| 長野県知事 田 中 康 夫 母方の祖母は、明治 25年に大阪は船場の商家に生まれました。女学校時代、阪急電車に乗って神戸の三宮までスカートを買い求めに出掛ける“元祖クリスタル”な少女。長じてカリフォルニアに遊学します。が、結婚後5年を経ずして、同じく洋行帰りの夫を日本脳炎で亡くし、女手一つで二人の娘を育て上げました。東京オリンピック開催の年に長野県へと移り住むまで、母が東京で小学校の教諭を務めていたのも理由で私は、“お婆ちゃん子”として多感な時期を過ごします。祖母は慈愛を持って接してくれました。晩年、痴呆症を患った彼女に「お婆ちゃんの御主人の名前は?」と尋ねると必ず、「田中康夫」と答えたのも宜(むべ)なる哉です。 辛いことだらけだった日にも僅か 3、4秒で眠りに入れるのが、この私です。いつでも元気溌剌(はつらつ)として行動的だった祖母のDNAを、多分に受け継いでいる気がします。まあ、そうした私の“鈍感さ”が可愛くない、と仰りたい向きも世の中にはいらっしゃるのでしょうが……。百歳を超えても矍鑠(かくしゃく)たる日々を過ごす県内4カ所の御老人の下へと敬老の日に訪れた私に、祖母の記憶が甦りました。
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