Web Site 信州
トップページ戻る目的でさがす分野でさがす組織でさがすサイトマップ使い方ガイド
知事コーナーのトップへ  知事会見のトップへ
最終更新日:2001年11月27日
 

知事会見 米国の同時多発テロ事件他

平成13年9月14日(金)
13:10〜14:05 
県庁5F「仮設 表現道場」

長野県知事 田中康夫
 
はい、それでは定例の知事会見を開始いたします。
  本日は2時まで、2時半から自治研修所で職員へのスピーチがありますので、2時までとさせていただけると有り難く思っております。
  まず最初に、日本時間で11日の夜に起きましたアメリカでのことですが、私はニューヨーク市長のルドルフ・ジュリアーニ市長がですね、まさに自ら危険をもいとわず帽子をかぶった映像が流れておりましたが、現場に出かける、そしてそれがその市民への沈着な対応と勇気を与えると。彼の、ルドルフ・ジュリアーニ市長の今回の対処、また判断、行動というのは私もまた見習うべき気概を持ったリーダーのあり方であるというふうに思っておりますし、被害に遭われたすべての方に対して、深く哀悼の意を表したいと思っております。
  その上でここ両日考えておりますことは、ある意味では飛行機の激突を受けた高層ビルというのは、まさに国境を越えた金融という人々の営みの象徴の場所だったわけです。国境という概念や、国家という概念を解かしていく場所の象徴であった。その場所に先の爆破事件に続いて、ああした2機のジェット機が激突をすると。それが非常に私としてはまだ言葉として確たる形では見いだし得ていませんが、先日の共同電の…、一昨日ですか、夕刊に2名の日本の学者の方が寄稿をしてらっしゃいましたけども、まさにネーション・ステート(nation state:
一民族国家)という国家の概念が解けていく時代であると思っております。それに対してネーション・ステートという概念でそれに対してアクションを起こすというような形が、未だ一方ではあるわけです。

 その点に私はCNNとUSAトゥディがアメリカの世論調査において、「これまでの人生で最も悲惨なニュースだった」と答えた方が87%いらっしゃると。それは誰もが否定し得ない、まさに惨事であると思いますが、けれどもこれまでの人生で最も悲惨なニュースを感じた方々は、その他の世界中にも、それは日本にも多くの責任があったと思いますが、私たちの先輩が戦時中に、また終戦直後に感じられたのも、この「これまでの人生で最も悲惨」な経験であったと思いますし、そうした経験は恐らく今回のアメリカでの惨事以前にも、この20世紀後半においても、冷戦以降においても、また21世紀に入っても、多くの方々が感じてらっしゃったことではないかと思います。その点を私たちは、何と言いますか、冷静に判断していかなければいけないのかと思っております。ですから、ある意味では日本も費用を負担して多くのミサイル防衛構想をすることで世界に平和がもたらされるという国家という概念のネーション・ステートの考えで、私たちと言うよりも、世界のリーダーが目指していた方向がありますが、ある意味で言うとその国家という概念を越えて解かしてしまう事件が起きたわけですから。ミサイルによって、ミサイル防衛によって世界が安定を、安寧を得られると考えていた概念の前に、ある意味では飛行経路を大きく変更した飛行機をすら的確には把握し得なかったまま、あのような惨事になってしまったという、まさにITの社会の虚をつかれたと言うよりも、私たちの文明への考え方というものが改めて問われていることなのだと思っております。
 ですので私は、ぜひ日本という国家は、ある意味で言うと真珠湾以来の奇襲攻撃であり、真珠湾のときと同じようにそうした人々はある意味では報いを、すべての人が報いを受けなければならないというような意味合いのキッシンジャー氏の発言には、私はいささか悲しい思いを抱いておりますが、そうした考え方のうえに乗ることはですね、そのアメリカ国内でも、実は国内でアラブ人などへの人種差別が起こらないように配慮するという、こういう表現を用いられている、一方ではわけでして、私は日本がテロへの報復を全面的に支持するというような発言が、その後付帯的なあくまでも日本が戦争に参加するわけではないというような発言もあったというふうに聞いておりますが、やはり私も言葉を扱う者として、報復を全面支援するということは、逆に言えば日本の多くの航空機や、多くの船舶や、あるいは多くの日本の旅行者や、海外居住者がいるわけでして、そうした方々へのまさに危機管理を万全であるといううえに立って今の発言があられたのかと。ぜひ私は、まさに原爆をはじめとする、まさに最も悲惨な体験を経た日本は、今こそG7やG8を越えた、まさに国連というものの下での冷静な対応、そして私たちがまさに憎むべき問答無用のテロリズムというものを、まさに経済が国境を解かしていったように、私たちがそうした問答無用のテロリズムというものも解かしていく作業は、私は今こそ日本は国連というものを主体とした考え方を提唱すべきなのではなかろうかと思っております。

 ですので、ダン・ミラー、米国の下院議員が、共和党の方ですが、私は実際に人間の誰かが起こした惨事ですが、オサマ・ビンラディン氏への多発テロの関与を95%確信しているというふうにブッシュ大統領がおっしゃったと言いますが、まさにこのいかなる根拠で95%というような数字を、あれだけ凄惨な多くの無垢なる市民が亡くなられ傷つかれたときに、こうした数字でとらえるということを越えた惨事が起きたということだと思っております。

 これは一つの私見と言いますか、一市民としての疑問ではありますが、何故あれだけの多くの迎撃ミサイル網を完備したような、そしてあれだけハイテクな、ペンタゴンのみならず厳密な航空管制を持った国において、あのようなある意味ではとてもプリミティブな、それは虚をつかれたとも言われますが、あれだけある意味では、何と言いますか、戦時中の、これは私たちが恥ずべき日本軍の行動のような形での奇襲を、私たちが許してしまったのかという、この部分を私たちハイテクの社会に生きる人間は反省せねばならないと思っております。そして50人を越えるテロリスト、参加したであろうという人物が特定されてると言われていますが、それだけの調査能力を持った組織が何故それだけの、あれだけの同時の単発ではない、多発テロというものの情報を入手し、また的確に対応し得なかったのかということはとても残念なことであります。

 それは同時に国内線の場合、バスポートの携帯や身分証明書との整合を提示されるわけでもない、とりわけボストン、ニューヨークというようなものはバスのような、乗り合いバスのようなシャトル便になっているわけでして、ここに複数名の方がご自分の、本来のお名前をフルネームで搭乗予約に入れて、果たして搭乗なさるのか。ましてや、あのような許すべきでない惨事を引き起こす人間がそのような形を取り得るのかということは一市民の素朴な疑問として私は持っております。
 それともう1点は、これは私もまたミズーリ州知事にお便りを差し上げはしましたが、昨日になりまして、私が震災の二日後になって呆然とテレビを見るだけでなく、何かをせねばと思っておりましたが、私たちは恐らく他の国で多くの大地震が起きたり、多くの惨事が起きた場合には、日本としても何かお手伝いをしようと、できることはないのかと電話をかけたり、すぐに毛布を送ったりしてきたと思います。

 私もまたささやかなそうした、これは県内ではないので、皆様にもお許しいただけるとは思いますが、国外へのそうした募金をしたことはありますが、残念なことは、様々な意味合いにおいて大きな影響を受けてきた、そして日米安保という形の共同体である日本が、日本国も、あるいは日本の市民もそれは航空管制がしかれていたからという理由だけではなく、何かこう傍観をしていただけの自分というものを昨日になってきてから非常に気恥ずかしく思っているところがあります。

 確かに私たちの国より基本的な生活が極めて豊かだった国ですし、私たちよりもさらにボランティア精神が、あのとき一緒に救出活動をと名乗りを上げて2次災害でお亡くなりになった方もいるわけですし、私たちよりもさらに社会を共に支えていくという気持ちがあった国ではあります。潤沢なる物資があった国ではありますが、その国に対して報復を断固支持するという、その言葉の上での勇ましさを持つのであるならば、今にして思えば、例えば私たちのその2機の政府専用機を常駐させていると、その税金が私は駐機していて日本でもったいないと申し上げているのではなく、そこまでの気持ちが私たちにもあったならば、例えば一番アメリカのニューヨークに近いアイルランドの空港まで私たちは物資を乗せて、スタッフを乗せて待機をし、今日飛行が許される瞬間に出すという方策もあったわけですし、それこそが私たちがあの限られた中で成し得た危機管理かもしれませんし、私たちの愛情かもしれませんし、それは私もまた傍観者であった自分を恥ずると共に、今申し上げたように日本の多くの方々が海外にいらっしゃり、多くの日本の航空機や船舶が海外を今この瞬間も飛行している中で、報復を断固支持するという言葉を越えた真の私たちは一人ひとりの、まさにあの場でボランティアで救出をしようとした人と同じような、あるいはジュリアーニ市長と同じような勇気を自らも持たねばと思っております。
 本日午後、それは現場からは離れていますが、私たちの姉妹州であるミズーリ州に対して、さらに私たちが何ができるかを直接お尋ねを申し上げようと私は思っております。

 そしてそれは昨日の産経新聞に友人でもあります、私とは意見を異にするところも多々ありますが、舛添要一氏が「アメリカは気の緩みをつかれた」というふうに言っておりますが、まさにある意味では、ああした飛行機の予定航路とは違う航路の進行を許してしまったのはモラルハザードだったのかもしれませんし、そして彼が日本というのは恐らく、こういう形がございます、「もしアメリカがテロリストに対して報復攻撃を敢行する場合も英独仏の軍隊の協力を要請することはあっても日本の自衛隊は門外漢であろう。軍事力で貢献しないというのなら、せめて情報収集、分析能力で世界の役に立つべきである。真の構造改革とは無駄は省くと共に必要なものには金を使うということである」というふうに彼は言っております。

 これは、ジャパンタイムスから出ている本で「犯罪銀行PCCI」という本がございます。これは大変に素晴らしい本で、ある意味ではアメリカの政治や経済の奥をずいぶんと、奥の私たちが伺いしれない暗闇を照射している本ですけれども。私は恐らく日本の外務省が今、私もまた外無脳省ではないかと叱咤激励の意味を込めて申してきましたが、やはり日本が本当に通商国家としてこれからもアジアの中で、世界の中で生きていくならば、まさにこの舛添氏が言うような、私たちはソフトパワーとしての情報収集や分析能力、それはかつてベネチアの通商都市が、それは役人とか軍人ではなく世界の各地にその時いたベネチアの商人たちが的確な情報収集と、情報判断認識能力を持ってそれを伝えていたから、あの都市が通商都市として栄えたと。日本もまた、これからもなおこの小さな国土で資源が少なく通商国家として生きていくならば、まさに私たちが長野県が民間の方々とも積極的な人事交流、というよりもむしろ私たちの職員がそうした危機管理やコスト管理や、あるいは顧客至上主義の視点に立った企業社会の中でサービス・オリエンテッドな、あるいはコンシューマー・オリエンテッドな、あるいはインフォメーション・オリエンテッドな研鑚を積むべきだと私が言っているように、この舛添氏が言うように、やはり日本はそうしたソフトパワーとしての情報国家を本当に目指さねばならないと思いますし、そうした日本を構築していく過程で、まさにネーション・ステートの概念を越えた、それは国連を一つの軸にしていく方向でありますし、そしてまたもう一つは長野県が今目指しているように、様々なディスエイブル(disable:体が不自由)であったり、マイノリティー(minority:少数派)であったりする人々と共生していく社会を目指していくということに尽きると思っています。
  長く大分話しましたが、アメリカの事件に関しての感想である…、感想と言うか、私の感懐であります。
  その他は、狂牛病に関してでありますが、農林水産省の方に肉骨粉の件に関して、先にこの場所で緊急の知事会見をいたしましたときにお伝えしたように、情報の開示を求めておりますが、本日の11時現在では農水省からの回答はございません。また農水省の方からは私どもの東京事務所職員が生産局の方に赴いて直接確認をいたしましたところ、現在調査中であり判明しだい公表するとのことではありますが、恐らくは農水省の方にもまだそうしたものに関してきちんと系統だった情報が到着していないものであるというふうに思っております。その間の長野県の対応に関しては、昨日もお伝えをしたとおりであります。
  以上であります。時間までご質問を受け付けます。
  どうぞ。

長野放送 小松正幸氏
 
長野放送の小松と申します。
  先ほどのテロの件ですけれど、小泉首相が報復を支持するという発言について、危機管理上どうかというお話があったんですが、それと共に報復そのものについても知事は非常に懸念しているというふうに受け取ってよろしいでしょうか。私自身は、頭に血が上った状態で報復という形になりますと、どんな攻撃方法を取るにしても、無関係な人間が巻き込まれることは避けがたいというふうに思うのですが、法による裁きではなくて、報復であるという、これに国際世論が乗っかっているということにいささか懸念をするところなんですが、知事自身はいかがなんでしょうか。そこのところもう一度お願いします。

長野県知事 田中康夫
 
小泉氏はその後にすべての戦争行為を支持するわけではないというようなことを記者団に対してぶら下がりではお答えになってますけれども、まさに会見というパブリックな場所でですね、報復を全面支援するとおっしゃっているわけですね。これには私は深い憂慮をいたします。

 私は先ほど言ったように国民は被害者であり傷つき、市民もまた被害者であり傷ついております。けれども先ほど言ったように国家という概念を越えた出来事なのでして、これを国家という概念で捉えていくことには、非常に懸念しております。

 そして、まさにそれはまだ犯人等は特定されていませんが、私は先ほど言ったように事前に察知し得なかったと言っていることが、なぜこれだけ短時間の間にフロリダの学校、パイロット学校まで特定でき、その人物名まで特定でき、そして自分の正規の名前で搭乗していたと言われる人物が存在し、またハンブルグにおいてもその関係者であるという住居が捜索を受けると。私たちのあのような事件にあの瞬間、あるいはその後の救出活動も残念ながら混乱を極めた一方で、あのように大変に迅速な捜査が行われているということは、まさにその迅速な捜査が一人ひとりの市民のために寄与して欲しいと思っています。犯人は特定されていませんけれども、巷間、まさにブッシュ大統領が95%の確率などという大変な数値を掲げて、犯人はオサマ・ビンラディン氏の一味であるというふうに断定をほぼしていますけれども、私は昔歴史の教科書で習った「目には目を。歯には歯を。」という言葉がありましたけれども、私は先ほど言ったように、私たち国家もまた被害者なのかということです。

 つまり今回の惨事は正義とは何か、大義とは何かということへの根元的な疑問をも投げかけているわけです。正義対悪の戦いと言いますが、ならばなぜ先ほどアメリカの87%の人が「これまでの人生で最も悲惨なニュースだった」とお答えになってますけれども、そうした最も悲惨なニュースを私たちはアメリカ以外の中近東であったりアジアであったり、アフリカであったり、そうした場所で与えてきていたのではないかということを冷静に考えねばならないと思います。「目には目を。歯には歯を。」をしてしまったのでは私たちはこれは、・・・私はハムラビ法典を否定しているわけではありませんし、イスラム教を否定しているわけでもありません。同様に私は日本とアメリカの関係を否定しているわけでもありませんが・・・私たちはあのような惨事が起きる前にどれだけのことを、どれだけ多くの人にこれまでの人生で最も悲惨なニュースだったと感じさせるようなことを国家という概念は行ってきたのかということを今一度振り返らねばならないと思っています。

 その考えを冷静に持ったならば、報復などというまさに権威としてのメンツのような言葉で、このことを対処しようという考え方には必ずしも思い至らないのではないかと私は思っておりますし、そうした考えに至らないことこそが私たちが考える葦であるせめてものこの地球という社会において、一番優越性を持った人間という動物の踏みとどまるべきところだと思ってます。

長野放送 小松正幸氏
 
はい、ありがとうございました。

長野県知事 田中康夫
 
ですので、報復を全面支援するという言葉をお吐きになるということは、先ほど来申し上げてますが、日本の飛行機や船舶や、日本の国籍を所有した、あるいは日本に長くお住みになったことがある市民への危害というものが限りなくゼロに近くなるような手だてを同時に、あの発言と同時に私たちは行わねばならないと思います。
  その他のご質問お受けいたします。どうぞ。

日本放送協会(NHK) 大山吉弘氏
 
NHKで大山と申します。
  既に一部報道にもなっておりますが、衛生部の技監にチェルノブイリの支援活動をされた菅谷さんを起用することになってます。この件につきまして、ご本人もそういうようにおっしゃってはいらっしゃったんですが、知事の方として、この方にお決めになろうとされた経緯と、それからその理由についてお聞かせください。

長野県知事 田中康夫
 
既に一部の報道機関で報じられておりますように、元信州大学の助教授であります菅谷…、ごめんなさい。下のお名前を失念いたしてしまいました。失礼しました。菅谷昭氏を近く衛生部の技監として新たな仲間として迎え入れたいと思っております。

 私は彼がチェルノブイリからお帰りになった後に、ぜひこうした経験をお持ちの方とお目に掛かってお話をさせていただきたいと思い、お話をし、深く感銘を受けました。彼は長野県で生まれ育ち信州大学の医学部で助教授の職にあったわけですが、40数歳のときに「これから自分は、自分が社会に何ができるんだろうか、今まで何をしてきたんだろうか」と考えたときに、今までのその自分の限られた社会の中で貢献してきたのとは違うことがしたいとお考えになって、お子さんと奥さんがいらっしゃるわけですが、奥様が医師であられたという、収入を日本においても得られるという場にあられたということもあるかもしれませんが、私はそうした恵まれた条件だけで人間が決断できるものではないと思っております。 彼がやはりあれだけの長い期間にわたってチェルノブイリで無給でご自分の費用で滞在され、生活をされ、多くのまさに今回のアメリカで亡くなられたり傷つかれた方と同様の無垢であるはずの市民に対して手術をなさり、治療をなさったと。

 その時に非常に私は印象的でしたのは、欧米からも多くのNPOのボランティアはやってきたと。けれども自分がいた、ベラルーシの最も設備が整った病院のみならず、自分が知る限りベラルーシの国内で欧米から自分ほどの年月ではないにせよ、医師として治療のためにやってきた人は知らないと。調査のためにやってきた医師は知っているが、治療のためにやってきた医師は知らないと。私は決してベラルーシやロシアの人々を欧米と呼ばれる地域の方が蔑視をしているわけではないと願いたいですが、ある意味で言えばこの言葉は、私は同時に今回報復という言葉を声高に叫ぶ方々がいますが、その報復の前に私たちは報復をされていたのではないか。またあのような惨事は私たち市民は被害者かもしれませんが、組織として、システムとして、国家として見たときに、私たちは自らを無垢な被害者と言い切れるのかということは、今後冷静に議論されねばならないと思っております。
  私は菅谷氏がベラルーシのみならず、自らの良い意味での自分探しをですね、40代後半になってなさった。そしてその輝かしい成果を決して誇らしげに語るわけでもなくお戻りになって、今また長野県に居住の方を、ぜひ長野県の医療の改革に尽力いただきたいと思って迎え入れました。長野県の医療は前から申し上げているように、佐久総合病院をはじめとして、必ずしも私たち行政がリーダーシップを握って、現在のこの長野県の長寿である、そして高齢になられても元気であられる方々が多いという状況をつくり出したわけではなく、そうした地道に市民と同じ目線で語ってきたその地域医療の方々の成果が、今ここにある。けれどもその間私たちが老朽化した建物を造り替えるというような、ある意味で言えば箱の発想だけで手をこまねいてきてしまった結果的に医療の現状の改革すべき多くの課題があるわけでして、それを市民と共に歩んできた彼を仲間に迎え入れることで、私は市民の気持ちに立ったスピーディーな抜本的な医療行政の改革が長野県でできると期待しております。
  その他いかがですか。はい、どうぞ。

しんぶん赤旗 長谷川守攻氏
 
しんぶん赤旗の長谷川守攻です。
  今日一部の新聞で出てましたが、福祉医療制度等の抜本的見直しについてなんですが、そのうちの乳幼児医療窓口での無料化についてですね、先の議会で知事ができるだけ早くと、実施したいというふうなことを答弁とられましたが、来年4月からの実施を考えているのかどうか。そういう指示をしているのかどうか、1点とですね、それから別の問題ですが、浅川ダムの談合の問題でですね、調査するというふうなことなんですが、調査は具体的にどういうふうに進めているのか、今後どういうふうにやっていこうとするのかと、その2点お願いします。

長野県知事 田中康夫
 
昨日市長会長と町村会長がお越しになりましたが、乳幼児の医療にとどまらず、様々な障害をお持ちの方々の医療の窓口での費用に関してもですね、ご一緒に早急に会合を、委員会を立ち上げるという、大変有り難いことに私どもからの提案にご同意いただけましたので、早速立ち上げたいと思っております。私は乳幼児の窓口医療無料化の4月からの実施ということを、未だ断念はいたしておりませんし、ぜひ速やかな段階での導入ということを切に願っております。このことは既に120市町村にもお話をし、一緒にご協力をいただきたいということで、101市町村からその方向での前向きなご検討をいただけることを伺っていたわけでして。

 しかしながら昨日市長会長等は、導入を今少し十分な見直す期間を持って欲しいというような文章であられたかと思っておりますが。ただあの場においてそうした委員会の立ち上げに関してはご賛同いただけましたから、私はこれらの窓口の医療費の問題に関しては抜本的な改革を早急に実現できるように、引き続き努力をさせていただきたいと思っております。長野県としてはそうした気持ちに変わりはございません。
 浅川ダムに関しましては、いわゆるカギ括弧での、『談合疑惑』、カギ括弧閉じということが、多方面で報じられておりますし、私も長野県の県知事としてこの問題を傍観し続けるわけには断じていかないと思っております。既にこれはぶら下がりや個別取材等では幾人かの表現者の方々に申し上げておりますが、現在土木部に対して浅川ダムの入札経緯書、および入札率、あるいは各参加、入札に参加したジョイント・ベンチャーから出たその金額の積み上げ方の明細の資料等すべてを、浅川ダムの入札にかかわるすべての資料を私の手元に土木部から提出をいただくようにお願いをしております。

 そして従来このように、これは談合ではないかというような情報が寄せられた場合には委員会を設けてきたわけでございますが、今まで従来この委員会は、その当該の建設事務所長並びに5名程度の事務所長が選任する事務所長の管轄する部署内の人間によって、談合があったか否かということを調査してきたわけでございます。けれどもこれらの部署は入札の事務手続きの当該担当部署でございます。入札の手続きを担当した部署が入札に瑕疵があったのではなかろうかと言われた場合に再調査をそこが行うということは、これは客観的に見まして彼ら職員にとっても非常に困難な作業を命じているように私は思えるわけでございまして、これに関しましては、これは法律で定められたものではありませんので、私の知事の判断としてこの調査に関しては客観的な第三者を交えて早急にその委員会を結成をして、とりわけこの浅川ダムの入札に関しては当時も談合があるのではないかという情報が寄せられて、誓約書を各ジョイント・ベンチャーの方からいただいたうえで入札を行っておりますので、早急にこの事実関係の調査を開始したいと思っております。

 この点に関しては昨日夜、荻原土木部長にもその旨を伝え、了解をいただきました。
 あと、とりわけ330億円が400億円へと増額されたときに、これは報道等でありますが、口頭で国土交通省に伝えたということは、縦(よ)しんばそれが法的には間違ってはいないとしても、やはり県民や国民の税金を使う事業が70億円増額される場合に口頭での説明で事足りたというのは一般市民としても、あるいは県知事としてもすぐには納得できることではないわけでして、このへんの事実関係に関しても詳細な土木部が現在持っている資料をすべて私の下でお見せいただきたいということを土木部には伝えております。
  後ろの方。

朝日新聞 平井隆介氏
 
朝日新聞の平井隆介と申しますが、先ほどの福祉医療制度に関連してですね、いわゆる窓口無料化を実現するにあたって、国の、いわゆるペナルティーと言うかですね、が、かなりネックになっているということがあると思うんですが、知事が先月ですね、窓口無料化を国の制度として確立して欲しいと。で、そうでない場合は国が国庫負担金を減額する、いわゆるペナルティーをやめて欲しいという趣旨の要望書をですね、厚生労働省の事務次官の方に持って行ってらっしゃると思うんですが、この件に関して、県としてはですね、今後も同様の要望を国に続けるのかどうかというのが1点と、あと実際にそういう要望をされてですね、国はこの問題に関して前向きに考えているとお感じになられたかどうか、その2点をちょっとお聞かせ願えますでしょうか。

長野県知事 田中康夫
 
今日ここにお集いの方も基本的な認識は充分なさってるかもしれませんが、通常窓口の無料化を、例えば乳幼児に関して行いますと、国としての考えはそれだけ財源に余裕がある自治体であるということで、その自治体への様々な国からのお金というものが減額されると。それを今、平井さんはペナルティーという言葉でお使いになったんだと思いますが、これは大変に不可解なことでして、そのペナルティーというのは通常悪いことをした場合に行うわけでございまして、私は必ずしも窓口の乳幼児の無料化、あるいは障害者等の窓口の無料化がですね、悪いこととは思えませんので、ある意味ではこれは「働くもの食うべからず」と言っているような概念であります。ですのでこれは引き続き、もっと一般国民にも理解しやすく、またご支援いただける形でお伝えしていく必要があると私は思っております。厚生労働省の側からは、これに関して何か従来の見解を直ちに変える方向で検討しているというようなお答えは、今のところいただいておりませんし、この点はやはり、ある意味では一人ひとりの市民の声を大きく広げる必要があろうと思っておりますし、その良い意味での方策というのは私もまた考え続けたいと思っております。
  どうぞ。

フリー 内山卓郎氏
 
フリーの内山卓郎といいます。浅川ダムの事業費総額について公文書公開請求をし、それから異議申し立てをした当事者です。

 この件についてはですね、今、知事がちょっと触れられましたが、長野県の情報公開条例が、この4月から全国に誇るべきものというような形で施行されております。ところがですね、情報公開というのは私は、文書規程、文書管理、これと車の両輪のようなものであって、こちら等なければ、情報公開だけを立派なものをつくっても機能しないと思うんです。今回の中でわかったことはですね、そういう事業費を70億円も増額したにもかかわらず、現に決裁の書類が1枚もない。あるいは出張報告、復命書の類も1枚もない。公文書としては1点もないんだと。そして当時の建設省への交渉で持って行った書類等は破棄してしまったと、こういう説明なんですね。

 ということは、しばらく前の五輪帳簿の、五輪の会計帳簿が行方不明になっていたということと、類似したような出来事だと私は思います。ですから、情報公開の条例と同時に、文書規程、文書管理規程のどういう場合に公文書をつくらなければいけないのかというあたりのことを、きめ細かく文書規程を抜本見直ししなければ、情報公開条例が機能しないのではないだろうかと、そう思いますのでそのあたりについて知事のお考えを伺いたいと思います。

長野県知事 田中康夫
 
文書の管理規程、あるいはいかなる場合に文書を策定するかということも、策定せねばならないという文書がない項目だったから文書を策定しなくてよいとか、管理しなくてよいということにはつながりません。これから申し上げることは。ただこれに関しては、私としてはですね、情報公開だけではなくてそうした情報公開し得るに足るような透明性、またその管理ということに関しての規程を設けねばならないと思っております。で、これは今ご質問の内山さんがおっしゃったように、文書を破棄したということはそれは必ずしも焼いたのではないのかもしれません。誤って捨てたのかもしれませんが、浅川ダム計画というのは、現在私が「『脱ダム』宣言」を出す前に一時中止にしていて、その計画自体はまだ今も、ある意味ではアイエヌジー(ing:現在進行形)なわけでございます。つまりそれも非常に、金額の高で言うわけではありませんが、事業が終了して文書の保管規程の年月を過ぎたものに関してご請求をいただいて、文書が規程を過ぎたので、なかったと言うならば、まだこれは起こり得ることではありますが、事業が継続されてきていて、しかもそれは破棄されたのは私の就任前でありますから、事業がまさにもっと明確な意味でアイエヌジー(ing)であったにもかかわらず、それに関わる書類が、しかも金額が330億から400億へと大幅に増額されるというものが破棄されたということは、これは示しがつかないことです。

 この点に関して私は昨夜土木部長に、誰がどのような判断でそのような破棄を行ったのかという点に関しても、またどのように文書を、浅川ダム関係を保存していたのかという点に関してもですね、弁明ではなく、客観的な事実と、客観的な原因と責任を私のもとへと早急に報告して欲しいということを申し上げております。その点は報告があり次第、広くお伝えしたいとは思っておりますし、またただ繰り返しておきますが、談合と呼ばれていたような疑惑が、広く報道機関のみならず県民の間でも語られているわけでして、こうした疑問の声に対して私は明確にその事実をお伝えする必要があると共に、第三者機関としての委員会を近く立ち上げると申しているわけであります。
  規程をつくる前に、これはやはり私もまた知事名で文書として、県庁のすべての機関、すべての職員に、文書のきちんとした管理ということを申し述べたいと思いますし、規程ができる前においても、少なくとも事業が継続しているものに関しては、すべての資料が正しく保管されることを命ずる文書を近く出したいと思っております。
  はい、どうぞ。

朝日新聞 西本秀氏
 
朝日新聞の長野支局の西本秀と申します。

 これまでも何度かぶら下がりの場などでおっしゃっているのですが、昨日今日と「脱・田中ネット」という市民グループがですね、県議会の方に知事の不信任案を出して欲しいというような要請をしているのですが、このような運動に対し、7月から始まっているこういった運動に対して、知事はどのような見解を持ってらっしゃるのかと。

 あと、公共事業などへの見直しに対するその不満というものが背景に若干あるとは思うんですが、そういったものにはどのように答えるのかということをお聞きできますか。

長野県知事 田中康夫
 
この「仮設表現道場」で私が知る限り、県民の方がですね、県からの報告以外で初めて会見を開かれたのは、今西本さんがおっしゃった方々であったかと思いますし、そうした方々の会見を開くことを県はもちろん県民の一人からの申し入れとして当然受け入れこの場所を提供したわけでして、このことを持ってしても、この1点を持ってしても、私の就任以来の長野県政というものが、市民に対して開かれたチャンスを与えている県政であるというふうに、私はいささかならず自負をいたしております。

 限られた方を対象としたクローズドな記者クラブ制度のもとでの記者クラブ室を、無償でお貸ししていた方々に対して、今までも県民の方はそこでレクを行うことは可能であったとは思いますが、県が県の本庁舎内の場所を提供することを、快く…何と言いましょうか、私どもがご提供申し上げて、そのような県政のあり方に関して多分に批判的な会見を開かれることを許してきたという過去は、恐らくは私の就任前には絶えてなかったのではないかというふうに私は認識いたしております。そして、そのように開かれた、何かものを言うことがはばかられるような空気は、私は日々薄れて、良い意味で薄れているのがこの長野県だと思っておりますから、署名と称するものを提供する時に、署名をなさった方のプライバシーを保護するために匿名ですべて提出するのでご安心いただきたいというようなただし書きを、今なお、お付けにならざるを得ないということは、それこそが田中県政と言いますか、今の長野県の言論の自由、行動の自由を、必ずしも正しくは認識していらっしゃらない、ある意味では言論や行動の自由というものが、必ずしもすべての場合において自らの意志によって自由に成し得なかったかもしれない、そういう仮に歴史の時代があったとするならば、なかったということを私は切に望みますが、あるいは現在の長野県の有り様というものをまだ正しくご認識いただいていないのではないかという、少し残念な気持ちはいたしております。署名というものはどうぞ、それは、私は古今東西、匿名で署名を提出なさったという話を聞いたことがありませんので、どのような署名の署名簿であられるのか、ちょっと私の想像を超えた話であります。
  他にご質問ありますか。
 あと、後半のご質問に関してお答えすれば、私は県職員に申し上げているのは、例えば平成元年というのは非常に私たち日本の経済自体が、バブルと言われて元気であった時代の最後の方であります。その後数年を経て長野県は大きな大義を得てですね、様々な公共事業が行われたわけでございます。爆発的に県の単独予算も公共事業費も膨らんだわけでございます。私が申し上げていることは、小泉内閣の下でシーリングありきの10パーセントの削減というようなことが語られておりますが、そしてそれに先駆けて、私が公共事業の見直しを行ったことが、二重苦であるかのごとく捉えられている方々がいますが、私はぜひ冷静な議論をいただきたいのは、私は経済が落ち込んだのではなく、むしろある意味では元気な頂点にあった平成元年のレベルにまで県の単独費用や公共事業費を戻すということが、財政再建をしていくうえでも、一つの、これはある意味では大変に配慮をした再スタート地点であろうかと思っております。

 その意味では必ずしも公共事業費も県単独費も、平成元年よりも平成13年がそのいずれもが下回っているわけではございません。私はその意味において、まさに経済が元気であった時代の、あるいは経済が少し背伸びをしていたと言われていた平成元年前後の金額というものも県民の方々にお示しをして、私たちが良い意味での身の丈をもう一度歩み出すという形にしたいと思っているわけでして、先ほどの西本氏のご見解、西本氏のと言うよりもそうした捉え方があるという意味でのご発言だったかもしれませんが。そうした捉え方は必ずしも長野県の現在の公共事業費においても、当てはまらないのではないかというふうに私は思っております。
  あとは、私もおデブのヤッシーでして、今日も50分ほど会見をいたしましたが、昨日は読売新聞の石川純記者から、「デブ田中」という発言を3階の政策秘書室で欠席裁判のような形でいただいたということでございますが、私はデブであることに大変誇りを持っておりますし、これだけのストレスがあってもなお体重が減らないことは、いささかアメリカのエグゼクティブ社会では、あるいはそれは欠格事項かもしれませんが、私も「スマートな田中」よりは「おデブな田中」の方が県民には安心していただけるのではないかと思っております。ぜひ、そのような議論は欠席裁判の形ではなく、これからもクリエイティブ・コンフリクトを続けさせていただきたく思っておりますのでよろしくお願いいたします。
  以上です。

 
<お問い合わせ先>
■ このページに関するご質問及びご意見は、経営戦略局までメールもしくは下記にご連絡ください。

秘書広報チーム
Tel 026-232-2002
/ Fax 026-235-6232

トップページ | 県からのお知らせ | くらしの情報 | 産業・経済の情報 | 県行政の情報  | 県内各地の情報 | リンク集
▲ このページのトップへ