皆様こんにちは。信州・長野県で県知事を務めさせていただいております田中康夫でございます。先程、この会場にお越しの多くの方々とともに、トンネルの中程でテープカット、そして、くす玉割りをさせていただき、大変に私、深い感銘を受けた所でございます。と申しますのも、皆様ご存じのように、この会場がございます伊那谷、また木曽谷というものは大変古い歴史、しかしながらその歴史の中には大変苛酷な歴史というものがあった訳であります。しかし、本県、南北に220kmという大変に長い県でございますが、とりわけこの中南信地域にお住まいの方々は、そうした歴史の中においても克己心を常に忘れず、そして今日のこの社会を築かれた訳であります。私も改めてお聞きした訳でございますが、元禄9年と言いますから今からちょうど310年前でございます。その310年前に古畑権兵衛さんという大変な志を持った方が峠を拓かれたと。そして今日開通を致しますこの道路は、決して私どもにとっての“通過道路”なのではございません。無論この道路が出来ることによってですね、信州を愛される、あるいはその道を通じて飛騨高山へと行かれる多くの方々がご利用になられる訳ですが、決してそれは“通過”をするのではなく、この道路によって真の交流が、そして正に、私どものような行政が何か“配給”をするという形ではなく、ひとりひとりの市民によって、真の文化や食べ物やあるいは様々なものの“流通”ということが市民、国民によって行われる、そうした記念すべき道路であろうと思っております。
と申しますのは、便利になればなる程、逆に、その地域にきちんとした志や歴史がなければ、ある意味では他の地域と、良い意味での“差”というものが出せない、のっぺりとした貌(かお)の街(まち)になってまいります。残念ながら世界を見ればそうした、便利になったが故にその地域の文化が少しく元気がなくなるという例は枚挙にいとまが無いかと思います。しかしながら、この伊那谷と木曽谷というものは、あるいは今日、木曽の側からお越しになられた方は改めて感じられたと思いますが、国土交通省の大変なご協力のもと、木曽にはその道路の所に大変に統一感の取れた、そして品質の高い道路の標示というものが、10年の長きにわたって行われております。それぞれの宿(しゅく)の所には、その宿房の縁(よすが)を感じさせる、正に和風な看板がございます。そしてスキー場等へ行く所にも多くの大変に落ち着いた色合いの看板がございます。それに触発されて今回、伊那谷の側の方々も、トンネルを抜けてから市街地へと来る所にですね、本県の正に地元の木を使った形での標示板を作ってくださる。やはりそれは、この道路がいかに便利であっても、そこが単に通過をするのでなく、そこの地域を愛する方々の所へむしろ遠来の方がお越しいただけるという、道路を活用しようという地元の方の深い気持ちの表れかと思っております。
私どもの県も、全国4番目の大変広い県でございますので、信州新医療圏構想という全国で最も長寿な県、そして最も地域の方々が支え合うことで、老人の医療費というものが、全国で最も低いという、大変に誇るべき私どもの実績がございますが、この伊那の地域にあります伊那中央病院、そして木曽にあります私どもの県立木曽病院、これが今回の開通によってですね、お互いがよりきめ細かい医療を行わせていただくという計画を既に立て、実施をさせていただいております。その意味でも、正にこの道路は通過のためではなく、本当に地元に根付いた、そしてその良さを多くの方に知っていただく、“垂直”の補完でなく“水平”の補完・協力として、伊那谷と木曽谷が結びつく、そうしたものでありたいと願っております。
そして改めて、先程お話を致しました、トンネルの中でのテープカットの際にですね、多くの地域の方々のご努力や熱意のみならず、関係の各機関の方々、そして、わけても、あの大変な難工事の場所をですね、その現場において、昼夜を問わずその作業に勤しんでいただいた、私はわけてもこの工事に、現場で携わられた方々、またその方々を支えてくださった企業の方々には、改めて心からお礼を申し上げご挨拶と致したいと思います。ぜひ二つの木曽谷と伊那谷のさらなる、まさに人の体温が感じられる、この温かい志がある中南信の地域のですね、さらなる充実のために寄与できればと思っております。本日は本当におめでとうございます。ありがとうございます。
(平成18年2月4日 一般国道361号権兵衛峠道路・姥神峠道路開通式典にて) |