たない、主語を持つということは従来の市民運動家や従来の環境保護至上主義者のように他者を排除するということじゃなくて、主語を持つってことがとても政治や経済や社会が生活であることだと思います。
一個、その意味で言うと、これ私すごい、流石の信濃毎日新聞も社説で困惑なことを今日書いてらっしゃるでしょうけど、らしいんですけど、あまり私しなの言葉は得意じゃないんでまだ読んでませんが、「選挙中は一私人として考えを言ったが、知事就任予定者としては慎重になる」って村井さんがおっしゃっているのを見て、逆じゃないのって。候補者ってのは、法律用語では公人じゃないかも知れないけれども、候補者が言った言葉は、一私人だったって、思いつきでしたって話になっちゃうんで。で、知事就任予定者としては慎重になるって、知事になる人こそきちんと自分の考えを述べるということが主語のある社会だって私は思います。(拍手)まあ、あのきっとさまざまなお考えがあられるのかも知れませんけど。
ですから、その意味では、私は、前回も述べたけど、村井仁さんは日本会議のメンバーは靖国神社に参られることをきっと望んでらっしゃったと思いますから、なぜ知事の間だけは参らないのか、そのような信念で県民は路頭に迷わないように、村井さんもきっと奮励努力されるんだろうと思います。いずれにしても、主語のない社会というものが今の日本になってきてしまっているにゃって思いますけど、もっと何か面白い質問が出るかと思ったけど、みんな意外と謙虚、謙虚っていうか、ディーセントとは違う意味で普通だにょう。
いずれにしても、31日はこういう具合で誰でも来れます。まあ、9月1日以降も私は軽井沢町の町民でありますし、社会に貢献しますし、元々本県がより良くなることは願ってる一人ですから、そのためにさまざまな長野県原産地呼称管理であったり、制度であったり、あるいは観光のキャンペーンであったり、いろんなことをしてきた訳で、そうした思いは変わるものではありません。
まあ、批判を受け入れない者っていうものはですね、滅びていくっていうことですよね。私は人の意見を聞かないって言われたんだれども、こんなにみんなが自由な意見が言えるようになった訳ですから。自ら批判の対象ではないって言ってしまう社会っていうのは、とても、あまりよろしくない社会だとは思いますね。
はい、じゃあ、おしまい。(拍手)
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