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平成18年(2006年)8月7日(月)11:00〜12:05 県庁:表現センター
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信州・長野県知事 田中康夫
はい、それでは8月7日知事会見です。先程ガラス張りの知事室の方で副知事、出納長をはじめとする職員と、さまざまな仕事の打合せを致しました。
その中においてですね、まず1点は高等学校の問題に関してであります。いわゆる再編の問題であります。これは恐らく私とはですね、この点に関して立場の違う村井仁さんが新しい知事として9月1日から就任をされますので、私が申し上げていた臨時議会を可及的速やかに開くということは、むしろこれは私の下で議会を開くということは、新しい民意というものに対して、いささか失礼に当たるのではないかと思いますから、このまず問題に関しましては9月1日以降、無論その前に新しい知事が、長野県選挙管理委員会から恐らく今日か明日には当選証書が渡されるでありましょうから、それをもって正式に9月1日からの知事が確定致しますから、無論その方がさまざまな自由な発言をご意志に基づいて行うということは、やぶさかではない訳でして、この高等学校の再編問題に関しまして新しい知事の下でご検討いただくということになろうかと思います。
その他もう1点、私どものいわゆる浅川に関しましての治水の問題、これは選挙中にも申し上げましたが、今からちょうど2年前に新潟県で大変な豪雨があり、この中で信濃川水系の刈谷田川と五十嵐川、この刈谷田川に関しては既に上流にダムが造られ、100年に1度の100年確率の洪水に耐えられる川であり、また五十嵐川に関しては2つのダムを設け、ほぼ同様に100年確率が達成されていましたが、12名の尊い命が亡くなり、1万所帯の方々の家屋が水害に遭い、爾来2年を経て新潟県は国土交通省と共にダムに頼らない治水、すなわち堤防を敢えて切り下げ、そして100ヘクタールの遊水地を設け、そして危険であると判断される家屋に関してはその移転を一緒に行うということを行っております。私たちが浅川の治水に関して国土交通省の関東地方整備局と、出納長である青山篤司を中心として話をしてきましたことは、正にこの既に新潟県において「脱ダム」宣言を経て、より「脱ダム」宣言を実現をしていくということを行ってる内容、これと同様の遊水地あるいは放水路を組み合わせる形のものであります。が、他方でこの問題に関しては、じっくりゆっくり、正確な言葉はわかりませんが、じっくりゆっくり考えられるということを新しい知事であられる村井仁さんはおっしゃっていたように記憶しております。正に人の生命や安全は、ゆっくりじっくり考えることではないというご趣旨の意見もあろうと思いますし、村井さんも同様の趣旨をおっしゃってた記憶はございますが、この問題に関しましても新しい知事の下で浅川のダムの建設の問題を含め、ご検討いただくことが望ましかろうと思います。それがまた多くの県民の民意なのであろうというふうに思っております。
そしてあの、昨日、会見をさせていただきました。生放送で私の会見をすべて流してくださったメディアもあることは、大変に感謝を申し上げたいと思ってます。それは何かと言えば、正に私は直接対話と現場主義ということをこの5年9か月余り行ってまいりましたので、私がそれは媒体という場を通じてであるにせよ、直接対話を余すところなくお伝えいただけたことは、そうした媒体の方には感謝を致したいと思っております。で、その際に最後に、最終的な得票数というものが確定してから、この本日11時からの会見を行わせていただきたいという旨、お話を致しました。
まず改めて、全ての投票所に足を運ばれた方々に、そして私は最終日にも、いよいよ明日は投票日ですと、私たちの未来を決める日ですと、そして最後に繰り返し申し上げたのは、後戻りしない福祉と医療。小学校入学前のお子様の医療費は、どなたも無料となりました。在宅介護のご家庭に、本県独自のヘルパー無料派遣制度も始めますと。借金の山を未来の子どもたちに、田中康夫は残しませんと。で、皆様とご一緒に福祉と教育、未来の子供たちに恵みの山を届けます、ということを申し上げました。で、そうした中において、また私に対して、53万4,229人の方が私と共に引き続き、この比類なき信州・長野県の、より人間として人々が生きている喜びや、確かさや優しさを感じられる県政の継続を望んでくださったことにも、改めて感謝を申し上げたいと思っています。
前半、昨日も申し上げましたが、豪雨災害という、今まで私どもの山や緑が他地域に比べれば守ってくれていたこの本県において、幾人もの方々もお亡くなりになられるという痛ましい災害がありましたが、ある意味では私は阪神・淡路大震災の際に、一人の正に個人として、その自分が愛していた神戸の阪神間の地を訪れて、避難所やテント村や仮設住宅、あるいは半壊の家を正に個人として訪れることによって、様々なそれらの方々への良い意味での支え合いということを行わせていただきましたし、恐らく私が文章を書く、発言をするということのみならず、こうした私の行動を通じて、私は6年近く前に本県の知事になることを請われた訳でございまして、そのことによって私も多感な時期を過ごした信州・長野県で知事をさせていただいていた。そのことにも無論県民に感謝を致しますし、そしてまた3度目の知事選の直前に、先程申し上げた豪雨の災害があり、私がその本部長として多くの消防団や消防隊員、あるいは自衛隊員や警察官、更には市町村の職員、また私どもの教職員を含めた県の職員の協力を得て、そのことに対して人々に尽くさせていただけた。それは私がそのことを優先するというのは、当然、現職の知事としての役目でありますし、ましてや私はそうしたことが、人の為に、人に尽くされるのでなく、人に尽くす、あるいは人に仕えていただくのではなく、人に仕えるという存在であるということを6年前にも申し上げておりますから、その私にとって無論多くの悲しい出来事ではありますが、そうした場所で私が尽くさせていただけたことは、非常に悔いのない思いであります。
実質的には、8日間で6千キロという距離を遊説車で回らせていただきました。そしてその中で、私たちのこの6年間の歩みというものはですね、恐らく現在豊か、物質的には豊かなれど、極めて財政的にも破綻をして、そして多くの弱き者が切り捨てられていく、そして息苦しいこの日本の社会におけるですね、正にその日本の社会は砂上の楼閣の物質的な豊かさの上に、辛うじて立ち留まってるかのように見える訳でありまして、これに対して私たちは正に大地にきちんと根を下ろした、そして地域でできることは地域の企業や人々と共に、という精神の下で行ってきた6年間というものは、これからの私たち信州・長野県や、あるいは日本を形作っていく確かなその将来への基礎であるのでは、というふうに思っております。今回の選挙は、ある意味では政治団体であったり労働団体であったり職能団体であったり、さまざまな大きな組織が結合する形でのいわゆる組織型の選挙に対して、私を支援してくださった方々は、それぞれ無論所属している組織はあるにせよ、個々人として皆が横一線でしなやかな連帯を表明し、そして活動してくださった訳で、そうした方々によって選挙戦を戦うということは、220万という多くの人口や全国4番目の面積を擁するという形での選挙では、おそらく日本にとどまらず世界的に見てもですね、非常に類例がないものであったかと思います。そのことを本当にそれぞれが奉仕の精神でボランティアとして参加してくださった方々に改めて感謝を致しますが、で、1点昨日も申し上げましたが、正に私たちは森林整備にとどまらず、しっかりとした大地にこの人間が生きている確かさや温もりをもう一度再生するということでの本県の改革を行わせていただいたかと思ってます。
1点だけ心残りな点というのを申し上げましたけれども、これは正に逆に言えばこの5年間というものは、障害者や高齢者の福祉のみならず、働き、納税をされてる方々の健康保険に至るまでですね、ありとあらゆる社会福祉というものは、正に低下をしてきてるかと思います。そして本県の予算はご存知のように、今年度で言いますと当初予算は人件費も合わせて8250億円でございますが、この3年間に限っても540億円地方交付税等は激減しております。これは本県に限ったことではなく、全ての都道府県、市区町村が直面をしている形であります。このように社会福祉を切り捨て、地域や地方を切り捨てるという中において、いささかの自負を持って私が県民や職員と共に語れることは、社会福祉をこの間、逆に本県は充実させ、あるいは真の意味で砂上の楼閣ではない日本の地域や社会を再生するという上での環境保全の促進ということに努めさせていただけたかと思っております。
この後ご質問を受けていく形になろうかと思いますが、本県は念のためにこれは知事としての会見録を通じて私の肉声として記録を残させていただくということも、私が以前から申し上げているように会見の正に直接対話の精神に基づくものであろうと思います。先般発表になった有効求人倍率、さまざまな経済には指標がありますが、これは1.20であります。ちなみにオリンピックの開催された年、またその翌年は、有効求人倍率は本県は0.88でありました。すなわち、このことこそが、私たちの地域でできることは地域の企業や人々と共にということにつながり、それが「脱ダム」宣言のみならず、さまざまな入札の参加希望型の直接参加の入札の制度や、あるいは信州型木製ガードレールという地域雇用を、鉄製のガードレール、これは全国に5社しか製造しておりませんので大半のお金は県外の会社に行き、そして国からはガードレールの設置に関して補助金がございませんので、林野庁から半分の補助金がある、そして県内の間伐から設置に至るまで全て地域雇用であるという信州型木製ガードレールが鉄のガードレールの場合の5倍の地域雇用であるっていうことは、既にお話をしているところではありますが、こうしたこと、すなわち私たちがですね、財政を健全化させていただく中で、無論その中で未だに実質公債費比率は全国でワースト1でありますのは、私どものこの実質7年度の黒字のプライマリーバランスの予算、あるいは昨年度も基金を一円も取り崩すことなく42億円余りの一般会計の黒字をもたらし、そしてそれらによって県独自の事業が福祉や教育も含めて、地域の密着型の公共事業も含めて実践でき、また基金を積み増させていただいたということ。
いずれに致しましても、その日本全体を覆っていた社会福祉の激減と地方交付税の激減、その中において私たちが県民や職員の協力を得て、あるいは県外からの声援、これは同時に昨日敢えて世界と申しましたが、私どもの県出身の、私はブラジルとアルゼンチンの地を訪れたときにも、多くの本県出身者であり、本県の営みに声援してくださっている方がいらっしゃいました。そうした方からも、今回選挙中に応援のEメールやファックスや電話をいただきましたが、その中において惜しむらくは、やはり本県の行ってきたこの5年9か月と、日本全体がこの5年4か月でしょうか、5年3か月でしょうか、行ってきたことというものを、どのようにとらえるのかという中でのですね、選挙であればという、いささか気持ちは致します。
えっと、まあ以上かな。9月1日からそれぞれやはり県民がお選びになった新しい知事が誕生します。以前にも申し上げたことがあるかもしれませんが、同じホール、公会堂で同じオーケストラのメンバーによって同じ演目が演奏されたとしても、指揮者が替われば、そこで奏でられる音というものは、同じ演奏者と同じ公会堂であったとしても異なります。すなわちそれは公共事業に関しても福祉や医療や教育に関しても、ありとあらゆるその他の企業育成に関しても観光に関してもですね、それは指揮者が替われば変わることですし、無論指揮者の考えに基づいて新たな素晴らしい演奏が奏でられるということこそが、それは間接民主主義で選挙が行われる意義でもあろうと思います。ですので今朝職員に、ガラス張りの知事室に集まった幾人かの職員に申し上げたことは、ぜひ皆さんは9月1日以降、新しい知事の考えの下で、その知事と共に知事の考えを実現していくということこそが県民への奉仕をする職員なんだと、そのことが私たちがゼロ予算事業という中で自分たちのもらう人件費は、むしろずくを出し合ってより良い社会を築くという事業なのだと申し上げてきましたから。それは無論8月31日まで私は知事として、さまざまな住民への福祉をはじめとするサービスを行います。
ただ冒頭に申し上げたような高校の再編の問題、あるいは浅川の治水の問題、ダムの行方、そういうような問題は、これは新しい知事の下でお考えいただくことですし、さまざまなその他の行財政改革、財政改革のプログラム等も、これは新しい方の下で考えることであろうと思います。そしてまた人事に関しても、これは人事権を持つのは執行権者でありますから、私に関しては時として私の人事権を持つ者への人事にさまざまなご意見はありましたが、私としては新たな方の下でその方が働き易い、その方のため、あるいはその方の取り巻きの方のためではなく、今この瞬間も学び、育み、暮らし、働かれている方々、220万の方、あるいは本県を愛し、期待してくださっている方のためにですね、その方の考えに基づく人事を行うということがとても大切なことだと思います。私も思いますれば、この6年間で大変に今回の災害派遣のみならずですね、職員がわくわくドキドキ、自分が職員である前に、ひとりの人間として父親として母親としてお兄さんとしてお姉さんとして、あるいは県民として国民として願うことをどんなにか前例がなかろうとも、どんなにか法律の狭間で制約があろうとも、実行していこうと。そしてそれを実行することが信州型モデルになり、ひいては全国へと伝播をしていく。信州型木製ガードレールが和歌山県や神奈川県でも、同様に独自で始められているということは大変嬉しいことです。「脱ダム」宣言の精神が国土交通省と共に新潟県で実現をしているっていうことも、私たちどもにとっては密やかな誇りだと思います。無論そのことが最初に発信した本県で、時として滞りがちだということに関しては、私としてもさまざまな思いはありますが、しかしそれらはすべて新しい知事の下で県民の願いを実現していくことだと思います。
私が就任当初、部長会議というのは月に1回しか開かれておりませんで、報告事項ばかりでありました。現在、皆さんご存知のように基本的に毎週開き、往々にしてそれは1時間半どころか2時間になり、その全ての内容はホームページ上で発言者のフルネームと共に全て記録をされておりますから、関心を持たれる方は全てお読みになることができますが、私が就任した当初に、私たちは県民に奉仕をするサービス産業なのだという言葉を使ったときに、幾人かの、私が任命したのではなかった部長の方々が「それはおかしい」と、「我々が、なぜサービスなんだ」と、「我々が、なぜ産業なんだ」というご趣旨がありました。あるいは言葉の定義という中での他意のないご発言だったのかもしれませんが、私はこの6年間、私たちは人々に奉仕をする立派な産業である、そしてそれは、例えば医療であったり食品であったりすればその分野にとどまるかもしれませんが、全ての森羅万象、人々が人々として生きていく上での全ての事柄に関して、私たちは良い意味で奉仕ができるということを述べてきました。このことを、先般もお話しましたが、4月の末に塩尻の総合教育センターで、わくわくドキドキの職員の研修というときに、多くの職員がゼロ予算をはじめとしていろいろな事業の説明をしてくれたときに、大変私は、ありがたいことだと思いました。私のためにではなく、職員がすぐに現場に飛んで行って県民と話すようになってくれたことは、私から改めて感謝をしたい。そしてその点は、県民も感謝をしていると思います。そして新しい知事の下で、繰り返しますが9月1日からは、その知事が望むことを、それは皆が託したことですから、職員は決してそれに対して戸惑うことなく、その知事を通じて県民のために働いてほしいということを、朝、概略述べました。
それでは、ご質問にまいります。 |
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共同通信 松木浩明 氏
先程知事の言葉の中で、今回の選挙は、村井さんの陣営を指摘なさっているんだと思うんですけども、政治や政治労働団体、さまざまな組織が結合した組織型選挙だったというようなお話がありましたけれども、知事からご覧になられて今回の選挙、率直な意見をお聞きしたいんですけども、敗因について、なぜかということを知事自身どのように思ってらっしゃるか、まずこの点を教えてください。
信州・長野県知事 田中康夫
私としては、本当に53万4,229人もの方々が引き続き私と共に後戻りしない本県であろうということを、暑い最中投票所まで行ってですね、意志表示してくださったことに感謝していますし、無論私とは異なる考えであっても、きちんと自分として意思表示を投票所でなさってくれた方々には、改めて感謝をしています。
先程も申し上げましたけども、私としては、夕張市のような借金の山であったり、ダムに象徴されるコンクリートの山であったり、そうしたものではない、恵みの山であったり、あるいは緑の山であったりを、今私たちが行うべきことと同時に行っていこう、百年の計で。それは関清英という官選知事がおりました。皆さんもご存知のように鍋島藩出身の、佐賀県出身の知事で、旧内務省、当時内務省と言ったんでしょうか、出身ですけど。この方は本当に、当時、今の男女共同参画の意識を厳密にお考えになる方からすればあるいはご批判もあるかもしれませんが、彼は女性、婦女子のために職業教育や社会教育をすべきだということを言い、そうした学校を松本等に造っています。あるいは公衆衛生が大事だ、疫病が流行らないようにしようということで、そうしたことに力を置いております。
そしてこの人物が、「県有林の記」というものが議員会館のところに建っておりますけども、概略述べれば殖産興業の中で山を切り、山の木を切り倒してしまったことが、山が荒れるだけでなくて、川の水が荒れ、空気が荒れ、更には人々の心まで荒んでしまったので、これを200年の計として始めるべきだということを言ってます。100年の計たゆまず行えば、目処は見えてくるかもしれないが、100年の間に弛んでしまえば元の木阿弥だというようなことも出てます。これは同時に、田中正造という方が正に一人の一介の国民として、人間として足尾銅山の問題を当時の天皇に直訴をし、そして国会議員の座を追われ、といいますか自らも辞したのかもしれませんが、そして最後、1つの渡良瀬川の石が彼の遺品として残ると。それも今からちょうど奇しくもほぼ100年前であります。
そうした、私は関清英氏や田中正造氏の足下にも及ばない。そのことが、ある新聞社のアンケートで、片腕になる副知事として誰か歴史上の人物と言われたときに、私は関清英氏の名前を、もちろん一面識も当然ない訳ですが。この方も議会から幾度も知事として不適格であるという決議を受けている方ですし、彼の出した予算がいくつも否決されてる、修正されてきてる方かと思いますけども。
そういう私たちの、やはり未来をどうするのか。そしてその中で今の私たちの、それは目先ということではなくて、未来のために福祉であったりをどうするのか、ということをさせていただいたと思います。
ただ、そうした考えではない観点で、それがどういうお考えであったのか。私は村井仁さんの具体的な施策というものは、合同立会演説会を通じても、あるいは私の理解力かもしれませんが、さほど具体的な形でお示しにはなってない気がしますので。「輝く81の市町村」という言葉は非常に鮮明に残っておりますが。ただ私とは、恐らく村井さんは、かなりの部分において異なる見解をお持ちでしょうから、具体的にはお聞きしてませんが。その方に期待される方のほうが相対的に多かったということですね。それよりそうしたことは、これは民主主義のルールですから、私はそのルールに従い、8月31日で長野県としての知事を退く訳ですし、そしてその9月1日以降、私どもはきちんと引継ぎをもちろん致しますが、新しいリーダーの下で、この県の新しい姿を築かれるということが、県民が今回選択されたことであります。 |
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共同通信 松木浩明 氏
もう一点教えてください。今現在、新党日本の代表でいらっしゃいますけれども、今後の政治活動については知事ご自身は、どのようにお考えでしょうか。
信州・長野県知事 田中康夫
髪の毛をこう上げたり、何か額のところに多少、皆さんも暑いと思うんだけど、すいません、空調の具合が悪くて。汗を拭こうとすると撮るってのは、なかなか・・・ここにどういうキャプションが付くのかってのも、なかなか楽しみでございますけれども・・・なーんてことを皆さんとお互いに言い合うじゃない、話してくるような人間だったので、時として皆さんからすると、ちょっと厄介な存在って思われたのかもしれませんけども。皆さん同様に、書いたり喋ったりするのを生業としてきたので、その点も大変やりにくかったのではなかろうかと思いますけれども。基本的に私は、なんていうのかな、小さな頃や若い頃にはそんなに意識していなかったのに、小学校の時の確か一年生の時には宇宙飛行士になりたいっていう作文を書いていますからね。でも段々、まあ、もう今、50歳でございまして、やはり文章は私が書いてきたのを、私の言葉によって同じ思いの方がいれば、ゆるやかな連帯ができ社会が少しでも確かな良いものになっていけばという、それが時折使った、あのジャン・ポール・サルトルやシモーヌ・ド・ボーヴォワールのアンガージュマンってことになるんでしょうけれどもね。そういう社会に常にコミットし、社会の中で発言をするだけでなくて行動をし、そして人々と共に私たちのこの社会をソクラテスから2500年経っても、まだ民主主義はこの程度とも言えます。行きつ戻りつします。けれども相対的に民主主義が私たちが素晴らしいものであると思うならば、その中で社会に貢献する、人々に貢献するということが、きっと私の人生なのだろうと思っています。
そのことは文章を書いてたときもそうですし、多くの皆さんにとっては阪神淡路のボランティア活動を通じて目に見えるビジブルな形で私が言葉だけでなく行動もするのだと思っていただけたのだと思いますし。それはもう先程申し上げた通りで、そしてその中において私は、やはりこれからも人々のために貢献できる場というものを、恐らく私に期待してくださる方がいればですね、私にまた、そうした場を提供していただけるんだと思ってます。そうした社会に貢献するということ、人々のために仕えさせていただくということを、これからも私の人生として行うことができれば、それは大変ありがたいことだと思ってますが。
何か、皆様の紙面も今日も朝からフジテレビの番組をこちらの長野放送のスタジオで出るということで、昨日寝たのも相変わらずの3時位でございまして、また触ると撮るんだ、楽しいな、4時半位に起きましたので1時間半くらいで、ここの災害が起きてからのほぼ平均の睡眠時間かそれを下回る位でしたけども。何か私が国政が云々とかですね、さまざまな他の自治体が云々とか、あるいはあまり皆様にはないのかな、他の何かジャンルにおいてとかですね、経済であったりとか文化であったりとか、私には誰もそんなことをご紹介をなさってらっしゃらないので、それぞれ皆様のなんと言うか予定稿としての思いでらっしゃるのかなと思います。
私としては、あくまでも8月31日まで引き続き知事でございますから、県民のために尽くすという事は、これはもう当たり前のことですし、災害豪雨の本部長として尽くさせていただいたのも、先程言ったように私には無論痛ましい命が亡くなった災害ではありましたが、大変に悔いはなくですね、逆にそのような貢献をさせていただいたことに感謝してますけど、何とも今の答弁だなあ、毎回のごとく、話が何か皆様からすると、イエス・ノー、○×(マル・バツ)でなくて、まだるっこいってお叱りを受けるかもしんないけど。 |
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共同通信 松木浩明 氏
最後に、先程心残りな点についてお話ありましたけれども、改めてダムは次の知事のもとで、ダムの、脱ダムの河川整備計画、そうですね・・・。
信州・長野県知事 田中康夫
脱ダムになるか脱ダムにならないかは、わかりません、それは。
共同通信 松木浩明 氏
もちろん。心残りな点、改めて少し具体的に教えていただきたいのですが。
信州・長野県知事 田中康夫
心残りって、ないですよ。ないですよって言うと、またないって豪語、居直りとか、自信たっぷりとか妙に私が、今言ったのは、私が言った形容詞じゃないですからね、どうぞよろしくお願い致します。それは私、前も皆さんにこの近くのホテルで、記者懇(談会)のような形で知事選前にその横顔を見るというので、記者クラブという親睦団体にお入りの方々のみの限定で1時間、あの時1時間半位だったんだっけ、何かああ私が知事になって6年間でこんなに何か表現者の方と和気あいあいとか、なあなあっていうんではなくて、何か私の普段考えていることをこんなに自然に話せて自然に質問していただけるなんて、大変貴重な経験を知事選前に行わせていただいたなあと思いましたけども、あの時も多分述べたかな、人間ですからそれはまあ私の前は41年6か月提出した予算も条例も人事案も1度として否決も修正もされていませんから、一つも非の打ち所がないというのはなかなか全知全能の人間でもできないことだと思いますが、私の場合は至らないところも多かったのか、あるいは宮城県の浅野史郎さんや高知県の橋本大二郎さん同様に予算も人事も条例も幾度も否決や修正されていますので。そのことだけでなく皆さんからとてもいい選択だったねって言われたことでも、私はただ単にやるやらないだけじゃなくて、その中身の質というものを常に職員と一緒により良い質にしようということを言ってきましたから。皆さんから賛同していただいた内容でももう少しこういうふうにしとけば良かったかなっていうことは、もうこれは数限りなくあります、人間ですから。そういうものはあります。ただ今おっしゃたような文脈での心残りのこととか、そうしたことは私はまずこうした場を5年9か月も私に与えてくれたことに本当に感謝、感謝の思いですからね。その意味での心残りというものはないのではないかな。ただ願わくば行数も紙幅もあるでしょうけど「心残りはありません(止め)」っていうのだけはぜひちょっと考えてほしいけど、まあそれは詮方ない。皆さんに表現する権利はありますから。
岡谷市を始め諏訪市、下諏訪町、辰野町、箕輪町、塩尻市、こうした場所が皆さんもご存知のように多く今回の豪雨災害の場所でありました。これらの今申し上げた岡谷市、諏訪市、下諏訪町、辰野町、箕輪町、塩尻市においては、いずれも私の方が得票数が多く、そして6割近くの得票数をそれぞれの場所でいただいてるということは、これは無論自衛隊や消防の方々を始めとする方々、そして市町村や警察や私どもの職員の奮闘ぶりがあればこそだと思いますが。少しく私が奉仕をするものとしてそうした被害に遭われた地域の方々にも、過半の方にご理解いただけたことは、無論その点だけをもって判断された訳ではなく、知事選はさまざまな森羅万象っていうか、行政は先程言ったように全てを行いますから、その取り組みに関して豪雨災害の場所でいずれも5割を超え6割近い、あるいは6割を超える支持をいただけたことはありがたいことだと思っています。
あとはまたこれも職員に感謝しなければいけないのは、これも選挙中に申し上げましたが、私であっても村井さんであっても、あるいは極論すれば知事が誰もコンダクター、指揮者がいなくても、本県はこれから自動的に毎年350億から400億円は借金が減ってきますから。これは6年間の不要不急の借金を抑制をしたという中で、どなたが指揮者であっても、あるいは指揮者がいなくても自動的にこれからの、そうですね4年5年は借金が減っていきます。ただ無論その間にどのような予算を組み立てるかによっては、3年後とか4年後は新たにそこで起債の償還が真近のものは始まりますから、そこはもちろん、指揮者、コンダクターの腕の見せ所だと思いますけども。そのことも付け加えておきたいと思います。 |
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産経新聞 芦川雄大 氏
先程、新しい知事の考えというのを繰り返しましたけども、村井さんがガラス張りの知事室ですとかコンシェルジュを廃止を、まあ発言をしたらしいんですが、ご自身は原産地呼称制度とかですね、あるいは木製ガードレールとか、肝いりの施策がいっぱいあったと思うんですけども、その物によってはですね新しい知事に続けて欲しいという思いがあると思うんですけれども、それについて聞きたいというのと、それから、そういったメッセージを送るおつもりがあるかということを聞かせてください。
信州・長野県知事 田中康夫
あの、前から言ってるように、これはある意味じゃ直接民主主義によって選ばれるんですよね、首長は。まあ議員もそうかもしれません。そしてその人たちが間接民主主義をするんでしょうが、それはやはり私はそれぞれの知事がお考えになることです。それは皆さんの仕事でも雑誌で編集長が替われば、あるいは編集局長が新聞で替われば、もっと言えば支局長が替われば、それが直接民主主義で選ばれている訳ではないでしょうけれども、それは紙面というのは一変しますから、そしてそれを読者に問う訳ですから、私のその個人としてのですね、一県民としての思いはあると思います。ただ、今、31日まで知事であるとはいえ、私がこれは残してくださいとか、これはやめてくださいとか、それは失礼なことになるんじゃないかしら。うーん。私自身が先程申し上げたように、県民に奉仕をするサービス産業だと冒頭言った時に、大変なある意味では戸惑いの抵抗があり、その中で、私が少しく困難であったということは数多くありますから、それは職員がやはり9月1日からはきちんと気持ちを切り替えて、その知事の考えを体現していくことによって県民に奉仕しなさい、ということだと思ってます。それは皆さんの民間企業の場合にはもっとそうじゃないでしょうか。とするならば、民間企業の役員も株主総会で決まるかもしれませんが、多く非上場の会社も日本にはありますから、ましてや直接県民から選ばれた知事の考えを実現するために全力を尽くすのは、これはもう職員の当然の私は仕事だと思います。
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産経新聞 芦川雄大 氏
もう1点伺いますけど、気が早くて恐縮なんですけど、9月1日以降ですね、どちらにお住まいになるかというのはですね、現時点ではどう考えていらっしゃいますか。
信州・長野県知事 田中康夫
私どもの元県職員がお持ちの建物に伝え聞くところだと、村井仁さんは住民票を移されたということなので、逆に村井さんがその場所でどのように暮らされるのか、ということも県民の方々は、住所複数説という民法上の解釈がある中で、きっと関心を持つんだと思います。私に関してはまだ考えておりません。はい。どうぞ、赤いシャツを着た方。
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日刊スポーツ 竹村章 氏
敗因についての質問になるとは思うんですけれども、いま6年間の営みの部分を伺っている部分で、一番多分田中知事が望んだのは、今回も当選することを多分望んだと思うんですよ。その中において、村井さんのほうが投票が上回ったということは、ある意味田中知事への批判票があったと思われるんですけども、例えばその原理原則主義者、例えば小沢一郎・民主党代表がですね政権交代目指すために、ある意味どこまで変わったのかは微妙なんですけども、そのために何か原理原則をやめて腰を折るというか、人の意見を聞くとか、いろんな方法論があったと思うんですけども、そういう意味において田中知事が反省すべき点がもしあったと思うのであれば、その辺を教えていただければと思います。
信州・長野県知事 田中康夫
そういう形の質問が皆さん多いんだよね。私も皆さんの立場だったら、「今回の敗因は?」とか、そうした質問が多いかもしんないけど。私は基本的に前も言ったように、「お天道様のもとじゃ悪いことはしちゃいけないよ」って私の92でなくなった明治25年生まれの、最後まあ、当時の言葉でいう痴呆が進んだときに、母親が「おばあちゃんのご主人は」って尋ねると、必ず「田中康夫」と言って、おばあちゃん子でしたので、亡くなっていった祖母も言ってましたし、他の方も言ってたように、この考えが、とても人間の効率とか数字とかを超えた、あるいは五感とか第六感というものも超えた暗黙知と呼ばれる、私が職員に繰り返し述べてきたことだと思ってますから。
先程言ったように私は、やはり現場を見て、そして人々と会話をして、そしてその中で、そのお目にかかった方々だけではなくて、その瞬間の他の地域でも生きてる方々のために、私がきっと喜んでいただけると思うことをまず私が述べ、そしてそれに対しては全面的賛同をいただける場合もあるでしょうし、全否定される場合もあるでしょうし、部分的な修正を求められる場合もあるでしょうし。ただ、その100人が同じ意見にはなりませんし、100人のうち90人が同じ意見や99人が同じ意見ということもあるかもしれませんけど、そうした形でばかり99人がいつも同じ意見、などというのは多様性のない社会ですから、むしろちょっと心寒い社会だと思いますけどね。ま、その中でやはりそれは、最高判断をするように法律上も制度上も認められている知事として様々行わせていただいたので、まあ、それらをすべてご覧になって県民が今回判断をされたんでしょうし、そして今回の判断というものは、無論この件は傍観民主主義や批評民主主義だけでなくて、参加民主主義や行動民主主義を目指してきましたから、おそらくこれから県民が昨日の判断というものとともに生きていくということなんだと思うんですね。私自身は、先程言ったように、人間ですから、皆さんもどんな試験問題出ても、あのとき後からこういう回答を書いとけば良かったとか、面接でもあるでしょうけど、それはそれぞれそのときに最善を尽くさせていただくようにチームワークの中で、そしてチームワークとともに私が最終的な判断者としてしてきたということなので、うーん、・・・かな。
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日刊スポーツ 竹村章 氏
もう一つ伺いたいんですけれども、今後の、ずっと田中知事が今回の選挙でもおっしゃってたと思うんですけども、まあ、今後のこの国の大きな争点として、例えば一つは一方、自民党としての新自由主義があるとすると、一方では社会民主主義と呼んだほうがいいんでしょうか、そういう部分で争点として選挙とかあった場合、去年の郵政で一本やりで、あれだけ自民党が圧勝したってことを踏まえてですね、今後の選挙の争点においてですね、社会民主主義型っていう部分をどう、こう選挙民にアピールできて、今回も争点としては非常に微妙な部分があったと思うんですよ。どういうことを強調してこうアピールすれば、この選挙に勝てるというか、何が争点になるのか、その要するに具体的な施策があればちょっと教えてください。
信州・長野県知事 田中康夫
いや、まあ、大切な質問っていうか、考え方というか、問題意識なのかもしれないけど、それはなかなか簡単には言えないでしょう。ただ、現実的に見てみれば、私ども、今回は本当に一人ひとり、個々人として参加する、真の意味でしかも220万、全国4番目の広さという中では類を見ない、あの良い意味での草の根の選挙だったと思うんですけどね。こうした形はなかなか実現するものではないですねぇ。あの、まあ、自由民主党の中にも、民主党の中にも様々なお考えの方がいるんですよね。もちろん、人間ですから様々な考えがあるんですが、今、竹村さんがご質問になったような、まあ有体に言う新自由主義と教条主義的ではない新しい社民主義と、でもそれも自由民主党の中にも社民主義的な人もいるし、民主党の中にも新自由主義的な人もいるし、その意味で言うとやはり民主党も含めて、もっとより、その大本では譲れない部分、というものは明確にされるということが、単に前回のワンフレーズポリティックス的総選挙とは違う意味で有権者の方々に、わかりやすいんじゃなくて、それをきっかけにして有権者の方々がより深く思考したり、議論するっていうことにはつながるとは思いますねぇ。とは思います。
ただ、例えば、この間もある新聞の選挙中のアンケートで「正しい戦争はありますか?」って質問があったんだけど、村井さんは違う考え方を、岸信介さんのことも尊敬される方なので、お書きになってた記憶がありますけど、私にとっては正しいも、正しくないも、へったくれも戦争はないでしょって思ってるし、私が基本的に、この知事になった時に、あるいはその前から私が拙い文章で抱いてたのは、戦艦大和の悲劇のようなことを起こさないってことです。何度か、ここにいる方は聞いたかと思いますけども。当時、相対的に連合軍の力というものを知っていた海軍の人は、誰もあの瞬間に、戦艦大和を海上に出しても戦況が一変する訳でもないし、逆に尊い命が失われるってわかってたはずなのに、誰もそれぞれの人間として言い出せずに、最後、天皇に出撃の空気でございますと上奏する、ある意味では天皇もそれを手続きとして受け入れざるを得なかったっていう苦悩があるってことが今回のA級戦犯合祀に関する昭和天皇のですね、大変に真摯な意見であったということの表明につながっていると思いますけどね。
私は、やはりそういう空気で物事が動いていってしまうような社会は、今回選挙で回って非常に感じたのは、本当に杖をついた方であったり、車椅子の方であったり、でもそうした方々が何か大きな福祉の団体であったり、そうしたものの庇護を受けている訳では決してないような方々が静かに本当に佇んで、出てきてくださってお話を聞くときに、私は正にそうした組織の庇護を受けようと思っている訳でもなければ、拒絶している訳でもないと思うんですよ。でも、正にそうして生きている方々を支え合えるような志の政治や社会や行政の実現が、お金や力や一部の方々のそれらに基づく都合や利益で左右されるような政治や社会や行政でない社会を求めている私だったと思いますから、その意味で言うと、今のさっきの「正しい戦争か、正しくない戦争か」って、仮に、万が一私がそうしたことにコミットするときの閣議のメンバーであったりして、多数決でこの戦争やりますって言ったときには、その閣議を退席するのでなく、その場で私は反対の意思を表明し、そしてそのことを恐らくその後、私は自分を懸けて「正しい戦争などあり得ない」ってことを言う人間だろうと思っています。
いささか弁明しておけば、決してこの台詞を聞いて欣喜雀躍されるような、私からすると少し、バージョンアップの度合いが違うかもしれない、CPUの具合が違うかもしれないイデオロギーに立脚した方々とは違うってことは念のために言っておきたいんですけれども。まあ、そういう人間です。でも、それは私は組織に向く、向かない、リーダーとして向く、向かないじゃなくて、やっぱり常に私は職員と一緒に、一人の人間として望んでること、そして自分のためではなくて、自分だけでなくて、とりわけ他者のために、そして頼る場も少ないかもしれない、手を差し伸べられる回数も少ないかもしれない人々のために何ができるかで、それが私は本当に4月に総合教育センターで土曜日の日に丸一日300人以上の職員が集まってディスカッションしたときに、すごくそうした流れが着実に生まれてきているのは嬉しかったですけどね。まぁ、すいません、竹村さんの質問にも・・・はい、後ろのはい、じゃぁ、どうぞ。須永さん。
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日本障害者創生会 須永恒 氏
今回の田中さんの得票の53万票は、前回の82万票をはるかに凌駕する重たいものだと私は理解しております。それでですね、その53万票を田中さんに託した人のためにも、継続は力という意味から言っても、「壊して」そして「創る」という、その「壊す」ということを怠った部分、それが今回の結果を生んだと見ております。ですから田中さんが知事の座を降りてもそれは一切関係なく、長野県において壊すべきものはどういう立場からも壊すということは引き続きやっていただきたい。それが53万票を田中さんに負託した人間の意思であると思います。それが長野県を良くすることであり、そこまで田中さんにやっていただくことでまだまだ長野県民は希望が持てると思います。諏訪湖汚染の元凶であるような企業がやおら反田中に回ってみたり、全部田中じゃダメだと言った人、全部何か問題を背負っている人たちです。その人たちが自分のとこで肘が飛んでくる前に田中さんじゃダメだと、こういうことを言って利益誘導で地方、市町村に全部財源をやります、財源やってね、それをきちっとやる公務員なんていませんよ。田中さんをサポートした県の職員だって、良くしてくれる職員と同時に、そうじゃない職員が田中さんの足を引っ張ったということが今回の結果だと思います。どうか立場変わってもこの長野県の壊すべきものを、壊してなかったという点をいろんな角度から検討していただいて力添えをいただきたいと、こう思っております。ご苦労さまでございました。
信州・長野県知事 田中康夫
私としては借金の山を身の丈を遥かに越えて作り続けたり、コンクリートの山を造り続けることがそれは造作の「造」という造ることかもしれませんが、創造の「創」という創ることではなくて、壊すことに繋がっていると、未来のこの信州・長野県や、そこを愛し産まれくる、移り住む人々のために壊すことだと思ってましたから。まあ「壊す」という言葉にも色々あるだろう。創っているつもりでも他者から見れば壊してることがあるでしょうしね。私からすればいささか創造の「創」で創ってると思ったことが、壊してるとそしりを受けたこともあるのかもしれませんね。
その意味においても先程、時事通信ですか、「日本の未来に罪深い選挙」と私が言ったって言うんだけど、多分罪深いっていう言葉は私どんなに睡眠不足で疲れてたとしても言ってないと思いますですよ、昨日松本で。多分私が言ったのは、1つだけ心残りがあれば、先程申し上げたように「構造改革」という名の下に社会福祉を切り捨て、地域・地方を崩壊させる、破壊するという「構造改革」というものと対極のものを私たちは職員や県民とともに、いささかの自負とともに、社会福祉の充実と環境保全の促進を行わせていただいてきたと思いますから、その中で本県がいかなる選択をするのか、そしてそれはある意味では日本の未来をもどのように選択していくのか、ということで有権者でない方からもご期待をいただいてたと思うので、こうした構図の中での選挙であるということが、もう少しそうした構図の中での捉え方や報じ方があればより意味深い選挙になろうと多分私は言っていると思いますので、そこはよろしくお願いします。
最後に、昨日田口哲男議員、まあ多くの県議会議員が私と正に個々人として歩んでくれた訳でして、それはまあ島田基正県議はじめとする多くの方に感謝をしていますけども、田口哲男議員が昨日メールをくれまして、私の両親も松本の会場にいましたので、その両親が、何かこう、少し、何て書いてあったのかな、両親が少しこう、まあもちろん両親も当選できなかったことは、心残りなんだろうと思いますけども。両親が、まあ、昭和5年生まれと昭和3年生まれの両親と、私一緒に暮らしておりますので、両親が、あの少しほっとしたというかですね、そうした表情をしたのを見て、あの、まあもちろん田口議員は私の当選を願ってた方ですけども、そして私と違って、昨日涙を流されて号泣された心根の方ですけども、田口議員が、その両親の少しほっとした、ちょっと表現が的確じゃないんですけども、後で調べて、一応ここはホームページ上では載せさせて頂きます。(お父さんやお母さんのお顔がやっと解放されたな!という印象を感じ、なんだか私自身救われた気持ちになりました。)あの、田口議員もそのことは許してくださると思うんで。あの、を見て、まあ嬉しい、彼自身もほっとしたというのはありました。
思えばまあ、大変にこういう独り、独身の人間ですから、そして夜遅くまで仕事をして帰り、夜中の2時くらいに寝て、4時か5時に起きて、朝、部屋で自分の仕事をしたり、そういう時に、そしてましてやご飯を、母がお弁当を減量の為もあってですね作ってくれて、あるいは父が、朝、駅まで車で送ってくれる。お恥ずかしい話ですけども、私のズボンに、父が朝アイロンをかけてくれる。そういう、そしておそらく、皆さんが昼や夜に報じて下さる内容を見て、両親は常にこう、県民の一人として、本県の行く末を、私の為にではなくて案じてくれていたと思いますので、その両親を少し、9月1日以降、物理的にも精神的にも、楽にしてあげられることがあれば、あるいは、こうした知事会見の場の最後に申し上げるべきことじゃないかもしれませんが、この多くの県民に支えられ、職員に支えられてきましたし、全国の方々に、全世界の方々に支えていただいたと思うけど、とりわけ私と一緒に暮らす、その2人の両親に少しほっとする時間を、近く与えることができるかな、できるとすれば、あの、少し嬉しいかなとは思ってます。
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